第163話 貴族と騎士と盗賊
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12/14 第161話 盗賊フィラにクロムが渡したプレートを盟友の証から冒険者プレートに変更し、その時のやり取りを修正しました。
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盗賊と言う職業、役割はその内容が多岐に渡る。
その職業名が示す通り、鍵開けや諜報活動、暗がりを覗けばそのままの窃盗等であり、戦闘職よりも力で劣り、魔力は魔法師には敵わない。
冒険者という立場で言うならば、気配や危険の察知、弱点や虚偽の看破、敵を攪乱し戦闘を有利に進める状況作りといった補助的立ち位置にあった。
その職業柄、他者から必要以上に警戒される事もあれば、言動において信頼性を低く見られてしまう等の、他の職業では見られない陰の部分も存在する。
今、険しい表情で森を駆ける冒険者フィラもまたそのような扱いをされながらも、今まで生き残って来た盗賊である。
彼女の様な固定の冒険者パーティに所属する盗賊は少ない。
その仕事の内容から、ギルドの募集や盗賊ギルドといった特殊な斡旋所を利用し、必要な時にパーティに加え、その技術を借りるといった運用方法が多く、それは前述の信頼性の低さから来る物でもあった。
戦闘において決定打になり得る事が少ない盗賊というポジションは、実力に見合った評価をされ辛い不遇な一面も持ち合わせせている。
― その程度の実力で俺の邪魔をするな ―
倒木を飛び越え、岩から岩へと最速最短の距離を駆けるフィラ。
彼女の脳裏にクロムの言葉が何度も繰り返し再生される。
「...わかっていたことよ...」
司令塔としてトリアヴェスパのリーダーポジションで今まで何度も危機的状況を打破してきた自負もある。
だが最終的にどう足掻いても彼女の壁となるのが、盗賊と言う職業と基礎能力の低さだった。
そしてあの局面においてその役割もペーパルへと移り、何よりそれを決断したのはあのクロムなのだ。
自身の失態も含めて、クロムに見限られたと感じるのも彼女にとっては仕方が無いとも言えるだろう。
武器に頼ったとはいえウェア・ウルフを屠る事の出来た事実が、彼女の強さを1つ上の段階へと引き上げた。
だが、急激なその変化に彼女の精神が付いて来れなかったゆえの失態。
フィラはクロムをパーティの仲間として扱ってしまった。
仲間を置いて逃げるくらいなら最後まで仲間の為に戦う。
これもまた固い絆で結ばれた冒険者特有の行動原理であり、それが致命的な判断ミスに繋がる原因でもある諸刃の剣。
事実、冒険者が強力な魔物との戦闘で全滅するという原因は、まさにこの行動原理にあった。
フィラが仲間の危機を救う為に戦場を離れ、伝令で走る。
だが、彼女の知らない者が見れば、盗賊が仲間を見捨てて逃げたと思われてしまう。
見ただけ聞いただけで、当事者でも無い者達が好き勝手に噂し、貶める世界。
強さが優先されるこの世界において、弱者には反論すら認められない世界。
フィラの手の中で彼女の温もりが移った冒険者プレート。
全速力で森を駆け抜けながら、
何故これをクロムが渡したのかは、彼女も朧気に理解している。
砦の門前、警備兵や騎士に緊急事態を告げるにあたって、このプレートが有るのと無いのとでは大きく異なるのだ。
一介の
その場にレオントや顔見知りがいるなら話は別だが、それも期待出来ない。
だがこのクロムの冒険者プレートがあれば、事情は全く異なる。
“
それほどまでに今のクロムの持つ力は大きくなっている。
その根底にあるものが、“強さ”だった。
フィラには無い強さ。
そして自身の意見を通し切るランク。
絶対的な指標。
物事の円滑な処理を目的としたプレートであると同時に、それはフィラの実力とランクでは信用が足りないという話に置き換えられる。
「ロコ...ペーパル...ごめんなさい...私のせいで...」
泣いている暇は無いとわかっていても溢れ出る悔し涙。
そしてあのクロムとの距離が離れたという喪失感。
そんな中、藪を抜けた先に数匹のゴブリンがフィラの進路上に現れる。
涙で歪む視界に敵を捕らえたフィラは、胸の谷間とチェストプレートの間に手に持ったクロムの冒険者プレートを差し入れると、静かに黒い短剣を2本抜き払った。
「弱いことくらい...アタシが一番...分かってる...!」
フィラの身体強化がもう1段階引き上げ上げられ、止まるどころか更に増速する。
それぞれが彼女の接近に気付き、粗末な武器を振りかざし彼女を威嚇するも、突風と化したフィラがゴブリン集団の中を通り過ぎながら短剣の黒い刃を振るう。
正確にゴブリンの頸動脈を捉えた黒い刃が、血管のみならずその首を容易に跳ね飛ばし、フィラはその戦果を気にする事無く、その骸達に後塵を浴びせて走り去っていった。
手早く血払いをし、鞘に短剣を収めながら、以前の自分では有り得ない強さを発揮した先程の戦闘を振り返るも、その心に喜びは無い。
ただ何もかものが足りていない自分への苛立ちだけが、静かに彼女の心を浸食していく。
「でも...今はただ走る事がアタシの役目...これだけは絶対に...!」
全力に近い身体強化と魔力の循環により身体や関節が痛みを訴えるも、フィラはそれを無視して駆ける。
「それをやり遂げて...仲間を救って...そしてもう一度クロさんの隣に...諦めたくないのよ!!」
腰に下げた短剣に充填された魔力が解き放たれ、フィラの身体に吸収されていく。
青白かったフィラの魔力に赤が足され、薄紫の魔力を纏った女盗賊が一筋の光の塊と化して一直線に森を斬り裂いて行った。
突然、門前が日常とは異なる騒ぎに包まれ、それを聞きつけたレオントが駆け付けると、力尽きるように倒れている赤髪の女を数人の警備兵が地面に組み伏せて拘束していた。
事情を警備兵に尋ねると、容疑は盗賊による冒険者ランクの詐称もしくは窃盗であり、加えて話を聞かない警備兵に苛立ち、レオントや伯爵の名を使ってまで押し通ろうとしたとの事だった。
レオントはその女盗賊の正体を知ると血相を変えて駆け寄り、組み伏せている警備兵を死なない程度に張り倒すと、慌ててフィラを抱きかかえる。
「一体、何があった!?おいしっかりしろ!」
フィラは魔力枯渇による冷や汗で全身を濡らし震えながら、警備兵に奪われまいと固く握りしめていたクロムの冒険者プレートを取り出して彼に見せ、吐息の様な声を絞り出す。
「伯爵様...のところ...へ...緊急...援軍が必要...なの...ここじゃ...言えない...」
「わかった。今から連れて行く。楽にしていろ」
レオントが豊富な身体能力で、いとも簡単に彼女を抱え上げる。
「騎士様...そいつの持っているプレートは窃盗の疑いが...」
レオントの全身から溢れる怒気に怯えつつも、彼に張り倒されなかった警備兵の1人が進言する。
滅多に見る事の出来ない
もし仮にフィラが拘束されて牢屋に入れられていれば、レオントは日没後の定期報告で知る事となり、事態が取り返しのつかない局面となっていた。
何より今こちらの陣営には、主である伯爵ですら一方的に処断する者がいるのだ。
その関係者を勘違いや一方的な意見で拘束し、事態を悪化させたとなればその者の怒りがどこまで波及するか見当も付かない。
そして事態の内容によっては、警備兵の失態をこのレオントの所で止めておかなければ、間違いなく警備兵達は良くて投獄、最悪の場合、極刑に処されてもおかしくは無いのだ。
「貴様ら...言い分は後で騎士団がじっくり聞いてやる...」
その時のレオントの怒気に煽られて噴き出した魔力で、何人かの警備兵はその場で腰を抜かしてしまう。
砦の最重要区画、オランテがいる指令所兼執務室の扉が乱暴とも言える力で叩かれた。
扉を護る騎士と警備兵が慌てて止める声が聞こえるも、それは一向に収まらない。
「騒々しい!何事だ!」
オランテが怒りの声を上げる。
そしてとうとう入室の許可を出される事が無いままに扉が勢い良く開かれた。
「レオント!貴様一体どうしたとい...!」
オランテの口から飛び出す叱責。
「閣下!緊急事態です!」
その叱責に被せられる、オランテの声量を上回るレオントの声。
もはやレオントにとっては叱責や処罰よりも、今にも倒れそうな程に疲労した女盗賊のもたらした情報の方が重要だった。
「まずは魔力ポーションを用意して下さい!このままではフィラが危険です!」
レオントが早歩きで執務室のソファーに歩み寄り、意識を失いつつあるフィラを静かに寝かせる。
「何があった!?」
オランテが彼女が手に持っている冒険者プレートを見て、血相を変えた。
ただ彼の意識の中でありとあらゆる状況を予想するも、クロムが危機に陥るような状況を思い付く事が出来ない。
「だ...だいじょうぶ...伯爵さん...まず聞いてね...」
崩れ落ちそうになる身体を、震える腕で支えながらフィラが身体を起こす。
オランテはテーブルを脇に移動させて、フィラの前に跪き、彼女の身体を両手で支えながら座らせた。
レオントが侍従にポーション類の手配を済ませ、その場に戻って来る。
「ごほっ...ウェア・ウルフは...見つけて殆ど倒したと思う...でもあいつら何故か...ここらで居る筈の無い...
「「なぁっ!?」」
空墜亜竜の単語を聞いて、2人は同時に驚きの声を上げた。
間違いなくこの近辺の森に居て良い存在では無く、遭遇した記録も一切無い。
しかも森の外縁部から出てしまえば、その予想被害はとてつもない規模になり、冒険者や騎士団総出で討伐しなくてはいけない存在。
王都からの援軍も呼ぶ算段を考えなくてはならない程だった。
街に侵入すれば、場合によっては壊滅的な被害を受ける。
「それで、お前の仲間は無事なのか?クロムは?」
意外にもオランテの台詞から、クロムよりも先に彼女の仲間の事が出た事にフィラは驚く。
「今、クロさんが単騎で...戦ってる筈...余裕そうに見えた...けどね...でも仲間も含めてどうなるか...わからない...」
「空墜亜竜を相手に単騎だと...」
レオントが信じられないと言った表情でその情報を噛み締める。
同時に侍従が色とりどりのポーションを運び、近くのテーブルに並べていく。
オランテは侍従にこの部屋を出る様に命令すると、魔力ポーションを始めとして魔力枯渇解消に効果的な物をフィラにゆっくりと飲ませた。
「時間が惜しいのはわかる。だが、まずはお前の回復が先だ。そうでないと正確に情報が伝わらん。わかるな?」
ポーションを飲み下しながらも何かを伝えようとするフィラに、オランテは落ち着いた声で諭す。
レオントは、現時点で空墜亜竜に対抗可能な戦力をどれくらい用意出来るか考えていた。
フィラはゆっくり頷いてポーションを飲む。
騎士団が使用するポーションは高価であり高品質、そしてその効き目も折り紙付きである。
その時、次第に顔色が戻りつつある彼女の力の入らない手から、クロムの冒険者プレートが床に落ちた。
硬質な音を立てて床を跳ねるプレートを、フィラが眼を見開き、倒れそうになりながら拾おうと手を伸ばした。
オランテがそれを拾い上げ、フィラに手渡す。
それを落とした事を悔やむように胸で抱え込むフィラ。
眼にはうっすらと涙を溜めていた。
「クロさんなら空墜亜竜でも...勝つと思う...でもウェア・ウルフにしてもアイツにしても...絶対何かがおかしい...今までにない何かがこの森で起こってる...」
回復の兆しを見せ、口調にも力が戻ってきているフィラが、地図をと一言付け加えると、オランテがすぐさま用意をした。
そしてその地図の森の部分、現在クロム達が戦闘中の場所をフィラが指し示す。
「クロさんが勝った後...周りに何が潜んでいるか分からない...それに空墜亜竜の死体や素材なんてあんな場所に放置できないでしょ...」
「見られたら盗賊や色んな面倒を引き寄せちゃうわ...しかも国境の近くとなると、早く動かないと仲間も含めて大変な事になる...」
オランテはまだ少しふらつくフィラの両肩に手を置いてその身体を支えた。
― 冒険者にしては中々に鋭いな...ますますこのまま放置するには惜しい人材だ ―
オランテの瞳に一瞬だが、冷たい色が差し込まれる。
「フィラ、良くここまで走ってくれた。やはりクロムの見込んだ冒険者だ。今すぐ騎士隊を編成し援軍として向かわせる。本当に良くやった」
その思惑とは別にオランテの心からの賞賛がフィラに送られた。
「はは...そのクロさんに見放されたんだけどね...」
自虐的な台詞と表情を浮かべるフィラ。
オランテは彼女に何があったかは、何となくだが予想は付いた。
クロムの期待に応えられなかった。
もしくは彼を近くに感じ過ぎた。
オランテもまたクロムに対し、いつどこで切り離されるかわからない立場の人間であり、常に彼の期待に応えなければならないという状況に立たされている。
失態によってクロムにどのような評価を下されるか。
完全にクロムの信頼を得ていない状態では、常にそれが付きまとうのだ。
そして彼を友人として見てはいけない事も思い知らされている。
「フィラ。お前達トリアヴェスパにクロムからの伝言を預かっている。これは帰って来てからと思ったが...まぁいいだろう。お前は今聞くべきかもしれんな」
そう言ってオランテは、眼を丸くしているフィラを真っすぐに見る。
「クロムはお前達に“
クロムが示した“この
彼が世辞や希望的観測で励ましの言葉を使う事は無い。
彼は他者に対して期待はしない。
出来ると判断したからこその言葉。
ペーパルに指揮権を委ねたのも、フィラを戦力から除外したのも、全てクロム自身が確信を持ったからこその判断と采配。
「ははは...それ今言うの反則です...よ...伯爵様...」
フィラが俯いて大粒の涙を膝の上に落とした。
― 二度目は無い ―
クロムの最後通牒が別の意味で、フィラの暗く乾いた心に一粒の雨粒を垂らす。
オランテもレオントもただ彼女を見つめるだけで何も言わなかった。
自分達も一つ間違えばこの動き始めた状況に一人置いて行かれる恐怖を常に持っている。
他人事では無いのだ。
オランテは俯くフィラの肩にポンと叩くと立ち上がり、レオントに命令を下す。
「レオント、騎士を選抜して特別騎士隊を編成し、直ちに出立しろ。最大戦速だ。それと騎士隊の部隊長としてウルスマリテを出撃させる。お前もそれに加われ。回収部隊は後ほど送る」
この砦の防衛関連の不安はあるが、そこは議論している余地は無く、全ての判断は最高司令官のオランテに委ねられた。
「御意。ただちにウルスマリテ団長と共に向かいます」
レオントは直立不動でその命令を受諾し、フィラに視線を移すと声を掛けた。
「フィラ、身体はもう多少は動くだろう。行くぞ。まさかここで休むとは言わないよな」
フィラは涙を拭いて、憎々し気な眼でレオントをふくれっ面で睨み上げた。
「ほんとに嫌な言い方ね...でも...ありがと...行くに決まってるでしょ」
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