第153話 世界に楔を撃ち込むために

 夜の森の中、ステルス・システムで魔力放射を抑えているクロムと、最早残り香とも言えない程に弱々しい魔力を零す異形のメイド。

 以前の荒れ狂う高濃度の魔素空間だった戦場とは正反対の、穏やかで静かな時間が流れていた。


 先程のロサ・アルバの戦闘と魔力の影響もあってか、周辺の魔物らしき反応や小動物、鳥に至るまで既に周囲から逃げ去っており、風が木々のを揺らす音だけが2人の間を流れている。


「お兄ぃさんに会いたくてぇ...来たけどぉ...こんなになっちゃった...えへ」


「俺は会おうとは思っていなかったがな。ここでお前を見つけたのも別件の延長線上だ」


「それでもいいんだよぉ...ちゃんと会えたのが...嬉しいのぉ...アタシのわがままだよぉぁ...」


 口を開く度に黒い液体が口から零れ落ち、言葉を詰まらせるメイド。





「お前は結局何者だったのだ」


 クロムがメイドの首を見下ろしながら問い掛ける。

 メイドは彼の作った陰に覆われながら、黄色い瞳を暗く輝かせ、ゆっくりと話し出した。


「何ものっていわれてもぉ...もうわかんないよぉ。んー...多分、アタシはぁ...最初どこでも寝てたかなぁ...食べられるものはぁなんでも食べてた...」


 死が近付いている為か、それとも記憶を整理出来ていないのか、メイドは言葉と言葉の繋がりを無視しながら喋り始める。


「でもねぇ...お部屋を貰えたのぉ...寒くないし濡れないおへや...毎日たくさんのくさい男のひとが来てね...アタシをたたいたりぃ、折りまげたりぃ、噛んだりぃ、掴まれてガクガクされたり...とても痛かったなぁ...」


「でもねぇ...その後にスープとぉパンが貰えるのぉ...すごく痛いけどねすごく美味しいの...たくさん痛かったときはお肉も入っているんだよぉ...すごく幸せだったよぉ」


 何処にでもいる路地裏の少女の物語。

 ただ生きる為だけに全てを受け入れ、暗闇と苦痛の中で拾い上げた小さな喜びを嚙み締めた少女の軌跡。


「するとねぇ...痛いのがだんだん好きになって来たぁ...だって痛いと美味しいからぁ...」


 本体とも言える首に向かって、周囲に散った溶けた黒い液体が戻ろうとするも、途中で力尽きた様に地面に吸われていく。


「でもねぇ...誰もアタシのなまえ読んでくれなかったぁ...なんでって聞いたらぁお前はただのモノだってぇ...」


「するとねぇ...今度はいきなり大きなお屋敷につれていかれてねぇ...お前は使えるっていってもらえたんだよぉ...すごいでしょぉ...うふふぅ...」


 この世界の奴隷制度は、最低限度の生活保障を受けられる貧民の最後の砦。

 魔物による損耗と人口減少を抑える為の社会保障だった。


 だが、それすらも適用されなかった名も無き少女は買われ、使われ、売られのサイクルを命が擦り切れるまで繰り返す。


「でもねぇアタシの部屋は暗い地下だったんだぁ...ざんねんむねん...でもねごはんはとっても美味しいのぉ...偉い人が持って来た元気になる黒ぉい苦ぁいお薬を飲んでぇ...」


「そのお薬を飲むとねぇ...ごはんがすごぉぉぉぉく美味しくなるのぉ...初めてのときはからだがビクビクぅってなってぇ...頭はまっしろになるくらいなんだよぉ」





 ここでクロムは話の風向きが変わった事を即座に理解し、オルヒューメに通信を入れた。


 ― オルヒューメ ヒューメの記憶媒体情報の中で、生物の内部構造を変え得るほどの薬品やそれに準じた現象を引き起こす技術の検索を行え ―



 ― 了解しました 情報検索中 該当情報無し ただし個体名“ヒューメ”の使用する血魔法にて血液の性質そのものを変化させる理論を発見 別領域に格納し理論解析と原理拡張による可能性を模索します ―



 明らかにメイドの存在を変化させた薬品が使われた形跡。

 生体構造を根底から変化させる技術の存在を示唆していた。





「でねぇ...毎日ごはんいっぱい食べてたらぁ...なぁんか身体が柔らかくなってねぇ...腕が伸びたりできるようになったんだよぉ...へへぇすごいでしょぉ」


 表情が僅かに歪むも、それも力を感じさせず口調のみが少し変化していた。


「そしたらねぇ...なんか綺麗な髪のお友達をつれてきてくれてぇ...でもずっと泣いてるのぉ...かえりたいかえりたいって...なんでだろうこんなに美味しいごはんたべられるのにぃ...」


「エライ人がいったんだぁ...準備ができたってぇ...でねぇアタシに言ったのぉ...お友達にってぇ...おかしいよねぇはいれないよぉ...でもでもでもぉ...なんとぉ...はいれたんだよぉ...すごーい」


「お口からはいろうとがんばったけどねぇ...ぜんぶは無理だったぁ...でもがんばれって言われたからぁ...アタシがんばったぁ...お友達のはまだまだたくさんあったからぁ...せんぶから入ったよぉ...せまかったけどがんばったぁえへん」


 メイドの瞳が虚ろになり、視線も正確にクロムの姿を捉えていない。

 意識の混濁が始まり、口調も幼児退行を起こしたような言葉選びと組み立てになり始めていた。





 ― このままでは全て話す前に力尽きる ―



[ 融魔細胞溶解液の作製開始 容量0.2ml 戦闘強化薬混合開始 使用量0.04ml ]



 ― せめて最後まで情報を搾り取る ―


 クロムの体内でヒューメに投与した溶解液の作製を開始するクロム。



[ 右腕先端部 溶解液経路作成 融魔細胞変性開始 ]



「おともだちはいたい痛いいたいやめてやめてって泣いてたよぉ...でもねぇ痛い痛いいやだいやだあとはぁ...とってもしあわせだからだいじょうぶなんだぁ...」



[ 融魔細胞複合溶解液 作成完了 ]



「少し待て」


 クロムはコアからの報告を受け、このタイミングでメイドに声を掛けた。


「ふぇ?なぁにお兄ぃさん...ごめんねぇ...アタシばっかりぃ...」


 クロムの言葉を理解出来ずにこのまま話続けるかと思われたが、意外にも即座に反応を見せたメイド。

 彼の声を聞いたメイドのその瞳に僅かだが光が戻る。


「口を開けろ」


 あまりに変わり過ぎた生体構造から、外部からのエネルギー摂取の経路が口腔内である保証はない。

 それでもクロムは人差し指の鉤爪の先端から赤い色の液体を滲ませながら、メイドに命令する。


「はぁい...あぁーん...うぷぃ!?」


 メイドが唾液と黒い液体が混ざった糸を引きながら、八重歯の並ぶ口を小さく開く。

 すると何の予告も無く、クロムの鉤爪がメイドのその口に差し込まれた。


 目を白黒させながらもメイドはその鉤爪を本能的にかぶり付く。

 先端から出された極少量の融魔細胞複合溶解液がメイドの口腔内にゆっくりと流し込まれた。


「うむぃ...のわぃくぉるぇ...もがもがもが」


「飲め」


 クロムは摂取を促す様に鉤爪を上下に動かし、メイドの首がカクカクと揺らされる。


「...おいちぃ...なぁにこれぇ...なんかぽかぽかするよぉ...ちゅぅぅぅぅ」


「食事は終わりだ」


「んぷぅっ!」


 艶めかしい湿った音を発しながらクロムの鉤爪がメイドの口から引き抜かれ、口と鉤爪を繋ぐ涎の糸が、僅かに差し込む月光を反射していた。


 残された僅かなで巻き起こる急激な変化を意識内で体験するメイド。

 流し込まれた融魔細胞がメイドの首を構成している変異細胞と結合し、魔力を中心としたエネルギーを供給し始めていた。


 加えて極少量で配合された戦闘強化薬の作用により、急速な細胞活性化を再生を引き起こす。

 メイドの口調に少しずつではあるが活力が戻りつつあり、口調と意識も改善していった。


 ― 特にこれ以降の情報は正確性が必要だ ―


「続きを話せ」





「うぇ?えぇぇとぉ...どこまでしゃべったっけぇ?...そうだそうだぁ...そしたらねぇアタシなんとお友達と一緒になったんだよぉ...寝るのも一緒ぉ、食べるのも一緒ぉ、歩くのもぉ、考えるのもぉ...いつでも一緒ぉ!」


 薄れゆく意識の中であっても、メイドに問答無用で襲い掛かって来ていた飢餓感が僅かだが薄れた事による歓びで、感情を爆発させるメイド。

 表情の歪みもその為か振り幅が大きい。


「でもねぇお友達はぁ...そうそうそのお友達はセレビカて呼ばれてたんだよねぇ...でもそれはアタシじゃないのぉ...だって外に居るのはセレビカだからぁ...悲しい」


「だからアタシはいっぱい話しかけたんだよぉ...泣かないでお腹空いたの痛いのってぇ...でもねぇセレビカ答えてくれなくなっちゃったんだぁ...心が壊れたのかなぁ...なんか人を殺すためのお勉強を始めてぇ...すごく冷たくなっていったんだよねぇ」


 ここでクロムはあの時の寄宿舎でクロムに襲い掛かって来たのはセレビカと言うメイドの器の方だったと結論付ける。


「でねぇ...お兄ぃさんにぼっこぼこにされてぇ...お仕事失敗しちゃってねぇとても危なかったのねぇ...だからアタシは食べたら痛いのも大丈夫って何でも食べたよぉ...人もネズミもちょっと臭いけど土の中の腐ったお肉も何でも食べたぁ...そしたらセレビカ死んじゃったぁ」


「そしたらねぇ...セレビカが死んじゃった事をアタシも何だか死んじゃった気がしてきてぇ...もうそこからは...ぐすん...お腹がぁぁ空いてぇぇ止まらないのぉぉぉ...食べても食べても死んじゃうのぉぉ」


 宿主であるセレビカがクロムとの戦いで瀕死の重傷を負い、メイドの暴走で死を迎える。

 そして肉体の細胞が死を迎え、高度に融合したメイドの生体組織の細胞が連鎖反応でアポトーシスによる自死作用が引き起こされ、メイドまでもが死に引き込まれる事態が発生していた。


 だがメイドの意識は生きている事により、本能的な領域まで刷り込まれた食欲で物を喰らってエネルギーを補給しようとする。

 死の予告を逃れた数少ない細胞がエネルギー供給を受け、急激に分裂し生を掴もうとするも、やがて死に追いつかれ死滅していく。


 その損耗を伴う細胞の生と死のループこそが、メイドを襲う終わらない飢餓感の正体だった。





「でもねぇ...あの夜にお兄ぃさんと戦った時はねとっても嬉しかったんだぁ...生きてるって楽しいって思ったんだぁ...だってお兄ぃさんはぁアタシを真っすぐに見てくれたんだもん。アタシを見てアタシとお話をしてぇ...アタシを滅茶苦茶にして良いのはお兄ぃさんだけだって思ったんだよぉ...お邪魔虫がいたけどぉ」


「サヨナラしてからずっと怖かったんだぁ...お兄ぃさんに次会う前に死んじゃうアタシが怖かったんだよぉ...名前も考えたよぉ...でもね駄目だったぁ...お腹が空いて空いてぇ...考えられなかったぁ」


 物として扱われ、欲望の捌け口として買われ、名も無き怪物として仮初の身体を得たメイド。

 それでも世界は彼女を認識する事無く、与えられたのは死という救済のみ。


 世界の何処にも着地する事が出来ず、存在そのものが許されない怪物は、せめて死ぬ前に名前と言う楔をこの無慈悲な世界に撃ち込みたかった。

 そこに確かに存在した証として名前を欲した怪物が今、黒い怪物の前で死に淵に立っている。


「最期に会いたかっただけなんだよぉ...でもねぇお兄ぃさんの所で死ぬなら怖くないんだよぉ...だってお兄ぃさんはアタシを見てくれて知ってくれたからぁ...お兄さんだけはアタシを覚えていてくれるからぁ...ぐす」


 メイドの眼から黒い涙が一筋、頬を伝い地面に吸い込まれていく。

 その涙から悪臭は漂ってこなかった。






「今のお前は何が出来る」


 突然、今までの話の内容を全て切り離すような質問がクロムの口から出た。


「...ぐすん...ぐすぐす...はぇ?何が出来るぅ?」


 わざとらしい擬音語を口にしていたメイドが、話の急変化についていく事が出来ずに驚く。


「答えろ」


「えぇとえと...身体ぐにゃぐにゃでぇドロドロになれてぇ...あとね少しの時間ならワアタシが増えるぅ!えへん!あとはぁ他の身体にお邪魔しますしてぇ色々動かしたりぃ...変な事考えたり考えさせたりぃ?それくらい?んーんー...わかんない...だめだめだぁ」


 クロムは再びオルヒューメとの通信回線を開く。


 ― クロムよりオルヒューメへ 拠点施設にて生体組織及び細胞の作為的抽出と培養は可能か ―



 ― オルヒューメよりクロムへ 細胞単位での抽出は設備不足にて不可能です 生体組織の物理的切除とその培養は可能 ただし現在は魔力結晶からのエネルギー抽出を目的とする生体組織を培養中 ―


 ― また並行して実験用に捕縛した魔物から摘出した主要臓器の生体組織の培養を実施中 タスク追加による進捗の遅れは3割と予想 ―



 ― 現在、こちらで戦略的に有用と結論可能な実験体を発見した。生体サンプルとして捕獲を検討中。この生体サンプルにおける使用用途及び戦略的展望に関しては後程データを送信する。捕獲成功した際は培養及び実験と実証を行うので準備しておけ ―



 ― 了解しました クロム ただし興味本位で何でも拾う事は避けて下さい まだ問題は山積みなのですから ―



 クロムは最後のオルヒューメのを聞く素振りを見せずに、一方的に通信を切断するクロム。

 この時点でクロム帰還時の拘束時間が増えた事をクロムは知らない。






「お兄ぃさん...どしたのぉ...アタシのおしゃべり嫌だったぁ?ごめんねぇごめんねぇ...嫌われている事はわかっているけどぉ...嬉しくて嬉しくて...最期に会いたいってお祈りして叶ったからぁ...」


 首を僅かに振りながら弁明するメイド。

 だがクロムはその様子を静かに見ながら、自身の中で立案した幾つかの方針の有効性を精査している。


 そして1つの結論を選択すると、短く端的に口を開いた。


「レゾムだ」


「え...なぁにそれぇ?」


 突然全く意味の分からない単語を投げ付けられたメイドは眼を丸くする。



[ 融魔細胞溶解液の追加作製を開始 状況判断及び目標の目視体積推測から算出 容量1.5ml 戦闘強化薬混合開始 使用量0.1ml ]



「お前に名前をくれてやる。お前の名前はレゾムだ。覚えておけ」


「はぇぇ...!?なま...なまえ...なぁまぁえぇ...ひゃぁ!名前!」


 言葉を聞き、それを理解するまでにかなりのタイムラグを発生させながらレゾムが喜びの声を上げた。


「レゾム!れぞむ!アタシの名前ぇ!これでおやすみできるぅぅ...お兄ぃさんとちゃんとサヨナラできるぅぅ!嬉しいよぉぉ嬉しいよぉぉぉ...ありがとうねぇぇお兄ぃさぁぁん!」


「静かにしろ。俺はお前を生かして連れて行く事を決めた。お前は俺の目的の為に死ぬまで、そして死んでからも働いて貰う。ただし最後に決めるのはお前だ、レゾム。断っても構わん。その時はその名前を餞別としてくれてやる。そして今度こそ確実に死ね。この場で確実に殺して望みを叶えてやろう」


「はぇ?どゆこと?えぇとえとえと...あの...アタシは名前も貰えてぇ...お兄ぃさんに付いて行って...いいの...本当にぃ...あのあの...もがっ」


 クロムはこのやり取りを一方的に面倒に感じ始め、またも無理矢理に人差し指の鉤爪をレゾムの口に捻じ込んだ。


「これが最後だ。どうするレゾム」


「ちゅぅぅぅ...もが...ちょーらいちょーらい」


「その言葉を隷属完了と認識する」


 クロムの鉤爪から呪いとも言える赤い液体が再びレゾムの口腔内に流し込まれる。

 今度は命を繋ぐ液体では無く、その命を縛り弄ぶ液体に他ならない。


 レゾムはその強烈な依存性を孕む液体を、極上の歓びと共に腹の空かせた赤子の如く飲み込んでいった。




― 生体サンプル01A号 個体識別名“レゾム” 生体実験における万能素体として登録 ―


― オルヒューメ ただちにマガタマBを洗浄済み戦闘強化薬カートリッジと共にこちらに寄こせ。生体サンプルとして素体の一部をそちらに送る。活用しろ。―



― オルヒューメからクロムへ 要請を受諾 ただちにマガタマBを派遣します 先程の私の言った事を理解していますか? ―



― 通信終了 ―


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