あらためて、西雀寺美鈴っていうお嬢様のこと


 今更ながら西雀寺美鈴って奴は、端から見ると完全無欠なお嬢様だ。

 それは生まれついてのもんか、英才教育ってのがあんのかは知んないけど、色んなところで人の目を吸い寄せる。


「ふっ!!」


「わあっ!?」


 まるで羽が生えているかのようにふわりと跳躍し、強烈なスパイクを相手コートに叩き込む。

 体育のバレーボールの時間は、彼女が自陣にいるかいないかで、勝敗が左右されるレベルだった。

 俊敏さも、力強さも、身体のバネも、何もかもが桁違いだ。それでいて体操服から伸びた手足はしなやかに長く、くびれがあって、膨らむラインだってハッキリとしてるもんだから、男子連中は当然のこと、女子だって熱の籠った視線を向けてしまう。



「ふむ……こうですわね」


 勉強も学年トップクラスで――というかそもそもこんな普通の高校に通っているのがおかしいくらいで――授業中に当てられたところでなんのそのだ。

 {g(2)} 2 =4(e 4 +e −4 )+8……などなど、呪文にしか見えない文字を迷いなくチョークで書き進める。

 これが大学入試レベルの問題で、数学の梶谷が半ば悪戯で解かせたと知ったのは後になってのことだ。そんな当人は正答を出されると思っていなかったのか、ずっと開いた口が塞がってなかったけど。


「もし? 貴方大丈夫ですの?」


 お嬢様は素行もまた良好で、善良な市民ってやつだった。

 最近になって熱くなってきた天気にやられたのか、廊下で倒れてしまった生徒がいた。他の生徒が突然のことに様子を窺う中、彼女は真っ先に駆け寄った。


「熱中症のようですわね。大丈夫ですか? わたくしの声が聞こえますか?」


「う……ん……」


「制服のボタンを外します。それとわたくしの飲みさしで申し訳ありませんが、こちらの水も」


「あり……がと……」


「いえ、困った時はお互い様ですわ。保健室まで連れていきますので、ちょっと揺れますわよ」


 と、彼女はひょいと生徒を抱き起こす。その間は何分ほどもなかっただろう。

 結果的に野次馬にしかならなかった周りの生徒は、口々に『やっぱり西雀寺さんって凄い』と連呼する。


 西雀寺美鈴は凄い。

 あいまいだけど全部をまとめたような言葉が、この学校に通う大半の人間の、美鈴に対する評価だった。


 事実、その通りなんだと思う。

 美鈴は運動が出来て、頭が良くて、見た目や所作は美しく、人間性にも秀でている。

 あたしだってかつてはそう思っていた。

 一年の時に初めて同じクラスになった時は、なんでこんな奴がこんな学校に来てるんだって、まるであたしとは正反対の住人だなって。本人からも、遠巻きに憧れる連中からも距離を取っていた。



「彩奈さん――緊急事態です」


 でもこうして話すようになって、早くも一年が経って――今となっては違う。


「席替えが――あるんです!!」


 夜の八時。

 唐突に自宅に呼び出されて、無駄に長い前置きをされて、くわっと目を見開くコイツを前にあたしは思う。

 こいつはお嬢様の皮を被った、ただの馬鹿であったと。


「おう。そんなことより見たいテレビがあるから帰っていいか?」


「酷い!! 大親友の頼みをそんなことよりだなんて!!」


 あまりの馬鹿馬鹿しさに立ち上がろうとすると、わあんと涙混じりに足を掴まれた。

 ほんと……学校の他の連中は、コイツのこんな姿を見てどう思うことやら。

 藤木と近くの席になれるかどうかが心配で、人様を呼び出すコイツの姿を。恋愛が絡むとポンコツお嬢様と化すことを。


「ええいうっとうしい! 前は愛の力でどうにかなるっつったろ!? それでどうにかしてみせろや!!」


「しますよ!! してみますわよ!! で、でもそれだけじゃあ、ちょっぴり不安じゃないですかああああああ!!」


「知るか馬鹿!! このっ!! いきなり呼び出して来たと思ったら!!」


「あ、あだだだだだだ!! 肘は!! 彩奈さんの馬鹿力で肘を極めるのは!!」


「誰が馬鹿だ誰が!! 馬鹿はてめえだろうが!!」


「ひいいいいいいいいん!! ギブ!! ギブですわあああああ!!」


 と、あんまりしつこく来るもんだからアームロックを極めてやった。

 パンパンとタップをしてくるが、腹が立っていたのでしばらく続ける。


「おやおや、今日も随分と賑やかなようで」


 しかしノックと共に現れる人を前に、あたしも解放せざるを得ない。

 月山さんだ。微笑ましくニコニコとする様子に――主人に関節を極めてることを責めてるわけじゃないんだろうけど――途端に恥ずかしくなってしまった。


「宮下様、本日も美鈴お嬢様の我儘にお付き合い頂き、ありがとうございます」


 そうして「喉も渇かれたことでしょう?」と言わんばかりにお茶と菓子を置かれた。

 実際にその通りだけど、こういう感じに気を遣われるともっと恥ずかしい。


「では私はこの辺りで。どうぞごゆっくり」


 なんて、彼女は優雅に頭を下げ、ドアを閉じた。

 改めて同姓とは思えぬくらいのイケメンっぷりだ。初めて家に招かれた時に、女性と知って驚いたことが懐かしい。


「それで……だ」


 閑話休題。

 ちょっぴり気を抜かれたけど、あたしは月山さんに出されたクッキーを齧りつつ、あらためて美鈴に向き直る。

 

「席替えっつってるけど、どうするつもりなんだよ?」


「もぐもぐ……決まってますふぁ!!」


 美鈴はリスのようにガリガリとクッキーを頬張って、粉を散らしつつ、あたしに向かって言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る