第152話 希望を追った異形の末路

 ネプロシルヴァでの騎士団の討伐劇から逃亡した異形の女は、商人の馬車の荷台の裏に張り付き、門を潜り抜けて脱出を果たした。

 そしてボトリと黒い液状のまま街道上で落下すると、そのまま森の中へと向かっていく。


 道中、空腹が収まらず、偶然見つけたゴブリンの集団を触手で絡め取り、丸ごと平らげ飢餓感を紛らわす。

 そして微かな魔力の匂いを頼りに、夜の森の中を這い回っていた。


 すると進行方向に懐かしさを感じる強力な魔力を嗅ぎ取り、それが目的の人物であると確信した。


「みぃつけたぁ!うんうん。これこれ。絶対ぜぇったいお兄ぃさんの臭いだこれ!」


 既に表情筋と言う物を捨て去った異形の女の顔が、笑顔とは程遠い形に歪む。


 何故か常に綺麗に保たれているボブカットの金髪、ふっくらとした幼さを残した顔に、小動物の様な愛嬌を感じさせる垂れ眼の下には色濃い隈。

 そして口を開けると八重歯の様に尖った歯が並んでいた。


 しかし今は不定形で蠢く黒と緑が混ざるゲル状の下半身に、顔の雰囲気とは一致しない、大人のふくよかな女性のシルエットだけが残る上半身が乗っている。


 彼女は下半身から無数の触手を周囲の木々に伸ばし張り付かせると、喜びの感情と共に森を跳ねていった。

 先程食事を終えたばかりだが、既に空腹感が彼女に襲い掛かって来ている。


「お腹が減るぅ...もう限界なのかなぁ...」


 その身を襲う飢餓感の間隔も急速に縮まり始め、最近は思うように身体を動かし、変化させる事が難しくなってきていた。

 異形の女も自身の身体が限界を迎え、死が近付いている事に何となくではあるが気が付いている。


 ただ彼女は探し人の命や魔力を欲している訳では無く、今はただ“もう一度会いたい”という想いのみで、異形の身体を動かし続けていた。

 強烈な魔力の匂いを頼りに森を突き進む異形の女は、やがて前方に巨大な建設中の砦を発見し、内部に無数の魔力を感じ取る。


「あちゃぁ...これもしかして入れないかもぉ?」


 周囲は無数の篝火によって煌々と照らし出され、城壁を這い上るだけで容易に発見されるだろう。

 しかも無数に感じ取れる魔力はどれも反応が強く、今の身体の状況では太刀打ち出来ない事も分かっていた。


「お兄ぃさん、絶対ここにいるよねぇ。もしかして気付いてくれるって事ないかなぁ...でも嫌われてるんだよなぁアタシぃ...ぐすん」


 不安定な感情を上下させながら周辺を這い回り、しばらくして馬車が出入りしている入口らしき場所を発見し、砦に入る馬車に張り付く事を画策する。

 ただ何やら騒ぎが起こっているようで、馬車の出入りがタイミング悪く止まっていた。


 それでも目的地がすぐ目の前にあるという事で、女は次第に膨れ上がる飢餓感を何とか抑え込みながら、森の中で静かに機会を伺っていた。


「ううぅ...身体が上手く動かなくなってきてる...」


 垂れ眼を更に悲し気に下げ、腹を抑え前屈みで丸くなる異形。


「お腹が空いたよぉぉ...え?なに...!?ひゃぁ!」


 その瞬間、女は自身に向けられた強い殺気を感じ取り、本能的に身体を精一杯うねらせた。

 だが不定形系の下半身の一部が音も無く斬り分けられ、その時点で何者かの攻撃を受けた事を認識する。


「あーん!足がぁ!誰ぇ!?でもまだ再生すれば...あれれれ!?」


 普通であれば斬撃によって身体を完全に分断されたとしても、そのまま即座に再生、再融合が出来る筈だった。

 だが、何故かそれが出来ない。


 斬撃を喰らった切断面が白く凍り付き、切れ端の方は既に大半が霜に覆われ凍結していた。

 それでも何とか取り込もうと女は蠢くが、そこに更に白い斬撃が襲い掛かり、それを必死に避ける。


 以前の女であれば避けれる筈の斬撃でさえ避けきれず、更に身体が削がれ、上半身の一部が斬り飛ばされた。

 それほどまでに異形の女は弱っていたのだ。


 そして同じように凍り付き再生を封じられ、更に身体の動きを制限された異形が苦し気に蠢く。

 そんな状況の中、女の眼前に白銀の鎧を身に纏った1人の騎士が森の奥から姿を現わす。


「あれぇ...見た事あるなぁ。もしかして王女様にべったりの騎士ぃ?わひゃぁ!」


 無言の騎士の両手に握られたシミターから更に2本の斬撃が飛び、異形が必死に回避行動を取るも、今度は左腕の肘から下、そして腹部を半分程を斬り裂かれる。

 切断面がまたも凍り付き始め、黒い腹部の傷から成長した純白の霜が広がっていく。


 凍結によって以前の様に切り口から触手を出す事も叶わない。


「うぐぅぅぅ...治らない...冷たいぃぃ...また氷なのぉ...?」


 前回クロムと戦った際、魔法の横やりで氷漬けにされた事を思い出し、憎々し気な口調を漏らす。

 そしてこの時点で勝ち目が殆ど無い事を悟った女は、残った力を総動員して無数の黒い触手を全身から周囲の木々に向かって高速で伸ばす。


 全力で逃げる事だけ考えればまだ間に合うと、異形の女が顔を歪ませながら森の奥に逃げ込もうとした。

 しかしその触手もまた凄まじい速さの斬撃によって、木に届く前に全て切り落とされ、バランスを崩した女が派手に転ぶ。


「なんでそんなに怒ってるのよぉ...?アタシまだ何にもしてないのにぃ...」


 白銀の騎士がゆっくりを歩きながらシミターを頭上で交差させ、ギャリンと火花を飛ばす。


「穢れはただ消え去るのみ」


 圧倒的な殺気を向けられながら、女はこの時点で逃げても逃げなくても、迫り来る死はもう避けられない事を完全に悟った。


「あーぁ...結局こうなっちゃうんだなぁ...いんがおーほーっていうのかな...ここであっさり処分されてお終い...ちゃんちゃんってね...」


 歪な笑顔で歩み寄って来る騎士を見つめ、形容し難い表情を作る異形の女。

 既に死を受け入れた身体は震える様に蠢くのみで、回避行動も取らない。


 騎士の両手のシミターが知覚出来ない程の速度で無数に振るわれ、女の視界が幾重にも重なった白い帯で埋め尽くされる。


「お兄ぃさぁん...会いたかったよぉ...」


 そして次の瞬間、異形の女の身体は顔も含めて全身を細切れにされ、数えきれないほどの白い破片が森の地面に撒き散らされた。






 オランテは天幕の中、何とか形を保ち生き残ったソファーに腰掛ながら頭を抱え、項垂れていた。

 周囲の物が破壊され、吹き飛ばされている事など今の彼にとっては些事に過ぎない。


 8体あった神官達の骸は、既に配下の諜報員によって秘密裏に処理されており、ロサ・アルバの殺害方法も手伝って、その痕跡も殆ど残されていない。

 後ほど魔法などによって完全に痕跡を消す作業を行う予定だ。


 今はただ自身の立場が一体何処にあるのか、そしてこれ以降の行動をどうするべきか全く見えない状況にオランテは強い焦りを覚えていた。


「閣下、戻りました...大丈夫ですか?」


 レオントが律儀に建付けの悪くなった天幕の扉を、丁寧に開きながら戻って来る。


「周囲の様子はどうだ?」


「王女殿下はロサ・アルバを何らかの目的で動かした後、ここを問題無くご出立されました。騒動の方ですが、騎士に紛れ込ませた樹海ウィリデ・オケアヌスの構成員が事態を上手く収めたようです。騒ぎは最低限に抑える事が出来ております。現在、目を醒ましたウルスマリテ団長が陣頭指揮を執っておりますので一先ずは安心かと」


 オランテが首魁を務める諜報機関“樹海ウィリデ・オケアヌス”の構成員には騎士も在籍しており、戦闘能力も含め非常に高い水準を誇っている。

 ウルスマリテもあの豪快かつ力押しで短慮な性格でありながら、その構成員の一員だった。


 ただ実際の所、“忍べない諜報員”として組織内で名を馳せており、その方面での任務を与えられる事は殆ど無い。


「一部で王女殿下の動きを目撃した者も居ますが、お忍びでの視察と民への労いの為に足を運ばれたという噂を流し、殿下のお心という形で警備兵や作業員含めて酒と食料等を振舞い、偽装の根回しをしております」


「わかった。ご苦労...ウルスマリテがこの最中、寝ていてくれたのは不幸中の幸いだったな...」


「えぇ...全くです...」


 オランテの身体から魂が抜けた様に力が抜け、それにつられる形でレオントも肉体と精神の限界を迎えた。

 主が軽く頷き指を下に向け、レオントに無礼講である事を告げる。


「はぁ...なんて日なのでしょうか...命を何回捨てる覚悟をした事でしょう」


 レオントはそのまま崩れ落ちる様に床に膝を付き、そして座り込む。

 自身の弱さを思い知らされた事によるものか、彼の騎士鎧が悲し気な軋み音を立てていた。


「甘かった...何もかもが想定を超えていた。一番の悪手はクロムを安易な想定で策に組み込んだ事だな...」


「そういえばクロム殿はいずこに?外にも姿は見えませんでしたが」


 オランテは力無く親指を立てて、背後の壁に空いた大穴を指差した。


「理由は分からんが、少し森に入ると言って出て行った...それとどうやら俺はクロムの信用度を下げたようだ...これも誤算の一つだ」


「な、なるほど...何か苦言でも呈されましたか?」


「苦言であればどれほど良かったか...あれは警告だな」





 オランテはクロムがこの天幕を離れる際、何か声を掛けて交渉に関する自身の不手際を詫びようとした。

 だがその瞬間、クロムの姿が黒い影となってオランテに覆い被さり、気が付けばクロムの大きな鉤爪が首筋と両目の前に突き付けられていた。


「伯爵に今一度問う。お前は今の自身の立場、そして踏み込もうとしている場所がどういう所か理解しているのか」


 眼前に突き付けられた鋭利な鉤爪の先端に赤い魔力が集約され始め、一方の爪が頸動脈を皮膚の上から正確に捉えている。


「う...覚悟は...でき...」


「ならば何故俺の行動に異を唱え、邪魔をしようとした。既に状況はお前の考える常識の外へと舞台を移しつつある。それを理解せずこのような醜態を今後も晒すのであれば...」


 クロムの単眼の中に浮かぶ黒い点が、オランテの瞳を真っすぐに覗き込んでいた。


「わ、分かっている...あれは間違いなく俺の惰弱な精神が招いた失態だ...謝罪する...」


「場合によってはお前の殺害による切り離しも想定している事を忘れるな。だが今回はあの王女の想定を逸脱した行動にも原因があった。よってこれで済ませるつもりだ。だが今一度良く考えた方が良い。時間は流れ続けているぞ」


 首に掛かっているクロムの手の力が僅かに加わり、皮膚に小さな赤い血の点を作り出す。

 そしてオランテが何か言葉を吐き出そうとした時、クロムが彼から身を離し背を向けると夜の森へと入っていった。


 オランテは本日何度目になるか記憶に無い冷や汗を全身から流し、よろめきながらソファーに倒れ込むのだった。





 レオントがその経緯を聞き床を見つめ、自身もまたクロムと出会って戦い、そして彼に僅かでも惹かれた時点で、逃げる事が叶わない異常の領域に足を踏み入れていたのだと実感した。

 しかしその領域を歩くには、騎士として1人の人間としてあまりにも弱すぎた。


 オランテもまたレオントの考えている事が良く解っている。

 諜報機関を束ね、伯爵と言う地位に居ながら自身の策に引き込んだはずのクロムに引き込まれ、その沼の中で足掻く事しか出来ていない現実。


 覚悟が足りない。

 それ以前に現在の地位とコネクションでは、クロムと並ぶ事さえ出来ていない。


 かつて自身の直轄領であるネブロシルヴァの民の命を担保として、まだ知り得ぬ情報を得るか迫られた事を思い出すオランテ。

 その時はあまりの代償に断った。


 だが、今のままではいずれクロムの逆鱗に触れ、そして王女の策謀に嵌まり、身動きも対抗も出来なくなった上で全てが終わるという未来が明確に見えていた。


「覚悟を決める...か」


「閣下...私も今大きな岐路に立っております。少し考える時間が必要ですね」


 オランテの悲壮感と使命感が入り混じった呟きを聞き、レオントも彼なりの信念に基づいた未来の選択を考え始めていた。


「レオント、調査隊にクロムと面識のある3人組の冒険者パーティが居ると聞いている。ウルスマリテからも腕が良いという評価も得ている様だ。今しばらくこの砦に滞在させておけ。必要であれば待遇も私の招客扱いで構わん」


「あの冒険者パーティですね。私も多少なりとも縁がありますので話は通しやすいかと。見た所クロム殿と一定の信頼関係を築いているようです」


「ならば尚の事だ。今後のクロムの行動次第ではあるが、場合によっては一時的に私の直轄で雇い入れる事も視野に入れておけ。ギルドへの根回しはこちらでやる」


「了解しました。ではそのように」


 オランテとレオント、そして先日クロムの命を救われたフィラを始めとするトリアヴェスパ。

 知らぬ間に大きく浸食して来た異常の領域が、様々な人間を巻き込み、飲み込まんと奈落へ続く口を開いていた。






 クロムは魔力レーダーと魔力知覚を頼りに、アルキオナによる立体機動で夜の森を駆けている。

 ラナンキュラスが天幕を去った後、彼はこの近辺の魔物とは異なる強い反応を検知した。


 そして魔力レーダーの有効範囲内を出るまで監視、追跡していたロサ・アルバの反応がそれに向かって移動をし始めた事で、ラナンキュラスに関係する存在であると予測する。

 諜報員であれば何らかの策謀や情報のやり取りがあると想定出来、王女側の企みも探る事が出来る。


 クロム自身、ラナンキュラスの思惑が護衛依頼だけとは思っていない。

 彼の中で、彼女は今まで出会った人間の中で初めて“傑物”もしくは”“怪物”と認定した人物だった。


 ― あれは王家という枠組みだけで認識していると危険だ。確実に何かの分野で逸脱している ―


「ロサ・アルバの魔力反応が増大しているな。戦闘中...か。やはり相手は只の魔物では無いという事か」



[ コア出力40+20 ステルス・システム起動 魔力放出口閉鎖 魔素リジェネレータ―及びクリスタライザー 魔力エネルギー完全循環モードに移行 ]



 存在を悟られない為に徐々に魔力を絞り、魔力の気配を完全に絶つクロム。

 ただロサ・アルバの実力を疑っていないクロムは、魔力以外の気配で勘付かれる事も考慮し、かなりの距離を開けて巨木の上で状況を見守る事にする。


 ロサ・アルバの実力であれば戦闘自体が長引く事もないとクロムは予想し、魔力レーダーの反応を注視していた。

 そして予想通り、急激に増加した魔力反応もほぼ瞬間的なものであり、暫くしてその反応が急速に森の外部に向かって移動を始めた。


「戦闘というには早すぎるな」


 クロムは様々な予測を立てながら、周辺の伏兵も警戒しつつその戦闘場所へ移動する。

 そして未だ残るロサ・アルバの放ったであろう攻撃の跡と魔力残滓を発見し、周辺警戒を終えると静かに足を進めた。


 凍り付いた破片の様な物が散らばり、それも一部は完全に溶けて黒い異臭を放つ染みを地面に作っている。

 臭いとその黒い液体を見て、クロムはその正体に朧気ながら気が付いた。


「やはり王女と何らかの関係がある奴だったか。それならば口封じと言った方が正しいかもな」


 クロムが細切れにされた、かつて自身も交戦したであろう敵の状態を確認していると、細く弱々しい声が地面から漂ってくる。


「...あぁぁ...やっぱりおにぃさんだぁ...あは...お祈りもぉ...してみるもんだぁ...」


 クロムが警戒しつつも声の発信源に目を向けると、そこには顔面を半分以上欠損した女の生首が、半ば溶けたような状態で地面に張り付いていた。


「何かと思えばお前か。随分と変わり果てた姿だな。いや惨めな姿と言うべきか」


「そうだよぉ...あたしだよぉ...あいたかったぁ...うれしいよぉぉ...」


 悲し気にギザ歯を見せながら嗤ういつかの異形メイドが、クロムを見上げていた。

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