第162話 赤熱の右 黒蝕の左
それはクロムに向かってまたも噛み付こうとした亜竜の眼球に対する精密な予測射撃であり、致命傷にはならないものの、低威力でも十分な牽制になっていた。
クロムは動きが一瞬鈍った亜竜の懐に入り込み、左脚の関節部にカーバイドブレードの一撃を走らせようとする。
だが亜竜もそれに対応して左脚を大きく持ち上げ、そのままクロムを踏みつぶそうと強烈なストンピングを繰り出した。
クロムはその下をすり抜けながらも、左腕ブレードで足裏を斬りつける。
予想以上に硬質な手応えと音が響き、皮膚を斬り裂く事は出来たが深手と言うにはやや足りない。
「流石にその体重を支える足裏は硬いか」
亜竜の足元を潜り抜けたクロムは呟きながら、再度距離を詰め、今度は脚の付け根の裏、もしくは前脚膝関節の裏を標的に暴れ狂う亜竜の攻撃を避けながら懐に潜り込む。
すると亜竜は後ろ脚に力を込め、胴体と両前脚を一気に持ち上げた。
「わざわざ腹下を見せるとはな」
クロムは即座に方向転換し、左腕ブレードを白く柔らかい腹に走らせ、そのまま払い抜ける。
深々と斬り裂かれ、血が溢れる傷口にペーパルの放った衝撃属性の魔法矢が炸裂し、血と肉を飛び散らせ、傷口を更に広げた。
― 優秀な弓手だ ―
だが亜竜は腹を斬り裂かれた激痛に叫び、その身を捩りながらもその殺意はクロムを追い続けており、身体の向きを変え腹にもう一撃加えようとしたクロム目掛けて地響きと共に着地した前脚が後ろ向けに蹴り出される。
クロムがそれに対する回避行動で態勢を崩しながらも、咄嗟に斬り払ったブレードが前脚の指1本を斬り飛ばす。
するとその痛みを無視した亜竜が身体を勢いよく反転させ、長く野太い尾で周辺をクロムごと薙ぎ払った。
その尾を寸前で背面から跳躍し回避しつつ、クロムは更にブレードで斬りつけるも今度はその中心部に並び立つ棘に阻まれ、尾への一撃が届かない。
そして通り過ぎた尾が弧を描きながら上空へ振り上げられ、着地したクロム目掛けて振り下ろされた。
しかし今度はクロムはそれを避けようともせず、腰を据える様に構えると真上から襲い掛かる尾に対し超振動を起こしている右腕ブレードを真っすぐに突き上げる。
尾の重さと勢いが災いし、ブレードが深々と尾の中心部まで肉を斬り裂きながら突き立てられ、クロムの拳が超重量の尾を真っ向から受け止めた。
クロムの身体を凄まじい衝撃が伝わり、両脚が大地を砕きながらめり込み、土砂と土煙が周囲から吹き上がる。
[ 脚部負荷が急激に増大 カウンターショック発動 ]
瞬間的にクロムの身体がブレる程に振動し、負荷を全身に逃がす。
「クロムさん!くそっ!」
その直前の光景を見たペーパルが弓を引き絞り魔力を錬磨しながら、思わず叫んでしまう。
援護射撃によって魔力が減り続けているペーパルの攻撃間隔が、少しずつ空きつつあり、魔力錬磨の精度も落ち始めている。
そこにあの巨大な尾の一撃をまともに喰らったように見えるクロムに対し、焦りの叫びを上げるのも無理はなかった。
だが、そんな彼の耳にクロムの声が明瞭に届く。
「騒ぐな。この程度の攻撃でやられはしない」
クロムから発生していた、ペーパルにとって聞いた事の無い高音が更にその勢いを増している。
そして一際大きなガシュンという独特な衝撃音が響き渡ると、その場から離れているペーパルでさえ感じる事が出来る膨大な熱源が土煙の中に突如発生した。
突然、局所的に発生した超高温の熱源によって猛烈な上昇気流が発生し、土煙を瞬く間に巻き上げる。
そして響く亜竜の絶叫。
その中には真上に掲げた右腕を灼熱の色に染め上げ、周囲に強烈な熱波を放ちながら尾を完全に受け止めたクロムの姿があった。
「ヒートターミネータ
既に超高温によって傷口のみならず、その尾の周辺が内部から炭化する程に焼き焦がされている。
ペーパルが理解出来ない単語をクロムが口にすると、クロムは一気に右腕の赤熱した腕を外側に向かって振り抜いた。
メキメキと木がへし折れるような音が響き、黒く炭化した亜竜の尾の残骸が周囲に飛び散る。
その傷口からは血が噴き出る事も無く、そこにはただ黒い断面が顔を覗かせているだけだった。
尾の断面の半分以上の肉が炭化して砕け散り、その中心を通っていた白く強靭な骨もまた超高温に晒され一部が既に灰化している。
そしてその先の重量に耐えきれなくなった尾が、その部分から骨諸共に千切れ落ちた。
[ 融魔細胞耐熱変性に問題無し 魔力エネルギー回路正常 腕部温度2000℃を突破 尚も上昇中 ]
「肉体の耐熱温度は魔力によって強化されていないようだな。ただの肉の塊か」
― あっつぅぅい!あちちちちぃ!焦げちゃう溶けちゃうぅぅ! ―
左腕に纏わりついていた元々熱に弱い液状化したレゾムが、超高熱の熱源に直近で晒され思わず叫び声を上げている。
慌てて熱波を直接浴びない箇所に避難をするも、既に一部の液体が消滅し始めていた。
「む。これはまずいな。貴重なサンプルが失われては困る」
思慮の浅さを認めつつクロムが尾が焼かれ、そして千切られた痛みで大きな口を開けて鳴き叫ぶ亜竜に対し再び急速に距離を詰める。
右腕に接続されたカーバード・ブレードまでもが赤熱し、灼熱の刃となって亜竜に襲い掛かった。
そして今度は腹では無く胴体にそのまま振り下ろされるブレード。
硬い鱗で覆われた胴体側面だったが、数千度の刃がそれを難無く焼き切ると、その中の肉の水分を飛ばしながら焼き焦がす音、そして香ばしい匂いと白煙が傷口から噴き出す。
そして最早溶かし切ると言った方が適切な程に、ブレードが難無く胴体を斬り裂いていった。
「そこ!」
ペーパルが短く叫ぶと、その傷口にまたも狙いすましたような射撃で魔法矢が着弾し、衝撃波が傷口を大きく抉る。
切断面が高温で炭化し固まっていた傷口が、その攻撃で割れ、中から血飛沫と共に生の肉が姿を見せた。
― あちちぃ!あっ、新鮮なお肉と入口はっけーん!お邪魔しまぁす! ―
そのレゾムの声を聞いて、クロムが即座に左手を手刀で傷口に叩き込み、中の肉を鉤爪で抉り掴むと、力を込めて腕を捩じり引き裂く。
そして手を引き抜くとそこには新鮮な血と肉が溢れる開口部が出来上がり、そこから液状化レゾムが瞬く間に潜り込んでいった。
― お肉ぅお肉ぅ ―
久々の新鮮な肉の味を堪能しているレゾムの声が、亜竜の腹の中に消えていった。
[ 魔力サーモ展開 標的の体内魔力を検知中 ]
クロムの視界の中の亜竜の身体に、魔力濃度とその流れが可視化され、魔石の位置や体内を蠢きながら突き進むレゾムの姿が浮かび上がって来た。
突然体内に異物を放り込まれた亜竜は、レゾムに内側から肉や内臓を蹂躙される異常事態に半狂乱となっている。
魔力サーモではアメーバ状に無数の仮足のような物を至る所に展開しているレゾムが確認出来、それは次第に背骨や各神経系統にまで浸食を開始していた。
そしてレゾムは亜竜の脳に向かってその食指を向け始める。
当の亜竜はその巨大な全身を痙攣させながら、半狂乱で四肢を踏み鳴らし既にクロムの姿を追う事が出来ていない。
この時クロムは亜竜の背中に奇妙な魔力の動きを察知する。
それは魔石とは異なる経路で魔力を供給しており、その影はまるで背中に突き立てられた大剣の様な形をしていた。
その箇所にもレゾムの食指が伸びていく。
次の瞬間、亜竜が頭を上空に向けて咆哮を上げ、血と涎を振り撒きながら走り出した。
その眼は白目を向き、まともに視界が効いておらず、亜竜は狂乱状態で感知した魔力に向かって盲目的に突撃し始めたのだ。
その先には魔力錬磨で膨大な魔力を体内に溜め込んでいるロコがいた。
「ロコ!逃げろ!」
同じ位置に居るペーパルがロコに叫ぶも、限界まで魔力錬磨を行っているロコは体内で渦巻く魔力の制御で咄嗟に反応が出来ず、回避が遅れた。
ペーパルは迫り来る亜竜の顔面に魔法矢を立て続けに放つも、魔力減少で威力が落ちている上に、そもそも頑強な皮膚と鱗で覆われている亜竜に損害を与える事が出来ない。
「ペーパル!お前は回避しろ!俺が止める!」
そう言ってロコが全身から魔力を放出しながら、愛用の大斧を両手持ちで構えた。
柄を握る手に強烈な力が込められ、黒いガントレットの表面が青く輝いている。
ロコは迫り来る亜竜の頭部を下から斬り上げようと、半身で腰を下ろし、瞬きせずに亜竜を迎え撃つ体制を取った。
クロムがそのやり取りを見て、即座に亜竜に追いすがり左後脚の関節部分を真横に斬り払った。
灼熱のブレードが関節裏を瞬時に絶ち切り、腱が切り離された脚は完全にその機能を喪失する。
しかしそれでも勢いは殆ど止まらず、斬られた脚を引き摺りながら残りの3本の脚でただひたすらに前に向かって突進を続ける亜竜。
亜竜を追い抜いて彼らの前に立ちはだかる事も可能であったが、今の彼の右腕は敵味方関係無くその身を焼き尽くさんばかりの熱を孕んでいる。
近付くだけで彼らを殺してしまう可能性すらあった。
彼らを救う為に、彼らを焼き殺すと言うのは作戦として破綻しており、流石のクロムでもそれは選択しなかった。
ロコは焦るペーパルをその身の後ろに隠し、迫って来た亜竜の口が眼前で開く直前、錬磨した魔力を全て注ぎ込み身体強化を施した。
耳や鼻、眼からも血が噴き出し、関節が負荷に耐えきれず嫌な音を立てる。
それでもロコは歯を食いしばり、奥歯の一部を砕きながら下段から斧を一気に振り上げた。
大斧の刃が正確なタイミングで亜竜の下顎に直撃するも、魔鉄の刃では亜竜の強力な鱗に阻まれ斬る事が出来ず、更には素材がその硬さと威力に耐えられず刃が脆くも砕け散る。
だがそれでも打撃としての破壊力は十分に秘められており、そのインパクトの瞬間、黒いガントレットの効果が発動し、ロコの筋力を更に数段階上へと引き上げた。
ロコの腕が千切れんばかりに力が籠り、激痛が彼の全身を駆け巡る。
「ぬあぁぁぁぁ!!」
ロコの両脚が地面に沈み、振り抜かれた大斧が亜竜の下顎の骨を粉砕しながら強烈な勢いで頭部を弾き飛ばした。
亜竜の前脚と胴体が横に浮き上がる程の打撃力を産み出したロコの大斧が、魔力保有量の限界を大きく超え、柄の部分から粉々に砕け散る。
そしてそのままロコは魔力枯渇にて完全に意識を失った。
「ロコ!ちょっとは魔力の配分を考えてくれ!」
クロムはロコとペーパルの様子を視界の端に捕らえながら、胴体ごと吹き飛ばされた亜竜の側面に回り込む。
そしてプラズマの尾を引きながら跳躍し、振り子の様に戻って来たその巨大な頭部の側面に右腕を全力で叩き込んだ。
赤熱化したブレードが亜竜の頭部に突き刺さり、内部から組織を焼き尽くす。
そしてその勢いが衰えぬまま、クロムの拳が高熱により耐久性を著しく損なった箇所に直撃する。
直撃した拳を中心に大きく陥没する亜竜の頭部。
内部で炸裂した衝撃波が口や眼窩、様々な穴から内部組織を押し出し、致命的な損傷を与えた。
顎を砕かれ頭部を大きく歪ませた亜竜が一度大きく痙攣すると、そのまま横倒しで地面に倒れ、動きを完全に止める。
返り血を右腕で焦がしながらブレードを引き抜いたクロム。
[ 警告 腕部装甲の超振動摩擦耐久が限界値を突破 ヒートターミネータ停止 ]
[ 右腕冷却開始 融魔細胞の耐熱変性の調整を開始 ]
[ 装甲放熱板を展開 排熱を開始 ]
右腕の各所の装甲板が変形して浮き上がると、そこから凄まじい熱風が噴き出し、周囲の温度を急激に上昇させた。
それはクロムの半身を陽炎で覆う尽くす程の排熱で、距離が離れている筈のペーパルの皮膚をジリジリと炙る。
すると上手くクロムの熱からは逃げていた、レゾムの声を捉える。
― やっぱりこのトカゲさんおかしいよぉ?魔石はもう動いてないのに背中からまだ魔力が流れてるみたいだねぇ。死んでるのに動こうとしてるぅ ―
「背中?あの剣のような影の事か」
― 背中に何か変なものが刺さってるんだよねぇ。触るとなんかぞわぞわしてヤナ感じなんだよぉ ―
クロムは横倒しになった亜竜の背中に回り込むと、背中に乱立する棘の隙間に未だ魔力を放ち続ける大剣が深々と突き刺さっている事に気が付いた。
その大剣は未だに魔力を放ち続けており、魔力サーモでは刀身から亜竜に向かって魔力が大量に流入している。
クロムはカーバイド・ブレードを引き込むと余熱で周囲を炙りながら、その突き刺さった大剣の柄を掴み、一気に背中から引き抜こうと力を込めた。
未だ高熱の塊である右手が掴んだ柄の革巻きが焼かれ、白い煙が立ち上っている。
背骨に直接刺さっている為、メキメキと骨が軋み砕ける音が聞こえ、徐々に引き抜かれていく謎の大剣。
そしてその刀身は1メートルを遙かに超える長大な物であり、背骨を完全に貫通しその刃先は胴体中央部まで達していた事が判明する。
クロムは大剣を握る手に力を込め、一気に引き抜く為に腰を据えて重心を下げる。
「レゾム。一気に行くぞ。不測の事態に備えろ」
返事は聞こえないが、クロムは声が届いている一方的に判断し両脚を地面に食い込ませると一気に引き抜いた。
すると刀身から膨大な魔力が溢れ出し、魔力供給を断たれた亜竜の骸がビクビクと再び痙攣し始める。
「どうなっている。死んでいるのではなかったのか」
あくまでも冷静に状況を確認するクロム。
大剣が刺さっていた痕からレゾムの一部がはみ出してくる。
― 死んでるはずだよぉ。神経をもうブチブチにしちゃったからぴくぴくしてるねぇ。でもなんで動いてるのぉ? ―
クロムはそのまま右手1本で大剣を掴み、無残に歪んだ亜竜の頭部へと歩を進める。
そして頭部の根元に狙いを定め、本来の持ち方である両手持ちで大剣を大上段で振りかぶった。
― 素材にしては状態があまり良くないかもかも知れないな ―
クロムはこの素材の惨状を見て、残念そうな表情を浮かべるゴライアとテオドの顔をふと思い出す。
そして一刀の元でその首を両断しようとしたその時、突然頭部が動き出しクロムに対し明らかに敵意を持った動きを見せる。
クロムは即座に構えを解いて回避し距離を取ったが、亜竜の執念はまだ諦めてはいなかった。
横倒しのままロコに砕かれた顎を大きく開き、噛み付きと同じ動作を見せる亜竜の頭部。
すると暗闇に満たされている亜竜の喉の奥で何かが蠢き、それが瞬間的に灯を宿した直後、それが紅蓮の炎となってクロムに向けて放射され、瞬く間にクロムの身体が炎に飲み込まれた。
[ 体外温度1200℃ 可燃性液体の発火による攻撃と推測 液体の正体は不明 ]
攻撃の直前に喉の奥の何らかの器官が動きを見せていた事から、何らかの可燃性の液体を保存する器官が存在し、着火する事で炎の息を吐いたとクロムは即座に判断する。
「あぁっ!クロムさん!」
― あぁぁぁ!このトカゲぇぇぇぇ!お兄ぃさんに何してるぅぅぅ! ―
2人の叫びを聞き流しながら、クロムは炎の熱とは真逆の冷静さで思考を巡らせていた。
「レゾム。こいつの頭部に潜り込め。浸食も融解もするな。ただ入り込めば良い」
― すんごい熱そうだけど大丈夫なのぉ!? ―
クロムは炎に炙られる中、魔力サーモにて亜竜に怒りを覚えながらも命令通り移動するレゾムの影を観察していた。
そして頭部がレゾムの影で満たされた事を確認すると、その中にハッキリと喉奥に繋がる胃袋の様な器官が複数浮かび上がり、その所在が全て判明する。
「意外と容量が少ないな。まぁ良い。それなら首を叩き落しても問題無い。レゾムその位置から動くな」
― はぁい。熱いのホントに大丈夫ぅ? ―
クロムは平然とその炎の奔流から歩いて脱出し、それを見たペーパルが驚きで思考を停止させている中、首元に移動し大剣を再び大上段で構える。
そして渾身の力を以て即座に亜竜の首を一刀の元に斬り落とした。
「この素材を使えば面白い物が作れそうだな」
クロムは大剣を片手で肩に担ぎながら、次の試作武器の案を練り始める。
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