第133話 記憶と自我のパラドクス
これは撃破されたサソリ等の死体が濃度の高い魔素に晒され、結晶化したものであり、その結晶もまたこの地のこの異常な環境の一助となっていた。
過去の戦闘記録と各種モニターを確認すると、地表に出ている魔力結晶はまさに氷山の一角と言える物で、埋没した船体各所に死んでも尚、その身体を張り付かせたまま結晶化した魔物が無数に存在していた。
この領域の魔素濃度が異常な値を見せているのはこれが原因である。
ただ見方を変えれば、この結晶と魔素、そして魔力をエネルギーとして変換する事が出来れば、当分の間はエネルギー問題を解決出来るとクロムは考えている。
その為に、現在制御室では戦術管理AIの構築が急ピッチで進められていた。
エネルギー自体が枯渇寸前である為、AI構築後、即座にエネルギー問題に取り組まなければ全てが水泡と帰してしまう事もあり、クロムはその準備に日々意識内で様々な角度から問題の検証を続けていた。
制御室でいつもの様に空のコンテナに腰を下ろし、部下の魔力を感知しながら、意識を回転させているクロム。
その横でマガタマが余った甲殻やその他、艦内を走り回って回収して来た素材を総動員して、もう1個のマガタマを修理している。
仮にうまく修復出来れば、連絡要員もしくは簡易護衛を行うユニットとして運用予定である。
― 管理AI333よりマスターへ 記憶領域P13よりW45までのデータ回収完了 ―
― 自我制御プログラム 領域占有率62% 自我構築アルゴリズムの再起動を開始します ―
仮の識別番号を与えられた管理AIが、データを収集する度にそこから自我形成の足掛かりとして各種プログラムを構築していた。
トリスタンという自我を排し、AIに新たな自我を芽生えさせる計画をクロムが推し進め、その進捗もあと少しで実用段階まで来ている。
トリスタンとの交渉により、AIの構築アルゴリズムと各種制御プログラムを奪取したのはこの為だった。
“同じ記憶データを移植した存在は、以前の存在と同じ物なのか”
技術の発展と進化によって人間が辿り着き、そして迷い込んだテセウスのパラドクス。
記憶をデータとして受け継ぎ、身体を再構築しながら歩み続けるクロムは兵器であり、機械である。
人間であり続けようとする意思がパラドクスの中に囚われてしまうのであれば、その意思を捨て、人を捨てる事によってその問題から解放されるとクロムは考えていた。
― 記憶情報による自我形成を開始 パーソナルデータによる人格固定を完了 ―
― 行動制御プログラムを自我構築アルゴリズムに接続 思考制御プログラムは記憶情報を参照 ―
― アンチ・デュアル・パーソナリティ 記憶情報の分離を完了 ―
― 自我形成の進捗率74%で停滞中 マスターの指示を請う ―
利用出来るものは、それが何であれ最大限利用する。
クロムの世界とこの世界、その両方の理に触れ、双方の世界の技術と理論を理解出来る可能性があるAIをクロムは構築しようとしていた。
経験と記憶が自我の原形を形成し、それらを使った予測によって最適な未来を進む。
常に最善を掴もうとする行動理念は生きる意思として変換され、その意思が存在意義を産む。
「戦術管理AIの識別名称を変更。識別名“オルヒューメ”」
クロムが最後のピースを埋めるべく、新しく生まれつつあるAIに名前を与えた。
― 識別名“オルヒューメ” 認識完了 自我形成の再進行を確認 思考アルゴリズムの一部起動を確認 ―
― 戦術管理AIオルヒューメ 起動準備を最終段階に移行 自我構築アルゴリズムを最適化 ―
― 戦術管理AIオルヒューメ 最終起動 イグニッション ―
制御室の中央に浮かぶコアに新たな光が灯る。
その光の色は今までとは違う、命の脈動と共に流れ蠢く鮮血の赤。
深紅に染まったコアが、艦に残されている残り少ないエネルギーを貪る様に食らい始め、急激なエネルギーの流入により幾つかのシステムが過負荷を起こし、緊急停止した。
「さてここからが時間との勝負だな」
クロムはその眩い光によって黒い身体を照らされながら呟く。
新たな戦術管理AIの誕生を喜ぶ事も無く、心に浮かばせる感情も無い。
彼がこのオルヒューメに価値を見出すのはこれからの成果次第であり、もし成果が得られないのであればこれを消去する事も厭わない。
― 戦術管理AIオルヒューメ 起動完了 ―
心臓の鼓動の様にコアの光が明滅し、メインモニターには現状を把握しようとする思考アルゴリズムを可視化している3次元グラフが激しく動いていた。
記憶媒体である赤い正十二面体がコアの中心に映し出され、回転しながら無数の伝達回路を接続されている。
「第一段階クリアか...オルヒューメ。システムの安定化を確認した後、緊急の任務を与える」
― 現在、各部システムの再起動を実行中 ご命令をマスター・クロム ―
トリスタンと同じ音声出力で、クロムの言葉に答えるオルヒューメ。
「現状におけるエネルギー問題の解決の為、魔力及び魔素のエネルギー変換、転用によるエネルギー供給回路の構築を図る。システム構築の検証を直ちに開始。最優先事項だ」
― 了解しました 個体名“ヒューメ”及びマスター・クロムの記憶情報を参照 システム再起動後 検証及びシミュレーションを開始 ―
クロムは自身の記憶に残されているヒューメの記憶も、自我構築の為にオルヒューメに予め送信している。
加えて自身の体内におけるコアの状況、そして魔力のエネルギー変換に関する記録、更にはそれまでに構築してきた魔素リジェネレータ―等のシステムや融魔細胞の情報も渡していた。
クロムが次々とメインモニターに映し出されるシミュレーションや検証、仮想空間でのシステム構築実験のデータを眺めている。
オルヒューメが住まうガラスの円筒の周囲には無数のデータ群が流れており、各システムも最大処理速度で運用されていた。
この段階まで辿り着いたとなれば、エネルギーの消費が早いか、システムの構築の成功が早いかの勝負である。
無数のグラフの中で数値が目まぐるしく変化し、システムが構築されては分解されるを繰り返す。
すると突然、作業途中であるにも関わらず、オルヒューメから音声が出力された。
― オルヒューメよりマスター・クロムへ 通達事項があります ―
「なんだ」
その音声に一言で応えるクロムは、思考制御プログラムが未熟故の無駄な行動と判断する。
しかしこれはオルヒューメの判断による意図的な物だった。
戦略管理AI“オルヒューメ”の自我が生まれて初めて行った、オルヒューメの判断による、オルヒューメの意思に基づく行動。
― オルヒューメよりマスター・クロムへ ―
― おはよう マスター・クロム また会えるとは思っていなかった 新しい私の名前 “オルヒューメ” ありがとう 大切にする ―
その言葉を紡いだ拙い抑揚の声は今迄のトリスタンの声では無く、クロムが渡した記憶情報の中から抽出し再現した、在りし日のヒューメの声だった。
クロムはオルヒューメの自我が最初に行ったこの行動に、少し驚きながらもあの時と変わらない口調で苦言を呈する。
「オルヒューメ。余計な演算でエネルギーを無駄にするな」
― 了解しました システム再構築シミュレーション 魔力エネルギー変換率32%を確保 魔力回路構築の実験を実行 ―
― 魔素リジェエレータ及びM・インヘーラ―のシステムロジックを参照 魔力回路構築の実験を再実行 ―
クロムの言葉を受け、瞬時に思考回路が切り替わり、作業報告に戻るオルヒューメ。
ただその声は元に戻される事は無く、既にオルヒューメの声としてAI自我領域に固定されていた。
― 魔力回路生成を開始 マスター・クロムからの受信データを参照 回路形成最適化 ―
― 魔力回路運用効率14% エネルギー回路との競合を確認 エネルギー管理システムの再構築を開始 ―
オルヒューメのコアの表面に、無数の小さく細い見慣れた魔力回路が形成され始め、それはやがて1つの回路を作り出す。
薄紫色の魔力がその回路を流れ始め、そのデータがコアとシステムにフィードバックされていく。
その成果をメインモニターにて確認していたクロムが、オルヒューメに告げた。
「オルヒューメ。俺の呼称は“マスター・クロム”では無く、“クロム”だ。変更しておけ」
この静かな命令を受けたオルヒューメが、一瞬何かを思案したのか返答が僅かに遅れる。
― 了解しました クロム ―
薄暗い制御室の中央に浮いているオルヒューメのコアの赤い光が、僅かではあるがその輝きを増した。
ただトリアヴェスパから参加を願い出た訳では無く、逆に冒険者ギルドとオルキス近衛騎士団からの指名依頼での参加であった。
この依頼に多少の疑問は感じたものの、冒険者ギルドと騎士団からの指名依頼であれば、ランク昇格への貢献度や評価が非常に大きく加算される為、正に渡りに船と言った状況だった。
そしてこの依頼を出したのが、オルキス近衛騎士団団長のウルスマリテである。
ウルスマリテはレオントから、黒騎士クロムと行動を共にしていたというトリアヴェスパの存在を知った。
冒険者ギルドにてトリアヴェスパに対し指名依頼を出す事で、間接的にクロムとのパイプと確保する狙いがある。
ただ騎士団としても、経費の安い
特に今回は
このウルスマリテの人選の報告を裏で密偵から受けたオランテは、額に青筋を立てながらも、冒険者の人選は任せると言った以上何も言う事は出来ず、諜報機関の長としてクロムの身辺情報の収集を疎かにしていた事を悔いていた。
ともあれ、ウルスマリテは騎士団長としての任を拝命出来る実力は確実にあり、トリアヴェスパの働き次第では、騎士団長の立場から
「んー、やっぱこれってどう考えてもクロさん関連の依頼よね」
フィラが騎士団の進軍方向に先回りする形で先行し、偵察任務を行いながら木の上で独り言を呟く。
クロムが領主であるオランテ伯爵と会い、そして近衛騎士団のレオントと模擬戦を行った事はまだ記憶に新しい。
その近衛騎士団からの指名依頼となれば、どう考えてもその先にはあの黒騎士の姿が浮かび上がって来る。
「しかもあのウキウキ顔の騎士団長さん、とんでもなく強そうだし...クロさん、今度は何をやらかしたんだろ...」
フィラ自身、あの話題に事欠かないクロムが大人しくしているとは思っていない。
そんなクロムに半ば呆れながらも、彼の話を街の酒場等で耳にする度に短いながらも一緒に行動した記憶が脳裏に浮かび、何処か誇らしい気持ちになっていた。
「クロさんに顔と名前を憶えて貰っているってやっぱ凄い事だよねぇ。ん?あれは...オークの群れ?」
フィラの偵察能力が魔物の気配をいち早く察知し、覗き込んだ遠見の魔道具の視界の中にオークの集団を捉える。
「何か疲れているって感じだね。縄張り争いに負けたか...考えたくないけど、強い魔物に追われてきた?まぁこのままじゃ確実にぶつかるだろうし、まずは報告報告」
そう言って、フィラは気配を消しながら木から飛び降り、後方の騎士団へ報告に向かった。
「団長殿!報告します!先行していた冒険者の偵察により、この先、300の位置にオークの群れを発見したとの事。その数13。手負いの様です」
「流石はクロム殿の見込んだ冒険者だ。手際も良い。手負いであれば接敵次第、一気に殲滅する。ただ何かに追われている可能性もある。警戒態勢を維持しつつこのまま進軍する!気を抜くな!」
「「「はっ!」」」
ウルスマリテは伝令役に素早く指令を出すと、現在位置と砦、そしてクロムが居るであろう
― この先を進めばあの地獄とも言われた
ウルスマリテは待ち望んでいるクロムとの模擬戦を想像し、武者震いで鎧を鳴らす。
トリアヴェスパの戦士である大男のロコと比べても、見劣りしない程の体格を誇る女騎士ウルスマリテ。
彼女の全身鎧の中に潜む鍛え抜かれた肉体に自然と力が入り、その身体が無意識に魔力を帯び始めた。
「おお、騎士団長殿の気迫が...!」
後ろ歩いている騎士達が、そのウルスマリテの背中に宿る気迫に圧倒され驚きの声を上げる。
だが、その気迫の原因と向いている場所はオーク等では無く、眼中にも入っていない。
― クロム殿、お会い出来る事を楽しみにしているぞ!その時は全力で挑ませて貰う!待っていてくれ! ―
このウルスマリテの発する強烈な戦いの気配を事前に察知出来ず、騎士団との戦闘を避けられなかった手負いのオーク達は、本当に運が無かったと言えた。
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