この空を飛べたら

@ramia294

 人類有翼化計画

 初恋は果実に似ている。

 その実は、甘くみずみずしい。

 その実を手に入れた者は、人生における幸運のほぼ全てを手にする事が出来た者だ。

 しかし、その果実が手に入らなかった者は、その後の人生の全てを孤独と共に過ごす。


 これからの僕は、孤独と過ごす事になったようだ。


 その孤独を癒やすものは、もうこの地上には存在しない。

 もちろん、この真っ青な美しい大空にもだ。


 僕の初恋はその女性だった。

 僕にとっての恋は、その人だけだった。

 つまり、僕の恋は、初恋だけだった。


 中学生の頃、始まったその恋。

 幼い恋を無事、大人の愛へと育てたと思っていたのに……。


 忘れてしまったふたりの記念日。

 忘れてしまった大切な約束。

 

 二人の未来を考え直そうと彼女に言われたその夜。

 彼女の時間を刻む歯車が、僕の時間の歯車から離れていく。

 噛み合う事のなくなったふたりの時間。


 ズキズキと胸を襲う失恋の痛み。

 滲む夜空の星たち。

 絶望の意味を運ぶ秋風。

 夏の余韻の中、かつてふたりにも、熱い季節があった事を忘れたように、秋風は確実に心を冷やしていく。


 別の恋を探す事の出来ない僕。

 もう、恋は、諦める事にした。


 研究者は、研究のみに邁進すべきだろう。

 

 人の役に立つ。

 人の希望のために生きる。

 そんな研究に、これからの自分の時間を捧げる事にした。

 

 



 研究のテーマは何が良いか?

 

 人類の夢は、どうだろう?


 人類の夢?


 恒久平和?

 人は生物だ。

 目指す事は良い事だが、おそらく……。

 

 ステキな恋?

 僕には、語る資格が無い。

 しかし、

 あの時間、

 思い出たち。

 ステキでない恋とは、何だろう?


 美食?

 これは、個人的な好みに左右される。

 状況にも左右される。


 『自らの翼で、空を自由に飛ぶ』


 それこそが、人類共通の夢ではないだろうか?


 僕が空を飛べたら、

 

 昨日の失恋も

 何かの間違いになり、

 大切な初恋も

 取り戻せるかもしれない。


 空を飛ぶ僕を見た彼女は、きっとその颯爽とした凛々しい羽ばたきに、再び心を奪われるだろう。


 悲しい別れの夕陽も

 孤独の夜の星々も

 無かった事に、きっと出来る。


 僕が空を飛べたら、

 今までの何もかもが逆転、きっと彼女とふたり、幸せな未来が待っているに違いない。


 翼を持つ。

 それは、


 僕の夢?

 失った彼女を振り向かせるためだろうか?

 

 人類の希望?

 イカロスの時代より、憧れ続けたあの大空を手に入れるため。


 希望に溢れる人々は、戦争なんかしない。

 恒久平和の道も、開けそうだ。

 他者との競合を必要としない生物。

 人類は、地上の生命としては、ワンランク上の生命となるかもしれない。


 科学者として取り組むテーマとしては、十分素晴らしい。


 失恋の傷の痛みから逃げるように、僕は研究を始めた。

 遂にその研究を完成させたのは、一年後だった。


 難しかったのは、手を残すということだ。


 鳥の様に手を捨て、そのかわり翼では色々と不便な事が出てくるだろ。


 したがって、今まで通り手を残して、かつ、翼を持つ。

 いわゆる天使スタイルを目指した。

 しかし、四足歩行の哺乳類。そのうちの二本を手にと辿った進化の形としては、独立した翼を持つ事は、流れとして不自然で難しかった。


 現存する地球生物に解答を求める。


 昆虫を見倣う事にした。

 その研究には、昆虫要素を多分に盛り込んだ。  

 翼は改造ではなく、限定的な進化の道を辿る。


 後に、翼になる細胞を被験者に、簡単な外科手術で挿入後、薬剤を点滴で身体に入れる。

 挿入した細胞の活性化、細胞分裂を促すのだ。


 昆虫たちを参考にしたこの研究は、実験開始後一週間も経てば、長期睡眠状態となる。

 計算上数ヵ月のいわゆるサナギの状態になるのだ。

 その間に身体に挿入した翼に変わる細胞がどんどん分裂。


 完全な翼と空を飛ぶ力を持つ骨格と筋肉を形成すると、蛹化が解除され翼を持った人間として再びこの世界に復活する。



 もちろん実験が必要だが、今、最も翼が欲しいのは、自分自身。

 それに、危険過ぎる。

 自らが被験者になる以外にない。


 手術自体は簡単なので、ロボットを使い、全てオートで行った。

 麻酔といっても、局所で済むので一時間で終了した。


 挿入した細胞の活性化を促す薬剤を点滴で自分の身体に送り込む。

 動きが鈍くなり、眠くなる。


 蛹化が、少しずつ始まる。

 蛹化のために用意したカプセル。

 材質は、頑丈で核兵器の直撃にも耐える。

 研究費は、この材質を政府に高額で売ったもので、賄った。


 カプセルに入り、サナギ状態での栄養補給と微量だが薬剤の注入を続けるためのチューブを取り付ける。

 

 人は、昆虫ではないので、栄養補給は必要だし、挿入した細胞を活化し続けなければならない。


 意識が遠のく。

 その時、ドアが開いた様に思えた。

 

 眠い。

 しかし、誰だろ?

 この部屋に入る事が出来るのは、彼女くらいしかいない。

 しかし、彼女はもういない。


 既に、サナギ状態なのだろう。

 どうやら、彼女との楽しかった夢をみながら、長い時を過ごせるらしい。

 これは、予想外だった。

 覚えておこう。


 夢の中で、彼女がカプセルを叩いている。

 何か叫んでいるようにも思える。

 カプセルは、内側からしか開かない。


 夢の中なので、ハッキリ聞こえない。


 夢の中なので、あの時の様に、楽しいお喋りや温もりを分かち合う夜を再びというわけにはいかないようだ。



 目覚めたとき、僕は英雄になっていた。

 人類の夢。

 自らの翼で、僕はこの空を自由に飛び回れる様になったのだ。

 大空を羽ばたくその爽快感は、おそらく他に代え難いものだ。

 高い空には、酸素や窒素の他にも微量な幸せ分子が存在していた。

 それは、人の心に小さな満足感を与えてくれる。

 全人類が有翼化すると幸せ分子が、恒久平和へと導いてくれるだろう。


 マスコミ、政府、学会などの対応に追われた。


 早速、国家レベルの人類の有翼化が計画された。

 僕は、科学部門の責任者として忙しい日々を送っていた。

 ストレスなんて、空を飛べば、吹っ飛んでいったので、どんなにハードな日々も平気だった。


 ある日、実験の様子の記録映像を初めて、確認した。

 蛹化し始めた僕がカプセルに入る場面が、映っていた。


 突然ドアが開いて、誰かが入ってきた。

 彼女だ。

 僕の唯一の恋の相手。

 彼女が入ってきた。

 夢では、なかったようだ。


「ごめんなさい。別れたいと言ったんじゃないわ。研究ばかりのあなたに、二人の未来の生活の事を現実の生活の事をもっと考えてほしかったの」


 どうやら、僕の勘違いだったらしい。

 すぐに、彼女に会いに行こうと翼を拡げかけた。

 しかし、映像の続きも気になったので、そのまま観た。


 映像は、続いた。

 毎日、研究室に通う彼女。

 蛹化した僕の楽しい夢は、彼女のおかげだったかも知れない。


 映像は、続く。

 二人の

 初めてのデート。

 初めての海。

 初めてのキス。

 初めての夜。


 彼女の言葉には、尽きることのない僕への想いが、詰まっていた。


 彼女の心は、変わっていなかった。

 僕と同じだ。

 いや、この恋を諦めた僕よりも強い気持ちを持っていてくれた。


 すぐに、彼女の元へ飛んでいかないと。

 しかし、この映像のボリューム。

 まだ1%も終わっていない。



 映像をどんどんとばして行く。


 映像25%。

 歳を重ねた、彼女の姿が、映し出される。

 

「あなたは、歳をとらないのね。すっかりオバさんになった私を見てあなたはきっと幻滅するわね」


 蛹化状態で変化しているのは、翼とそれを動かす筋肉だけだ。

 副産物として、老化を止めるヒントが僕の研究には、隠されているようだ。


 50%。

 すっかり、年老いてしまった彼女の姿。


「私ね。もう長くないみたよ。ガンなんだって。年齢も年齢だから、手術も出来ないそうよ。生きている間にもう一度話して、あのときの事をあなたに謝りたかったの。でも私の望みは、叶ったわ。私の望みは、初めからあなたと二人で生きていく事。それだけだったの」


 彼女は、楽しそうに少しだけ笑った。


「ちょっと考えていたのとは違ったけど、これは叶ったわね」


 それ以降の映像に彼女の姿はなかった。

 恐る恐る、僕は蛹化していた時間を調べてみた。


 僕は、計算を間違えたらしい。

 数ヵ月のはずだったのに……。


 カウンターは、百年を示していた。

 すぐに、僕は、彼女の家に飛んで行った。

 その家には、彼女の姪の血筋だという年配の方が住んでいた。


 彼女の命を奪ったのは、やはりガンだったようだ。

 最後まで、僕を想って、僕との思い出を話し、幸せそうに逝ってしまったという事だ。


 僕は、失敗したらしい。

 

 翼を動かす。

 空気が、僕の身体を持ち上げて、青い空が近づく。


 僕は、失敗したらしい。

  

 僕は、自らの力だけで空を飛び回る翼を手に入れた。

 人類が、その自らの翼で、空を支配するのも時間の問題だったろう。

 大昔からの人類共通の夢だと、僕は考えていた。

 羽ばたく翼は、幸せの象徴だと思っていた。


 僕は、失敗したらしい。


 どんなに力強く羽ばたいても、時間は巻き戻せない。

 どんなに幸せ分子を取り込んでも、僕の心の穴は塞がらない。

 偶然、手に入れた老化停止。

 孤独が続く時間の長さに僕は怯えた。


 大空を飛ぶ僕を羨ましそうに見上げる人々。

 しかし、僕が視界から消えれば、彼らは愛する人が待つ家に帰るのだろう。


 僕は、帰るべき場所を失った。

 もう、着陸すべき場所が無い。

 現在の技術では、全人類が一斉に有翼化する事が出来ない。


 残された者、

 有翼化する者、

 共に百年は長過ぎる。


 僕は、この研究結果を封印した。

 人類有翼化計画を自ら潰した。


 羽ばたきさえすれば、この美しい空を確かに飛ぶ事が出来る。


 しかし、どこまでも青くて広く、美しいこの空は、僕の望むあの空ではない。

 君のいた時間と大地を優しく覆う空は、もう遥か過去のものだったのだ。


 僕は幸せの空から、

     墜落してしまった。



           終わり






 



 


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