第147話 その者、既に人に非ず

「レオント副団長殿、ご報告します!オランテ伯爵閣下がご到着!迎えは不要との事であります!」


「わかった。ではこちらも準備しておく」


 伝令が肩で息をしながら、天幕にいるレオントに報告を上げて来た。

 レオントの思っていた以上に早いオランテの到着に、主の今の心境がつぶさに読み取れる。


 レオントが天幕の外で主の来訪に備える為に、帯剣し外に出ようと歩き出した。

 その途中で彼は額に若干の汗を滲ませながら、執務机の前に備え付けられたソファーに座り、息苦しさを感じる程に威圧感を放つ黒い姿を横目で捉えた。


 ウェア・ウルフの襲撃による負傷者を連れて、彼らがここに帰還したのは半日程経過している。

 しかしその調査隊を指揮しているのが副隊長であり、負傷者として運ばれている者の中に一際体格の良い騎士が混じっている事に気付くレオント。


 まさかウルスマリテがウェア・ウルフに後れを取り、負傷したのかと血相を変えたレオントであったが、詳細を聞いて思わず拳を怒りで握り締めた。

 適当に転がしておけと指示を出して、彼はそのまま天幕に戻ったが、流石に部下達はそれ相応の場所に寝かせたようだった。


 ― 殺されなかっただけマシだと思えば良いか。しかもかなり手加減されていた様子だった。問題は無いだろう ―


 レオントは天幕の外に出て、オランテの来訪に備える。

 外に居ても背中にクロムの刺すような気配を感じられ、彼を最期に見た時とのあまりの違いに戸惑いを隠せない。


 ― 何もかもが違う。強者とは言え、最早人間が放って良い気配では無い ―


 レオントは腰に吊るした剣の柄に手を置くと、もし仮にクロムがオランテに襲い掛かった場合の行動を予測した。

 そしてその思考自体が意味を成さない事を即座に実感する。


 オランテに仕える騎士であるレオントは、剣であり盾である。

 いざとなればこの命を捧げる事も躊躇しない。

 だが、自身の命を代償に主を救える可能性が全く無かった。


 ― 強さとは一体何なのだ...俺は騎士となり何を得たのだ ―


 左右に設置された篝火の炎に照らされながら、レオントが奥歯を噛み締める。

 すると、天幕の中から発せられたクロムの気配が、鋭くそして大きく膨れ上がった。


 クロムがレオントの魔力と気配の昂りに反応し、殺気に似た気配を叩き付けて来たのだ。

 オランテは急激に身体から体温を奪われると同時に、その昂りもまた急降下する。


 すると再びその場は通常の気配へと戻っていった。


 ― 俺は今何を背後に座らせているのだ... ―


 冷える夜では無い。

 だが篝火の熱を感じさせない程にレオントの身体は冷えていた。





 程なくして、やや疲れが見えるオランテが天幕に到着し、レオントが最敬礼にて出迎えた。

 そしてレオントと同じ様に、久しく会うクロムの放つ気配とその姿に息を飲む。


「クロム、久しぶりだ。壮健と言って差支えはないか?」


 オランテはこの時点でクロムへの敬称を省き、あくまで対等な立場として接していた。


「色々と骨は折れたが概ね報告の通りだ。特に問題は無い。そちらも俺が派遣した使いへの対応も問題無かったようだな」


 元よりその事に関して気にする事無いクロムは、何も指摘する事無く会話を進める。

 だが、その会話の前にオランテはふと違和感に気付いた。


 ここに居なければならない立場の人間が居ないのだ。

 クロムの気配に気を取られ、いつもなら十分すぎる程に存在感を放っている者が居ない。


「...レオント。ウルスマリテはどうした。先程、調査隊が森でウェア・ウルフの襲撃を受けたと聞いている。負傷したのか?」


 多少行動に問題はあれど、オルキス近衛騎士団の騎士団長である彼女が、負傷にて戦線を離れる事は少なからず問題があった。

 しかし、その問いに対するレオントの回答がどうにも歯切れが悪い。


 不在の原因であるクロムは、当然の事ながら気にも留めていない。


「ウルスマリテ団長は現在...休んでおられます。ただしウェア・ウルフによる負傷では無く...明日には戦線に復帰するでしょう。問題...ありません」


「レオント、詳しく話せ。命令だ」


 レオントのその口調と表情を見て、オランテの眉根が寄り不機嫌さが滲み出て来る。


「は、はい。ウルスマリテ団長は、クロム殿がウェア・ウルフを殲滅した直後、彼に...その一騎打ちを挑みましてですね...」


 その回答を聞いて、オランテはふぅと一息、軽いため息をついた。


「...レオント、今すぐウルスマリテの所に案内しろ。それとお前の剣を貸せ」


「は、はぁ...閣下は何をなされるおつもりで?」


 レオントの問いに、オランテは微笑を浮かべながら顔色を青白くしていた。

 それは恐怖によるものでは無く、強烈な怒りによる血の気が失せたものである。

 額に数本の血管が浮かび、握り拳が震えていた。


「知れた事。今からあの阿呆の首を刎ねて胴体諸共、魔物の餌にしてくれるわ。伏せっている今なら、俺でもあの頑丈さだけが取り柄のド阿呆の首も楽に斬れるだろうて」


「か、閣下!?お気を確かに!」


「黙れレオント!もはや我慢ならん!あれほど自重しろと言ったのに暴走しおって!今がどれだけ厳しい状況かわかっているのか!場合によってはあ奴の首を100回斬り落としても気が収まらんわ!」


 度重なる心労と寝不足、苦みすらも感じなくなった胃薬、それに加えて王女殿下の謎の行動等、溜まりに溜まったストレスがついに決壊し、それが怒りの瀑布となって溢れ出したオランテ。


 青白かった顔を今度は怒りで真っ赤にし、レオントを怒鳴りつける。

 いつもの沈着冷静な伯爵の姿は何処にも無い。


 無理矢理にレオントの腰にある剣を奪おうと、詰め寄るオランテ。

 何とか怒りを鎮めようと必死に宥めるレオント。


 そこにドンという音と共に、赤い魔力波動が2人に浴びせられる。

 2人の強さであれば問題の無い程度の波動ではあるが、それでも瞬間的に息が詰まる程の威力はあった。


「「うぐっ!?」」


 動揺の呻き声を発した2人は、その波動を放った者に顔を向ける。


「首を刎ねようが八つ裂きにしようが好きにすると良いが後にしろ。話が進まないのであれば俺は次の目的地に向かう」


「う、うむ。すまない。頭に血が上ったようだ。話を進めよう」


「申し訳ない...」


 一気に冷静にさせられた2人が会話のスタート地点に引き戻された。

 そしてソファーに座り、クロムと相対するオランテ。


「何から話すべきか...」






 オランテが最大の懸念点である、王女の件をどのように切り出すか言葉に詰まっていると、それを制するようにクロムが口を開く。


「まずは俺から報告する。まず原初の奈落ウヌス・ウィリデは中心部を完全に制圧した。ただし周辺の魔物は以前、敵対勢力として活動している。これに関しては後ほど解決出来ると踏んでいる」


「その報告を受けた時は信じられなかったが...いや、今で信じられずにいる部分もあるが...」


「事実だ。結果を先に話すと...原初の奈落ウヌス・ウィリデの異常な環境は全て中心地にある遺物が関わっている。詳細はまだ聞かない方が良いだろうな。これは警告でもある」


 オランテは息を飲んでクロムの報告に耳を傾けている。

 レオントはこの時点で話の内容が、自身の立場で噛み砕く事が出来ない領域にあると瞬時に判断した。


 レオントはオランテに目線を移し、無言で退出の必要があるかを問うた。

 だがオランテは退出を命じる事は無かった。


「それとこれは手土産みたいなものだ。好きに使えば良い」


 そう言ってクロムは腰に吊り下げていたポーチから、拳大の奈落のリザードマンの魔石を3個、テーブルの上に無造作に転がした。


 オランテは血相を変え、慌ててその魔石をキャッチする。

 最後の1個がテーブルから落ちそうになるのを、レオントが冷や汗をかきながらキャッチした。


「こ、これは...何だこの魔石は...凄まじい魔力を内包しているぞ...」


原初の奈落ウヌス・ウィリデに生息するリザードマンの魔石だ。“奈落の魔物”と呼べばいいだろうか。強さ的にはあの領域では中程度といった所か。常に集団で連携しながら襲い掛かって来る。数もそれより上位の魔物の餌になる程度にはいるようだ。ウェア・ウルフとやらの数倍は強いと思って良いだろうな」


 それを聞いた2人は今度こそ恐怖で顔色を悪くする。


「これを手土産にか?簡単に転がして良い様な代物では無いぞ」


「この程度の魔石であればもう腐る程に回収している。森を歩けば数分でやって来るからな。問題無く勝てるが、数も居て執念深いので途中からは数も数えていない」


 魔石が内包している魔力は、そのままその持ち主の強さに比例する。

 漏れ出る魔力の濃度と強さだけで、オーガ等の比では無い事が十分に理解が出来た。


 もしそれが集団で街の近辺に出現すれば、騎士団を中心とする討伐軍を編成しなければならない程だ。

 それを事も無げに話すクロムに対し、2人は心を凍り付かせた。


「現状、原初の奈落ウヌス・ウィリデは俺が不在であっても、制圧下に置かれている。許可無く侵入する者がどうなるかは...先だって伝えているので理解は出来ている筈だな?」


「やはりあれはクロムの使い魔のような存在なのだな。正直、あの球らしき存在でさえ、我々ではどうする事も出来ない程の強さを感じたぞ」


「あれは俺の命令のみを受け付ける。強さ的にはそうだな、あれ1個で近衛騎士団全員を問題無く相手に出来るだろう。勿論皆殺しと言う意味でだ。ある程度離れていても呼び寄せる事も可能だ。そして命令を下せば解除するまで止まらない」


 オランテとレオントは戦慄した。

 彼がその気になれば、騎士団はおろか街を命令1つで壊滅に追い込めるほどの力を有しているのだ。

 原初の奈落ウヌス・ウィリデから帰還した彼は、もう逆らう逆らわないという問題では無く、敵対だけは絶対にしてはならない存在になっていた。


「その件に関して問いたい。クロムは原初の奈落ウヌス・ウィリデを自身の“領土”として領有権を主張するという考えなのか?」






 クロムはオランテの問いに対して、一瞬思考を巡らせた。

 だが、利益やその他の作戦行動における影響等を考えるより先に、オルヒューメの言葉が脳裏を過る。



 ― この領域は誰にも渡さない 貴方の領土は必ず護ってみせる ―



「そう捉えて問題は無い。そのつもりで話を進めろ」


「...そうか、わかった。仮にクロムの許可を得る事が出来たとして、その地に人を派遣する事は可能か?」


 一瞬、クロムの気配が膨れ上がる。

 オランテは心臓を鷲掴みにされた気分に陥るが、ここで怯えればクロムの信頼を損ないかねない。

 純粋な疑問として知っておきたいだけが、裏で策謀を疑われる事になり兼ねないのだ。


「...判断基準として、以前のヒューメとの戦いでの魔力濃度の中で、通常通りの戦いを数時間継続可能な身体能力が最低限必要だと思った方が良い。外縁部でその程度、中心部はそれ以上が要求されるな」


 この時点で既に王国内で彼の領地に入れる者が、片手で数えられるまでに絞られた。

 クロムのブラフだと思いたいが、彼から気軽な手土産として渡された魔石がそれを真実だと証明している。


 そんな魔力濃度の中を、あの魔石で中程度の強さと言わしめる奈落の魔物が闊歩し、襲い掛かって来る領域。

 どう考えてもまともな環境では無い。


 それと同時に、現在に至るまで正体も解らない遺物数個の為に、大遠征と称してそのような場所に膨大な人命と資源、予算を使っていた事に仄暗い憤りを覚えるオランテ。

 その大遠征の悲惨な結果も、この話を聞けば至極当然の事だと理解出来た。


 そして今も尚、大遠征の計画を立てている王国とその中枢に対し、存在する価値があるのかと疑いたくなる心境になる。


「次はそちらが話す番だ。何か状況が動いたのではないのか?」


 クロムは既にオランテの表情から、何やら面倒な事が起こっていると感じ取っている。

 オランテはその言葉を聞いて驚くが、気付かれても仕方が無いと溜息を付く。


「かなり面倒な事になっている。王家の一部が動いた」


 オランテは胃腸が締め上げられる感覚を覚えながら、今抱えている最大の懸念点に関する話を切り出した。






 しかしその話をするより先に、天幕の外から伝令が報告を上げて来る。


「ご報告があります!」


「待て!レオント、報告を聞いてこい。嫌な予感しかしないが」


「...はっ」


 レオントが天幕の外に出て行くと、オランテが話を切り出す。


「クロムの原初の奈落ウヌス・ウィリデの報を受け、侵入許可を出した第1王女ラナンキュラス殿下が動いた。クロムに直接依頼、もしくは交渉を持ちかけるつもりでいる。内容はこちらでも把握しているが、出来れば直接聞いて貰いたい。内容を変えている可能性もある」


「相手が誰であれ問題は無い。その内容や敵対意思の有無によってはその場で潰すだけだ。最終的に話の内容次第だな。権力と言う物は使い様だ。利用出来るのであれば王女でも王家でも使う」


 オランテはクロムの言葉がどこかで聞かれてはいないかと、内心冷や汗をかきながらも話を進める。


「正直な所、俺にも王女殿下の考えが読めずにいる。少なくともクロムに敵対意思は持っていないようだ。だがあの方の性質上、何もない訳は無い。それを前提にまずは話だけでも聞いて欲しい。対応に関しては俺の立場的にクロムに一任するしかない。すまないが...」


 オランテは貴族でありながらも、クロムに対し謝罪の為、頭を下げた。


「頭を上げろ。謝罪の必要は無い。交渉の場には立とう。後の事は俺の責任で行動する」


「助かる。それと王女殿下は現在、この王国における最高戦力である近衛騎士団煌花筆頭ソラリス・ユースティティアエの1人、白薔薇ロサ・アルバを引き連れている」


「戦いになるなら相手になるだけだ。何も問題無い」


 オランテは相変わらずの対応を宣言するクロムの言葉に、恐れを通り越して安堵のような物を覚える。

 ある意味この変わらないクロムの方針が、彼をまだ人として認識出来る境界線の様な気がしているのだ。


 勿論、可能な限り穏便に事が進む事を優先する。

 だが、オランテの心の中から予感に近い不安がどうしても拭いきれない。


 そんな中、レオントが戻りオランテに耳打ちをし、小さな紙切れを手渡す。

 勿論、クロムの聴覚はこれを聞き逃さない。


 周囲を監視していた密偵が報告を持ち帰ったとの事だった。

 オランテが既に内容はわかりきっていると思いつつも、その内容に目を通す。


「どうやら俺の嫌な予感が当たったようだ。王女殿下がここに向かっているという報告が入った。ロサ・アルバも同行している。恐らくこの砦に俺が向かうと既に予測していたらしい。動きが速すぎる。事前に準備していたに違いない」


「問題無い。場合によってはここが戦場になる。その準備だけしておけば良い。最悪の想定も必要だろうが、そこはこちらでも考慮しよう」


「...すまないクロム。貴族である以上、相手によってはどうしても抗えない宿命みたいなものがあるのだ」


 クロムは無言で腕を組み、これから予測される行動を想定し始める。


 ― オルヒューメ。いつでも俺の要求に対応出来るようにしておけ。事態が動く ―



 ― 了解しました 戦術支援リンク解放 同調準備 ゼロツ及びゼロスリー マガタマAを出撃待機 ―



 クロムから静かに零れ始めた高濃度の赤い魔力を感じ取ったオランテとレオントが、息を飲み言葉を失う。


 オランテはレオントに周辺の状況確認と厳戒態勢を取る様に指令を出した。

 いずれにしても王女を迎える為に、万全の態勢で動かなくてはいけない。


 白の騎士と黒の騎士の距離が徐々に縮まっていく。



[ 戦闘システム 起動準備完了 ]

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