6 何か怖いもの

「大原さん、学校に慣れてきたようで何よりです。」


昼休み後の掃除時間――岩井は言った。


美邦が属する4班は、校舎東の階段が掃除場所だ。


平坂中学校は、二十数名のクラスが一学年に二つある。二年A組は二十四人、六人で一つの班を作る。


ほうきを美邦は止めた。


「そうかな?」


「ええ。最初は、おどおどされていましたので。」


少し傷つく。


ここ数日で、岩井の性格を理解し始めていた。本人に悪気はないようなのだが――思ったことをそのまま口に出すようだ。


由香が近寄る。


「岩井さんは、学級委員長なのになぁんもしとらんけどな。」


得意そうな人に任せているだけですよ――と岩井は言った。


その態度に呆れつつ由香は微笑む。


「でも、転校してきた日よりかは慣れた感じだにぃ。硬い感じがなぁなっとる。」


「由香のお陰だよ。あと、幸子や、藤村君と芳賀君の。」


新しい日常は出来つつある――多少の歪みを抱えつつも。渡辺家にも、学校にも、馴染もうと努力したし、意外にも早く適応した。しかし。


――ここは自分の家でないだけん。


詠歌は――どういうつもりで言ったのだろう。


美邦は孤児だ。自分の家を持たない。


続いて、芳賀の言葉が蘇る。


――火事があったとか。


なぜ、父は町を出たのだろうか――家が全焼し、妻が焼死した直後に。しかも、なぜ、美邦が町に帰ることに反対していたのだろう。


最初は、後ろめたい何かを感じていた。だが、焼けた家の幻視を見たり、夜に潜む気這けはいを感じたりするうちに、別の可能性を感じ始めた。


――何か怖いものから逃げてきた気がする。


妙な事件が町では多いらしいのだ。


ほうきを止め、由香は一息つく。


「でも、藤村君と仲良なかよぅなれたのは少し意外かも。」


「そうなの?」


こっそりと由香は耳打ちした。


「藤村君な、実は人気あるだけぇ。でも、言っとることが難しくって。」


「ああ。」美邦も小声で答える。「確かに、格好いいけど変な人かも。でも、神社のこととか色々と教えてくれるのは助かる。私だけじゃ、どう調べたらいいか分からなかった。」


「そこは、芳賀君もだけどな。」


「うん。けど、LIИEには慣れてほしいかな――藤村君、読んでるかさえも分からないし。本当は、他にも色々と訊きたいことあるのだけど。」


「っていうと?」


「その――常世の国のことについて。」


「神様がおるっていう国?」


「うん。私も色々と調べてみたのだけど、何も分からないの。死後に行く国のはずなのに――ネットじゃ何も出てこないっていうか。」


――⬛︎⬛︎しなきゃ。


何か――大切なことがあるのだ。


「そんな何も出てこんの?」


「うん――何も。」


     *


木枠にはまった硝子ガラスを雨が叩いている。


冬樹の属する3班は、廊下での拭き掃除だ。廊下を拭き終え、雑巾を絞る。その灰色の水滴を冬樹は見つめた。バケツの中に落ち、灰色の水面みなもに同心円が描かれてゆく。


芳賀が雑巾を絞りに来た。


「何だぁ浮かない顔しとるな。」


「ああ。」


雑巾を絞る芳賀に、いま考えていたことを話す。


「なあ――重大なことを見落としとるのに、辻褄つじつまを合わせて『ないこと』にしとるってことないか?」


「何それ?」中性的な顔が歪む。「重大なことを見落としとるのに――?」


「たとえば――これを買うぞって思って街に出て、色々と店を回って、帰ってきたら、買うべきもんを買い忘れとった時のやな。」


「ああ。買うもんを買ったって思った時みたいな?」


「そんな感じ。」


「それが?」


冬樹は軽く息をつく。


「あれから、郷土誌を何度か読み返してみたに。そしたら、平坂神社って単語が何度も出とる。初詣に関する風習も書いてあった。元日、平坂神社に三度お参りしとったらしい。しゃべると幸せが逃げるけぇ、黙って参拝せんといけんかったそうだ。」


背後から女子の声が聞こえた。


「こぉら、そこの二人、さぼっとらんで掃除せえ!」


振り返ると、冬樹の左隣の席の田中がいた。


芳賀は、うっせえなと小声で愚痴る。


「拭き掃除はもう終わったがぁ。」


「じゃ、バケツの水捨てに行ったら?」


あいよ――と言い、バケツを冬樹は持ち上げる。


流し台まで芳賀は付いてきた。


「でも――そんな何度も書かれとったん? なのに――見落としとった?」


「ああ。平坂神社って書かれてても、荒神さまのことだと思っとった。」


芳賀は呆れ顔となる。


「そんな莫迦ばかな。」


「ほんにな――こんなん普通ない。でも、郷土誌の目次に黒塗りがあることも、ページが切り取られとることも今まで俺は気づかなんだ。」


流し台に水を流す。


「信じられるか?」


「信じられんっていうか、あり得んな。」


「だでな。でも――」


芳賀を再び見やり、慎重に問うた。


「例えば、あの紅い布って、何のために吊るされとると思う?」


えっ――と、芳賀は言った。何を、当然のことを訊くのかという顔だ。


「そりゃ、魔除け『とか』でないの?」

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