第159話 依頼と言う名の評価試験

 時は遡り、場所はオランテが未だ滞在している砦の敷地内。


 フィラがロコとペーパルに声を掛け、クロム関連であれば話だけでも聞いてみて損は無いと、多少の楽観も含めた感覚でオランテの招待を受ける事にした。

 彼女が騎士団の駐屯地に向かいレオントを呼び出すと、既に正式な書類として発行された、フィラの提示した条件に関する宣誓書片手に彼が現れた。


「...なんか腹立つ顔してるわね。お見通しって感じ...あーヤダヤダ」


「まぁそういうな。既に今晩伯爵閣下との予定を組み込んである。恰好や言葉遣いも気にするなという閣下のお言葉もある。気を楽にして話を聞くだけで構わない」


 そういってレオントはフィラに騎士団の紋章入りのメダルを3枚手渡した。


「これは?」


「これを警備に見せれば身辺調査無しで重要区画に出入り出来る。身支度を整えたいのであれば騎士団専用の店が出張で来ているからそこで探すと良い。メダルを提示すれば全て費用は騎士団が持つという閣下のご命令だ」


「何か待遇良すぎて気味が悪いんですけど?クロさん絡み?」


 警戒心を全く隠さずにレオントを見上げるフィラ。

 その眼は正に盗賊のそれだった。


「この宣誓書も持っていけ。伯爵閣下の印章と騎士団長の判が押してある」


 レオントはそんなフィラの視線を全く気にする事無く、丸められた書状を手渡した。


 ― これが強者の側の余裕って事?気に食わない...けど、それはアタシ達が弱いのが悪い... ―


「最後の疑問に関しては話してみればわかるだろう」


 レオントの余裕のある笑みと、フィラの軽いふくれっ面の間で見えない火花が散る。


「まぁ良いわ。今晩夕食を終えてから向かうわ。夜の閉門の合図に合わせて伺うって事でいいかしら?」


「わかった。そのように段取りしておこう。では」


 そう言ってレオントが騎士団の本部施設に戻っていく。

 フィラはその背中を睨みながらも、クロムの事が聞けるかも知れないという僅かな期待感に煽られ、書状で肩をポンポンとリズムカルに叩いていた。






 トリアヴェスパは砦の閉門の鐘の音が響くと同時に、最重要区画の門前に到着していた。

 砦の敷地内における最重要区画であり、無断で立ち入るだけで騎士団によって問答無用で逮捕され、厳しい尋問が行われる区画である。


 周囲では夜間警備や配置転換が行われており、警備兵や騎士の集団が整列し、各配置へと慌ただしく行動を起こしている。


 3人がそれぞれメダルを門番をしている近衛騎士に見せると、無言で門を開き、その先には全身鎧で身を固めたレオントが待っていた。

 門番として立っている騎士ですら、精鋭とされているオルキス近衛騎士団の騎士であり、優秀な騎士から更に選りすぐりで選抜されたエリートである。


 完全武装のレオントは言わずもがな、近衛騎士団の副団長であり昼間見た彼とは比べ物にならない程の気配を放っている。

 もし仮に3人同時に戦ったとしても、まず間違いなく敗北するだろう。


 その者が自らを弱者と認識させられ、そして領主であるオランテ伯爵と対等以上の盟約を交わす黒騎士クロムの強さは、もはや計り知れない。


「よく来てくれた。伯爵閣下がお待ちだ。ただ無礼講に近い形で対応すると仰せられた。昼間にも言ったが気を楽にするといい」


 レオントの声もまた酒場の時と違い重く、騎士としての自らの使命と強固な意思が込められていた。


 ― これは警戒するだけで無駄ね...騎士さんと伯爵さんの良心の期待するしかないわ ―


 フィラは徒労に終わるであろう警戒心を、別の事に使う為に早々に解き、ロコとペーパルも緊張を無理矢理にでも解そうと、大きく息を吐いて気合いを入れ直していた。


 鎧を鳴らしながら歩くレオントの後ろに付いて行く3人。

 やがてかなり頑強に造られた建物の前に辿り着き、警備についていた兵士と近衛騎士が敬礼でレオントを出迎える。


「伯爵閣下。レオント副団長と客人3名が到着されました」


「入れ」


 騎士の報告から一拍置いて、中からオランテの声が小さく届く。


「入ります。閣下、件の冒険者3名がここに」


「ご苦労だった。レオント」


 執務室の中では奥の執務机でオランテが書類整理をしながら今後の計画案を建てていた。

 トリアヴェスパの3人もレオントの後を追う形で入室し、まず3人は想像していた伯爵の執務室とは違う、殺風景とも言える程に広く広がる空間を見る。


 絢爛豪華な造りでも無く、冒険者の稼ぎが数年分は消し飛ぶ調度品等も殆ど無い。

 代わりに所狭しと配置された本棚や無数の巻物が収められた棚が彼らを出迎える。


 ただ森の方面に当たる壁の部分だけは何も置かれておらず、他と比べて真新しい色合いのものであった。


「冒険者パーティ“トリアヴェスパ”だったな。遠慮なく座ってくれて構わない」


 オランテが執務机から離れ、トリアヴェスパの対面のソファに腰かけると、レオントが護衛の位置に付く。

 トリアヴェスパは初めて対面するオランテの威容と迫力に気圧されながらも、それに従いソファーにそれぞれが腰掛けた。


 ― 伯爵さん...やっぱ凄いわね。この人と盟約を交わすクロさんってホントに何者?それに...どことなくアタシと同じ匂い...いえ、もっと深く暗い...ダメ、考えるのは一旦やめておきましょ ―


 フィラが王家直属諜報機関樹海ウィリデ・オケアヌスのトップの放つ気配を僅かながら感じ取っていた。


「レオントから聞いていると思うが、最低限の礼儀さえ気に留めておけば、他は問題無い。長い前置きは好かんと見た。早速本題に入るとする」


 最低限の礼儀と言われるラインが曖昧故、下手な事は言えないなとフィラは己の心の波風を可能な限り抑える努力をしながらも、無言で小さく頷く。


「単刀直入に言おう。トリアヴェスパの3人をこの俺の専属冒険者として契約したいと考えている。主要な任務は、君らも良く知っている黒騎士クロムと行動を共にする事だ」


 トリアヴェスパはその言葉に含まれた様々な情報を消化しきれず、思考が僅かだが停止する。


「黒騎士クロムは今後、国内外問わず広く行動を起こすと宣言している。その際は主に冒険者として行動する事になるが、出入国や見知らぬ土地での行動には危険が伴う。それは彼への危険では無く、周囲が危険と言う意味でだ」


 オランテの目尻がストレス反応で僅かに痙攣していた。

 それを確認したフィラは、一目でクロムに色々とと予測した。

 何故かその時点で親近感すら湧いてくる。


「クロさ...クロムさんのお目付け役という事な...ですか?」


 慣れない敬語に振り回されるフィラが、表情を変えずに問う。


「気を楽にしろ。それと言葉は気にするな。いや、そうではない。あくまでクロムの冒険者仲間として行動し彼の手助けをして貰いたい。彼は...わかっているとは思うが少々...いやかなり世間知らずの部分があるのだ。出入国するだけで国際問題になる可能性すらある。わかるだろう?」


 更にオランテの目尻が痙攣し始める。

 フィラはかつてネプロシルヴァの門前での騒動を思い出し、はははと顔を引き攣らせた。


「俺との専属契約とはいっても、無理な命令を下す事は無い。処罰も犯罪行為や伯爵家に敵対する行為を行わない限り大目に見るつもりだ。あくまで冒険者として活動してくれて問題無い。ただし機密漏洩は如何なる理由であっても極刑に処す可能性が高い」


― まぁそれは当たり前よね ―


「定期的な金銭授与に加えて、こちらの依頼を受けた場合は、それに応じてギルドとは別に褒賞も支払う。そして衣食住や装備、その修理や整備はこちらで全て面倒見させて貰うつもりだ。無論冒険者ギルドには伯爵権限で通達を行う」


「伯爵様。えっと...それは余りにも待遇が良すぎでは無いですか?私達はランク2層サブ・メディウム冒険者、いわば一般的なランクです。逆にこのような低ランクの冒険者を雇えば伯爵様の名に傷がつく事になるのでは?他にも優秀な人材が居るはずです。そこのレオント副団長とか」


 突然にフィラに名前を出されたレオントはピクリと頬を動かし、彼は即座にそれがフィラの意趣返しだと察した。


 ― やはり肝が据わっているなこの女盗賊は...油断出来ん ―


「そこでだ。これから君達に依頼を出す。君達の実力を知りたい。評価試験と思ってくれて構わない。勿論報酬は出す。その後にこちらの要求を断ってくれても構わない。そしてその報酬とは別に依頼達成と判断すれば、その場でこの私の名において、トリアヴェスパをランク3層メディウムへの昇格を認める」


 このオランテの言葉に3人は思わず目を見開いた。

 目の前の伯爵は、評価に必要な採点に下駄を履かせるような人物では無い事は十分に分かっている。


 となれば、それ相応の難易度の依頼という事になる。

 だが、これは千載一遇のチャンスでもあった。


 昇格にはギルドによる厳しい審査があり、昇格に必要な依頼も目指すランクに見合った難易度を求められる。

 しかしながら、その昇格審査に見合う依頼が常にある訳では無く、実際、昇格に必要な難易度の依頼は順番待ちとなっていた。


 後は、突発的に非常に強力な魔物と遭遇し、それを討伐するという方法もあるが、何日もギルドを離れ彷徨い歩くのはあまりに効率が悪く、そして危険過ぎる。

 その証明に関しても、証人を複数立てる等、かなり面倒な手続きが待っていた。


 それを伯爵が上位権限で認めた上で昇格に必要な実力を証明し、更には手続きも行ってくれるとなれば、これ以上の物は無い。


 そして次のオランテの言葉が、彼らの意思の決定を確かなものとした。


「この評価試験はクロムも行動を共にして貰う。彼の評価も必要だからな」


 オランテはこの時点で、クロムが彼らに宛てた伝言を伝えるつもりは無い。



 ― ランク3層メディウムではなくランク4層スプラー・メディウムまで到達する事を期待している ―



 その伝言は、クロムに対し憧れ以上の感情を持つ彼らを後押しする強力な助力になる反面、自身の身の程を見誤る諸刃の剣になり兼ねないとオランテは判断していた。


「...依頼、いえ評価試験の内容をお聞かせ願えますか」


 3人は顔を合わせずとも、この時点で共通の意思を持ち、それを感じ取ったフィラが口を開く。

 クロムの評価を受けてランク3層メディウムに辿り着く事。

 彼の純粋な評価を受けての昇格は、彼らにとっては最高の条件だった。






 そのフィラの言葉を聞いてオランテは小さく頷くと、テーブルの下から1枚の地図を取り出してテーブルに広げた。

 その地図ですら国家機密に相当する物であり、初めて見る精密な周辺の地図に3人は改めて自分達の居る場所がとてつもない所だと実感する。


 ― これは凄い事になりそうね...こんな国家機密を見せられたら、この時点でもう後に引けないじゃない ―


 そんなフィラの静かな焦りを知ってか知らずか、オランテはテラ・ルーチェ王国とアルバ・エクイティ自由国家連合の国境線付近の森を指差して話し始めた。


「この付近に先日、調査隊を襲撃したウェア・ウルフの本隊と思われる集団を発見したと知らせが入った。本来このような外縁部で遭遇する魔物では無い。確実に何か異変が起こっている。それの調査と討伐が今回の依頼となる」


 ウェア・ウルフの集団と聞いて、3人の顔から血の気が引く。

 何を隠そう、トリアヴェスパはそのウェア・ウルフ1匹に圧倒的戦闘力の差で殺されかけているのだ。


 クロムに助けられ、未だ満足に礼も言えてないフィラの心がチクリと痛む。


 その時のトリアヴェスパの報告を既に受け取っているオランテは、その様子を見て言葉を付け加える。


「最終的な殲滅はクロムが行う。君達は1体でもパーティ単独でウェア・ウルフを倒せばランク3層メディウムの資格は十分にあると言えるだろう」


 事実、ウェア・ウルフは現役のランク3層メディウムパーティでも命の危険が伴う強力な魔物である。

 それをランク2層サブ・メディウムの彼らが1体でも倒せれば、それは十分な程の、有り得ないと言われるくらいの戦果と言えた。


「実際にこの魔物達に何が起こって...っ!?」


 オランテが話の途中でありながら、背筋が震える気配と感覚に襲われ、顔色を変えた。

 レオントも同時に警戒心を露わにし、すぐさま不測の事態に対応出来る構えを見せる。


 トリアヴェスパはその彼らの突然の行動を見て、目標が全く見えないままに遅れて警戒心を表に出した。

 そして何故か瞬間的に何も置いていない真新しい壁に鋭い視線を向けるオランテとレオント。


「壁は...大丈夫だな...となれば...」


「いえ...まだ安心は出来ません...」


 オランテがトリアヴェスパの前である事を忘れて、額の汗を拭い安堵の溜息を吐く。

 レオントは未だ警戒を解く様子はない。


 すると扉の向こうから騒々しい雰囲気が伝わって来た。


「伯爵様は今会議中でして...」


「構わん。通せ」


 訪問者の入室を止める警備兵と騎士を勢いで殺しかねない程に冷え切った声が聞こえ、その気配の正体を即座に判断したオランテ。


「通せ!今すぐにだ!」


「は、はいっ!」


 オランテの鋭い声に驚いた警備兵から悲鳴に近い返事が返って来た。


 そしてそのやり取りの直後、勢い良く扉が開かれその声の主が入室する。

 扉の蝶番が嫌な音を立てて歪んだのが音だけで分かった。


「あ...クロさん...」


 そこに現れたフィラの心を荒ませていた張本人の姿を見て、彼女は心の中で沸き起こる喜びを表情に溢れさせる。

 しかしその喜びの表情も瞬時に怪訝そうな物に切り替わった。


「えぇ...どうしたのその恰好...」


 そこには様々な武器や防具を背中に括りつけて背負い、ハリネズミの様な姿になりながら、ラプタニラからこの砦までの距離を半日掛からず走破したクロムが居た。

 世界が違えば、その姿はかの有名な僧兵である武蔵坊弁慶を彷彿とさせただろう。


 勿論、クロムは疲れた様子など微塵も感じさせない。

 現在、出入り口の門は既に閉じられており、クロムはこの状態のまま最重要区画に壁を飛び越えて直接侵入しており、外ではちょっとした騒ぎになっていた。


 ただその騒ぎの元凶があの黒騎士クロムであると解ると、近衛騎士団が全力でその隠蔽と騒動の鎮静化に対応している。


「ふむ。トリアヴェスパが居るのか。ちょうど良い。これをお前達に渡そうと思っていた所だ。好きなのを持っていけばいい」


 そういってクロムは背負っていた大小様々な武具を降ろすと、それらを無造作に床に転がした。

 中には剥き身の武器も幾つか含まれており、それらが秘めた凄まじい切れ味によって刃が触れただけで敷き直したばかりの絨毯がいとも簡単に斬り裂かれ、下の床に傷を残す。


 どれも見た事の無い様な形状であり、素材も全く判別が付かない物で出来ていた。

 その光景を見たオランテが思わず項垂れる。


「...今、お前を含めた依頼の話をしていたのだが...まぁ...良い...クロムも話に加わってくれ...その方が話も早かろう...」


 威厳が削り取られたオランテが項垂れたまま、静かにクロムに言った。


「ははは...伯爵様もやはりクロさんの犠牲者でしたか...」


 敬語があやふやになり始めているフィラが小さく呟く。

 そしてここからクロムとトリアヴェスパに用意された依頼の話が、一気に疲れを見せたオランテの口から伝えられていった。

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