6 不安の一夜

啓と別れ、マンションへと戻る。


着替えたあと、スマートフォンを手に取った。そして、「⬛︎⬛︎県」「平坂町」「神社」と検索する。結果、入江神社という名前の神社がヒットした。


画像を表示する。


確かに祠だった。平凡で小さな祠――これを「神社」と呼ぶことは難しい。


言葉を変えて何度も検索しなおす。だが、入江神社を除いて何も見当たらない。これ以外、平坂町に神社はないようだ。


――そんなはずはないのに。


実際に調べるまで、啓が無知か、とぼけているのだと思っていた。しかし、どれだけ検索しても出ない――啓の言葉が正しかったのだ。


――なら、あそこはどこ?


平坂町のほかに考えられない――存在しない神社に自分は参拝したのか。母も一緒だったため、幻視ということは考えられない。


自分に否定的でも、長所だと認識する部分が二つある。


一つは、切ることに躊躇を覚える綺麗な髪。もう一つは、限定的ではあるがよい記憶力だ。覚えられるものと、覚えられないものの違いは自分でも分からない。だが、覚えられるものはいつまでも鮮明に覚える。


――記憶違いということはないはず。


それは、いくら昭から否定されてきても町のことを覚えていたように。


違和感は、奇妙な気分へと変わってきた――何かを忘れていることを思い出したような気分に。それが何であるのかは分からない。


ふと思い立ち、リビングへ向かう。


美邦の写真を収めたアルバムがどこかにあるはずだ。


まずは本棚を探した。しかし、見つからない。そうして、押し入れや戸棚を探し回り、昭の部屋でようやく見つけた。


恐る恐るアルバムをめくる。


しかし、そこに載せられた写真は京都へ来て以降のものばかりだった。それ以前の写真はほとんどはがされている。僅かに残された写真には、美邦や母の姿が大きく写っていた。どこで撮られたものか判らない。剥された写真には――平坂町の風景や親戚の姿などが写っていたのではないか。


――お父さん、何で。


同時に、胸を締めつけられるような思いに駆られる。残された写真は、昭と過ごしてきた今までの時間をありありと思い起こさせた。父の死を目前とした今、自らの人生を振り返ることは限りなく辛い。


美邦はアルバムをそっと閉じた。


――私が失明した町。


そこには、何があるのだろう。


アルバムをしまった。


学校の課題を済ませ、風呂へ入る。


上がった後は、するべき家事もなかったのですぐにベッドへ入った。ぽかぽかと温まったあとだけあって、すぐに眠りへと落ちる。


    *


そして美邦は夢を見た。


随分と長い夢だったようにも思う。しかし、目が醒めると同時にほぼ忘れてしまった。僅かに覚えているのは、広い沙浜を歩いているものだ。


湾岸らしく、大きな弧が海を囲う。


冷たい風が潮の臭いを運んでいた。周囲に人工物は何もない。深夜なのか、海原も空も真っ暗だ。それでも不思議と視界は晴れていた。


古代の貴人が着るような白い衣服を美邦は身にまとっている。しかし、そのことは不思議には思えない。


何者かが自分を呼んでいる。それは、海の向こうから聞こえた。歩みを進めるにつれ、はっきりと感じられるようになる。


――来い。


――こっちへ――来い。


声なき声が自分を呼ぶ。


美邦は足取りを早めた。


潮騒が強まる。


沙浜は徐々に幅を拡げていった。やがて、沙洲さすのように小島とつながる。その先が浜辺の終着点だった。


小さく弧を描いた沙洲に美邦は立つ。


沖合の岩礁には鳥居が建っていた。


細い二本足の鳥居が荒波に揉まれている。声なき声は、その向こうから聞こえる。言葉ではない言葉が、来い――こっちへ――と語りかける。


    *


無意識のうちに目が覚めた。


美邦は上半身を起こす。


鳥居が消えたことに戸惑った。やがて、このマンションに独りで暮らしているのだと思い出す。悲しくなどないはずなのに、大粒の涙が右眼から落ちた。


なぜ――涙が出たのか自分でも分からない。ただ判ったのは、朝が来たということだ。目を覚ますには少し早い。しかし、寝続ける気がせずベッドを降りた。


姿見で髪を結い、制服に着替える。


顔を洗い、朝食の準備をしていたときだ――スマートフォンが鳴ったのは。


刺すような電子音が襟足えりあしをなでた。画面に目をやる。発信者は、昭の入院している総合病院だ。こんな時間に、病院から電話がかかるのは普通ではない。


躊躇ためらう美邦をかすように、電子音は鳴り続ける。


心臓が鼓動を打つ。反面、背筋は冷えていた。鳴り続ける電話を放置するわけにはいかない。震える手で、スマートフォンを取ろうとする。何度か指が滑って、ようやく持つことができた。


スマートフォンをそっと耳に当てる。


その報せを耳にしたとき、スマートフォンを思わず美邦は落とした。しばらくは、そのままの姿勢で動けなかった。

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