第148話 白き王女が邂逅を果たす

 オランテとレオントが来訪者の出迎えの為、天幕の周辺の兵を僅かに残し、正門へと向かっていった。

 クロムは天幕に一人残された状態で、周囲を見渡すと書棚を発見。


 久しぶりだなと呟きながら、鉤爪を器用に本の背に引っ掻け抜き出し、再びソファーに戻って読書を始めた。

 その本にはカルコソーマ神教と歴史を比較した学術書であり、創世記以前のこの世界を紐解くような内容となっている。


 クロムがこの場で得た知識は全て情報として格納され、必要に応じて本拠地にあるオルヒューメの記憶領域にバックアップされる。

 クロムが学ぶ事で、オルヒューメの予測演算や作戦立案に幅と柔軟性が生まれ、この世界への知見も広がりを見せるだろう。


 この世界にやって来て、唯一クロムが闘争とは関係の無い部分で続けている“趣味”のような物だった。

 本人はその認識はないが、特にゴライア辺りのクロムを知る人間はそう捉えている。


 外の喧騒を捉えながらクロムは読書を進め、いつしか机の上に読破された本が5冊ほど積まれた段階で、天幕に向かう複数の気配を察知した。


 ― 一際大きい魔力の気配。これが王女とロサ・アルバという騎士のものか ―


 魔力レーダーには奈落の魔物よりも小さい反応が二つ、それよりも小さなが複数。

 配置的にオランテとレオントと判別出来、残りの二つを暫定的に王女と騎士と予測した。


 魔力的には奈落のリザードマンよりも小さいが、実際の所、この魔力反応の大きさによる強さの判断は信頼性が低い。

 クロム自身も魔力の放散を抑えている事を考えると、相手側もそれを行っているのが自然であるからだ。


 ― 魔力レーダーで各個人の魔力の識別は実現可能だろうか ―


 クロムは魔力の性質等が人によって異なる、“個性”というものがある事に興味を持っていた。

 ゼロツやゼロスリーの魔力を強く感じるようになってから、それぞれが持つ魔力の属性というものに関して何度かオルヒューメと意見を交わしている。


 魔力の波動は全て同じ波長を見せながらも、その中に属性と言う物が存在し、それぞれが異なる挙動を見せると言う、かなり不可解なエネルギー体である事がわかっていた。


 クロムの魔力レーダーで捉える魔力は全て同じように見えながらも、実際は各個人によって属性等が異なるのである。

 識別は基本的に挙動と反応の大きさのみであって、現状、個体を識別する事は不可能であった。


 魔力からエネルギーをより効率良く得ようとする研究の一環ではあるが、そこで魔力の属性に着目している。

 エネルギー体として存在する魔力が様々な属性を持つのであれば、それ元に性質の異なる新たな物質を作り出す事も可能では無いかと、オルヒューメがクロムに伝えて来た。


 設備も無ければ、現状エネルギーも圧倒的に足りない状況であるものの、新たな試みは新たな思考を産み、新たな一歩となる。

 クロムは今後、積極的に様々なデータを取集しオルヒューメに送り研究させる事も目的として加えていた。






 クロムの思考と読書続く中、天幕の扉が開き、オランテとレオント、そして数名の格式ばった装備の兵士が数名入室してきた。

 そしてオランテとレオントが部屋の奥で跪き、兵士が最敬礼にて配置に付く。


「テラ・ルーチェ王国王家第1王女ラナンキュラス殿下、ここに参られました」


 一団の中で最初に入室して来た初老の神官が恭しく述べると、すぐさま脇に避け、その場でオランテ達と同じく跪いた。

 そして次に白銀の鎧を身に纏った騎士が入室し、室内を確認する。


 ― これが近衛騎士団煌花筆頭ソラリス・ユースティティアエ白薔薇ロサ・アルバか ―


 クロムが目線を移さず、その姿を記録する。

 身体から漏れ出る魔力はレオント等と比べ、その比較にならない程に濃い。


 その時点でクロムは、ロサ・アルバをこの場において最も危険な存在であると認識した。


 ― 二刀流のシミター使いとはまた面白いな ―


 装備品に関して、クロムが興味を持つ。

 戦う事も場合によっては大きな収穫になるかも知れないと、クロムは方針の転換を視野に入れ始めていた。


 その背後、白銀の騎士が身を翻し道を作った後に、絢爛豪華な意匠が施された最上級の法服を着た女性が現れた。

 光り輝く緑色の瞳を湛えた、うら若き乙女ラナンキュラス。


 黒騎士との初めての邂逅。

 クロムは彼女が発する魔力の気配が僅かに揺らぎ、増加した事を察知した。


 大司教の証である深緑のストラを首に掛け、花と蔦を模した銀色のティアラにオーロラの様に輝くヴェール。

 絢爛豪華な意匠でありつつも、純白の美しさを決して損なわない、清廉な印象を与える法服。


 首から下げられたカルコソーマ神教のメダリオンが、胸の双丘に横たわり室内の明かりを反射している。

 その手には大樹の枝を模した、琥珀色になるまで磨き上げられた木製のロッドが握られ、先端に緑の魔石が誂えてあった。


 腰の位置まで伸びた緑色の髪が魔力を帯び、輝いている。

 その末端は金色の円環で纏められ、クロムの感覚器官がその円環の正体を魔道具であると判別していた。


 ラナンキュラスの登場によりオランテやレオント、その他の関係者に緊張感が走り、室内の空気が一気に張り詰めた。

 その中で全く別の世界線にいる様に振舞う1人の騎士が居る。


 静かに目を閉じて歩みを止めたラナンキュラスに視線を移す事無く、ただソファーに座り静かに読書を続ける黒い騎士。

 ここまでの緊張感に包まれながら、そこに王女が居ないかのように振舞う。


 実際の所、クロムにとってはどのような立場の人間であれ、相手が目的を話すまでは相手をするつもりは無い。






 酒場のカウンターで酒を飲んでいたら、隣に知らない者が座り酒を注文した。


 自分自身に対し会話や意思を向けられない限り、気に掛ける必要も意識を向ける必要の無い存在である。

 クロムにとっては魔力を持った人間が近くに現れた、ただそれだけなのだ。


 話は聞くと決めていた。

 だがこの時点でまだラナンキュラスは、クロムとの交渉に必要な条件を満たしていない。


 しかしながらクロムのこの思考が他の人間に伝わる訳では無く、オランテやレオントはその場で嘔吐しそうな程に焦っていた。

 既に顎から滴り落ちた冷や汗が絨毯に小さな染みを作っている。


 ― クロムは一体何処まで事態を煽るつもりだっ! ―


 ロサ・アルバの殺意に満ちた視線と魔力、そして連れ立った神官達からは侮蔑と憎悪の感情が一気にクロムに向けられた。

 しかしそれらはまるでクロムの漆黒の鎧に吸い込まれているように効果が無い。


「き...」


 空間に走る一筋の煌めく光。


 ゴトリ。


 ラナンキュラスの後ろに控えていた若い男の神官の一人が何か言葉を発しようとし、最初の一文字を吐き出した瞬間、その表情を顔に張り付かせたまま首が床に落ちて転がり、遅れてドサリと身体が倒れ伏す。


 あまりに突然の出来事に驚愕と恐怖が一気に満ちる。

 チャキという微かな金属音が響き、クロム以外の人間はそこで初めてロサ・アルバが剣を振るった事に気が付いた。


 ― 王国最強は伊達では無いという事か。果たして威力はどの程度のものだろうか。それに魔力の属性は冷気か? ―


 純粋な身体能力によるものか、それとも何らかの剣技によるものなのかは判別出来ないが、間違いなく最強の名を冠する事だけはあると、クロムは感心する。

 そして哀れな犠牲者のその切断面が凍り付き、出血を起こしていない事もクロムの関心を大いに惹き付けた。


「愚かな汚物の身の程を弁えぬ醜態...お見苦しい物をお見せしてしまいました」


 眼を閉じたままラナンキュラスの澄んだ声がクロムに届く。


「お初にお目に掛かります。私はテラ・ルーチェ王国王家が1人、第1王女ラナンキュラス・レーギス・トレース・ソラリス・テラ・ルーチェと申します」


「同時にカルコソーマ神教テラ・ルーチェ王国大司教区、大司教の立場を賜っております。お見知り置きを...黒騎士クロム様」


 緑の魔力の尾を引く指先が法服を摘まみ、洗練された美しいカーテシーを見せたラナンキュラス。

 クロムの正体を知らされていない者達にとっては、一介の冒険者に対しラナンキュラスが先に頭を下げ名乗った上に、様という敬称を付けた事に驚きを隠せずにいる。


 当然の事ながら、跪き顔を下げたままのオランテやレオントも同じ心境だった。

 オランテはそれと同時に、更に予測の上を行くラナンキュラスの謎の行動に混乱している。


 この時点でクロムはラナンキュラスが交渉の場に現れたと認識した。

 クロムは顔を伏せ目を閉じたまま、彼の返事を待つラナンキュラスに視線を向け、ゆっくりと立ち上がる。


ランク4層スプラー・メディウム冒険者クロムだ。話を聞こう。余計な世辞や脚色は必要無い。用件のみを速やかに話してくれ」






 次の瞬間、ロサ・アルバから猛烈な冷気と殺気が迸り、その場に居た人間が寒さと恐怖、両方によって震え上がる。

 しかしクロムは全く動じず、その行動に応えた。


「騒ぐなロサ・アルバとやら。次このような面倒な気配を放つのであれば、俺はお前達を敵と認識し交渉はそこで終わりだ。わかったら大人しくしていろ。潰されたいのか」


 クロムの身体を深紅の魔力が舐め上げる。

 そのロサ・アルバよりも遙かに高濃度の魔力は、クロムの前に立つラナンキュラスですら苦痛を感じる程の物だった。


「黒騎士クロム様、この者には後ほど然るべき処罰を下します。怒りをお鎮め下さい」


 両手を組み合わせ、そのままの姿勢で祈る様にクロムに対し謝罪の意思を示すラナンキュラス。


「どうかお赦しを」


「話を進めるぞ」


「はい...下がりなさいロサ・アルバ。この場で首を落とされない事を感謝なさい」


 ラナンキュラスは緑の眼を細め、凍て付く様な視線でロサ・アルバを叱責する。

 瞬時に彼の身体から敵意が消え、部屋の温度が戻り始めた。


 そして対面のソファーに座ったラナンキュラスが思い出したように言葉を続ける。


「それとオランテ伯爵と近衛騎士は楽にして結構です」


「「御意」」


 オランテとレオントが立ち上がり、クロムの側に移動する。


「お座りになっても構いませんよ」


「いえ、王女殿下。これはクロム殿の交渉でございます。我々はこのままで」


 クロムがソファーに座り直すとようやく交渉が開始された。






「まずはお渡ししたいものがございます。お受け取り下さいませ」


 ラナンキュラスが神官に目配せすると、先程の初老の神官が深々と頭を下げながら古めかしい木箱をテーブルに置く。

 そして彼女が指先でその木箱のなぞり、魔法封印を解くと蓋を開いて中身をクロムに見せながら差し出した。


「まずはこれを...」


 その中には2つの小さな茶色の物体が鎮座しており、見た目だけで判別するならば植物の種子のような物。

 魔力を全く感じないという点以外は、特に特筆すべきものは無い。


「これは?」


「これは我がテラ・ルーチェ王国初代女王ミラビリス陛下が残したとされる“星の雫ステラ・スティラ”と呼ばれる遺物でございます」


「王家に残る文献では“世界を導く種”とだけ書き残されておりました。ですが発芽方法や栽培方法、その効果や用途も未だに解明されておらず、この箱に封入されたまま約千年もの間、代々王城の宝物殿にて保管されておりました。そしてこの度、是非とも黒騎士クロム様にお譲りしたいと思いまして」


「これを選んだ理由を教えて貰おう。それとこの物品に対してそちらが望む対価は何だ。それと俺の事はクロムで良い」


 クロムはこの流れで自身に植物の種子を送るとなった経緯を探る。

 どう考えてもクロムの経歴等から選ばれた物とは考えられない。


 ましてや王家が代々保管して来た宝物であり、初代国王ゆかりの品であれば、例え王女であろうとも独断で贈呈出来る代物では無い筈だった。


 ― 他の王族が関わっている。もしくは何かの罠か ―


「では...クロム様。まず私が用意出来る物の中では、これが最もクロム様に相応しいと考えました。文字通り、世界を変えるお力を持つクロム様にお渡ししたいと」


「そして多くの遺物が存在するとされる星屑の残滓ステラ・プルナを手中に収めるという前人未到の偉業を成し遂げたクロム様であれば、これの謎もいつか解き明かせる日が来るのではないかと」


 ラナンキュラスは手中に収めると発言したことにより、この時点で原初の奈落ウヌス・ウィリデがクロムの所有物である事を暗に認めていると判断出来た。


「私は遺物と言う存在が何なのか、何故に人はこの遺物を巡って血を流し、命を落とし奪い合うのか。それを知りたいとも思っております。そしてこの贈り物に関しては対価を考えておりません。あくまでこれは私のでございます」


 ラナンキュラスが言葉の合間に純粋な少女の微笑を見せるも、クロムの心は動く気配は無い。

 逆にそれによりその顔の裏にある思惑をクロムに疑わせてしまっていた。


「悪いが俺は無償の提供をそのまま信じる事は無い。特に権力と言う物が関わっているなら尚更の事。もう一度聞く。対価は何だ」


 ラナンキュラスは少し悲し気な表情を浮かべながらも、決して反論しようとはせずにその僅かな間に思案を巡らせ答える。


「これは私が自由に動かせる宝物殿の物品の中から選ばせて頂いた、個人的な贈り物で間違いはございません。ですのでこの交渉が無事に終わりましたら最後にを対価として提示させて頂きます。勿論この星の雫ステラ・スティラはお好きにして頂いて結構でございます」


 彼女は膝の上に置いた手を握り締めると、今までの落ち着いた声とは異なり意を決したような口調で対価を口にした。


「わかった。俺がその対価を支払う事が出来ればこれは頂こう。だが少しでも不自然な行動を取るならば...」


「はい。クロム様の思うようにこの身この場をそのお力で終わらせて頂いて結構です。それと私は王族としての特殊な体質という事もあり、この身から出る魔力は意志とは関係無く零れてしまうのです。決して害意を表すものではありません。ご容赦下さい」


「了解した。問題無い」


 そう言いつつも魔力センサーにて細かくその魔力の流れや性質等の情報を収集するクロム。

 対してラナンキュラスはクロムの漆黒の姿を熱の籠った目線で捉えていた。


 ― どうにもヒューメを思い出すな ―


 クロムの名を呼び駆け寄って来るヒューメの記憶が脳裏に蘇る。





 クロムにとってはただ話を聞くだけという作業ではあるが、その後ろに控えているオランテとレオントにとっては、心労が極限を迎えるに十分な雰囲気が次々と襲い掛かって来る地獄の幕開けとなる。


 レオントに至ってはロサ・アルバの殺気をもろに感じ取った上で、あろう事か王女に対するクロムの態度を見て、半ば卒倒しそうな程に戦慄を覚えていた。


 オランテはこのやり取りを予想はしていたものの、実際に目の当たりにするとやはり心臓に悪いと思いながらも、この交渉の行方を自身の今後の行動方針に照らし合わせながら、策を練り始める。


 この交渉における選択は自身の運命を大きく左右する分岐点となる事を確信していた。

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