第143話 その双剣は暴風と共に

 今まで行動を共にしていた冒険者達が危機に瀕している事は、騎士達もわかっていた。

 だが現状、助けに向かうどころか敵から目を逸らす事すら出来ない。


 それ程までにこのウェア・ウルフは凶悪な魔物である。

 そもそもこの強さの魔物がこの辺りに現れる事自体が前例が無く、遭遇時、騎士団長のウルスマリテですら驚きを隠せなかった。


 そして冒険者の男2人の悲痛な叫びが聞こえた瞬間、あの赤髪の快活な女盗賊の命が消え去る寸前である事を皆、感じ取る。

 騎士として仲間を救えない、目の前の魔物を倒せない不甲斐無さ。


 騎士団長のウルスマリテが1対1で他とは一回り大きな体格のウェア・ウルフと戦っているが、未だに倒す事が出来ずに、互いに激しい攻撃の応酬を繰り広げている。

 ウルスマリテが倒されれば、間違いなくこの場に居る全員が帰らぬ者となるだろう。


 その場に居る人間達、全員の脳裏に全滅という最悪の結果を浮かばせた時、森の中から黒い影が飛び出してきたのを、何人かの騎士達が目撃した。

 中には、その黒い影と気配から来る本能的な寒気から、朧気ながらその正体に気付く者もいる。


 あのオランテ邸での戦闘で脳裏に焼き付けることになった、人外の強さを誇る人物の姿を嫌でも思い出してしまう。

 3人の騎士隊長の心をへし折り、何より騎士達の存在意義を根底から揺さぶった者。


 その黒い影は、真っ先に殺されそうになっていたフィラに相対するウェア・ウルフに暴風の如く向かっていく。

 その動きには微塵も迷いは無く、この戦場で最も鋭利な殺意を纏っていた。


 そして戦場の時間が瞬間的に停止する。

 戦場に突如黒い翼を広げたこの怪物が、音も無くウェア・ウルフを一刀の元で両断したのだ。


 ウェア・ウルフも仲間が一瞬で2分割にされた様子を目撃し、ウルスマリテと戦闘を続ける1体を除く2体が、クロムを明確な殺意を宿した眼で低く唸りながら睨みつけている。


 戦場に居る全ての人間が、1人の男を思い出した。

 姿が変われど見間違う筈が無い。


 暴力の化身 “黒騎士クロム”


 その姿は以前見た時よりも更に禍々しくなっており、周囲に振り撒く恐怖も倍増しているように感じられた。

 だがその一方で、この戦いの勝利が人間側に一気に傾いた事も予見させる。






 両脇から立ち上るむせ返るような生臭い血と臓物の臭いに、フィラが思わず口を押えて

 魔物の現場解体も顔色変えずに行っていたフィラだったが、死神の手が肩に掛かっていた状態から突然クロムによって引き上げられた事によって、精神的に相当な負担が掛かっている。


 フィラの全身から今になって冷や汗が大量に滲み出てきた。

 死を完全に受け入れてしまっていた肉体と精神が圧倒的な恐怖に煽られ、顔も真っ青になっている。


「退避しろ。動けないのであればそのまま動くな」


 クロムは両腕を軽く払い、剣に付着した血を払いながらフィラにそう告げて、次の標的の選別に入る。

 小気味いい音を立てて前腕部のブレードが引き込まれ、逆方向からその刀身の尻が飛び出し、肘に鋭い突起物が出来た様に見えた。


 残るウェア・ウルフ3体の内、他とは異なる青色の毛並みを見せる1体はウルスマリテが単騎で戦っており、最も威勢の良い戦闘音を発している。


 ― あの騎士がこの集団の指揮官か ―


 横目でウルスマリテを捉えながらクロムが、フィラの横を何事も無かったかのように通り過ぎていく。


「ゲホゲホッ...!ク、クロさ...」


 フィラが沸き上がる嘔吐感を必死に抑えながらクロムに声を掛けるも返答は無く、代わりに靡いた外套の端が彼女の頬を撫でる。

 瞬間的に黒い影が視界を覆い、フィラは肩を竦めて叱られた子供の様な仕草で思わず目を閉じた。


 そして震えながら目を開けると、既にクロムの背中が彼女の視界から遠ざかっていた。

 その背中にはアルキオナが尾の様に揺らめいている。


「あ...」


 腕を伸ばして呼び止めようとするも、力が抜けて震える腕は上がってくれない。

 一方でクロムの中ではフィラの認識は既に意識から外れており、今は両腕に装備したカーバイド・ブレードの実戦運用評価を最優先事項としていた。





 クロムは身体に纏わりつく外套を払い除けるかのように、両腕を勢いよく左右に振った。

 鋭い機械的な音が響き、両腕から火花が散ると冷たい光を反射するブレードが生える。


 装甲との摩擦によって刃が研がれたカーバイド・ブレードが陽光を浴び、深緑色の刀身を輝かせていた。


 このカーバイド・ブレードは、強襲揚陸艦マグナ・ミラビリスの最も分厚い装甲である艦首前面複合装甲の端材を切り出した物。

 元々大出力レーザーやレールキャノン、プラズマキャノンによる艦砲射撃が飛び交う艦隊戦の中での強行突破に耐えうる装甲である為、その硬さは前の世界でも屈指の頑強さを誇っていた。


 この世界の鍛冶師では恐らく研ぐ事も不可能な程の高度を誇る超硬素材で出来ており、復旧させた艦内設備とマガタマによって加工され、研磨された刃は身体強化されたオーガの肉体であっても容易に切断する。


 研ぐ為にはクロムの装甲と同等の硬度が必要であった。

 よってクロムの前腕部の装甲で上下に挟み込むように装着する機構を新設し、前後にスライドさせる事によって瞬間的に刃を研磨する。


 その刃とクロムの膂力が合わされば、例えそよ風の様な斬撃であっても先程のウェア・ウルフと同様の運命を辿るだろう。

 ただし一切の魔力を通さない性質は遺物と同じであり、魔力による強化は全く受け付けず、ただ素材の硬さによる物理的破壊力に頼らざるを得なかった。





 歩きながら両腕を軽く振りながらブレードを流れる様に動かすクロム。

 その空気を斬り裂く音から、そこに秘められた切れ味を容易に想像させた。


 クロムが標的にしたウェア・ウルフが、黒い乱入者に向かって殺意に塗れた唸り声を発しており、その肉体には既に行き場を失いつつある力が渦巻いていた。

 先程まで戦っていた騎士達の存在を無視する形で彼らに背を向け、その背の鬣を立たせている。


 しかしその無防備な魔物の背中に攻撃する蛮勇を持った騎士は存在せず、かろうじて剣は構えているが、その剣先が震えていた。

 そしてクロムがこちらに向かっていると認識した時点で、少しずつ後ろ歩きで距離を開け、退避行動を取る。


 それはクロムの戦闘の邪魔にならない為ではなく、巻き込まれない為の行動。

 彼が自分達の身の安全を考慮するとは微塵も感じられなかった。


 ウェア・ウルフとクロムとの間で見えない殺意の火花が散り、空気が凍て付く雰囲気を周辺の騎士達が感じ取り、クロムの足音が澄んだ音色の様に聞こえてくる。

 そしてその緊張感に耐えられなくなったウェア・ウルフが、魔力波動を伴った咆哮をクロムに叩き付けながら一気に襲い掛かった。


 咆哮による波動を全く受け付けないクロム。

 一瞬、ウェア・ウルフの瞳の困惑の色が浮かぶも、溢れ出した殺意は止まらない。


 クロムはブレードの有効射程に獲物が侵入した事を即座に感知し、右脚を一歩踏み込み前屈みになると身体に巻き込んだ右腕ブレードを左下から右上へと逆袈裟で切り上げた。


 ブレードに何の抵抗も感じられず空気を斬り裂く音だけが響き、次いで右脚を軸に身体を時計回りに回転させながら左腕ブレードを標的の右肩から袈裟斬りで振り抜く。

 緑光の剣閃による静かな2連撃が交差し、狼人間の胴体に吸い込まれた。


 そして標的の巨躯がクロムの身体に触れる直前で、4分割されクロムに血飛沫と臓物を浴びせながら地面に跳ね散らばる。

 その余りにも凄惨な光景に、騎士の中には自分の身体を斬られたと錯覚し、思わず自分の身体を確認する者までいた。


 その凍り付いた時間の中、クロムはそのまま黒い風となって残りの2体に突撃する。

 この異常事態をようやく理解したのか、標的の1体が間髪入れずにクロムを迎撃しようと全力に近い形で魔力強化を全身に施し飛び掛かって来る。


「この魔物...っ!一体何を...うがっ!」


 仲間が2体惨殺され、生き残りがクロムに襲い掛かる光景を目にしたのウェアウルフが相対していたウルスマリテを強引に蹴り飛ばし、連携を取ろうとクロムに向かって跳躍した。


 通常であればその行動は即座に対応した連携と呼べるものだったかも知れない。

 ただ相対する者がクロムである以上、それは戦力の逐次投入という愚策に成り果てた。


 クロムは立ち止まる事無く標的との距離を詰めると、射程圏内に収めた直後に更に増速、右腕ブレードを横薙ぎに斬り払う。

 そしてウェア・ウルフの横をすり抜けると同時に身体を半回転させて左腕ブレードを上段から標的に頭頂部に斬り降ろした。


 既に胴体が上下に切り離されたウェア・ウルフの身体が更に左右に切り離され空中分解を引き起こす。

 そして残心も無く、即座に逐次投入された残りの戦力に向かって身を翻し、一気に距離を詰める為に低い軌道で跳躍する。


 巻き上げられた土煙と血飛沫を背景にクロムの黒い身体が宙を舞う。

 その黒い暴風の先には、魔力を纏った鉤爪をクロムに向けて振り下ろそうとする青い毛並みのウェア・ウルフ。


 クロムはそれを避けようともせずに、左右のブレードを上段で交差させると正面から斜め十文字で斬り払った。

 かなりの相対的な速度がある為に、空中でクロムとウェア・ウルフの身体が衝突し、その衝撃で既に斬り離され絶命した標的の身体がバラバラに弾き飛ばされる。


 クロムが着地すると同時に、周囲の地面には分割されたウェア・ウルフの身体や臓物がバラバラと落ちて来た。

 瞬間的に屠られた魔物達の惨殺死体から、むせ返るような生臭い死臭が沸き上がり周囲に満ちる。


 その臭気と凄惨な光景に、何人かの騎士は戦闘終了を確認していないのも関わらず、鉄兜を勢いよく脱ぎ去り激しく嘔吐していた。







[ 戦闘システム 解除 クリスタライザー及び魔素リジェネレータ 通常モードに移行 ステルス・システム 解除]



 クロムの全身から赤い魔力が溢れ出し、徐々に蛇口が絞られるように、落ち着きを取り戻していく。

 この濃厚な魔力を感じ取った騎士達はあの日の戦闘の恐怖を思い出し、魔物が殲滅されたにも関わらず、剣を握る手の力を緩める事が出来ない。


 ― 切れ味は申し分ない。後は摩耗と耐久力だがこれは戦闘を繰り返すしか無いな ―


 クロムは周囲の状態を一切気に留める様子も無く、戦闘記録を記憶領域に格納すると勢い良く両腕を左右に振り血を払い、ブレードを作動機構で勢いよく前後させて刃を研磨する。

 そしてそのままブレードを大腿部の格納位置に固定すると前腕部から引き抜いた。


 大腿部の装甲が変形し、刀身を覆い隠す様に格納する。

 剥き身では歩く度に何かを斬ってしまう可能性があり、この変形機構の為にクロムの大腿部の装甲形状が前腕部と共に大幅に改変されていた。


 依然と比べてクロムの外観が刺々しくなっており、背腕アルキオナと赤い単眼が異形感を全力で後押ししている。

 当然ながら、魔物を瞬く間に殲滅したクロムに称賛の声を掛ける者もおらず、近づく者さえいない。





 そんな中、この場の空気を押し出す様に騎士団の中でも一際体格の良い騎士がクロムに速足で向かってくる。

 もう我慢出来ないと言った様子で荒々しく兜を脱ぎ去ると、日の光で煌めく汗の飛沫と共に、女の顔が現れた。


 群青色の短髪を汗で湿らせ、速足と言うよりはほぼ駆けているといった速度でクロムに接近するウルスマリテ。

 クロムの警戒を感じ取ったのか、適度な距離で脚を止め、おもむろに姿勢を整え頭を深々と下げた。


「黒騎士クロム殿とお見受けする。心より助力に感謝すると共に、貴殿に会えたこと心より嬉しく思う。私はオランテ伯爵閣下の配下、オルキス近衛騎士団騎士団長ウルスマリテ・グラサという。よろしく」


ランク4層スプラー・メディウム冒険者クロムだ。詳細は既にオランテより聞いているという形で話を進めるぞ。オランテが建設中の砦に向かっていた所に見知った冒険者が居たのでな。介入させて貰った」


 ほほぉといった表情で、未だに腰が抜けて座り込んでいるフィラとその横で怪我の治療を行っているロコとペーパルを見るウルスマリテ。


「あの冒険者はかなり腕が立つ。まさかクロム殿が目を掛けていたとは。いやはやそのご慧眼、素晴らしい」


 ― 何とも快活な女だな。実力も申し分ないと見えるが。こういうタイプの騎士のこの先の行動が何となくだが分かる気がするが... ―


 クロムがウルスマリテの行動を予測する以前に、既に彼女の身体からは濃密な魔力が溢れ出しており、先の戦闘で傷だらけになった全身鎧の中で、鍛え上げられた肉体が暴れているのがわかる。


 女だてらにという考えはクロムには無い。

 間違いなく目の前に立つウルスマリテは、まぎれも無い歴戦の騎士だった。

 

 だが、クロムは任務の進捗を優先している事もあり、ウルスマリテの望む行動を取るつもりは無かった。


「クロム殿。お願いがあるのだ。ここで私と立ち会ってくれ。私がもし仮に死んだとしても構わない。もし死んだらこの隊の全権限を委譲する」


「「「「はぁぁぁぁ!団長殿!?」」」」


 目をこれでもかと輝かせるウルスマリテの言葉に周囲の騎士達は天を仰ぎ、一方で項垂れたりと三者三様だが、それでも共通している思いは、この人は何を考えているのかという物だった。


「悪いが俺は時間が惜しい。後ほど立ち合いの場は設けてやる。俺はこれから砦の予定地に向かいオランテと話をする。お前達と別方向であれば俺はこのまま向かわせて貰う」





 ある意味クロムから最大限の譲歩を引き出したとも言えるウルスマリテ。


 だが、気持ちが身体より先に走り出したウルスマリテは止まらない。

 クロムの言葉をしっかりと理解しているかも怪しい。


「そうか。わかった。我々も思った以上に被害が出ているので砦に戻る。では立ち合いを始めようか!」


 ウルスマリテの身体から猛烈な魔力と戦意が迸る。

 それは周囲の木々を靡かせ、騎士達が顔を覆う程に強烈な、闘気とも言える物だった。


「...オーガと人間の交雑種かお前は」


 クロムが一言呟くと、両手をだらりと力無く降ろす。

 それを見たウルスマリテは、何を勘違いしたのかクロムが模擬戦を了承したと前向きに捉えた。


「おおぉぉぉぉ...っ!この高揚感!クロム殿!いざ尋常にしょ...」


「...やかましい」


 ウルスマリテが腰の剣に手を掛けようとした瞬間、クロムの姿が黒い影となって彼女の懐に飛び込む。

 その周辺の騎士や冒険者が視認出来ない程の速度の踏み込み。

 それと同時に、ウルスマリテの顔面にクロムの大きく開いた右手が添えられた。


「っ!?」


 そして右手が驚く事も間に合っていない彼女の顔面を鷲掴みにした瞬間、クロムはそのまま彼女の身体を完全に持ち上げると同時に踏み込みの勢いのまま地面に叩き付けた。

 ドゴンという音と共に、地面が放射状にひび割れる。


「うごぉ!?」


 彼女の頭部を包み込むようにクロムの右手が掴んでいるので、後頭部が直接地面に直撃する事は無い。

 それでも凄まじい衝撃が彼女の頭部に襲い掛かり、ウルスマリテは呻きとも叫びとも言えない悲鳴を上げた。


 全身鎧を装着したまま全体重を掛けて叩き付けられた事により、ウルスマリテが肺の中の空気を一気に外に押し出され、息も満足に出来ない。


「人の話を聞け」


 ウルスマリテを地面に叩き付け後に、クロムが立ち上がりながら一言呟いた。

 だが完全に意識を飛ばしたウルスマリテにこの声は届かない。


 周囲の騎士と冒険者はウルスマリテを心配する事も無く、今度ばかりは全員が力無く項垂れていた。

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