第144話 錬金術師は苛立っていた

 隠れ里の端に位置するティルトの家から、野太い男の叫び声が漏れていた。


「あだぁっ!いつつつつっ!おいもう少しゆっくりやってくれっ!」


 デハーニが椅子に座らされ、机に右腕を置き拳を握り締めながら魔法で頑強に固定され、額に冷や汗を浮かべている。

 それに対し、青い色のグラスが嵌め込まれた眼鏡を掛け、両手で銀色の長い針の様な物を持ち作業をするティルト。


 銀のタクトの先端に魔力を集中させ、それをデハーニの腕に沿わせていく。

 魔力を常に消費しながら精密な作業を要求される為、デハーニ以上に汗を滲ませていた。


「こうなる事がわかっているのに、何も考えずその場の勢いで身凍滅却イテツキを使ったデハーニさんが悪いんです」


 デハーニが先日、ピエリスに対し激昂した時に使用した彼の能力である身凍滅却は、身体能力を引き上げると共に魔力を冷気に変換して斬撃等に応用するもの。

 しかしながら魔力操作や親和性において適性の無いデハーニが使うと、魔力回路のみならず身体組織まで凍り付かせてしまう。


 本来であるならば、魔力防御でそれを防ぐのだがデハーニはそれが上手く出来ない。

 その分、魔力防御で冷気が相殺されない彼の技は火力が異常に高い。


 ただ魔力強化を行わず使ってしまうと、それ以後、強化した箇所が機能しなくなるのは明白であり、怒りに任せて使って良いものでは無かった。

 おかげで筋肉組織が内部から凍傷に近い損傷を受けた上に、魔力回路も焼き切れていた。


 肉体の損傷自体はポーションや回復促進剤で治療が出来るが、魔力回路の再構築となるとその何倍もの時間と手間がかかる。

 そしてそれを可能にする技術を持つ者もほとんどおらず、ティルトの技術は非常に貴重な物だった。


 ティルトは全く手加減する雰囲気を見せずに、目を凝らしながらデハーニの腕に浮かぶ至る所で焼き切れ寸断された魔力回路を、銀のタクトの先端から滲み出る高濃度の魔力と錬金術の応用技で繋ぎ合わせて行く。

 神経を麻酔無しで縫合していく痛みと同等の感覚がデハーニを襲っていた。


 そもそもこのデハーニの身凍滅却は、魔力適正が無い彼の身体構造と属性を徹底的に調べ上げたティルトによって与えられた能力である。


 魔力を騎士並みに保有しているものの、魔力回路の構成と使用適性が壊滅的な彼の為に、ティルトが本来鍛錬等で構成する魔力回路を、錬金術で人為的に体内に刻み込むという、外法に近い施術によって実現されていた。

 デハーニの背負う重荷、そして身の安全を護られている恩があるティルトが、彼に頼み込まれた末の決断である。


 その技を一度使えばティルトの施術が無ければ身体能力を大幅に失ってしまうという、最後の足掻きのような技であり、命を賭ける必要すら出て来る。

 それを怒りに任せて使い、右腕を捨てたデハーニに対するティルトの怒りももっともだった。


 結果的にピエリスの人生に一石を投じる事になった事は喜ばしいと思いながらも、ヒューメの一件以来、デハーニの行動にいつも以上の荒が目立つ事はティルトも気に掛けている。


 ― 望む頂きがあまりにも高すぎるんですよ、デハーニさん ―


 このままではデハーニは、この先の人生で身を滅ぼす選択肢を取るのではないかとティルトは考えてしまう。

 そう思うと、怒りに任せて身を滅ぼしかねない行動を取った彼の行動に対し、更に苛立ちの様な仄暗い感情がティルトの心に湧いてくる。


「あっいってぇぇぇぇ!?ティルトおめぇワザとやってねぇだろうな!」


「知りませんよ。動いたり叫んだりするともっと痛くなりますよ。歯を食いしばって耐えて下さい。デハーニさんが悪いのですからね」


「おめぇなんか最近やけに俺に厳しい気がするぞ!?」


「さて、何のことでしょう?」


 施術が乱暴になる事は無い。

 だがほんの僅かに込める魔力を増やすだけで、痛みの度合いが跳ね上がる。


 冷や汗を通り越して脂汗を流し始めたデハーニに対し、冷静な施術を進めるティルト。

 その時、玄関の扉がノックされ、ティルトが返事をすると申し訳なさそうな表情でピエリスが隙間から顔を覗かせた。






「あぁ!?なんだピエリス!あっつぅ!?何しに来やがっうごぉぉ!?」


「ピエリスさん、何か御用ですか?今施術中なのでデハーニさんは動けませんよ」


 顔を赤や青、白へ変化させながら激痛に弄ばれるデハーニを見て、顔を引き攣らせたピエリスがおずおずと言葉を紡ぐ。


「ち、治療の邪魔をして申し訳ない...ただ様子を見に来た...だけで...」


「大丈夫ですよ。これはこの人が後先考えずに行動した結果なんですから。気に病む事はありません」


 ― ホントはピエリスさんにも言いたい事はあるけど...今は止めといた方がいいかな ―


 ティルトがふわりと微笑むが、その眼は全く笑っておらず、ピエリスはその瞳からあの時感じたデハーニの冷気よりも冷たい気配を感じ、身体をビクリと震わせる。


「あと1時間もかからない位で施術は終わりますから。用事があるならその後でお願いします」


 ティルトがデハーニの腕に視線を戻し作業を再開すると、デハーニから息も絶え絶えの呻きが復活する。

 そのやり取りを見てピエリスは顔を青ざめさせて言葉を失った。


「わ、わかっ、わかりました...では中央広場で訓練をしているので...失礼します...デハーニ殿すまない...今度酒を奢らせて貰う...」


「やかましぃ!さっさと...いってぇぇぇ!」


「さっさと終わらせますよ。ピエリスさんそれでは後ほどでお願いします。その時デハーニさんが精魂尽き果てている様ならお迎えをお願いしますね」


 ティルトがこの2人の微妙な距離感と噛み合わない雰囲気、そしてどこか見ていてヤキモキする何とも表現し難い感情を心に押し込めて、静かに告げる。

 その言葉の迫力は、思わず敬語になってしまったピエリスを完全に圧倒し、押し黙らせた。


「で、では...後ほど...」


 ティルトの言葉と雰囲気に恐怖を感じたピエリスは、短く言葉を発するとデハーニの悲鳴を背に受けながら、そのまま風の様に立ち去る。





 その姿を施術しながら横目で見送るティルトが、いつになく真剣な口調で言った。


「いい加減、ピエリスさんに対する接し方を真剣に考えてもいいのと思いますけどね」


「あっがっ!?あぁ!?どういう事だそりゃ!?」


 静かに喋るつもりが、苦痛によってどうしても大声になるデハーニ。


「この際言いますけど、ヒューメさんの一件以来、ピエリスさんを含めた出来事に対して少し考えすぎだと思います。何を焦っているのですか?」


 いつもの朗らかな口調では無く、デハーニでさえも気圧される程に冷たい感情が乗ったティルトの言葉。


「ぐぅぅ!俺は結局何も出来なかったじゃねぇかよ。結局クロムの言いなりで事が進んで、ヒューメ嬢やピエリスが追い出されちまって...ぐぁっ...これで良かったと言えるのか?」


「ではデハーニさんは力があれば、あの状況を良い方向に導けたとでも?伯爵と対等に交渉し、ヒューメ嬢のあの状態を完全に解決して人を殺めた罪を清算させ、再び貴族としての道を進ませる事が出来たのですか?」


 ティルトの口から静かに語られる、デハーニの出来過ぎた理想、夢想と言い換えても問題無い程の都合の良い結末。

 クロム以外誰一人手出しが出来ず、踏み込む事も叶わなかった人外の戦い。


 デハーニはティルトにお前には無理だったと言われている様に感じ、苦痛に歪む顔の中に一瞬怒気を含ませた。

 しかしティルトの発する静かな苛立ちの気配で押し返される。


 デハーニの発したクロムの言いなりという言葉に、ティルトも本格的に苛立ちを覚え始めていた。


「何を怒ってるのですか?図星だからですか?いい加減にして下さい。それぞれ出来る事はあった。その範囲で自分の出来る事はなんだったのかと考えるべきなのでは?ボクはデハーニさんにはなれません。同時にデハーニさんはクロムさんにはなれないのですよ」


 奥歯を食いしばりながらティルトの言葉を受け止めるデハーニ。

 その顔は苦痛で歪んでいるのか、それとも自責の念で歪んでいるのかは分からない。

 もしくはその両方だろう。


 暫くの時間、デハーニとティルトが互いに目線を合わせたまま、無言で感情をぶつけ合う。

 しかしティルトの言っている事が正しいとデハーニは理解している分、どうしても分が悪い。


「...すまねぇ。焦っているのは...ぐぅっ...確かだ。もっと力が必要だってのも分かっている。だからこそ力があるのに立ち止まろうとするピエリスが我慢ならねぇ」


「それはピエリスさんの問題です。デハーニさんの問題ではありません。そんなに彼女の事が気になるならもっと仲良くしてください。それと折れてくれて助かりました。もしこのまま意地を張られていたら、苛立ちでもう一度この修復した回路を引き千切ってしまいそうでしたから」


 冷たく微笑みながら放たれたティルトの言葉に、青ざめるデハーニ。


「か、勘弁してくれ...お前、クロムと出会ってから性格変わったよな...あっつぅぅぅ!?」


「どうでしょうか?あの人の存在そのものに感化された部分があるのは否定しません。ですがそれは自分の中で解決しているつもりですよ」


 再び笑みを張り付かせたまま、ティルトは目線を患部に戻す。

 ここで話を終わらせておけば良かったのだが、デハーニの悪い癖が発動する。


「ったく...レピもお前も完全にクロムに骨抜きにされ...ぎゃぁぁぁ!!」


「...やっぱり一度地獄を見た方が良いみたいですね。デハーニさんは本当にいい度胸をしていますよ...」


 あどけない笑顔で額に青筋を立てながら、修復したばかりの魔力回路に強烈な魔力を流すティルト。

 魔力が宿った青く光る瞳の中の瞳孔が大きく広がっていた。


「す、すまねぇ!ちょっと揶揄って...あがぁぁぁぁ!」


 ティルトの家の壁を突き破ってデハーニの悲鳴が村に響き渡る。

 その強引に進められた施術の影響もあってか、終了までの時間が大幅に短縮されたものの、施術を終えて解放されたデハーニは精神と寿命も短縮されたかのような姿となった。





 その日の夜、身を縮ませているピエリスと共にデハーニが酒場に現れた。

 うわ言の様に憎まれ口を叩くげっそりとしたデハーニと、何度も謝罪しながら彼を介抱するピエリス。

 

 その両名の姿を見た村人達は、意外に噛み合いつつあるように感じるその2人を温かく見守ろうと心に決めた。


 ピエリスならばデハーニの肩の荷を少しでも支える事が出来るのではないか。

 今まで村人の出来なかった事を、やってくれるのではないかという期待。


 デハーニがピエリスの奢りで酒を飲み、ピエリスが横から彼の不自由な腕の代わりに皿に料理を盛ったりと、甲斐甲斐しく動いている。

 悪態を付きつつもピエリスの切り分けた肉を口に運び、奢りの酒を旨そうに飲むデハーニ。


 ピエリスが謝る度にデハーニに怒られて涙目になっている。


 この光景は守りたい。

 そんな決意に似た想いを抱く村人達だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る