第150話 獲物を喰らった怪物の誤算
天幕の中で突如巻き起こった赤と緑の魔力が生み出した嵐。
当事者の2人、そしてロサ・アルバ以外の人間はその魔力の奔流に意識を維持する事すら困難な状態に追いやられていた。
クロムの右掌がラナンキュラスの細い首を掴み、M・インヘーラ・システムが彼女の魔力を吸い上げ始める。
魔素リジェネレータ―によって意図的に飢餓状態に追い込まれた融魔細胞が、ラナンキュラスの新鮮な魔力を貪っていく。
それと同時に魔素リジェネレータが融魔細胞から魔力を徴収し、クロムの右腕では無限の飢餓地獄が展開されていた。
体内モニターでは吸収した魔力を分離し、それを戦術リンクで繋がっているオルヒューメが分析、データを蓄積し始めた。
「あぁぁ...!」
ラナンキュラスは生まれて初めて、魔力を吸われるという感覚と恐怖に声を上げるが、クロムはそれを気にする様子は全く無い。
異性はおろか自分以外の存在に触れられる事の無かった身体、そして魔力。
抵抗すらも許されず、成すがままに自身の身体が蹂躙されていく感覚は、王女としての生を受けた彼女にとって筆舌に尽くし難い恐怖を呼び起こす。
だが、ここでクロムは僅かな違和感を感じ取った。
― 吸収量が加速している?こちらの枯渇量は変化は無い筈だ。これは...王女の魔力保有量が上がっているのか ―
クロムはラナンキュラスの体内魔力量等の情報を右手と魔力知覚によって読み取っている。
本来であればクロム側の枯渇量を一定値で維持し続ければ、吸収量は下がる筈だった。
しかし下がる気配を見せないばかりか、魔力吸収量が上昇傾向を見せ始めている。
[ 融魔細胞の魔力枯渇量を調整 魔素リジェネレータ― 稼働率上昇 ]
魔素リジェネレータの変換量を上昇させ、再調整を図るクロム。
だが、その調整に合わせる様にラナンキュラスの魔力量も追従してきた。
これはラナンキュラスの体質が、このクロムの魔力吸収を加速させる原因となっている。
特殊体質 “
血の濃度が濃い王家の血筋によって顕現した、人が持つ能力の枠から逸脱した特殊体質。
ラナンキュラスは生まれ持ったこの体質によって、常人の十数倍の効率で魔素や魔力を吸収してしまう。
その力は大地に立っているだけで、周辺の大気も含めて魔素や魔力を吸い上げてしまう事が可能な程に強力かつ危険な体質であった。
しかし彼女はこの体質による効果を自分の意思によって制御が全く出来ない為、彼女は常に魔素魔力を吸収し続け、そして魔力生成と合わせて飽和した魔力の余剰分を瞳や髪等から放出し続ける。
そのまま生活していれば、その膨大な吸収と放出で彼女の周辺の動植物や金属に多大な影響を引き起こす。
そしてそのバランスが何かしらの原因で崩れてしまうと、ラナンキュラスは瞬く間に魔力飽和か魔力枯渇に追い込まれる。
そのバランスを現在進行形でクロムが意図せずに崩そうとしていた。
彼女の身に着けている装飾品の殆どは、その異常とも言える体質を調整し、致死量の飽和と枯渇を防ぐ為に体内の魔力バランスを保つ強力な魔道具である。
それでも日常生活において、魔道具の性能で処理が追いつかず、余剰魔力が親和性の高い瞳と髪から溢れ出ていた。
特に髪は魔力親和性が非常に高く、彼女にとって非常に敏感かつ繊細な部位であり、彼女自身その部位に触れられる事を非常に嫌っている。
神聖な存在である王女に触れる事叶わず。
ラナンキュラスの身体が、1非常に繊細なバランスの上で成り立っている1つの魔道具の様な存在であり、何がそれを崩壊させるか分からない。
王家の人間である以上、絶対に間違いが合ってはいけないという裏の事情が存在していた。
自分を産んだ母に触れられた記憶も無く、彼女の周囲には常に一定の距離が置かれ、そして王女として、大司教として跪かれ頭を下げられる日々。
このラナンキュラスを取り巻く環境が彼女を変えてしまった。
自分以外を有象無象として認識せず、完全な孤独に耐える様に変化した精神が今のラナンキュラスを支えている。
そしてそんな彼女に初めて触れたのが、黒騎士クロムだった。
「あぁ...あぁ...こんな私に触れて下さるのですねクロム様...何と冷たい何と無慈悲で恐ろしい手なのでしょう...」
先程まで苦痛と恐怖で表情を歪めていたラナンキュラスが、いつの間にか緑の瞳を潤ませながら微笑んでいた。
― 魔力のバランスが崩れ始めている。俺の放出している魔力をラナンキュラスも同時に吸収しているのか ―
クロムの深紅の魔力は圧倒的な強度により、彼女の緑の魔力を掻き消していた。
だがクロムが探知した彼女の体内魔力量とクロムの放出している魔力量の増減のバランスが崩れ始めている。
「なんと荒々しい魔力...これこそ真の暴虐...この惨めな私の身を引き裂いてくれる救いの嵐...」
「!?」
突然ラナンキュラスの体内魔力量が跳ね上がり、それに合わせてクロムの放出している魔力が急激に流動し始めた。
[ 魔力流入量が急激に増大 魔素リジェネレータ 最大稼働 融魔細胞の急速な飽和を確認 他部位からの緊急転用を開始 ]
[ 魔力放出回路を緊急接続 放出量増加 ]
ラナンキュラスから吸収している魔力量が、クロムの処理限界量に近付き始め、彼の体内では急激に融魔細胞の転用等の緊急措置が取られ、魔素リジェネレータの稼働量も増大した。
しかしそれによってクロムの放出する魔力量も増加し、そしてその魔力増加はラナンキュラスの魔力吸収をさらに加速させる。
「あぁ!すごいですクロム様!身体が熱い!」
ラナンキュラスが頬を紅潮させながら歓喜の叫びを上げ、クロムのモニターにて彼女の魔力保有量が瞬く間に上昇していく。
そして決壊したかのように緑の魔力が彼女の身体から放出され始め、クロムの魔力を合わさりながら2人の周りを膨大なエネルギーと共に対流し始めた。
そしてそれを再び吸収するラナンキュラス。
彼女の身に着けている魔道具のいくつかが火花を散らせしながら悲鳴を上げている。
「これは明らかな誤算だな。制御不能の核分裂反応と変わらん。厄介なのは性格だけでは無かったか」
― オルヒューメ。これより状況対処に移る。魔力飽和による結晶化に必要な魔力濃度のデータを送れ。システムのバックアップ開始 ―
― 了解しました 戦術リンク最大接続 作戦は失敗でしょうかクロム? ―
― 認めたくはないが、これは俺の予測不足が招いた失策だな。ならばそれ以上の成果を得るのみだ ―
― 了解しました 期待しています ―
[ 戦闘システム起動 コア出力60+45 魔素リジェネレータ最大出力 クリスタライザーシステム起動 起動同時に最大出力 ]
クロムが戦闘システムを起動し、コア出力を一気に高める。
それと同時にオルヒューメから送信された魔力の結晶化に必要な飽和濃度のデータを受信した。
クロムはこのデータを魔素リジェネレータの制御システムに放り込み、最大稼働にて体内で増大し続ける魔力の濃縮を開始する。
そして余剰魔力はクリスタライザーシステムによって通常エネルギーに変換し、全身に供給し始めた。
― オルヒューメよりクロムへ クロム体内制御システム及び補助システムの支援制御開始 エネルギー分配の制御はこちらに エネルギー制御演算開始 ―
「魔力放出回路及び放出口を全閉鎖。魔素リジェネレータは全融魔細胞の魔力分解を開始しろ。魔力保有量を20%に調整」
クロムの身体から魔力放出が止まり、体外に出ていた赤い魔力は未だに恍惚の表情を浮かべているラナンキュラスに次々と吸収されていく。
彼女の体内魔力を監視しているモニターでは、クロムを超える魔力が彼女の細い体の中で停滞していた。
ラナンキュラスの全身から赤と緑が交じり合った魔力が放出され始めているが、魔道具の効果によって抑制され、彼女の体内で行き場を失った魔力が暴れていた。
― 魔素リジェネレータ 魔素及び魔力濃縮完了 背部魔力放出口を最大解放 魔力回路全経路の接続完了 ―
― 体内魔力量30%まで減少 設定値をクリア 重要器官を除く融魔細胞の飢餓促進を開始 全魔力回路解放準備 ―
― M・インヘーラ 制御システム 制御支援をオルヒューメへ 最大稼働準備 ―
「オランテ、レオント、退避しろ。さもなくば巻き込まれて死ぬぞ」
クロムはこの騒動の中、静かに後方に居たであろう2人に警告を発した。
まるで状況が理解出来ておらず、突如出現した高濃度の魔力空間にて苦しむ2人であったが、クロムの底冷えするような警告と彼の背中から感じ取った異常な程の魔力の気配に、血相を変えてふらつく身体を引き摺る様に退避行動を取る。
[ 背部魔力放出口に全開路を接続 放出口最大解放 大気解放開始 ]
[ M・インヘーラ 最大出力 魔素リジェネレータ 最大稼働 融魔細胞の飢餓状態を維持 ]
クロムの背部装甲が跳ね上がり、そこから凄まじい勢いで濃縮された魔力が放出された。
その勢いは後方の天幕の壁をいとも簡単に吹き飛ばし、赤と緑の入り混じった魔力の奔流が周囲の構造物を吹き飛ばす。
ほぼ限界近くまで濃縮された魔力が大気解放された瞬間に結晶化を引き起こし、細かい結晶の粒子となって周囲に煌めきながら乱舞した。
それと同時にM・インヘーラによってクロムの右手から凄まじい勢いでラナンキュラスの魔力が吸引され始める。
「ああぁぁぁ!」
ラナンキュラスが自身の魔力が急激に吸い上げられる感覚に声を嬌声を上げる。
周囲を満ちる魔力は今までとは違いクロムによって結晶化されている為、この状態では彼女は魔力を十分に補給する事が出来ない。
崩された魔力供給のバランス。
補給路を断たれたラナンキュラスの身体は、クロムによって魔力が吸われ、このまま進めば確実に魔力枯渇を引き起こす。
彼女が生まれて初めて味わう、身体の魔力が引き抜かれていく感覚。
身体の感覚が薄くなり、押し寄せて来る浮遊感。
命が吸われるという実体験。
クロムの意識内のモニター内で様々な数値が上下に踊り、それをオルヒューメの支援による制御が押さえつける。
このままラナンキュラスの魔力を枯渇寸前まで吸い上げようと試みるクロム。
しかしクロムの右腕の装甲の隙間から赤い光が漏れ始めた。
― 右腕魔力回路損傷 損傷率12% 魔力流入量が右腕魔力回路の限界を突破 ―
― 凄まじい魔力量だな。供給を断った状態でもまだ吸引しきれないとは。右腕の回路のみでは間に合わない可能性が高い ―
未だクロムの背中からは結晶化した魔力が噴出されているが、不安定な魔力結晶の粒子は急速に大気中で分解され魔素と魔力に還元される。
魔素リジェネレータを最大稼働させたとしても、魔力濃縮には時間が必要であり、処理が追いつかない。
よって余計な時間を掛ければ、再びラナンキュラスは魔力吸収を再開してしまう。
「ああぁ...溶けていきます...私の身体が溶けて...流れていくようです...」
ラナンキュラスは雲の上を歩く様な感覚に襲われ、多幸感に満ち溢れた表情を浮かべ、潤み光り輝く緑の瞳でクロムを見つめていた。
[ 左腕先端部魔力放出口を解放 魔力回路を緊急接続 魔素リジェネレータ出力110% ]
[ M・インヘーラのシステム限界稼働準備。出力115% 制御をオルヒューメへ移行 ]
― オルヒューメよりクロムへ 制御システムのオーバーライドを確認 制御開始 ―
― アルキオナの放出口と魔力回路の増設は間に合わない。ならば... ―
クロムはアルキオナを操作し、全身の力が抜け始めているラナンキュラスの身体を引き寄せた。
モニターでは彼女の魔力供給が戻り始めている事が確認出来ており、あまり時間が残されていない。
「ラナンキュラス、これで終わりだ。少々喰い過ぎてしまったようだ。対価としては十分と言える。よってお前との契約は今ここに結ばれた」
「...それは...とても嬉しいこと...です...」
クロムの言葉を完全には理解出来ていないラナンキュラス。
それでも歓びの言葉をうわ言の様に漏らす。
そしてクロムは抱き寄せるような格好で左腕を彼女の後頭部に回した。
「あぁ...そんな...」
ラナンキュラスは髪に触れられる嫌悪感と望みが叶った多幸感が入り混じり、意識を混乱させていた。
[ M・インヘーラ 最大稼働 魔力吸引開始 ]
クロムの右腕は彼女の首に、そして後頭部に触れた左腕は彼女の美しい髪を撫でる様に触れられていた。
彼は知る由も無かったが、魔力親和性が最も高い部位である髪に触れた事により、想定を超える量の魔力が左腕を通して吸引され始める。
[ 左腕魔力回路に急激な魔力流入を確認 魔力回路を予備回路に緊急接続 ]
― 装着されていた魔道具の影響で最適な魔力吸収位置を見誤っていたか。だがこれで間に合うはずだ ―
クロムが把握しているモニター内の魔力量と検知している魔力知覚が、徐々に収まりを見せ始めたラナンキュラスを監視している。
生体モニターの数値も危険域を脱しており、生体反応にも問題は起こっていない。
「...もう夢から覚めてしまうのですね」
天幕に吹き荒れていた魔力の対流も収まりを見せ、ラナンキュラスの意識も徐々に現実に引き戻されていった。
彼女は残念そうな表情を浮かべながらクロムを今も見つめている。
[ 対象からの魔力吸引量の低下を確認 魔力量の安定化を実行 融魔細胞の魔力供給量を通常状態へ移行 ]
[ 背部魔力放出口を閉鎖 体内魔力循環量を調整 魔素リジェネレータ 通常稼働へ移行 クリスタライザーによるエネルギー調整は継続中 ]
[ コア出力40+30 余剰エネルギーを損傷個所へ転用 ]
クロムの背部から魔力の放出が止まり、周囲に乱舞していた煌めく結晶の粒子が次第に大気中に溶けて消えていく。
天幕の壁に出来た大穴から森の香りを含んだ風が舞い込み、中の空気を攫って行った。
そして先程の嵐が過ぎ去った後の静けさがクロムとラナンキュラスの周囲を包み込んだ。
アルキオナがラナンキュラスをゆっくりと床に降ろし、その拘束を解く。
「立てるか?」
「...はい。問題ありません。ただ未だこの身が余韻に浸っています。クロム様、私の魔力は堪能頂けましたでしょうか?」
完全に“王女ラナンキュラス”として意識を戻した彼女が、挑戦的な微笑をクロムに向ける。
「十分すぎる程にな」
「ではまた次の機会にでも...」
「次の機会は無い」
クロムは自身の今回の行動に対し、明らかな情報不足による失策があったと認め、自身の行動指針の見直しを考えていた。
「それは残念です...本当に残念ですわ...」
心底落胆した表情を浮かべるラナンキュラスだが、クロムは既に彼女を見ていない。
― オルヒューメよりクロムへ 状況の把握を完了 状況終了と共に制御システム支援を終了 受信データの分類及び分析を開始 ―
― クロム 今回の作戦行動は、やや精細を欠いているのでは? ―
オルヒューメが今回のクロムの作戦行動を疑問視する質問を投げ掛けて来た。
そのオルヒューメの問い掛けにクロムはどう答えていいか迷い、最終的に無言を貫く事になる。
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