第149話 それは手足となり餌となり

 クロムが座るソファーの後方で立つオランテ。

 伯爵の地位にいる彼が立ったままで交渉の場に居る事自体が異例であり、その横のレオントは自身の主がそのような状況に追い込まれている事に若干の苛立ちを覚えてしまう。


 ただそれは自身が強ければ解決出来ると言う単純な物では無く、クロムという存在のみが作り出せる状況であり、どう足掻いてもその葛藤は解決出来ないと無理矢理に納得させていた。


 かつて成り行きで行った一騎打ちの時を思い出すレオント。

 同行していた赤髪の冒険者が、その程度の怪我で済んだ事自体が幸運と言い、自身も五体満足で帰還出来た事を感謝していた。


 自分はあの黒い背中に追いつく事は出来るのか。

 いつか主に自由騎士リーベルターになり、クロムと共に旅をしてみたいと伝えた事があるが、果たしてその旅に付いて行く最低限の強さを自分は持っているのかと、彼は自問自答を繰り返す。


 感じた事の無かった“弱さ”という概念が、肉体全盛期の今になってレオントに重くのしかかって来た。

 決して埋まらない強さの差は、残酷なまでに現実を突き付ける。





 オランテに隣の近衛騎士の焦りと不安が手に取る様に伝わって来た。

 彼自身、この地位に座しながらも目の前で行なわれている交渉、情報戦において手も足も出せない不甲斐無さに襲われている。


 未来が全く見えない恐ろしさ。


 地位も組織も持たず、ただ己の強さだけで王家の人間と、国家そのものと交渉を行う黒騎士クロムの背中にとてつもない闇を孕んだ怪物を見る。

 それを最初は利用しようと目論み、様々な策を巡らせるも、気が付いた時にはその身体は黒い禍々しい手によって握られていた。


 一度でも期待に背けば、彼に対して不利益を呼び込めば、容易に握り潰される怪物の手の中で必死に足をバタつかせる。

 だが、それはオランテ自身が望んで引き込んだ事でもある。


― 自業自得という言葉を今になって実感する事になろうとは ―


 手出しの出来ない場所で、自身の運命が決定されるという状況がオランテの心を確実に追い詰めていた。


 全てはクロムの行動次第。


 静かに、そして確実にオランテの運命が今、テーブル上で2人の怪物によって転がされている。






 クロムは戦闘システムを待機させ臨戦態勢にてラナンキュラスと向き合っていた。

 通信に関してもオルヒューメとの回線が常時オンラインになっており、クロムの収集した情報が送信されている。


 この世界でクロムの得た情報とヒューメの記憶情報を参照し、その内容の真偽やそこから予測される結果等、オルヒューメが評価を下す。

 クロムにとっては参考程度のものにはなるが、やはり別の頭脳が有るだけで格段に処理能力の向上を見込めた。


 クロムはまずラナンキュラスに、自身への依頼内容を説明させる。

 端的にかつ含みを持たせるなと先に釘を刺すクロムに対し、ラナンキュラスは微笑んでそれを了承、今回クロムに対し接触を試みた経緯を交えつつ、話を進め始めた。


「3か月後にアルバ・エクイティ自由国家連合において行われる、極星神皇選定大会合ステラ・アエテルタニスに参加する私の護衛をお願いしたいのです」





 極星神皇選定大会合ステラ・アエテルタニスは、カルコソーマ神教大司教を束ねる頂点、最高位である“極星神皇カエレスティス”の次期候補を決める会議である。


 人間族、巨人族、精霊族、獣人族、そして天魔族。

 5種族の大司教に加えて、ルベル・アウローラ帝国大司教区の大司教、計6人の中から時期極星神皇候補が選出される。


 深緑の女神ミラビリス

 赤業の戦神フラマテーラ

 白閃の獣神ミストレクス


 カルコソーマ神教における極星神皇は、3体の英雄神の意思を体現する存在であると共に、全ての信者を死後、英雄達の住まうとされている天星の都ステラカエルムへとその魂を導く“星の教導者ステラ・クロイスタ”として君臨する。


 その一声は英雄のものと同等であり、国の行く末すらも左右する。

 そして全ての信者を救うと同時に、狂信の一兵卒として戦場を行進させる事も可能だった。


 国家を動かし、造り替える事の出来る最高権力者。


 その会議に向かうラナンキュラスは道中の警護に加えて、会議を含め全行程において1人だけ大司教の身辺帯同が許される、星約騎士ステラーレとしてクロムに白羽の矢を立てた。





「何故俺を選ぶ。そこにいる白薔薇ロサ・アルバの強さであれば十分だろう」


 クロムはラナンキュラスの背後で、静かな殺気を漏らすロサ・アルバを視界に入れながら問う。


「確かにロサ・アルバであれば十分でしょう。ですがこの者はこの王国から出る事を許されないのです。近衛騎士団煌花筆頭ソラリス・ユースティティアエは王国最高戦力であると同時に、王国最後の盾でもあります。国境線までは何とか動かせますが、国外での活動は王女である私の命を天秤にかけたとしても許可は下りません」


「そして現国王と継承権第1位である第1王子にも、それぞれロサ・アルバと同等、色違いの近衛騎士団煌花筆頭が控えております。ここで私が彼を手放せば...どういう事になるかはクロム様であればお分かりになると思います。王族は血縁あれど、決して家族では無いのです」


 ラナンキュラスが国を離れた瞬間、彼女は強力な武力を失う事になり、ロサ・アルバは宙に浮いた最強の駒としてどこかの陣営の制御下に入る、もしくは行動を凍結される事になるだろう。


 その時、会合を終えて国に戻ったとして、ロサ・アルバという剣を持たないラナンキュラスがどういう立場に追いやられるか火を見るより明らかだった。

 剣を失う事によって、いとも簡単に政治と謀略の餌食になる事すら有り得た。


 カルコソーマ神教の大司教と言う立場であったとしても、影響力の少ない王国内ではあくまで外様の権力者であり、その権力を十全に振るう事は出来ない。

 それは北の隣国ルベル・アウローラ帝国の大司教でも同じ状況だった。


 抑止力の喪失は、魑魅魍魎が跋扈する政治、権力の世界においても致命的である。

 そこでクロムの力を頼る事になったのだ。


 単騎で星屑の残滓ステラ・プルナを手中に収めた計り知れない武力。

 そして領有している領土は、王国ですら手出し出来ない魔境。


 白の剣を奪われたのであれば、もう片手に握る黒の剣を振り下ろす。

 ましてやその剣が黒騎士クロムであるならば、振るうまでも無く掲げるだけで有象無象はその黒に喰らい尽くされるだろう。


 現段階でクロムは既に王国と全面戦争すら実現出来る存在となっていた。

 クロムにそのつもりが無いとしても、国家存亡を左右する存在が国内に居るだけで脅威である。


 他の王族に存在の詳細が知られていない今だからこそ、ラナンキュラスはクロムを何としても説き伏せる必要があった。

 例え王家の人間にあるまじき行動を取る事になろうとも。


 ラナンキュラスは徐に立ち上がり、ソファーに座るクロムの横に移動する。

 クロムはロサ・アルバと彼女の位置関係を確認すると、戦闘システムの起動を視野に入れる。


 しかしその状況予測は彼女の思いも寄らない行動で覆された。






 ラナンキュラスがクロムの横に立つと同時に目を閉じて、両手を胸の前に組む。

 そして両膝を床に落とすと、祈りのポーズのまま前屈みで頭を下げたのだ。


 王家の人間、第1王女が冒険者であるクロムに跪き、祈りの姿勢で頭を垂れる。

 それは命乞いにも見える、決してあってはならない王家の威信を地に落とす行為。


 周囲の神官たちは驚愕を通り越して、腰を抜かす者も居た。


「なっ!?い、いけません!王女殿下!」


 オランテが不敬を承知で悲痛な声を上げた。

 王女を戦略上では警戒しているとは言え、王国貴族である以上オランテにも忠誠心という物は存在する。

 ラナンキュラスの行動は、オランテの予想をまたも上回ってきた。

 クロムを取り込む為にここまでやるのかと彼は心の中で叫ぶ。


 ロサ・アルバも流石にこれには驚いたのか、王女の動くなと言う命令を無視して彼女の傍に寄ろうとする。

 騎士として絶対に止めなくてはならなかった。


 必要であればこの場で自身の武力を行使する事も厭わない。


「ロサ・アルバ。何度同じ失態を繰り返すつもりですか」


 目を閉じて姿勢を維持したまま、ラナンキュラスがロサ・アルバの行動を止める。

 冷たい威圧を含む緑の魔力がロサ・アルバに叩き付けられ、その余波で一番近くに居た神官の意識を瞬時に刈り取った。


「何のつもりだ」


 クロムが跪くラナンキュラスを見下ろしながら問う。


「私にはもう...こうするしかないのです。この身を地に降ろし、頭を下げ、祈るしか道は無いと。黒騎士クロム様、どうかこの愚かな私にそのお力の一端をお貸し下さいませ。どうか...どうか...」


 震えるわけでも無く、泣くわけでも無い。

 変わらない口調で紡がれる願いの言葉。

 ラナンキュラスの全身から沸き立つ緑の魔力が、ただ悲し気に揺れているのみ。


「こちらの対価の提示を聞かず祈る様に乞い願うとはな...悪いが俺との交渉に慈悲や哀れみは何の効果も無い。では丁度良く姿と判断し、これから俺の求める対価を告げる。聞き終わるまで口を開くな。それと...」


 クロムはロサ・アルバに視線を移し、機先を制する形で言い放つ。


「ロサ・アルバ。次動いたら王女と共に俺の視界から消えて貰う。何度も言わせるな」


 その言葉を聞いて、ロサ・アルバは初めてクロムに見せる純粋な怒りで身体を震わせながらも、攻撃態勢を解いた。


「俺の目標はアルバ・エクイティ自由国家連合所有の聖星武具グロリアである白き星樹の一枝アルバ・カドケウスの奪取。そして同国に存在する星屑の残滓ステラ・プルナへのだ。ラナンキュラス王女にはそれの下地作りをやって貰う」


 このクロムの言葉を聞いたラナンキュラス以外の人間は耳を疑った。

 その内容は既に国家に対する宣戦布告と同義であり、更に堂々と簒奪と侵攻を行うという意思表示でもあった。


 しかもその下準備を王国王家の人間である第1王女にやらせようとしているのだ。

 アルバ・エクイティに対するクロム単騎での宣戦布告のみならず、王女による工作が露見すればテラ・ルーチェとの国家間戦争の戦端を開く事になる。


 それを聞いたオランテの顔から血の気が引いて行き、レオントに至っては言葉の意味を理解する段階まで達していない。


「な、なんという事を要求するのだ...」


 オランテの心の声が思わず実体となって漏れ出す。

 制御不能になった交渉の流れは、問答無用で彼の精神を濁流の様に飲み込んでいった。


 だが、そこにラナンキュラスの声が、この場に満ちる凍り付いた雰囲気を斬り開く様に響いた。


「...王女であるこの私がクロム様の手足の様に働けと...?」


「口を開くなと言ったはず。お前もそこのロサ・アルバと同じなのか?まだ要求を伝え終わっていない」


「え...?」


 クロムが全身の装甲を軋ませながら立ち上がると、初めて別の感情を見せる王女の前に仁王立ちする。

 まるで虜囚となり命乞いをする王女を漆黒の暴君が睥睨し、その身を品定めをしているような光景。

 クロムと顔を上げたラナンキュラスの視線が交錯する。


 ここまで来るとロサ・アルバのみならず、今まで絶句と震えに支配されていた神官達やオランテ、レオントに至るまで、王女を除くこの場に居る人間全てがクロムに多かれ少なかれ殺気や怒気を向け始めた。


 そしてクロムがラナンキュラスに言い放つ。


「これが最後の要求だ」


 突然クロムの背中のアルキオナが蠢き、そして目にも留まらぬ速さで展開されると、跪いたまま反応出来ないラナンキュラスに巻き付き、そのまま締め上げた。


「ク、クロム様、何を!?...ああそんなっ!」


 そしてそのまま宙につられるラナンキュラスが小さな悲鳴を上げる。

 巻き付いたアルキオナの無数の鉤爪が彼女を完全に拘束し、動かすことを許されたのは膝下のみ。


「クロム!貴様何をしている!」


 オランテが突然のクロムの暴挙に対して感情が制御出来ず、思わず怒声に近い声を上げるも、その行動を止める事は出来ない。

 レオントも腰の剣に手を掛けるも、斬りかかった瞬間に自身の身体が引き裂かれる予感を感じ、同じく動く事が出来なかった。


 そしてその中でロサ・アルバのみがクロムに対し明確な殺意を持って主を護る為に行動を起こす。

 左手のシミターがソファーを瞬時に両断し道を作ると、一気にクロムとの距離を詰め、右手の魔力と冷気を纏ったシミターがクロムの首を一撃で刎ねる為に振るわれた。


 だがそれを遮る様にラナンキュラスの白く細い首がシミターの軌道上に差し出される。


「ぬぅ!?」


 アルキオナが即座に動き、彼女を肉壁として利用する為、クロムとロサ・アルバとの間に割り込ませていた。


「「「!?」」」


 王女の首が宙を舞う幻影を垣間見て、絶句以外に発する事が出来ない周囲の人間。

 ロサ・アルバのシミターが冷気を発しながら、ラナンキュラスの首筋に滑り込む寸前で止まる。


「下がれ。さもなくば王女はこの場で引き裂かれる事になる。試してみるか?」


 ギチギチと嫌な音を立てたアルキオナが更に締め上げる力を増し、鉤爪が僅かに法服越しにラナンキュラスの柔肌に食い込んだ。


「あああっ!」


 ラナンキュラスの悲鳴が響く。

 差し出された位置が後少し横にずれていたら、ロサ・アルバのシミターは間違いなく彼女の首を捉えていた。


 絶望が場を支配し、オランテがその場で床に膝から崩れ落ちる。


「クロム、お前は何という事を...」


 しかしその震える彼の抗議の声をクロムは全く意に介する事無く、アルキオナを操作し王女を自身の身体に近付けた。

 突然の出来事による驚きと、締め上げられた苦痛で僅かに表情を崩すラナンキュラス。


「...最後の...要求とは...なんでしょうか...私のこの身で...」


 僅かな羞恥を含んだ途切れ途切れの言葉をクロムは最後まで言わせる事無く、奈落の底から響いた様な声で覆い隠す。


「お前の魔力を頂く」


 その言葉と同時にアルキオナを含めたクロムの全身から深紅の魔力が溢れ出した。

 ドロリとした粘度を感じさせる程の高密度の魔力が、クロムとラナンキュラスを覆う。

 彼女の身体からも防衛本能による緑の魔力が迸るも、何の抵抗にもならずに赤い魔力に翻弄され飲み込まれていく。

 髪を束ねている魔道具から青白い火花が散っていた。


 冷静な表情と声をその強靭な精神力で何とか維持し続けているラナンキュラス。

 だが暴力的な強度で身体を這い回るクロムの魔力の圧力に耐えきれず、その表情が脆くも崩れ去り、脚をバタつかせながらくぐもった呻き声を上げた。


「あぐぅぅぅ...」




[ 戦闘システム起動 コア出力40+35 融魔細胞活性化 魔素リジェネレータ―稼働 局所魔力分解を開始 ]


[ 右腕先端の魔力放出口解放 魔力回路接続 余剰魔力を大気解放 ]


[ M・インヘーラ― システム起動 体内魔力保有量を再調整 ]


[ 対象の魔力分布を分析中 吸収位置を確認 ]




 ― オルヒューメ 珍しいサンプルだ。俺の取得した情報を分析し、今後に活用しろ ―


 ― 了解しました 戦術リンクを接続 クロム体内モニター同調開始 ―




「大丈夫だ。実戦運用は既に完了している。少々苦痛を感じるだろうが、それもすぐに終わる」


 クロムがラナンキュラスの顔を更に引き寄せながら、打って変わって穏やかな声を掛けた。


「ク、クロムさ...ま...」


 クロムの黒い手が、汗で濡れるラナンキュラスの細い首に掛けられた。


「美しくも貴重な魔力だ。丁重に喰らわせて貰う。では...頂くとしよう」


 ラナンキュラスの美しく煌めく瞳に、生まれて初めて恐怖という物が侵入する。

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