3 海を照らす神
昼ごろ、大粒の雨が降り出した。
窓の外が白い弾幕でかすんだ。外が暗くなったため、教室の蛍光灯が明るく感じられる。雨は、容赦なく屋根に当たって激しい音を立てた。
給食時間が終わる。
昼休み、窓側・最後列の席に放課後探偵団は集まった。美邦の前に冬樹が、由香の前に幸子が机を合わせて坐る。側面に芳賀は坐り、バッグから菓子箱を取り出した。
「これ、好きに食べて。」
由香は目を輝かせる。
「あ、白うさぎ!」
幸子は芳賀に顔を向けた。
「ええん?」
「うちの母親が、市内のホテルで週一でバイトしとるにぃ。」
芳賀は、ほうじ茶を紙コップに注ぐ。
「そこから、白うさぎもらってくるだが。腐るほどあるけぇ、できれば消費しようと思って。」
ありがと――と言い、白うさぎに由香は手を伸ばす。美邦も手に取った。紅い眼のついた兎型の焼き饅頭は、今日は抹茶味の餡のようだ。
ほうじ茶を芳賀は竝べだす。
冬樹は、白うさぎには手を伸ばさなかった。ただ、美邦の前で頬杖を突いている。
「とりあえず、昨日、祖母ちゃんと母さんにもっぺん訊いてみたに。でも、やっぱり、平坂神社なんて知らんって言っとった。」
ほうじ茶を受け取る。そして、一口すすってから、みんなはどうだった――と冬樹は問うた。
「僕は――親に訊く前に、帰ってから色々と検索してみただけど――」
芳賀が、足元に置いていたバッグを開いた。小型ノートパソコンを取り出し、起動させる。
「不思議なことに、十一年前の十二月までは何もヒットせん。でも、その前からはヒットする。」
十一年という開きが美邦は気になる。
「十一年前まで?」
「うん。それでも多くはないけど、執拗に調べてったら、境内の画像が載っとるサイトが出た。」
芳賀は、キーボードを素早く打つと、回転型ディスプレイを回してサイトを見せた。
美邦は目を
正面から社殿を写したモノクロ写真が載っていた。古い写真らしく、酷く不鮮明だ。しかし寝殿造を思わせる横長の社殿は、記憶の神社と酷似している。
「たぶん間違いないと思う。」
不鮮明な写真は、おぼろげな記憶と重なっていた。
「高い樹に囲われて、この神社が建ってたの。間違いなく、これくらい立派だったはず――町の守り神がいるって、お母さんも言ってたもの。」
冬樹は怪訝な顔をする。
「守り神?」
白うさぎを頬張りながら由香は答える。
「海から来た神様がおるんだっけ?」
「うん。」
何事かを冬樹は考え始める。
「じゃ、やっぱり
少し腰を浮かせ、幸子は画面を覗き込んだ。
「でも、この建物があの山ん中に? 大きぃない?」
由香も同意する。
「うん。下手したらお寺の本堂より大きい。」
芳賀は、だでなぁ、とうなづいた。
「で――うちの親にも訊いてみただが。そしたら、知らんって言うにぃ。だけぇ、この画像を見せてみたら、なんか変な顔して考え込んで――それで、潰れたでないかいなぁって言っとった。」
不可解な言葉を美邦は反芻する。
「潰れた――?」
芳賀が続けようとしたとき、癇癪が聞こえてきた。
「あんた達、もっと静かにできんの!」
五人は肩を震わせる。
声のした方を向くと、小太りの少女が坐っていた。先日、トイレで声をかけてきた生徒だ。読書中らしく、有名なケータイ小説を手にしている。
彼女はこちらを睨むと、読んでいた本を手にして教室から出ていった。
由香は胸を撫で下ろす。
「ああ、びっくりしたあ。」
美邦は周囲を見回す。
「私たち、そんな大きな声でしゃべってたかなあ。」
紙屑を捨てるように芳賀は言う。
「いや――あの人、頭おかしいだけだと思うで。」
刹那、沈黙が訪れた。大粒の雫が窓硝子を叩く音が迫る。事情が何かあるらしいと美邦は察した。
気を取り直すように幸子は問う。
「でも――潰れたって、神社って潰れるもんなん?」
「さあ――何でも、火事があったとか。」
厭な響きを聞いた。
「火事。」
「詳しいことは分からんけど、宮司さん
漠然と覚えていた予感が迫った――それに触れてしまえば、渡辺家にいられなくなってしまうような。父と同様に、叔父夫婦は何かを隠してはいないか。
不安そうな顔で由香は問う。
「けど、何で美邦ちゃんだけ覚えとったんかな? 荒神さまみたいな小さな神社はみんな知っとるにぃ、こがぁに大きな神社を誰も知らんだなんて変でない?」
溜め込んだ違和感が言葉になった。
「そうだよ――大人たちが知らないなんて変。初詣だって、普通ここに行くんじゃないの?」
雨が降っている。明るい蛍光灯の下、誰もが考え込んでいた。そんな中、ぽつりと由香がつぶやく。
「神社は『消えた』んでないの?」
酷く腑に落ちる。
あるはずのものがない――普通、それは「消えた」と言う。
しかし――、
「消えた?」
「うん。」
再び、画面を由香は覗き込んだ。
「きっと、町の人の願いが詰まっとるけぇ、こがぁに神社は大きいでないかな? でも、昨日の郷土誌、目次は黒く塗られとって、ページは切り取られとったにぃ――まるで神社を消すみたいに。」
少しの間、雨音のみが続いた。
やがて、疑わしげに幸子は首をひねる。
「でも人や店が消えたならともかく――神社なぁ。」
芳賀も同意する。
「大人たちが口裏を合わせて『ない』と言ったとでも? やるだけの意味が分からんに。」
それは――普通そうだ。
だが、この町の存在を美邦は父から消されていた。その前例が既にある。
まだ湯気の立つほうじ茶を冬樹はすすった。
「でも、消えたなら大事だな。たぶん、平坂神社は町の総鎮守だ。今でも神社があったなら、
祭神への冬樹の反応が気にかかっている。祭神がズレており、しかも祟ると言うのだ。
おずおずと美邦は尋ねる。
「神社に祀られてる神様は、そんな変わってるの?」
「神様は変わってない。祀られ方が変わっとる。」
「祀られ方?」
一枚の紙を冬樹は取り出した。それは、先日のサイトを印刷した物であった。
【主祭神】
【配神】
「ここに記されとる神様は、みんな
由香は、白うさぎの衣を剥ぎ始めた。
「
幸子がたしなめる。
「由香、行儀悪い。」
「大国主は、大国の主だ。大きな国の、王様。」
古事記にはこんな話がある――と冬樹は言った。
「大国主が海辺に出たとき、小さな神様が砂浜に打ち寄せられたそうだ。ガガイモの殻に乗り、
ガガイモって何と芳賀は問い、何かの殻だろと冬樹は答えた。冬樹も詳しくは知らないらしい。
「この神様を、
芳賀は首をかしげる。
「うっかり?」
「うっかりな。そいで、神産巣日は、大国主と少彦名が兄弟になり、一緒に国を造れと命令した。」
「で、造っただか?」
「造ったに。けれど、国が完成する前――少彦名は、常世の国へ行ってしまう。」
――とこよ。
耳に残る言葉だった。「平坂町」という名前を知った時と似た印象を受ける。どういうわけか、「とこよ」という言葉は懐かしい。
「とこよのくに――?」
「海の向こうにある神の国で、死者が行く島。」
――死者の行く島。
「死後の世界ということ?」
「まあ、そうかな。」
美邦は神話に詳しくない。それでも、何となく知っていることはある。日本の神話では、死後にゆく世界の名前は違ったのではないか。その名前は――。
「少彦名を失って、大国主は嘆いた。自分だけじゃ国は造れん。これから、誰の協力を得りゃいいのかと。すると、海が光って神が来る。」
芳賀は眉を顰める。
「超展開すぎん?」
「超展開だな。何しろ、この神様は、自分をVIP待遇したら国造りに協力しようって言ったんだけえ。」
「まさか受け入れたん?」
「受け入れた。それで、奈良県の三輪山にVIPルームが造られる――
この神様が大物主だ――と冬樹は言った。
「ああ。」キーボードを芳賀は打った。「日本最古の神社だら? 藤村君、前にも話しとったやな。」
回転型ディスプレイが再び回された。
美邦は再び目を瞠る。
画面に映っていたのは、「三輪山」で画像検索した結果だった。伊吹山に比べれば少し形は崩れているが、綺麗な円錐形をした山だ。それでも――似ている。
幸子は画面を見つめ、眼鏡の位置を軽く直す。
「これ――伊吹山に似とらんくない?」
美邦は、画面と冬樹とを交互に見た。
「この山に――伊吹山と同じ神様が祀られているっていうこと?」
「ああ。」
そして、少し気にかかる。三輪山に酷く似た山が海の近くにある。しかも、大物主は海から来た。
「大物主は『とこよのくに』から来たの?」
意外にも、冬樹は難しい顔をする。
「いや――大物主がどこから来たかは何も書かれとらん――少なくとも古事記では。」
けど――と冬樹は言葉を区切った。
「古事記と日本書紀じゃ大物主の設定が違う。古事記じゃ、大物主と大国主は違う神だった。でも、日本書紀じゃ、大国主の
レンズの向こうで幸子の目が怪訝に歪む。
「くしみたま?」
「特別な力を持った自分の一部分。それが幽体離脱して海から来た。
ようやく美邦は納得する。
「もう一人の自分、っていうことね?」
「ああ。でも、本当は別の神様でないかな。大国主と大物主は性格が違うに。大物主は――」
祟る神だ――と静かに言う。
「崇神天皇の時、疫病の流行で人口が半分以下になった。天皇は、これが大物主の祟りだと夢で告げられる。天皇が大物主を祀ると、疫病は治まった。」
――その神が。
町の守り神だった。
ほうじ茶で口を湿らせる。
「あと気になるんは、宮中祭祀の神嘗祭が秋分に行なわれとることかな。でも、これについて語りだしたらキリがないな。」
幸子が顔を上げた。
「とりあえず、これからどう調べてくつもり?」
「まずは、市役所や神社庁に連絡かな。あと、図書館の郷土誌も同じになってないか調べんと。」
ふっと、由香が口を開いた。
「どうせなら、みんなで放課後に歩いてかん?」
一同はきょとんとする。
どこに――と幸子は尋ねた。
「平坂神社だぁが。」
答えたあと、美邦に顔を向ける。
「美邦ちゃん、平坂の三区だっけ? ここ、中通りから逸れて十分もないに、そんな遠くないで?」
少し考える。確かに、その程度の寄り道なら問題はない。加えて、平坂神社が今どうなっているのかは確かに気になった。
「別に――私は問題ないけど。」
「お前ら、早めに帰っとけよ。」
冬樹の言葉に、由香は不満な顔をする。
「お前ら――って、藤村君は行かんの?」
「今日は『暴れん坊将軍』の再放送があるけぇだ。」
「あ、爺さん臭い。」
それに――と冬樹は言う。
「大原さんは知らんかもしれんけど、複雑な地形のせいかこの町は交通事故がやたら多いだが。だけん、あんま暗くならんうちに帰ったほうがええで?」
「うん、叔母さんから聞いてる。」
「私もパスかな」と幸子は言う。「帰って夕飯の手伝いせんといかんけん。」
「僕も、上里だけん。――遠いに。」
由香は不満な顔だった。
「もう――みんな連れないなあ。それに、ここ行ったら平坂神社って――」
まだあるかもしらんが――と由香は言った。
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