第172話 新たな道 開かれた扉

 ラプタニラの街、鍛冶師ゴライアの工房の前に1台の荷馬車が停められている。

 荷台には厳重に封印された木箱や魔力遮断布で包まれた荷物が多数積み込まれており、荷馬車の床を軋ませていた。


 ゴライアは荷物の目録を片手に、久々に煙の途絶えた工房の煙突を見上げ、今までの鍛冶師としての軌跡を思い起こしている。

 そこに店舗の施錠を完了したテオドが、大量の鍵束を手に持ち戻って来た。


「店の方の施錠と魔道具の起動は完了です。後は工房の施錠だけになりましたね」


「おう、ご苦労さん。工房の鍵は俺が掛けておく。お前は出発の準備に掛かってくれ」


 鍵束とは別に持っていた工房の鍵を鳴らし、ゴライアが工房の扉の施錠を行う。

 扉の大きさの割にかなり重量感のある機械音が鳴り、同時に魔道具が起動する音も響いてきた。


「さて...ここを離れて俺達はどうなるんだか...初めてクロムがここに来た時が懐かしいな」


 姪のように可愛がっていた、頼りない乙女騎士が連れて来た黒い騎士。


 今思えば、あの時にクロムの鎧に触れた事が全ての始まりだった。

 未知の金属に触れ、そして人外という言葉すら生温いクロムの戦闘力を目の当たりにしたあの日。


 無知の恐怖に混じって鍛冶師としての探求心が鎌首をもたげた瞬間だった。

 その後、運び込まれる理解を超えた素材の数々。


 そして知ってしまったクロムの真実。

 神の世界よりも遥か遠く離れた未知の世界の存在を知り、そしてそこで生み出された人外の怪物、黒騎士クロムの真実の一部を知った。


 神の尖兵。

 地獄の使者。


 その専属の鍛冶師としてゴライアとテオドはこの世界に立っている。

 そして今から先の見えない、気を抜けば奈落に引きずり込まれる旅を開始する。


 ゴライアの背中に震えが走る。

 この先、クロムから見せられる光景はこの世界の物では無く、古き神々の時代の景色でも無い。

 この世界の理を外れたが待っている。


 未知の技術と武具、そして膨大な知識。

 現時点でこの世界の人間では触れる事すら出来ない禁断の扉の前に、ゴライアとテオドは立っていた。


 様々な思いを巡らせていると、いつの間にかテオドが隣に立っていた。


「何か改めて凄い事になりましたね師匠。今でも信じられません。変です僕...怖いはずなのに楽しみで仕方が無いんです。ワクワクが止まりません」


 決意と欲求に満ちた瞳でテオドが拳を握り締めている。

 そんなテオドの頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でながら、ゴライアが話す。


「楽しみなのは俺も一緒だ。だがなテオド、決して油断するな。1つの間違いが死に繋がると常に心掛けておけ。怖いもの知らずもいいが、死んだら意味ねぇぞ」


 旅立ちの合図のようなゴライアの気迫の籠った言葉に、テオドは静かに頷いた。


 そして2人は積み荷の最終確認を終えると、馬車に乗り込み、御者役のテオドが2頭の馬に鞭を入れる。

 馬が軽く嘶くと、長らく過ごした工房を後にした。


 そして途中、商工会ギルドと冒険者ギルドに長期不在の届け出を出し、冒険者ギルドに鍵を預ける。

 クロムの関係者という事はギルドを含めて広く話が伝わっており、街の門をくぐる際も黒騎士の名を出すと、荷物の検閲も無く街を出る事が出来た。


 馬車の中には、この世には未だ出回っていない素材で作られた武具が積み込まれ、その価値を合計すると街1つの年間予算でも到底足りない程である。

 しかもその武具を扱う者が、異常な程に強いオーガ達、魔物である。


 人間の不倶戴天の敵である魔物。

 その魔物に武具を提供する鍛冶師。


 ― やっぱ俺はどうしようもないロクデナシの鍛冶師かも知れねぇな...魔物の為に武器を作る...有り得ねぇが...楽しみで仕方がねぇ。もう他の武器を作りたくなってきたぜ... ―


 ゴライアは荷物の中から大きな紙の束を取り出し、今まで書き溜めた武具の設計案を見直し始めた。

 構想はあれど既存の素材では造れないと諦めていた武具達の設計案が、この紙束の中に眠っているのだ。


 この未完の武具が完成の日を待ちわびている。


「こうなりゃトコトン行くぜ。俺の鍛冶師人生、今が一番輝いているかも知れねぇ」


 ゴライアの拳が鳴る。


 ― 行き着く先は地獄だとしても、悔いはねぇ ―


 覚悟を決めたゴライアの頭の中では、既にいくつかの武具が想像の中で組み立てられていた。

 






 調査部隊と回収部隊が帰還した事により、オランテが滞在しているサルトゥス・バリエは大きな喧騒に包まれていた。

 執務室のオランテは、予め先触れにて簡単な報告を受けてはいたが、正式な報告を受けるまでは安心出来ないと心をざわつかせている。


 回収部隊の大型馬車の荷台に乗せられている空墜亜竜ランド・ワイバーンの胴体は周囲の目を集め、力ある者は討伐を称賛し、また力無き者はその存在に恐れ戦いていた。

 王都のパレードに献上品として参列してもおかしくない程の魔物であり、地方都市や街の一般人であれば、実物を見る機会は生涯で1度あるかないかという代物である。


 冒険者ギルドの責任者がウルスマリテに呼ばれ、解体に必要な人員を確保するように要請を受けていた。

 亜竜の亡骸の所有権は、オランテ伯爵直属のオスキス近衛騎士団にあり、冒険者ギルドはその素材の一部を卸して貰えるよう最大限の協力を余儀なくされている。


 実際はランク4層スプラー・メディウム冒険者である“黒騎士”クロムの討伐である為、冒険者ギルドの管轄でもあるのだが、その黒騎士自体が非常に扱いの難しい立場にあり、ギルド側も強気に出れないでいた。


 そしてウルスマリテが各部への対応と指示を出している間に、レオントがオランテへの報告の為に執務室のある司令部へ向かい、その後ろをトリアヴェスパが続く。

 ただトリアヴェスパの3人の表情は固く、特にフィラに至ってはかなり疲れが出ているように見えた。


 正門前の警備兵と近衛騎士に要件を伝え、司令部へ入る4人。

 廊下に敷かれた絨毯を踏みしめる音と、建物内に漂う人工的な香りを嗅ぎ、トリアヴェスパの面々はようやく戻って来た事を実感した。


「レオントです。参加した冒険者と共に、今回の任務完了の報告に参りました」


「入れ」


 新しく職務に就いた執事の案内で、オランテの執務室の前に立ったレオントが声を通し、間髪入れずに入室許可が出る。


 失礼しますと一言添えて、4人が入室すると既にオランテが応接用のソファーに腰掛けていた。

 トリアヴェスパは立場上、武器の装備を認められていない為、腰から武器を外しての入室となる。


「まずはトリアヴェスパに労いを。任務ご苦労だった。無事の帰還なによりだ」


 出迎える形となったオランテが声を掛けた。

 相手は上位貴族である伯爵であり、その言葉を受けてトリアヴェスパは慣れない様子でそれぞれ頭を下げる。


「まずは座ってくれ。楽にしていい。多少の無作法も問題無い」


 執事が用意した冷たい紅茶が人数分並べられ、果物や菓子もツマミ程度ではあるがテーブルに置かれた。


「ではレオント、報告を。詳細を省いた報告は既に受けている。しかし空墜亜竜とは驚いたな。犠牲者が出てない事が奇跡に近い」


 オランテは薄く隈が残る目を閉じて、眉間を指で揉み解す。


「それでは...まず今回参加した冒険者パーティ“トリアヴェスパ”はランク3層メディウム昇格に全く問題無い実力を示した事を最初に報告させて頂きます。これは騎士団長ウルスマリテと私、副団長レオント、そしてランク4層スプラー・メディウム黒騎士クロム殿、この三者による結論となります」


「なるほど。ではランク昇格の件は了解した。私の署名入り承認証書をギルドに渡し、昇格手続きを取り急ぎ行うように取り計らう。その結論に至った経緯は後ほど聞こう」


 しかし冒険者人生の中で目標としていたランク3層メディウム昇格を成し遂げたトリアヴェスパの表情は歓びを表わしていない。


「ふむ。詳細はわからんが、トリアヴェスパの面々にも今回の件は何か思う所があったようだな。なにぶん黒騎士クロムが関わっている案件だ。各々考える所もあるだろうと私は理解している」


 オランテ自身、今まで伯爵と諜報機関を束ねてきた上級貴族であるが、クロムと関わった事を切っ掛けに、自身の存在意義や価値に対して決して小さくない揺らぎを覚えている。

 ましてや、実力至上主義の世界を生きる冒険者にとってはクロムの存在は影響が大き過ぎるのだ。


「先に言っておくが、ランク昇格の件に関しては、如何なる理由があっても辞退する事は叶わん。既に貴族である私、そして騎士爵を持つ者が承認している以上、覆る事は無い。ただし先だって話していた専属に関する話は、また別になる事も認識しておいてくれ。後ほど話をするつもりだ」


 そう言い放って、オランテは紅茶に口を付ける。

 沈黙を続けるトリアヴェスパとの間に、氷がカップを鳴らす澄んだ音が通り過ぎていった。


「次に今回の任務で討伐隊が遭遇した空墜亜竜の件ですが...」


 レオントが次の報告に話を移し、トリアヴェスパとクロムから受けた報告の内容を伝え始めた。

 その話の中、亜竜との戦闘の報告をする際、その補足と言う形で参加していたトリアヴェスパの3人は、それぞれ胸の内を表したかのような表情と心境を浮かべていた。


 ロコは拳を握り締め、一撃で戦闘不能に陥ってしまった自身の弱さを悔やむ。

 ペーパルはクロムとの共闘によって自身の成長を大きく感じ、更なる目標を掲げていた。

 そしてフィラは俯きながら、膝の上に置いた握り拳を震わせ、叱責に近い形でクロムに告げられた言葉を反芻し、既に擦り切れた心を更に追い詰めている。






 そこにウルスマリテが部屋の扉をノックし、返事を待たぬままに入室して来た。


「騎士団長ウルスマリテ、只今帰還しました。持ち帰った素材に関する手続き他、作業は順調に行われております」


「ウルスマリテ。入室を許可した覚えはないぞ。ここに居る4人の手前、己の立場を弁えろ」


 オランテが厳しい眼をウルスマリテに向けるも、彼女の身体から漲る気力と威風堂々とした気配を見て、諦めに近い表情へを移り変わる。

 オランテ自身、彼女の忠誠心を疑うつもりは微塵も無く、ウルスマリテもまたオランテに対し絶対の忠誠を誓っている事は間違いない。


 良くも悪くも、オランテが自身の為に死ぬまで戦えと命じれば、彼女は喜んで主の命令を実行する気質を持っていた。

 手綱の締め具合、その緩急の問題が時折、食い違いを見せているだけである。


「それは失礼致しました。レオント、例の件はもう閣下に伝えたのか?」


 軽く頭を下げ謝罪するウルスマリテ。

 レオントはその言葉を聞いて、話を続けた。


「閣下、今回の討伐ですが空墜亜竜の事よりも、場合によってはこちらの方が重要かも知れません」


「...話せ」


 レオントの瞳に僅かな困惑の気配を感じ取ったオランテが、ソファーに深く座り直した。


「この空墜亜竜ですが、閣下もご存じの通りこの森の魔物ではありません。少なくともここより遥か北、ヘールクレス山脈の麓が本来の生息域の筈です」


 テラ・ルーチェ王国の北側に位置するルベル・アウローラ帝国。

 この2国間を隔てているヘールクレス山脈は、ドラゴン種の様な通常の魔物よりも更に上位のヒエラルキーに位置する魔物が多数生息している地域である。


 その中で空墜亜竜は下層に位置する強さの魔物であり、この近辺の底無しの大森林と山脈近辺ではその生態系が全く異なっていた。


「より上位の魔物に追われた可能性もありますが、余りにも距離が離れすぎています。途中には原初の奈落ウヌス・ウィリデが存在する為、大きく迂回する必要があり目撃情報の関係上、その線は考えづらいです」


 オランテは壁に掛けられた簡易地図に目を向け、その位置を確認し、一言ふむと答える。


「そして本題になるのですが、今回クロム殿が空墜亜竜を討伐した際に、その背中に奇妙な剣が突き刺さっていた事がわかりました。その剣をクロム殿とウルスマリテ、そして私で調査した所、強力な呪いとも言うべき魔法効果が付加されておりました」


「何だと...その剣はどうした?まさかこの砦に持ち込んではいないだろうな」


「その剣に関しては、クロム殿が所有権を主張された事もあり、現在、彼が所有してる形になっております。また我々とは別行動で帰還すると言う事で、その際に彼が対策を講じるとの事」


 既にクロムの手に渡っているのであれば、オランテはその剣に関して限りなく手出しが不可能である事を示していた。

 その詳細を知るには彼の口から詳細を語って貰う事しか出来ない為、現段階においては話を進める事は出来ない。


 ただしこの時点でオランテは、第三者の関与の可能性を推測しており、場合によっては王家に対する報告の義務が発生する。

 秘密裏にクロムと手を結んでいる状態ではあるが、その貴族として、領地を預かる領主として報告義務は果たす必要があった。


 オランテは王家、王国への反逆の意思は無い。

 ただ王家王族に対し、クロムとの距離を可能な限り離すべきと考えているだけなのだ。






「もし仮にこれが外部からの...」


「閣下、ご報告致します!黒騎士クロム様、只今ご帰還!で、ですが...!」


 レオントが言葉を続けようと口を開いた瞬間、扉の奥で司令部の警備に当たっていた近衛騎士の声が発せられた。

 それと同時に外の様子が慌ただしくなっている事もわかる。


「騒々しいぞ!一体何があった!」


 オランテの叱責が飛ぶ。

“黒騎士クロムの帰還”という言葉だけで、部屋の空気の密度が増えた様な錯覚を覚えさせられる面々。


 そのクロムの帰還の報を受け、その場にいた5人はそれぞれが様々な感情を表した表情を浮かべる。

 しかしその中でオランテとレオントは、心に小さな不安感が瞬間的に過っていた。


「も、申し訳御座いません!先程クロム様が帰還され、閣下の元へ向かう途中、突然、近衛騎士の1人と警備兵の1人に攻撃を加えた上で制圧、その2人を拘束されました!警備騎士隊が対応に向かっていますが、とても手に負える状況ではありません!至急、応援をお願い致します!」


 オランテは沸き上がる胃痛を無表情で耐えながらも即座に状況の推測を行い、判断を下す。


「ウルスマリテ、お前が対応に当たれ。だが決して止めようとはするな。最大限の注意を払い、穏便に事情を聞き出した上で事態の収拾に務めよ。レオント、至急その区画を閉鎖し情報の統制を計れ。特に冒険者ギルド関係者及び民間人は決して近付けさせるな。行け」


「「はっ!」」


 一礼すると足早にウルスマリテとレオントが執務室を出て行き、トリアヴェスパが部屋に残される。


「帰還直後にすまないが、追加の依頼をトリアヴェスパに出す。この騒動が収まるまで、この執務室にて私の護衛を依頼したい。受けてくれるか?」


「了解しました。依頼お受け致します」


 意外にもペーパルがそのオランテの依頼を受ける事を即座に決定し、ソファーから立ち上がると、すぐさま部屋の構造を目視で確認しながら扉を基準として、護衛に適した位置取りを検討し始めた。


 そのペーパルの行動に残りの2人は戸惑いながらも、彼の指示に従い配置に付く。


「武器の装備を許可する。では頼んだぞ、トリアヴェスパ」


 オランテが武器の装備許可を出す。

 彼は確信に近い形で既にトリアヴェスパがクロムにと判断していた。

 そして、それを利用しオランテの陣営に飲み込む事も視野に入れている。


 もしこれが悪手となるのであれば自身の判断の責任であり、オランテは最早クロムと共に歩む資格は無いとさえ思っていた。

 それ以前に、不意を突かれた上で3人同時に相手をしても、オランテは彼らを始末するに十分な実力を持っている。


 伯爵であると同時に、諜報機関“樹海ウィリデ・オケアヌス”の首領の地位に居るのは決して伊達では無いのだ。





 ― クロムさんが見せてくれた僕達の新しい道。決して無駄には出来ない ―


 ペーパルが片膝立ちで想定される様々な戦闘を考慮し、作戦を考え始めていた。


 ― あの戦いでペーパルの奴、本当に変わりやがったな...俺も変わらなきゃいけねぇか! ―


 ロコが未だ痛みが走る全身を振るい立たせ、帰還時に破壊された大斧の代わりとしてレオントから一時的に借り受けた騎士剣の柄に手を置く。


 ― ...今更、過去は変えられないわよね。なら次に繋げる為に今を精一杯...! ―


 フィラが自身の心にこびり付く汚れを振り払うように己を叱咤し、臨戦態勢を取った。


 トリアヴェスパの3人はここで漸く心身ともにランク3層メディウム冒険者としての道を歩み始めた。

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