第145話 戸惑いが悦びに変わる夜

 ピエリスは先日の一件以来、デハーニに会う事は叶わず、心に暗い穴を開けたまま空虚な面持ちで日々を過ごしていた。

 主であるヒューメはあの後で周辺の村人に事の次第を聞いており、敢えて何も言わずにピエリスの行動に任せていた。


「これは貴方の問題です。私の事を考えず貴方自身が1人の人間として解決しなければいけません」


 不甲斐無い自分を詫びるピエリスに、ヒューメは半ば突き放す形で告げた。

 一方でヒューメ自身も未だ心の整理が完全に付いていない。


 だからこそ今は自分自身を見つめ直し、どのように償いながらこの先の人生を生きていくか、日々それをヒューメは模索していた。


 ピエリスは自分の事であっても、主であるヒューメの事を最優先で行動する。

 騎士や従者であればそれも正解だが、この問題に限って言えば、独力で解決しなければならないものだった。


 ピエリスは毎日の様に治療の為に通っているティルトの家から、デハーニの苦し気な声が聞こえてくるのを耳にしていた。

 治療が終わるのを見計らって出待ちしようとするが、どうしても彼の前に姿を現わす事が出来ず物陰に隠れてしまい、その度に自分の情けなさに涙目になっている。





「今日こそは...!」


 そう強く呟いて、その日ピエリスはティルトの玄関の扉の前で拳を握っていた。

 震える手を何度か降ろすも、意を決してノックをし中からの返事を確認すると扉をゆっくりと開ける。


 そこには腕を治療しているデハーニと眼鏡を掛けて錬金術を発動させているティルトがいた。

 ピエリスの顔を見て、デハーニが苦悶と苛立ちの表情を往復させている。


 そして彼女は微笑むティルトの圧力に気圧されながらも、何とかデハーニに酒を奢るという事を伝えてその場を後にした。

 物陰にすぐさま隠れると、ピエリスは一歩踏み出せた事を喜ぶように胸に手を当ててしゃがみ込んだ。


 心臓の鼓動が痛い程に全身を揺らしていた。

 前に進めたかも知れない、そして謝罪の機会を自分の手で作れたという大きな成果に喜びを覚える。


 ― これでいいのだ。これでいいの...だろうか? ―


 どうにも心が揺れ動いてしまうピエリスだが、それでも自らの手で動かした事態は自分で始末を付ける他無い。

 そして暫くすると、ティルトの家からふらつきながら顔面蒼白のデハーニが出て来た。


 ピエリスは周囲の状況を確認すると、目を強く閉じて両拳を握り締め気合いを入れる。

 そして決意を込めた瞳でデハーニの元へ駆けて行った。


「デ、デハーニ殿!大丈夫か!?顔が真っ青だが...」


「あ...あぁお前か...見りゃわかるだろ...どう見ても大丈夫じゃねぇだろうが...」


 その声は憎まれ口も叩けない程に弱々しく、立っているだけでも難しそうな程に体力を削られていた。

 ピエリスは勇気を振り絞り、ここで思い切った行動に出る。


「うおぃ...てめぇ何しやがる...」


 弱っている今がチャンスとばかりに、ピエリスがデハーニの腕を取り、自身の肩に乗せ片方の手をデハーニの腰に回ししっかりと固定した。

 デハーニの抗議の声も弱々しく、抵抗を見せるも力を感じない。


 そもそも単純な身体能力は元騎士であるピエリスに軍配が上がり、今のデハーニではまるで歯が立たない。

 戦い以外でここまで異性の接近を許した事が無いピエリスもまた、気恥ずかしさと初めての経験で戸惑いを隠せずにいる。


「そんなになるなら、最初からやるなっての...」


 デハーニがピエリスの様子を見て呆れていた。


「い、いや、今私が出来る事はこれだと自分で決めたのだ。大人しく介抱されて欲しい」


 デハーニはピエリスから今までにない強い意志を感じ取るも、同時に身体が震えている事に気が付き、少しばつの悪そうな表情でピエリスの提案を受け入れる。


「...あぁもうくそが...わぁったよ。歩くのを手伝ってくれ...」


「わ、わかった!よし、何処に向かえばいいのだ!」


 ピエリスの表情に少しだが花が咲き、気合いの入った声で応える。


「とりあえず訓練所の休憩室で休みてぇ...その後、腕の調子を見る為に少し剣を振る。そこで少し付き合え」


「承知した!」


 デハーニの頼みが剣が絡む事である為か、騎士の口調に戻るピエリス。

 それを聞いてデハーニがピエリスに言った。


「ピエリス、黙って聞け。お前は今、自分はもう騎士じゃないと思ってるかも知れねぇが...騎士ってぇのは身分だけで決まるもんじゃねぇだろ。騎士の心を持ち続ける限り、お前は騎士だ。それを忘れるな。こうなった今でも護るべき物がお前にはあるだろうが」


 ピエリスはこのデハーニの言葉を聞いて、立ち止まってしまう。

 彼女は思わず全身の力が抜けそうになるのを必死でこらえた。


「おいおい、もう疲れたとか言うんじゃねぇだろうな」


「違う...大丈夫だ」


 再びゆっくりと歩幅を合わせながら歩き出す2人。


「デハーニ殿...」


「あぁ?何だよ、まだ辛気臭ぇこと言うつもりなら、ぶっとばすぞ」


 ピエリスは目に一杯の涙を浮かべながらデハーニを見上げて答える。


「ありがとう...」


「...礼なんざ言われる筋合いはねぇぞ。これはお前の問題だ。お前が解決しなきゃいけねぇ問題だ」


「ああ、そうだな」


 デハーニは何とも居心地の悪そうな顔でピエリスの肩を借りて歩く。

 ピエリスは頬を涙で濡らしながらも、吹っ切れた表情で歩く。


 この光景を見た村人は誰一人として声を掛ける事無く、にこやかに見送る。


「良かったですね。これからも一緒に歩いて行きましょう。私の騎士ピエリス」


 ヒューメが家の中から目を潤ませ、ピエリスの後姿を見続けていた。







「ふぅ...今日はちょっと魔力使い過ぎちゃったかな...」


 夜、雲に覆われた頼りない月明かりが差し込む寝室のベッドに横たわるティルト。

 洗濯したての薄手のシーツが、彼の白い素肌に密着し冷ややかな感触を提供していた。


「自分の中で解決しているつもり...かぁ...」


 昼間デハーニに言った自分の言葉を反芻し、手を天井に向けて伸ばす。

 青白い明かりが白い手の陰影を更に濃く表し、それを魔力が覆っていた。


 クロムと別れてもう1カ月以上の時間が流れているが、未だ彼の動向を知らせる連絡も無く、この村に戻って来る気配も無い。

 自由騎士のベリスとウィオラはこの村で数日間滞在した後、主である伯爵の緊急指令によりネブロシルヴァに帰還していった。


 その際にティルトはクロムの動向が解れば、何らかの形で連絡が欲しいと密かに彼女達に依頼をしている。

 彼女達もクロムに会いたいと願っているようで、その頼みは何の問題も無く受けて貰えていた。


「クロムさん...今は何処にいるのだろうなぁ。ここだとあまり情報も入らないから手掛かりも掴めないし」


 ティルトは眠気はあれど、心が落ち着かず寝返りを繰り返し、さらりと頬を撫でる金色の髪を摘まみ上げる。


「髪、伸ばそうかなぁ...」


 この言葉を発した意味は特に無く、クロムに会えた時の話題の一つになれば良いかといった程度のもの。

 ただクロムを追う他の人間と自分をどうしても比べてしまう事に、自身の情けなさを実感してしまう。


 どうしてもその2極化された隔たりを超える事が叶わぬのであれば、せめて髪を伸ばしてみれば何とかなるのではという安易な解決策。

 これで自分の中で解決していると言えるのだろうかと、ティルトはシーツの中に潜り込んで自嘲気味に溜息を付いた。





 すると玄関の方で小さくコツコツとノックする音が聞こえる。

 夜の静寂の中でようやく聞こえる程の音。


 ティルトの家は玄関に魔道具による施錠が幾重にも施されている。

 これは警戒という意味もあるが、家の中には錬金術師にのみ所有と取り扱いが認められている薬剤や触媒等が多数保管されている為、万が一間違いが無いように特に夜は厳重に施錠されていた。


 そして基本的に夜は緊急時以外ティルトの家には訪問しないという、村の中での暗黙の了解が存在している。

 それだけ錬金術師ティルトの存在が特別である証明でもあった。


 しばらくするとまたも同じ間隔で、正確に玄関の扉がノックされる。

 ティルトはいつでも防衛用の魔道具を作動出来る準備をすると、シーツをローブ代わりに身に纏い、ベッドから離れる。


 身に付けている装備が薄手の布一枚ではかなり不安が残るが、周囲に侵入者を知らせる魔力反応も無く、騒ぎも起きていない。

 深夜の来訪者に対し不用心ではあるものの、そう簡単にやられる程ティルトも弱い訳では無かった。


 ちらりとクローゼットと武器ラックを見て装備を整えようと、静かに動くティルト。

 相変わらず正確なノックが小さく聞こえてきていた。


 シーツをはらりと落とすと、急ぎ素肌の上から錬金術師のローブ一式を装備し、手早く武器ラックの魔法施錠を解除して白銀の杖、銀世界の宿り木シルバ・ミストルティと手に取った。


 そこでティルトは来訪者の正体について思考を巡らせる。


 ― 村の人では無いし...魔力の反応もない...魔力の反応...あっ! ―


 ティルトはふと、とある事を思い出すと一気に玄関に駆けて行った。

 来訪者の正体がティルトの予想通りなら、魔力反応が無い事にも説明が付く。


 「どちら様でしょうか?」


 ティルトが魔力を杖に込めながら、扉一枚隔てた向こうにいるであろう訪問者に声を掛ける。

 しかし返事は無く、扉の下の方をコツコツと等間隔で突く音が続いていた。


 誰かを呼ぶべきかとティルトは思案を巡らせるも、予想通りの訪問者であれば、この時間の接触は秘匿性が高い行動の可能性が高いと判断する。


「今、開けます。ただし少しでも不審な動きを確認すれば即座に攻撃します」


 ティルトは警告すると共に扉から距離を離した位置まで後退し、暗闇でも淡い光を放つ白銀の杖を構えた。

 そして魔道具である腕輪を魔力を込めた指でなぞると、埋め込まれていた魔石が小さく輝く。


 すると扉に埋め込まれていた同じ色の魔石も輝き始め、何重にも施された魔法施錠が解除されていった。

 そして音も無くゆっくりと扉が開き、ティルトの纏う魔力の濃度が一気に跳ね上がる。


 眼を青く輝かせながら、いつでも魔法を放てる体勢で警戒するティルト。

 しかし扉が開き、来訪者の正体を視認した瞬間、恐怖心や警戒心が一気に疑問に置き換わっていた。


「ん?...えぇ...?...球?」





 月明かりを鈍く反射しながら、球形であるにも関わらず決して良いとは言えない足場の上で完全に停止している物体。

 どの外観はどことなくクロムの装甲を彷彿とさせる甲殻で構成されており、一目で異質な物と判断出来た。


 表面に無数の赤い眼の様な物が配置された奇妙極まる物体。


 静かな時間が過ぎ去っていき、開けたままの玄関から緩やかな森の風が家の中に吹き込むと、ティルトのローブをふわりと浮かせた。


「あ...うわっ」


 風で捲れ上がるローブを慌てて押さえながらチラリと横目で球を見るも、特に動きを見せずに停止したままも珍妙な来訪者。


「あ、あの...中に入ります?」


 戸惑いながらもティルトが、明らかに生物では無い球に声を掛けた。

 すると球の下部の一部が割れ、そこから細い脚部が生えると硬質な機械音を立てながら家の中に入って来た。


「あ...そういう感じなんですね...えぇ...?」


 思いも寄らない移動方法にティルトの戸惑いが加速した。


 そしてこの珍客はその見た目と重量感からは想像出来ない程の機敏さで跳躍し、テーブルの上に着地する。

 使い込まれた木のテーブルがその重量を受けて悲鳴を上げた。


「えっと...クロムさんの...お仲間さんですか?」


 魔道具で玄関の扉を閉め施錠したティルトが、無機質な球に敬語で話しかけると言う、本人でも良く解らない状況に部屋が今までにない雰囲気に包まれる。

 ただこの時点で、彼はこの物体から放たれる雰囲気がクロムにどことなく似ている事を察知していた。


 するとティルトの中から、恐怖心や戸惑いを駆逐する勢いで“好奇心”が鎌首をもたげ始める。


 知識欲が刺激され、膨れ上がる知りたいという欲求。

 そして間接的ではあるが、待ちに待ったクロムと思われる人物からの接触が、彼の身体と頭を熱くしていった。


 ティルトがその物体の目の前に立ち、触れようか触れまいかで悩む。

 魔力を一切感じない為、そこに敵意があるのかすら読み取れず、触れていい物かどうかも分からない。


 それでも既に溢れそうになっている好奇心に負けたティルトは、そっと細い指先で球の表面に触れた。

 指先から伝わって来る金属の感触と冷たさ。


 それはかつて何度か触れたクロムの身体と同じ感触だった。

 薄着による肌寒さとは全く違う震えがティルトの身体を駆け巡り、警戒も忘れて両手で球の全体を撫でまわす。


 まるで楽しむようにその感触を味わっていると、不意にパシュという空気が漏れる音が球から発せられ、ティルトは飛び上がりそうになるほど驚き、手を引いた。


「わっ!?」


 魔力で青く煌く目を見開いたティルトの前で、球の甲殻の一部が開き、中から更に青く光る球形の構造物が姿を現わす。


「ふわぁ...綺麗...」


 ― まさかクロムさんの変わり果てた姿とかじゃないよね? ―


 もはやティルトは錬金術師として、そして探究者としての欲求を抑える事が出来ず、それから陽の光が森の端から顔を出すまで、寝る事を忘れてその球と向き合う事になる。


 そしていつの間にか部屋には、椅子に座りながらテーブルの上のその球を両手で抱え込み、顔をぴったりと預けて安らかな寝息を立てるティルトがいた。







 ― オルヒューメからクロムへ報告 マガタマBが指定された座標の集落へ潜入しました 指定された建物にいる人物との接触成功 指示を願います ―


 ― 伝達事項等はマガタマに格納してある。後はその指定人物の判断に任せて構わない。マガタマに対する行動を監視しておけ。一時的に追従及び護衛指定をその人物に変更 ―


 ― 了解 マガタマBの優先護衛対象を変更します ―

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