第130話 蠢き始めた世界
オルキス領ネブロシルヴァから離れた大森林の外縁部に、無数の篝火が焚かれている区画があった。
その明かりは夜に昇る月明かりをも掻き消す程に轟々と周囲を照らし出している。
その区画は周辺の木々が伐採され、それを用いて長大な防護壁が造られており、蘭の花が描かれた軍旗が森の夜風にはためいていた。
そしてオランテ伯爵の率いるオスキス近衛騎士団の一部がそこに駐屯し、完全武装の騎士達が交代で周辺を警備に当たる厳戒態勢の中、昼夜問わず石材や食料品、様々な軍事物資が絶えず運び込まれている。
1辺が100メートル以上ある整地された区画の中で、伯爵直々の特別依頼によって周辺の街から職人や冒険者達が雇われ、それぞれの割り当られた仕事に従事しており、真夜中であっても活気に満ちている。
既に急ピッチで作業が進む一部の防護壁は魔力強化を施された石壁が完成しており、その内側では建設予定の建物の区画割が木の杭とロープで記されていた。
資材が馬車によって運び込まれ、現場指揮を担当する騎士や職人の親方衆が指示と檄を飛ばす。
許可が取れた商人や旅芸人もここに集まる作業員達に食事や酒を提供し、さながら開拓村の様相を呈している。
下手な地方の街よりも活気溢れるこの光景がもうかれこれ1ヵ月に渡り続いていた。
「伯爵閣下、東区画の進捗報告が上がっております」
敷地内にて最も厳重かつ豪華な天幕の中で、オルキス領領主オランテ伯爵がわざわざ持ち込まれた執務机に座り、冷めた紅茶片手に資料や報告書を読んでいる。
この天幕を中心に様々な用途を割り当てられた建物が隣接し、さながら戦時中の臨時指揮所の様な雰囲気の中、近衛騎士団副団長のレオント・アルピーヌが報告書を持って天幕にやって来た。
「そうか。特に変わった事が無いのであれば、そこに置いておいてくれ。目を通しておく」
「畏まりました」
レオントは鎧を小さく鳴らし、頭を下げると山の様に積み上がっている書類の頂点に報告書をそっと置く。
昼間はこれらの報告書を数人の文官が処理しているが、既に全員が天幕を出て休息していた。
「ここに来る度に進言させて頂いてはおりますが...」
「今は休めんぞ」
眼にうっすらと隈をこさえているオランテは、毎回ここに訪れる度に小言の様に休めと言ってくるレオントの言葉を慣れた口調で迎撃する。
「全く...お身体が持ちませんよ。仕方が無いとは思いますが」
レオントはオランテ付きの侍従が差し出した淹れ立ての紅茶に口を付けると、地図や工程が掛かれた大きな紙に目を向けた。
「黒騎士殿が
レオントはクロムとの出会いによって、奇妙な方向に度胸が付き、オランテと二人でいる時は許される範囲で砕けた口調となっていた。
オランテもまたそれを諫める事は無い。
「クロムに関しては全くわかっていない。デハーニの所に連絡役を回しているが、そちらも掴めていないようだ。それに王都、ラナンキュラス王女殿下側も静かすぎる。何が起こるか全く予想が出来ない」
「一部の上級貴族の間では、この砦の建築に関して探っている様子も見られますが...」
「捨て置けばいい。貴族関係は王女殿下が何か手を回して下さる。それにこの砦の建築は既に王女殿下からの勅命によって保証を受けた。今更、有象無象が何かやった所でどうにもならないだろう」
オランテは国内外各所に潜らせている密偵の暗号報告書を机に置き、眉間を軽く揉み解すと、冷めた紅茶を飲み干した。
そして工芸品の様なガラス瓶に入っているミントの香りがする飴玉を、カロリと口に1つ運ぶ。
「いずれにしてもこの砦の建築は現状、我がオルキス領の最優先事業となっている。地下施設の建築に関しても急がねばならん。クロムは待ってくれんぞ」
「確かに工期の遅れが原因で、黒騎士殿に頭を下げるのは避けたいですね」
双方が苦笑いで視線を交わし合い、レオントが天幕を出ようとした時、2人はふと奇妙な気配を天幕の外から感じ取った。
濃密な魔力の気配に加えて、戦士としての勘が捉えた冷たい殺意に似たもの。
「閣下、お気を付けください。これは只者ではございません」
「うむ。この魔力は尋常では無いぞ。おい直ぐにここから出ろ。そして誰にもこの事は話すな。今、余計な騒ぎを起こす訳にはいかん」
オランテがレオントの雰囲気を察知し怯えの表情を浮かべている侍従に、退避するように命令する。
レオントが侍従が小走りで天幕から出て行くのを背中で感じ取り、音も無く長剣を抜き去った。
その剣が向けられている先は天幕の壁である。
だが明らかにその壁の向こうに、普通では無い何かが存在していた。
レオントが魔力を練り上げ、その屈強な身体に魔力強化を施し、オランテもまた全身を強化しつつ、机の傍に置いていた剣を構える。
魔物でも暗殺者でも無い、あまりにも奇妙な気配という事もあり、余計な行動を取る事が出来ず、作業中の外の喧騒が一際大きく2人の耳に届いていた。
「閣下、この気配...何処かで感じた気配と似てはいませんか?私は真っ先にとある人物が思い浮かびますが...」
レオントは額に小さな汗を浮かばせて、この気配に似た物を持つ人物を想像した。
「ああ、俺も1人心当たりがあるな。だが似て非なる物と言うべきか...その人物の気配はもっと強烈だぞ」
2人の脳裏に浮かんだのは、このオルキス領をこれでもかと引っ掻き回している常識外の人物。
だがオランテが言った“似て非なる物”と言うのは、意外に的を得ていた。
その人物は国中をどんなに探したとしても同様の物を見つける事が出来ないと思われる、唯一無二の気配の持ち主だからだ。
濃密で暴力的な魔力を放ちながら、具現化した死の様に冷たい気配を持つ人外の黒い化物。
それに僅かでも似ている時点で、もうそれは普通の存在ではないのだ。
「この先にいる者よ。もし用があると言うなら姿を見せろ。そちらに害意が無いのであればこちらから剣を振り下ろす事は無い」
オランテが静かに、それでいて強固な意思を含んだ言葉を壁の向こうの存在に投げ掛ける。
「閣下...出来れば“姿を見せろ”では無く、“入って来い”と言った方が...」
レオントは自身が思い浮かべた人物像の性格から、言葉選びを間違えた際の危険性を示す為、苦言にも似た言葉でオランテに進言する。
しかし、それは遅すぎた。
そのレオントの言葉が切っ掛けになったかのように突然、睨んでいた天幕の壁に青い光の線が音も無く無数に走る。
無数の青い斬撃が、魔法強化を施された金属繊維の編み込まれた天幕の壁を、いとも簡単に切り刻んだ。
余程の攻撃で無いと破る事も困難な最高級の天幕の布地。
その斬り裂かれた布地の切り口が高温でオレンジ色に輝き、焦げ付きながら白い煙を上げている。
そしてハラハラと布地が僅かに燃えながら宙を舞い、地に落ちる。
「な...なんだ...これは...俺は今、何を見ているのだ...!」
「敵!?...閣下、お下がりください...!」
余計な騒ぎを起こすまいと驚愕で上がりそうになる声量を必死に抑える2人。
先程の青い斬撃を見ただけで解る異常な威力。
その攻撃によって無駄な犠牲を今払う訳には行かず、ましてや今ここには多数の非戦闘員が居るのだ。
2人の目の前には、蜘蛛の様な4本脚に金属の球体が乗っている見た事も無い造形の存在。
その球体の両脇には先程の斬撃を放ったと思われる細い昆虫の様な腕が、先端に青い光を宿しながら油断無く構えられていた。
6本の手足を持つ金属の球体。
脚も含めてその球状の物体は2人が今までに見たどの金属とも違う、材質がまるで判断出来ない物だった。
夜の暗さも相まって、その光を反射する金属光沢は美しさを感じる程であり、そして明らかに普通の硬さの金属では無いと2人は即座に確信した。
正体は
するとマガタマの両腕が掲げられ、先端に灯っていた青い光がその勢いを強め、ナイフ程の長さの青く輝く線となる。
マガタマ用拡張兵装“ターマイト”
これは厳密に言えば攻撃用兵装では無く、金属等を切断し作業を行う支援兵装に分類されるものである。
しかし腕部先端から発せられるレーザーブレードは、クロムの世界の戦闘艦や機動兵器に用いられる金属を加工、切断する程の出力がある為、この世界のレオント等が装備している鎧や盾等は文字通り紙の様に斬り裂く事が出来る。
勿論、装備している人間も含めて。
「剣を降ろせ。レオント」
オランテが構えを解き、自身の剣を机の上に静かに置く。
完全な降伏の仕草を見せ、武装解除の命令を下すオランテにレオントが驚いた。
「か、閣下...しかし...」
「こんなモノ、クロムが関係していない訳は無い。剣を向ける事自体が無謀過ぎる。この奇妙なモノ1体でここの戦力を壊滅させる訳にはいかん」
聞いた事の無い音を発しながら、青いブレードが陽炎を作り、それだけでそこに込められている力の凄まじさを感じ取れた。
「わ、わかりました...」
レオントが冷や汗を浮かべながら、ゆっくりと跪くと構えていた剣を地面に置く。
その様子をレーザーブレードを掲げながら見届けるマガタマ。
「こちらに攻撃の意思は無い。クロムの使いだろう。用件を頼む」
マガタマにこちらの世界の言語の翻訳に関する情報はインストールされておらず、オランテの言葉を処理する事が出来ない。
その代わりに今の状況を通信にて報告を受けた主から、武装解除と持たされた荷物の受け渡しの命令を受けるマガタマ。
その情報を元に天幕の中から発せられていた、オランテとレオントの音声を森の中から傍受し位置を特定、隠密行動にて姿を現わた。
マガタマの小さな単眼の1つが明滅しレーザーブレードが瞬間的に消えると、球体を覆う甲殻の一部が割れて中から丸められた紙が現れた。
そしてそのまま動きを止める。
「受け取れという事か」
オランテが頬に一筋の汗の筋を浮かべながら、警戒心を露わにし、ゆっくりとマガタマに歩み寄る。
「閣下、ここは私が...」
「構わん。これは俺の役目だ」
レオントの言葉を手で制し、オランテはマガタマの前で跪くと、恐る恐るその紙に手を伸ばした。
この状況で先程の青い剣が突然振るわれれば、間違いなく一瞬で細切れにされるであろう恐怖に対し、貴族社会で培った胆力等まるで役に立たない事を思い知るオランテ。
冷たく暗く平坦な、クロムとよく似た気配を放ち続けるマガタマ。
オランテが震える手で紙を受け取ると、その奥には掌サイズの魔力結晶があった。
この時点でこの魔力結晶が尋常では無い魔力を放っている事がわかり、間違いなくこの近辺で入手出来る代物では無いとわかった。
オランテはドラゴンの口の中に手を入れるような気分を味わいつつ、その魔力結晶も手に取る。
そして荷物の受け渡しが完了するとマガタマは甲殻を閉じ、忙しなく脚を動かしながら天幕の外へ走り出すと、脚を収納しドンという衝撃音と共に大きく跳躍、瞬く間に森の中へと姿を消した。
再び静寂が訪れたこの場に残されたのは土煙と抉れた地面、そして斬り裂かれた天幕の布の破片。
先程の衝撃音を聞き付けた騎士が数名天幕に駆け寄って来るが、レオントが機先を制する形で何事も無かったと、オランテの名を使いその場を収める。
オランテは持っているだけで、手が魔力飽和で熱と痺れを感じる魔力結晶を慎重に机に置く。
この大きさの魔力結晶が放って良い魔力量では無かった。
部屋の床下に設置するだけで、その上に立つ標的の意識を刈り取る可能性すらある程の魔力量。
それを手土産代わりに持たせたクロムが、間違いなく
そしてオランテは紙を広げて、中に書かれている内容を確認した。
オランテの目線が書かれている文字をなぞる様に左右に動き、そしてその目線が彼の心境を表わす様に震え始めた。
そしてオランテが紙を握り締めながら身体をふらつかせるのと同時に、穴の開いた箇所から天幕に戻って来て、その姿見て慌てふためく。
「閣下!どうなされたのですか!?まずは横に!」
「大丈夫だ...それより今からでも構わん。砦の作業人員を倍に増やす計画を立てろ。可能であれば3倍でも構わん。最優先事項だ。特別予算で足りないのであれば私財を裏で売り捌いてでも資金を集める」
「なっ!?流石にそれは無茶です!まずはしっかりと計画を...っ!?」
「これを読んだ上でそのような台詞が言えるのであれば、再考してやる」
震える手でオランテがその紙をレオントに手渡した。
レオントがその紙の内容を確認すると同時に、その眼が驚愕で見開かれ、同じく紙を持つ手が震え始める。
「ま、まさか...あり...えない...」
「では、それを虚偽の報告として処理する勇気がお前にはあるのか。悪いが俺には無理だ」
顔色を変えて冷や汗を浮かべるレオントに、机に手を付きながらオランテが戦場にでもいるような気迫と眼で言い放つ。
「レオント。王国が大きく動くぞ。いや王国だけでは無い。この世界が動く。全力で備えねばならん。間に合わなければ取り返しのつかない事態に陥る」
「...っ!御意!」
レオントが一礼すると、大急ぎで天幕を出て各所の調整に奔走し始める。
オランテは力が抜けた様に椅子にへたり込むと、眼を掌で抑えながら天井を向いた。
「...ふふ...ふはは...クロムよ、やはりお前はやってくれたな...これから俺の寿命が幾つ縮まるか...見ものだな...はは」
天幕の中でオランテの狂気に似た気配が混ざる声が静かに響き、マガタマの開けた穴から吹き込む夜風がそれを攫って行く。
―
― 現刻を以てこの
― 以後、
― 敵対者と見做した存在に対し武力を以て直ちに反撃行動に移り、無差別攻撃にてこれを撃滅する ―
― 以上、これは警告である ―
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます