2 美邦の朝

その日の朝も、千秋と共に家を出た。


分厚い雲が乱れ飛び、裂け目からあおい色が漏れる。中国山地から吹き降ろす風が強く、天候の乱れやすいのが山陰地方の特徴だ。


雨が降るとのことだったので、美邦は白い傘を、千秋は青い傘をそれぞれ手にしている。


千秋ちゃん――と言おうとして美邦はつかえた。何か違う呼び方がある気がしたが、思いつかない。ひとまずそのまま呼びかけた。


「ねえ、昨日の夜、起きてこなかった?」


不思議そうに千秋は首を振る。


「ううん?」


そう――と言い、美邦は目を逸らす。


「昨日の夜中、跫音あしおとみたいなのが廊下から聞こえたんだけど、千秋ちゃんは何か聞かなかった?」


「いや、何も?」


集団登校の集合地点で千秋と別れる。


中通りを独り北上した。


民家の合間から海が見える。まるで、世界が終わっているかのようだ。事実、三方を囲う山と、海とで、この小さな町は箱庭のように収まっている。


中通りには、先日と同じ幻視が見えた。大破した二つの車と焼け爛れた家。様々な人影。まるで、「おかえり」と言われたのに、嘘をつかれているような――そんな印象が消えない。


学校に続く丁字路に差しかかる。


真紅まっかな消火栓の前に、由香と幸子が待っていた。美邦に気づき、由香が声をかける。


「おはよう、美邦ちゃん。」


先日からLIИEで呼ばれているが、少し戸惑う。


「あ。うん、おはよう。」


戸惑いに気づいたのか、幸子が注意した。


「由香、少し馴れ馴れしくない?」


「いや、私は別にそんなん気にしないよ。」


「そ。」幸子は微笑んだ。「じゃ、私も、美邦のことは名前で通させてもらうわ。」


「わかった、幸子。」


三人で竝んで歩いた。


目の前には伊吹山が裾野を拡げる。青黒い山は朝露に濡れてなお黒い。その頂上へと由香は目を向けた。


「それにしても、あすこに神社があったってことかいなあ。なんか。まだ信じられんに。」


「私も。ずっと伊吹に住んどったに、ぜんぜん知らんかった。大きな神社なだら?」


「うん。」潮風が頬を撫でる。「海から神様が来て、町の守り神になるんだってお母さん言ってた。」


「海から?」


「そう。海があるならこの町だと思ったんだけど。」


でも――と、美邦は言う。


「この町、七五三や初詣もないんでしょ?」


由香と幸子は顔を合わせる。


「確かに。」「ないけど。」


「じゃ――守り神いないよね。七五三って、子供の成長を守るためのものだと思うけど。」


ふっと、由香は怪訝な顔となる。


「でも、本当に昔からなかったんかな?」


    *


ぱらぱらと雨が降り出した。


濡れる前に、駐輪場の庇へと冬樹は這入る。スタンドを下ろし、鍵をかけた。


同時に、アルトが聞こえる。


「おはよ、藤村君。」


振り向くと、自転車に乗った芳賀が入ってきたところだった。


「おはよ。」


芳賀もまた自転車を停める。


「ところで藤村君、LIИEには慣れた?」


「全然。――昨日、ポンポン鳴っとったけど。」


「だと思った。藤村君がそがなだけぇ、僕も返信せんかったにぃ。本当は、いろいろ見つかっただけど――平坂神社の境内が写ったサイトとか。」


「ほんに?」


「うん。ネットでの会話なんか得意でないだら? だけぇ、ほうじ茶も五人分持って来た。」


「それか。すまんな。」


校舎へ上がり、二年A組の教室へ這入る。


美邦は既に来ていた。窓辺の席で、由香や幸子と何かを話している。


三人が顔を向けた。そこへ芳賀と近づく。クールなのか不愛想なのか分からない顔で芳賀は挨拶した。


「おはよ、ぱっつんトリオ。」


由香はむっとし、振り返る。


「こ、この二人に何かニックネームない?」


幸子は考え込み、自信のない声で言った。


「爺さんコンビ?」


由香は表情を変え、それよりな、と身を乗り出す。


「今、地域性について話しとっただが。」


冬樹は首をかしげる。


「――地域性?」


「うん、京都じゃ、七五三も初詣もやるだって!」


一瞬、冬樹の中で時が止まる。


小学生のとき、初詣という風習をテレビで知った。なので、早苗にねだって市内の神社に連れて行ってもらったのだ。七五三については記憶がない。


釈然としない顔で幸子は尋ねる。


「二人は、七五三や初詣ってしたことある? 私は、どっちもないけど――」


ありのままを冬樹は答えた。しかし動揺は続く。初詣がないことは、やはり可怪おかしいのだろうか。


「七五三だけ」と芳賀が答える。「僕は上里だけぇ、寺が近いに。遠ければ行かんでない?」


だでなぁ――と幸子は答えた。


「でも、ほかの風習は同じなだが。お年玉も、おせちもあって、ひな祭りもお盆もあるに。でも、神社に関する風習だけがうちらになくて。」


冬樹は考え込む。初詣なる文化が、いつ始まり、日本中にどう広まったのかは知らない。だが、平坂神社という神社があり、平坂町には普及しなかったのか。


アルトが漏れる。


「まあ、それについては休み時間にでも話さーや。」


由香は目を瞬かせる。


「何か分かったことあるん?」


色々と――と冬樹は答える。


「あの神社の神な、祟る神だ。」

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