第171話 戦闘兵器の操り人形

 クロムの意識の中で展開されているオーガのモニタリング画面に、魔剣から撃ち込まれた魔力が伝播する様子が映されている。

 そしてその魔力がオーガの脳髄や脊椎に到達すると、その部分に取り付く様に魔力が定着し始めた。


 オーガの中枢神経系統が魔力を帯びた事により、モニター内にて完全に見える形となって浮かび上がる。

 次第に身体の各部位に伸びている神経も把握出来る程になっていった。


「やはりこの魔剣に込めた魔力が何らかの作用で変質しているな。明らかに神経系統を狙っている」


 クロムはもう一度、右手から魔剣へと魔力を供給し、充填に問題が無い事を確認すると第2射の準備を完了する。


「レゾム。2発目を撃ち込む。注意しろ」


 ― はぁい。この魔力がくっ付いている場所だよね?今から喰い付くよぉ ―


 モニター内にオーガの体内を突き進むレゾムの触手の影も加わり、見るも無残な状態が見て取れた。

 そこに慈悲と言う物は存在せず、ただただ苦痛に塗れた現実が鎮座しているのみ。


 そして触手が脳髄や脊髄に取り付き、浸蝕を開始するとオーガの身体が一際大きく痙攣する。

 体内モニターでは黒い触手の影が神経系統を介してオーガの身体を徐々に浸蝕し始めていた。


「第2射いくぞ。異常があれば即座に伝えろ」


 魔剣の刀身が明滅し、初撃と同じ魔力の光がオーガに撃ち込まれる。

 体内に放射された魔力が浸透し、作用してる場所が更に魔力でされていった。


“汚染魔力”


 クロムの手で起動した魔剣の魔力によって汚染された脳や神経系統は、初期段階で酩酊、麻痺状態となり、汚染度が進むにつれて完全に洗脳状態へと移行する。

 そして汚染度が最高値に達した時点で標的の自我は完全に失われ、自発呼吸等、生命維持に必要な最低限の機能を残した状態で“生きた人形”と化す。


 その後、レゾムの浸蝕能力によってまず最初に意識や自我を司る脳や脊髄が彼女に同化し、この段階で標的はレゾムと同一の存在となり、標的とクロムとの間に一時的な疑似魔力連鎖が形成される。


 外部より汚染魔力を介し、標的の精神を潰すクロム。

 体内より肉体を変質させ、操り人形を作り出すレゾム。


 更にそのまま浸食と捕食が続けば、やがて標的は全てを喰い尽くされレゾム・クローンとして生まれ変わり、レゾムの新しい肉体を構成する為の糧となり喰われる運命を辿る事になるだろう。


 標的を変異させ支配し、使い潰した後に餌として廃棄する。


 ここまでが、クロムが魔剣の特徴とレゾムの能力から予め想定していた戦術。

 しかしその成果は、彼が便宜上で名付けた“脳浸蝕ブレイン・イロージョン”というシステム名の意味を大きく超えるものだった。






 クロムの魔剣が放った汚染魔力に侵され、レゾムによって脳髄を変質させられたオーガ。

 浸蝕は脳髄や脊髄だけに収まらず、既に身体各所の内側から黒い死斑の様な物が浮かび上がって来ていた。


 自発呼吸等、生命維持に最低限必要な機能以外が全て浸食され、体内から造り替えられていく。

 筆舌に尽くしがたい苦痛がオーガを襲うも、既に自我を消失したオーガにとっては痛みと言う概念すら理解出来ず、反射的に痙攣を繰り返すのみ。


 ― もう戻るねぇ。後は生まれたてのレゾムにお任せだよぉ ―


 レゾムがそう言ってオーガの体内から触手を脱出させる。

 ズルズルという音と共に触手が次々と引き抜かれていき、最後には大きく引き裂かれ、穴の開いた傷口が残る。


 その穴からは血や体液が飛び出る事は無く、奥には静かな暗闇が佇むのみ。

 傷口から溢れ出る筈の血液、零れ落ちる筈の内蔵、絶望と苦痛を感じる為の自我と神経、それら全てが既に喰い尽くされていた。


「体内のお前とは完全に分かれているのか?それとも繋がっているのか?」


 ― 分かれているけど繋がっているって感じかなぁ?でも本体はこちらだから向こうは離れていると長くは生きていけないよぉ。死ぬ前に勿体ないから食べちゃう ―


 この会話の間にも、吊るされたオーガの身体が不規則に蠢き続けている。

 そして程なくしてオーガの輪郭を僅かに残した黒い塊が出来上がった。


「こいつの活動時間は限界でどのくらいになる」


 ― 向こうのあたしは外から魔力を貰わないとカラカラになっちゃう。頑張って7日かなぁ。途中でご飯を食べたらもうちょっと頑張れるかも? ―


 オーガの成れの果てから剣を引き抜き、触手の拘束を外す。

 地面に落ちた衝撃で更に外観が歪み、人型の輪郭が崩れた。


「離れた状態で動かす事は出来るのか?命令は?」


 ― 本物のレゾムのあたしと向こうのあたし...ん?わかんなくなりそ...どっちも同じあたしだから魔力連鎖?で操作出来るよぉ ―


「なるほどな。これは脳浸蝕ブレイン・イロージョンという枠組みでは収まらんな。予想外だがこれは良い方向だ。戦闘終了。レゾム、目の前のモノも含めてこの場のゴミを片付けろ」


 ― あいあいボス! ―


 レゾムの威勢の良い声が出たのと同時に、目の前で佇んでいるレゾム・クローンに無数の触手が襲い掛かる。

 触手の先端には本体と同じ牙の並んだ口が生えており、瞬く間にクローンに喰らい付き、喰い千切り、咀嚼し、只の肉片に変えていく。


 またその中のいくつかの触手は最初に両断したオークの死骸に絡みつき、クロムの傍に引き摺って来た。

 魔剣に残っていたレゾム本体が急激に膨張し、黒い不定形の塊が魔剣から生える。


 その黒い塊が裂け、その中から忙しなく動く眼と無数の牙が整然と並んだ大きな口が姿を現わした。

 触手が両断されたオークを摘まむように絡みつき、そのまま無造作に口の中に放り込む。


 骨を砕きながら肉を咀嚼する音が周囲に響き、やがてこの現場からオークの存在と痕跡がほとんど消え去った。

 地面に残された湿った血の染みが、ここで不運にも何者かが命を落とした事を証明しているのみ。


 ― 魔力連鎖を僅かながら感じたが、自我自体を奪っている為か有用と言える結果にはならなかったか。ただレゾムとの連携次第では情報の抜き取りも可能かも知れんな ―



[ 戦闘終了 戦闘システム解除 コア出力通常モード 右腕魔力回路を閉鎖 ]


[ 生体融合魔剣レゾム データ収集完了 戦闘記録を解析中 ]


[ ブレイン・イロージョン・システム 運用記録を解析 フィードバック開始 ]



「ブレイン・イロージョン・システムはフィードバック後に再構築を検討する」


 戦闘システムの解除と同時に掃除を終えたレゾムが魔剣に戻って来た。


 ― ただいまぁ。ごちそうさまでしたぁ。けぷ ―


 魔剣の口から小さく下品な空気が漏れる。


「まだ改良と研究の余地はあるが、概ね良好なデータが取れた。これより移動を開始する」


 クロムは魔剣レゾムを背中に戻し、そのまま近くの巨木目掛けて跳躍する。

 展開した背腕アルキオナで森の木々を次々と掴みながら、高速で移動を始めた。








ネブロシルヴァ王家保養地の特別室。


「大司教猊下にご報告があります」


 行動の際に傍用にて控えている神官よりも高位に位置する司教の男が、報告書を持参し、ラナンキュラスの元へと出向いていた。

 その気配は波風絶たぬ水面の様に落ち着いており、大司教の前においても恐怖による曇りは一点も無い。


 ラナンキュラスは一言も発する事無く、紅茶のカップに口を付けている。

 護衛に付いている白薔薇ロサ・アルバが、主の意図を汲み取り扉を開けた。


「失礼致します。こちらの報告書をお持ち致しました。お目を通して頂ければ幸いでございます」


 恭しく頭を下げ、ロサ・アルバに1通の報告書を手渡す司教の男。

 ロサ・アルバはその内容には目を通さず、音も無くラナンキュラスの元へ歩み寄り報告書を差し出した。


 ラナンキュラスは目を細め、机の上に置かれた報告書を横目で確認し、再び目を閉じて紅茶の香りを楽しみ始める。


 ラナンキュラスは報告書には手を一切付けず、その内容も確認しない。

 しばしの沈黙の後、その沈黙を発言許可と捉えた司教は、落ち着きを崩さずに言葉を続けた。


「オランテ伯爵様が建設中の砦より僅かに離れた国境付近の大森林にて、空墜亜竜ランド・ワイバーンが出現、これを黒騎士クロムと呼ばれる冒険者が討伐したとの事でございます。騎士団に潜入させている信徒からの報告です」


 クロムの名を聞き、一瞬カップを持つ彼女の手が止まる。


「空墜亜竜の素材はオランテ伯爵様と黒騎士クロムとで分配されたとの事ですが、その中に気になる物がありました。忌むべき邪教の呪物...特徴からして“覇王の遺骨”...その中の一つ“肋骨”である可能性が高いと...」


 ラナンキュラスが静かにカップを受け皿に置く。

 僅かに彼女の髪から魔力が漏れ始めた。


「それは空墜亜竜に楔として打ち込まれていたとの事。それは現在、黒騎士クロムの手に渡ったものと見られます。我らの神、そして救いを求める信徒に仇なす邪教の呪物。我々の手で回収するべきかと愚考した次第でございます」


 開け放っていた窓から一筋の風が迷い込み、カーテンを揺らす。


ですか...黒騎士から回収する...?」


 風に乗って鈴の音の様な声が響いた。


 隣に立つロサ・アルバの鎧が、横にいるラナンキュラスの魔力に反応し、目に見えない程の小さな魔力火花を散らす。

 そして再び口を閉ざし、部屋に冷たい沈黙が満ちた。


 ロサ・アルバがカチャリと一度だけ腰に吊るしたシミターを鳴らすと、司教はこの場において自身の存在価値が完全に失われた事を認識する。

 司教は恭しく頭を下げ、音も無く身を引くと、背中を見せる事無く後ろ歩きで部屋を出ていった。


 ロサ・アルバが扉を閉じ、魔力施錠を施すと、そのまま護衛としての立場に戻る。


 ラナンキュラスは静かに立ち上がり、人差し指の先をテーブルに這わしながらバルコニーへと脚を運んだ。

 そして眼下に広がるネブロシルヴァの街の風景を見ながら、風に揺られて乱れた髪を耳に掛けた。


「汚らわしい邪教...魔物を使って穢れを王国に持ち込むとは...万死に値する所業。いずれ全てを刈り取らなくてはいけません。この世の全ての苦痛をその身に刻ませ、断罪の炎で浄化して差し上げましょう」


 ラナンキュラスの表情が綻ぶ。


「父の前で娘を...息子の前で母を...兄の前で妹を...その穢れた皮膚を剥ぎ、肉を削ぎ、滴るその血を盃に注ぎましょう。そして悲痛の叫びの中で愛する者の名前を呼ばせるのです」


 そして小さくため息つき、悲し気な表情を浮かべたラナンキュラスは、遠くに見える森の影を見た。


「クロム様...何故、そのような穢れた物をお持ちになるのでしょうか...忌まわしき覇王の残滓...決して“覇王の遺骨”をクロム様に近付ける訳にはまいりません」


 ベルコニーで両手を胸の前で組み、聖女の様な儚さを纏いながら祈るラナンキュラス。

 彼女の肢体から漂う芳醇な花の香りが通り過ぎた風に移り、クロムの居る森の方角へと流れていった。

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