第158話 雀蜂はあの大空を目指す
砦から隣国アルバ・エクイティの国境方面に向かう森の中、木々に留まっていた鳥達が一斉に甲高い泣き声を上げながら空へと飛び立つ。
その木々の周辺では、無数の魔物の唸り声や叫び声が響き、時折金属が互いにぶつかり合うような音も発せられていた。
「ロコ!無理はしないでよ!隙を見て援護するわ!」
「おうよ!この馬鹿力がよぉ!おらぁ力比べだ!」
「フィラ!ロコ!気合い入るのはわかるけど無理しないで!動きが雑になってる!」
音の発生源では、冒険者パーティのトリアヴェスパの3人が、以前殺される寸前まで彼らを追い込んだウェア・ウルフと戦っていた。
この地域では遭遇する前例が無かったウェア・ウルフの集団を発見したとの事で、彼らが伯爵よりその討伐依頼を受けていた。
3人がここで遭遇した狼獣人は2体。
解体したばかりの木の蔓で束ねられた骨付き肉を大量に運んでいた事から、斥候兼食料調達係として、群れから離れて森で狩りをしていたとトリアヴェスパは判断した。
少数に分かれた状態でその数を減らす事が出来れば、今後の本隊との戦闘も比較的危険度が下がる。
それを咄嗟に判断したフィラが、逃がすまいとその場で戦闘を仕掛けたのだった。
この2体の狼獣人はかなり薄汚れており、毛並みも悪く、あちこちに血の塊がこびり付いている。
軽く負傷している為、その動きもどこか無理をしているように見えた。
ただその状態であっても、騎士や兵士数人と渡り合う戦闘力を誇り、3対1でありながらも未だ勝利には至っていない。
人間よりも遙かに強靭な肉体から繰り出される攻撃は、どれをとってもトリアヴェスパへの致命に至る攻撃へをなり得た。
ロコの大斧を魔力強化した掌で受け止め、更に押し返そうとするウェア・ウルフ。
涎を垂らしたその大顎の一撃を喰らえば、ロコは鎧ごと噛み千切られてしまうだろう。
互いに掛かった身体強化の魔力が火花を散らし始め、ロコが次第に純粋なパワー勝負で圧され始める。
「うぐぐ...くそがぁぁぁ!」
ロコは今一度、両足で大地を踏みしめると渾身の力で体勢を維持しようと更に身体強化を施した。
「背中がガラ空!その体勢じゃ蹴りは無理でしょ!」
フィラが敵に向ける殺気の向きをランダムに変え、気配を散らしながら狼獣人の背後に回る込む。
そしてロコが身体強化を増加させて、力勝負を再び仕掛けたタイミングで両手の短剣を構えながら体勢低く襲い掛かった。
本来なら後ろ蹴りが来てもおかしくない状況だが、ロコの思わぬ盛り返しに両脚を大地から離す事が出来ないウェア・ウルフ。
フィラに対し後ろ蹴りを放って大斧を喰らうか、このまま無防備な背中に小さな刃の攻撃を喰らうかの2択を迫られる。
悩む必要も無く後者を選ぶウェア・ウルフだったが、これが致命に至る判断ミスとなった。
一般的に獣人と呼ばれる者達は、全身を分厚い毛皮と皮で覆われており、特に背中は内に詰まった背筋も相まって最も防御力が高い。
通常の短剣レベルであれば肉も裂けず、最悪でも皮膚が斬り裂かれる程度で被害は収まる筈だった。
しかしその予想とは裏腹に、低姿勢から一気にフィラが身体を起こし、円舞の様な旋回で放った左右交互の斬撃は、敵の毛皮はおろか内部の分厚い脂肪や背筋を深々と斬り裂いた。
血飛沫を上げながら、背中で弾ける灼熱感を伴う激痛に絶叫を上げるウェア・ウルフ。
力の根源でもある背筋が切断された事により、力勝負での体勢を維持出来なくなった。
「いいぞフィラ!おらぁぁ!」
ロコはその力関係の崩壊を見逃さず、瞬間的に魔力強化を爆増させ大斧を力任せに押し返す。
そしてウェア・ウルフの右肩を捉えた大斧が、そのまま左脇腹まで斜めにその刃を一気に走らせた。
「ロコ!体勢はそのままで動かないで!」
胴体の深い傷から鮮血を噴き出し、口を大きく開けながら上を向いて叫び声を上げるウェアウルフだったが、更にその露わになった顎下、喉の部分にペーパルがロコの背後から低い体勢で針の穴を通す様な精密さで矢を放つ。
魔力親和性を高める改変が施された矢は、魔弓術師ペーパルの魔法によって貫通力を強化されており、ウェアウルフの顎下から斜め上に向けて突き刺さり、脳幹を破壊しながら頭蓋の反対側まで重い音を響かせながら貫通し、矢尻が頭部に埋もれた。
グルリと一度だけ喉を鳴らし、血を吐きながらウェア・ウルフがそのまま後ろから大の字で倒れ、絶命する。
地面に広がる血の染みを見つめながら、肩で息をするロコが大斧を担いで油断無く近付いて行った。
そして首元に狙いを定めると、大斧を一気に振り下ろし地面にひび割れを作りながら首を斬り落とす。
鮮血を撒き散らしながら宙を舞うウェアウルフの首。
それが地面に落ちて転がった時点で、漸くトリアヴェスパは自分達の勝利を確信したのだった。
「はぁっはぁっ...!まだ力勝負じゃ分が悪いな...だが全く歯が立たない訳ではなかった...まずは上出来だ...ごほごほっ!」
「はぁぁ...やばい吐きそうだよ...危なっかしいから、見てるこっちはヒヤヒヤしました...」
「ダメしんどい...でもまた私達勝ったよね...しっかし良く斬れるわこの短剣...斬れ過ぎてちょっとびっくりしたもん」
トリアヴェスパの3人はその場で倒れる程の疲労感を覚え、同時に命のやり取りをした緊張感の余韻が身体を震わせていた。
フィラは手に持っている短剣の刃毀れを確認するが全く問題は無く、その切れ味に驚かされていた。
柄は武骨ではあるが耐久性が重視され、そして刃渡り30センチ程の刀身は漆黒に輝いている。
そして両側からその漆黒の素材に挟み込まれるように鍛造された刃の部分は、青白い光を反射していた。
ペーパルの弓もまた大きさはさほど変わらないものの、以前の物と比べてハンドルやグリップ等の基幹部分が太く頑強で、リムが漆黒の素材で造られており、全体に魔力回路が刻まれた魔法弓である。
弦も魔法繊維がふんだんに編み込まれた特注品に近く、前の弓比べて性能は比べ物にならない。
ロコの大斧は以前と変わらずであるがこれはロコの拘りでもある為、武器の変更は行われていない。
その代わりに黒い装甲が組み込まれた頑強なガントレットを装備しており、並みの剣撃等は盾でなくても受け止める事が可能な程に防御力が高い。
これらの武器はゴライアがサソリの装甲の特性を掴む為に、様々な武器を試作した時の余剰品である。
試作品とは言え、腕が確かなゴライアの手によって生み出されたこれらの武具は、刀身や内部の芯の部分にサソリの甲殻が使われており、通常の店に並ぶ物とは一線を画した性能となっていた。
しかもその素材を使った武具は、当然の事ながらこの世界で未だ出回っていない1点物である。
金の為に冒険者をやってる者であれば、この武具1つ売るだけで生涯苦も無く平穏な生活が約束されるだろう。
ただしその場合は、とある者による制裁でその場で命が無くなる可能性が非常に高い。
これらを玩具感覚でトリアヴェスパに渡したのは、現在もう一方のウェア・ウルフの首を片手1本で掴み、文字通り片手間のように締め上げている黒い騎士だった。
「私達が死闘を繰り広げている横で、あの人は腕一本でお楽しみ中って事ね...2体同時だと私達は確実に死んでいたし...」
「ははは...まぁそうだよね...片手...かぁ…」
「まじであの人、何者なんだよ...」
クロムの左手に首を締め上げられ、苦しさの余り両手を滅茶苦茶に振り回し、あらん限りの抵抗を見せるウェアウルフだったが、それでも彼の体勢を微塵も変える事すら叶わない。
暴れれば更に締め上げられ、鋭い爪が外骨格装甲を掠めれば、爪の方が削れ砕ける。
そんな中、クロムの片手で完全に制圧された狼獣人は口から泡を吐きながら痙攣を始めた。
「言葉は理解出来るのか?」
「本隊は何処だ?」
「お前達は何処から来た?」
クロムが幾つか質問するも、ウェア・ウルフは低く苦悶に塗れた獣の声で唸るのみで会話は成立しない。
この時点でクロムの興味自体が完全に消え失せる。
空いている右腕に脚部から飛び出したカーバイド・ブレードが装着され、火花と共にスライドし研磨された。
そしてウェア・ウルフが意識を失う直前に、その手が離され不意に狼獣人が解放される。
意識を失う寸前に狼獣人は解放されるも、脳に酸素が行き渡らなかった事で思考回路が完全に麻痺し、膝から地面に崩れ落ち動く事が出来ない。
混濁する意識の中でウェア・ウルフが見た光景は、眼前の黒い影の水平に伸ばした腕から繰り出される黒い剣閃。
そして最初の一閃で命が刈り取られた後、眼の光が消えた標的に更に襲い掛かる無数の斬撃が軽い風切り音と共に骸となった身体をすり抜ける。
そして最後に真横に振り抜かれたカーバイド・ブレードが金属を擦れ合わせる音と火花を発して往復し、銃をホルスターに収める様に取り外されたブレードが鞘に収納されると、クロムは呆れに似た視線を送っているトリアヴェスパに向き直った。
膝立ち状態で、身動き一つしないウェア・ウルフの姿がクロム越しに見える。
だがその直後、哀れな狼獣人は血を切断面から遅れて溢れさせながら、ボロボロと崩れる様に10を超える肉片と成り果てて、地面に散らばり落ちた。
「そちらも終わったようだな。近くに本隊が居る可能性が高い。少し休憩したら向かう。俺が見張りをやっておく。今は休め。素材は好きにして良い」
既に屠ったウェア・ウルフへの興味を感じさせず、もしかしたらもう記憶に無いのではとトリアヴェスパに思わせるクロムの台詞。
「素材...?クロさん?...あんなに細切れにされたら素材も何もあったもんじゃないんだ...けど?」
細切れにされる光景をハッキリと見せられたフィラが、顔を引き攣らせて答える。
「なるほど。確かにそうだな。次は軽く首を飛ばして〆る程度にしておくか」
このクロムを言葉を聞いて全身から力が抜けた3人は、地面にゆっくりと崩れ落ち、奇しくも休憩が取れる体勢へと移行した。
「お前達に渡した武器の具合はどうだ?使えるならそのままお前達が所有者で構わんぞ」
クロムの言葉にそれぞれが今持っている武具に視線を移し、改めて冷静な心境で判断する。
― これとてもじゃないが私(俺)達が持っていて良い武具ではないかも? ―
三人に共通してこの言葉が去来する。
「クロさん。この武器ってゴライアさんが作った武器って言ってたけど...その...素材は何で出来てるの?先に言っとくけど恐ろしい程に切れるんだけど...」
「威力とか以前にこの魔法弓自体がとんでもなく高価なんだよ?
「クロムさんよ。これ行ってしまうと少しばかり自分が惨めな気持ちにもなるんだが...とてもじゃないが只の
その3人の言葉を聞いてクロムが不思議そうな口調で応えた。
「良く解らんが扱えるならそのまま使えばいいだけだ。能力が足りず使えないなら身の丈と自身の弱さの問題だろう。身の程を弁えて武器を戻せばいいだけだ。だが今後その性能を引き出せると感じ、今の段階で使えるのであれば分相応と言っても差し支えない」
クロムは言葉を続ける。
「結局の所、性能の良い武器を持てる資格と基準が金の問題なら、そんな判断は当てにならん。小石を投げるより岩を投げた方が敵に勝てる確率が高いのは当たり前だろう。要はその岩を持ち上げられるかだ」
この言葉を聞いて3人は再び与えられた武具に目を向けた。
クロムと同じ漆黒の輝きを放つ、見た事も無い武器や防具。
それは未知の性能を持つ、唯一無二と言っても差支えの無い物だった。
冒険者は身に着けている武器が彼らの軌跡を表わす。
どれだけ生き残って、どれだけ金を稼いだのかを知る一番簡単な判別方法だった。
だからトリアヴェスパも現在に至るまで、自他共にそのような価値観で世の中を見ている。
それが間違いだと言う事では無い。
彼らは冒険者だ。
金の問題で装備が整えられず、才能溢れる冒険者が若くして命を落とすのも、彼らにとっては日常茶飯事だった。
「...クロさん、これ有難く使わせて貰うわ。全然使いこなせていないけどね。魔力を込めても込めても底が見えないのよ。でもいつか使いこなして見せるから...」
― それにクロさんとお揃いの...色だし... ―
続く言葉はフィラの心の中でのみ響く。
「僕も使わせて貰います。魔弓術師の腕の見せ所ですね。まだまだ僕は強くなりたいので。仲間の為にも」
― クロムさんと出会って、もしかしたらとんでもない方向に運命の舵を切ったのかも知れないね ―
「あー...クロムさんよ。帰ったら持って来てくれた武器を一度扱わせてくれ。俺が扱えるかどうか見極めたい」
― もう武器の拘りなんざ考えてられんな。要は使いこなせるかだ。この幸運を最大限に使って上を目指してやる ―
それとは他に3人はある1つの気持ちをクロムに対して持った。
― 黒騎士クロムが期待を寄せてくれるのであれば...まだまだ上へいける! ―
この瞬間、トリアヴェスパにとって
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