第166話 闘気を纏う乙女騎士

 クロムが想定通りの手加減が出来た事を確認していると、ウルスマリテが広げた藪の開口部から次々と軍馬を駆った騎士が現れた。

 その集団の中に居たレオントが苦々しい表情で馬を降り、クロムに駆け寄って来る。


 他の騎士達は巨木に叩きつけられたウルスマリテに驚きつつも、誰もその傍に近寄る事無く、迅速かつ統率された動きで各配置に散っていく。


 同時に馬から降りたフィラが、一目散に仲間の元に駆け寄ると持たされていた傷薬やポーションをペーパルとロコに渡していた。


「フィラの知らせを受けて騎士隊を編成し駆け付けた。とは言っても既に終わっているようだが...これはクロム殿が?」


 レオントはクロムの眼前で横たわる頭部が切り離された空墜亜竜ランド・ワイバーンに目を移した。

 頭部を切り落とされている時点でかなり信じられない光景ではあるが、それ以上に胴体に残された傷跡もどのような攻撃が行われたのか、レオントはまるで予想が付かないでいる。


「同行した冒険者達と協力しての討伐だ。トドメを刺したのは俺になるが」


「しかし良く倒してくれた。感謝する。これが森の外に出たとなれば大変な事になっていただろう」


 レオントがクロムとトリアヴェスパの間の空気に僅かな重みを察知しつつ、改めて彼に礼を言った。

 クロムはその言葉を聞いて、視線を3人揃ったトリアヴェスパに移す。


「俺に対する礼はもう必要ない。残りの礼や称賛はあの3人に向けてくれれば良い」


「...わかった。色々と聞きたい事はあるが...」


 レオントがこれから先の判断に迷っていると、森の方から大声で檄が飛ぶ。






「騎士総員に告ぐ!黒騎士クロム殿、そして冒険者達による空墜亜竜の撃滅は既に成されている!これより後続の回収部隊の到着までの間、周辺の監視警戒の任務へと移る!」


 先程のクロムの一撃が無かったかのように、いつの間にか平然と復活したウルスマリテが歩きながら騎士達の命令を下している。


「この付近はアルバ・エクイティとの国境線も近い!国境警備隊との接触も有りうる!不測の事態に備え、戦闘警戒態勢にてこの場に駐留する!配置に付け!」


「「「はっ!」」」


 レオントを含めた周囲の騎士達もこの彼女に対し、特に疑問を持たずにそれぞれが行動を起こす。


「ようやく落ち着きを取り戻し、戻って来たか...全く...」


 レオントがそんなウルスマリテの様子を見ながらため息を吐いていた。


 そして予め組み合わせが決まっている騎士達が、それぞれ周囲の状況を確認する為に森に入っていく。

 防衛任務に就く一部の騎士は、身体から汗の蒸気を上げる軍馬達を一か所に集め、水魔法で生成した水を馬に与えている。


 大気中の水分を凝縮して生成している為、人間にとっては衛生面であまり良いものでは無いが、馬の水分補給には十分に活用出来る。

 騎士の中でも少数存在する水魔法の使い手は、こういった場面で非常に重宝される存在でもあった。



 ― 色々と問題がある様に思えるが、流石に騎士団長を拝命するだけの事はあるな ―


 クロムはウルスマリテの魔力を観察しながら、その身体の中に渦巻く魔力の強さを感じ取っていた。


 ― 魔力のムラが全く無い ―


 驚くほどに整えられた魔力の流れが全身を無駄なく駆け巡り、クロムが一撃加えた胸の場所も既に完全に回復しているように見える。

 そして何よりクロムが興味を持ったのは、魔力の発生源だった。


 通常の人間は心臓を中心とした重要臓器から魔力の供給を受けており、魔物ではこれが魔石に当てはまる。

 ただこのウルスマリテは心臓等の臓器以外にも、全身の様々な箇所から魔力が供給されている事をクロムは察知していた。


 クロムよりも高い、身の丈が2メートルを超える巨躯。

 全身鎧の下に存在する、絶え間ない修練の末に創り上げられた肉体。

 鎧から露出している首等の肌には消える事の無い傷跡が無数に走り、それが全身に刻まれているという事が容易に想像が出来た。


 群青色の短髪と薄桃色の瞳を湛えた女騎士。

 その荒々しい言動とは結びつかない端正な顔、その頬にもうっすらと大きな傷が走っていたが、それは次第に肌の色に紛れて消えていった。


 クロムの視線の先にウルスマリテが居る事に気が付いたレオント。


「今更言う事ではないが...彼女は優秀な騎士には変わりないのだ...ただ持ち合わせた“気質”というのもあり少々...いやかなり扱いづらい面もある。手加減して貰えるのであれば、必要に応じて殴り飛ばしても問題無い」


「気質?それはあの魔力の強さと特徴に関係があるのか?」


「ん?...あ、ああ、そうだな...何なら本人に聞いてみると言い。隠し事や謀略を扱う人間では無いのは確かだ。そこは俺が保証する」


「わかった」


 レオントがこちらに歓びの気配を纏わせながら近付いてくるウルスマリテを確認すると、大きな溜息を付きながらも副団長としての立場を復活させる。

 クロムも単純に彼女に対し興味をそそられる事が幾つか存在する事もあり、そのまま接近を許した。


 そして、クロムの前に立ったウルスマリテは胸の拳を当て騎士礼の格好を取る。


「黒騎士クロム殿。この度、冒険者と共に空墜亜竜ランド・ワイバーンの討伐を成された事、心より称賛させて頂く。そして未然に魔物の脅威を排してくれた事、お礼申し上げる」


 クロムを若干見下ろす形になっているウルスマリテが、淀みの無い称賛の言葉を贈る。

 その薄桃色の瞳は純粋なまでに煌めき、クロムからの回答を待っていた。


 クロムはそのまま身体の正面を彼女に向ける。


「称賛と礼は受け取っておく。だがこれ以降は必要無い。それよりも随分と頑丈な身体をしているな。魔力と共に良く鍛え上げられている」


 その言葉を聞いたウルスマリテの表情がパァと輝き、彼女は右手のガントレットを外し腰に装着すると手汗を丹念に腰布でふき取る。

 そしてその右手をクロムに向けて差しだし、握手を求めて来た。


「すまないが俺は装備を外さない」


 そう言ってクロムもまた右手を差し出し、ウルスマリテと極めて平和的な握手を交わす。






「改めて名乗らせて貰う。オルキス近衛騎士団騎士団長ウルスマリテ・グラサだ。以後お見知り置きを。黒騎士クロム殿」


「クロムだ。この手はまさしく戦士の手だな」


 ウルスマリテのその手や前腕部には癒えた状態でも、溝とも言える程に深い古傷が走っていた。


「そう言われると少し恥ずかしいな。無駄に大きな傷だらけの身体であるが故に、普段は極力隠しているのだ...情けない話だが、女心はなかなか全て捨て去る事が出来ずにいる」


 互いに手を離すと、ウルスマリテは頬を僅かに赤らめながらも苦笑し、その腕に魔力を込めた。

 魔力が美しい流れを見せながら彼女の鍛え抜かれた腕に流れ込み、錬磨され始める。


 内包する力を抑えつけるように前腕部のみならず、腕の筋肉が大きく盛り上がった。

 すると急激に活性化した肉体、その露出した肌に古傷以外にも無数の傷跡が浮かび上がって来た。

 数本の深い傷の上に大小様々な傷が走っている。


「かなりの数の戦場を潜り抜けていると見える。それにその肉体もだが、魔力の錬磨も素晴らしい」


 クロムにとって女の肌が美しかろうが、傷だらけだろうが、男勝りの筋肉質であろうが全くその評価に影響を及ぼさない。

 そもそも外見的魅力と言うステータス自体が、クロムにとっては個体識別における外見データの単なる1項目の数値のような物である。


 人間と魔物という大きな分類の中における、小さなデータの一つに過ぎない。


「...ははっ。この傷だらけの腕を見ても、クロム殿が口にする感想がそれなのだな」


 魔力を錬磨した事によりウルスマリテの腕以外の箇所、頬にも大きな傷跡が浮かび上がっており、そのクロムの視線の先に気が付いた彼女は慌てて魔力を散らすと、手で頬を覆い隠し、顔を背けた。


「す、すまない。この顔の傷は出来ればまじまじと見ないでくれると有難い」


「ん?ああ、それはすまないな。他意は無い」


 嘘偽りのないクロムの言葉にウルスマリテの表情が緩む。


「ウルスマリテ、お前の纏う魔力について聞いても良いか?」


「うむ。クロム殿の問いであれば可能な限り答えよう」


 ガントレットを再度装着したウルスマリテが、拳を胸にガンと当てる。


「お前の魔力の流れや質は明らかに他の騎士、人間と異なっているように見える。それはお前の技術によるものか?先程、気質...という言葉も耳にした。ただこれは答えなくても構わない。興味があって聞いているだけだ。必要以上に踏み込むつもりは無い」


 クロムの問いを聞いたウルスマリテが目を見開き、驚いたような表情を浮かべる。


「すごいな。クロム殿は魔力の流れや質も看破出来るのか。ふむ。そうだな...どのように説明したら良いものか...まぁとりあえず聞いてくれ。そして解らない事は後ほど聞き直してくれれば良い」


 そう言って彼女は自身の魔力や身体の事に関して、クロムに説明を始めた。

 余りにもクロムに対し明け透けに自身の事を曝露し始めた事により、レオントがまたも苦々しい表情を浮かべるが、それもやがて諦めた表情へと切り替わる。






 ウルスマリテはルベル・アウローラ帝国発祥とされる魔闘剛体術バートレータと呼ばれる戦闘術を用いている。

 この戦闘術は、全身に宿る生命の力を魔力と共に身体強化に使用するという物である。


 全身に満ちる生命の力を魔力と共に意識下で認識する為に、ありとあらゆる痛みや苦痛を修練で身に刻み、傷を癒やし回復する過程で身体の変化を理解する。

 彼女の全身に刻まれた傷は、戦いによるもの以外、全てこの修練によるものであった。


 魔力と共に流れる生命エネルギーとも言える力を使い、より強靭な肉体を作り上げる戦闘術。

 そしてこの魔力と生命エネルギーが融合したものを、彼女は“闘気”と呼んでいた。


 この闘気を纏っている間は、身体能力の向上は勿論の事、その本質が“生命”である為、肉体の治癒能力や再生能力も大幅に強化される。

 全身の細胞から生命エネルギーを抽出する事により全身をムラなく、そして最高効率で身体強化を施す事が出来る。


 これはクロムの前の世界でいう所の気功術に近い考えで構築された理論体系であり、ある意味、エネルギーという概念に近い考え方を持っていた。


「...という事だ。かなり修練が厳しいのでな。使い手ももう殆ど居ないらしい。私は正統な修練を全て積んだ訳では無いが...気が付けばこんな身体になっていた」


 僅かだが寂しそうな表情を浮かべるウルスマリテ。

 その戦闘術の副作用とも言える代償に関しても、話を始めた。


 まずは意識を司る脳が膨大な生命エネルギーを認識する事により、肉体がその負荷に対応すべく異常に発達してしまうと言う事。

 これが彼女の巨躯の理由であった。


 女性でありながら、男性をも凌ぐ肉体を持つ乙女騎士ウルスマリテ。


 そしてもう一つ。

 レオントが“気質”と表現したもの。


 それは魔力や生命エネルギーの高揚によって、本人の精神自体が原初の欲求に支配されてしまう側面があった。

 全身に満ちる生命エネルギーは“生きる”という最も基本的な欲求を呼び起こし、それに付随する形で様々な種類の欲求が膨らみ、精神が影響を受ける。


 魔闘剛体術バートレータを発動すれば、身体強化と共に戦闘による高揚感、そして“生き残る”と言った生存本能が増幅され、同時に自身の持つ目的等に対する執着心や感情、場合によっては殺意も含めて精神が支配されてしまう。


 クロムに対して彼女が暴走する理由もこれに起因する物であった。


 ウルスマリテはそれを強固な騎士道精神で抑え込んではいるものの、それは行き過ぎた戦闘衝動を抑える為だけの物である。


「...なかなか抑えきれない部分もあってな...一度戦闘となれば私の心が様々な欲求で溢れ返ってしまう。ただ、その時だけがこの私の醜く傷だらけの身体の事を忘れさせてくれる時間でもあるんだ」


 彼女が出会った自分よりも遙かに強い存在。

 そのクロムとの模擬戦は彼女の苦悩を忘れさせ、そして真っ向からこんな自分を受け止めて貰える最高の時間でもあった。






「なるほど。中々に興味深い戦闘術だな。いずれまた詳しく聞かせて貰うとしよう。その知識の提供の代わりに模擬戦程度であればその都度付き合ってやる。戦いながらが一番効率が良さそうだからな。ただし死んでも責任は持たんぞ」


「本当かっ!このウルスマリテ、クロム殿の知りたい事なら何でも答えるぞ!」


 ウルスマリテがクロムの思わぬ提案を聞き、高揚感を爆発させる。

 彼女の全身から闘気が滲み始め、彼女の薄桃色の瞳がクロムを捉えている。


「ウルスマリテ団長!」


 レオントが第2ラウンドの気配をいち早く感じ取り、慌てて彼女を止めようとする。

 だがそれよりも先にクロムが動いた。

 歓びと欲求に支配され始めているウルスマリテの傷のある頬に、黒いクロムの右手が触れる。


「落ち着け。毎回こう暑苦しくなるのであれば先程の話は無しだ」


 闘気の高ぶりにより彼女の頬の傷が大きく目立つ様に浮かび上がっており、その上にクロムの冷たい手がそれを隠す様に触れていた。

 クロムはウルスマリテがこの頬の傷に対しかなりの抵抗感を持っていた事を踏まえ、彼女の精神を現実世界に戻す方法として、この傷に敢えて触れる事で彼女を冷静にさせる。


 ウルスマリテもまたクロムに対して、見せる事に抵抗感を感じていた頬の傷に触れられた事により、今まで護り続けて来た乙女の羞恥によって一気に現実に認識が引き戻され、頬の傷を消す為に慌てて闘気を抑えた。


「す、すまない...どうしても歓びが抑えきれないのだ...許してくれ」


 巨躯が一瞬で縮んだのではと錯覚させる程に、気配を萎縮させるウルスマリテ。


「特に怒りの感情を持っている訳では無い。事ある毎に昂るな。あまりに面倒過ぎる。ただ落ち着けと言っているだけだ」


 全く変化の無い平坦なクロムの感情が、裏表を感じさせない口調と声が彼女の落ち着きを加速させた。


「...感謝するクロム殿...気になっているのだが、貴殿のその脇の地面に突き刺された不気味な魔力を発している剣は何だ?」


「俺も少し気になっていた。クロム殿の武器ではあるまい」


 ウルスマリテとレオントが問い掛ける。

 クロムはその大剣を地面から片手で引き抜き、2人に見せる。


「実際俺も良く解っていない。経緯を説明しながら、お前達を使って正体を探ろうと考えているのだが構わないか?」


 即座に返された2人の返事の内容が、それぞれ正反対だったのは言うまでもない。

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