第115話 黒騎士に顔を与えた少年
底無しの大森林の外縁部から少しばかり奥に入った場所。
クロム達が木々を蹴り倒して、無理矢理に整地し作り出した小さな広場から、凄まじい剣戟の様な音が絶えず響き渡っていた。
その繰り返される一撃の音が森に響く度に、周囲の木々が揺れ、大地が震えている。
そしてそこを中心に発生している魔力の気配を感じ取った魔物達は、全てが逃げるように森の中に散っていった。
「ぬおぉぉぉっ!」
大量の魔力を練り上げたゼロツが、手にしたヘヴィメイスを渾身の力でクロムに振り下ろす。
クロムが左前腕部でそのヘヴィメイスの一撃を正面から受け止めると、ズガンという衝突音と共に地面に2つの窪みとひび割れが発生し、衝撃波が土煙を巻き上げた。
「ぬぅっ!腕のみで受け止めるのか!?ならば!」
ゼロツが脚部に魔力を込めて強化すると、左足でクロムにハイキックを見舞う。
しかしそれもまたクロムの右腕によって容易に防御され、今度は不意に蹴り上げられたクロムの右脚がゼロツの鍛え上げられた腹部にめり込んだ。
ゼロツは咄嗟に魔力を錬磨し、身体強化で腹部の防御力を上げるも、クロムの放った蹴りはそれすらも容易に貫通する威力を持っていた。
鈍い音と衝撃が腹部を襲い、肺の空気を全て外に押し出されながら後方に吹きと飛ぶゼロツ。
しかしゼロツは意識を辛うじて維持したまま、ヘヴィメイスを地面に突き立てて深い溝を地面に刻み付けながらその勢いを何とか殺した。
しかしダメージは予想以上に大きく、胃から血の混じった嘔吐物が口へと上がって来る。
「うごぁぁ...ごはっ!」
ゼロツは地面に突き立てたヘヴィメイスを杖代わりに持ち、嘔吐しながら膝から崩れ落ちそうになる身体を支える。
「ふむ。なかなかに良い一撃だ。ただもう少し均等に魔力を流し込まないと武器の耐久力が大きく削られる事になる。非常識な造りの武器だが一応人間用の武器だからな。お前の全力に耐えられるかどうか分らんぞ」
そんな状態のゼロツを気にする事なく、問題点を次々と指摘していくクロム。
ゼロツはそのクロムの言葉を一言一句聞き逃すまいと耳を傾けていた。
一方で、ゼロスリーは半身で腰を落とし、菱形に加工されたタワーシールドを構えたまま目を閉じて魔力を錬磨し続けている。
タワーシールドの内側には、魔法師の杖と同じ様に魔石が組み込まれており、形は違えどそれは杖と同じ特製を持った武器と化していた。
ゴライアはこの武器をシールドロッドと名付けて、初めての試みにしては上手くいったと非常に満足げにクロムに手渡したのだった。
しかし事前に話に聞いていた通り、この巨大な魔鋼製のシールドロッドは普通の魔法師数人がかりでも厳しい程の魔力容量を誇り、十全に魔力を補充するには相当の魔力量が要求された。
ゼロスリーも今やかなりの量の魔力を扱えるようになったが、それでも魔力をフルチャージ状態まで持っていくには、相当な魔力錬磨と時間を要している。
今もゼロスリーは、クロムとゼロツが巻き起こす轟音と土煙を意に介さず、全身の毛皮を汗で湿らせながら魔力を練り上げ、その限界を超えようとしていた。
― 魔物版ウィオラといった所だな。構えや雰囲気も良く似ている ―
オークキングと雰囲気が似ているという、ウィオラが聞けば卒倒してしまいそうな暴言を心の中で呟くクロム。
ゼロツとゼロスリーはクロムの予想を僅かではあるが上回る成長を見せ、それに彼は一定以上の満足感を覚えていた。
― 肉壁利用はともかく、もう少し時間を掛ける事が出来れば、
クロムは先程のダメージを回復させるべく魔力を高め始めたゼロツを見ながら、次の侵入の計画を立てている。
― 問題は俺の装備の完成を待つか...進捗を確認する必要があるか ―
クロムがゴライアの工房を離れて既に5日が経過しており、その間はここの広場で2体の部下の修練を行っていた。
魔物である2体は、そもそも武器を扱うと言った事が殆ど無く、持ったとしても木の棍棒や森で拾った冒険者の遺品である武器を持つ程度である。
よって武器の魔力親和性や性質改変等の人間側の技術を知る筈も無く、それぞれ初めてヘヴィメイスとシールドロッドを装備した際は、武具に魔力を馴染ませる感覚に大いに戸惑っていた。
そしてその感覚を掴み、その恩恵を思い知った時、やはり人間は脅威だとゼロツが呟いていたのをクロムは覚えている。
個として人間を遙かに凌ぐ戦闘力を誇る魔物。
魔物は無い知恵と技術、文明を持ち、集団において力を発揮する人間。
互いの存在を脅威と感じながら、数千年もの間、血で血を洗う戦いを繰り広げて来た。
そんな中で魔物という驚異の存在を脇に置き、人間の国家同士が争い、理解も進んでいない謎の遺物を巡って力を削り合っているのが世界の現状である。
何とも愚かな事だなと、クロムは2体の部下の成長を垣間見ながら小さく呟いた。
「俺はこれから再び街に向かい様子を伺ってくる。お前達はそのまま鍛錬を続けておけ。模擬戦をするのは構わないが、やり過ぎるなよ。戦いたいのであれば冒険者を避けながら周囲の魔物を狩り取っておけ。魔石は回収出来たらで構わない」
「わかった」
「御意に」
成長による精神構造に魔物固有の特徴が出始めたのか、オーガであるゼロツは見た目そのままの戦士の雰囲気と口調であり、オークキングのゼロスリーは何処か騎士の様な力よりも理性、知性、精神性が前面出た口調へと変化している。
― やはり成長に能力の変化は魔物の精神構造にも影響を及ぼすようだ ―
クロムは、跪いて命令を聞いている2体を見ながら、今後の成長の方向性を予測していた。
「次の
「「おおっ!」」
そのクロムの言葉を聞いた2体は、主と共に戦いに赴ける歓びを全身から溢れ出る魔力の放出で表した。
クロムの魔力連鎖にもその気配がかなりの勢いで流れ込んでくる。
― 魔力連鎖が強くなった為か、更に気配の微細な揺れや感情を察知する事が出来るようになってきたな。次の侵入で新システムを試してみるのも良いかも知れない ―
クロムもまた部下の成長を実感しながら、自身の計画を着々を進めていた。
この世界にやって来てから、疲れと言うものには無縁のクロム。
森と街を何度も行き来している為、もはや踏み荒らされた獣道と化したルートを猛然と駆けていた。
まれに冒険者と思われる反応を察知するが、余程接近しない限りはそのまま速度を緩めずに突き進んでいる。
ただ最近、冒険者の動きが若干活発になっているような気配もあり、部下の2体の位置には気を配っていた。
これらの冒険者の活動の活発化の原因、それはクロムと2体の魔物にあった。
彼らの発する魔力の気配で逃げてしまった魔物達が、今まで足を運んでいなかった他の地域に流入しており、そこを元から縄張りにしている魔物と衝突する事が増えたのだ。
冒険者ギルドは新しい強力な魔物の出現を予想し、調査隊を送り込む回数を増やしつつあった。
ギルドの内部では
― 2体と冒険者の接触は可能な限り避けるべきだな。命令はしておいたが...どこまで信用すればいいのやら ―
クロムはこの先何処かで冒険者とはぶつかると予想しながらも、今は可能な限り戦闘は避ける方針で動いている。
そして考え事をしているうちに瞬く間に森を抜けて、最近は挨拶のみでそのまま順番も関係無く通される北門まで辿り着いた。
「クロム様!どうぞお通り下さい!」
「任務ご苦労」
もう警備兵とのこのやり取りも定番と化している。
クロムは街の大通りを抜けて、素材を運び込んで以来、厳重に扉が閉じられたゴライアの工房へと到着する。
店はゴライアの宣言通りに1日の大半は休みとなっているが、工房の煙突から煙が出ており、中ではゴライアとテオドが寝る間も惜しんで素材の解体と武具の開発に邁進していた。
クロムが扉をノックすると、扉に掛けられている無数の鍵を内側から開ける音が聞こえ扉が開かれる。
「クロムさん!いらっしゃいませ!」
その扉の後ろには、目に隈を作りながらもクロムの姿を見て、花が咲いた様な笑顔を浮かべたテオドが居た。
「そろそろ
すると、テオドはそのクロムの言葉に答える前にクロムの硬い手を取り、中へ引っ張り込む。
「クロムさん、これを一度付けて見てくれませんか?」
「もう完成したのか?」
「色々な機能はまだこれからクロムさんと相談してになりますが、まずは装備出来るところまで持っていきたかったんです」
そう言って、新たに工房内に追加されたテオド専用の机の前にクロムは連れて行かれた。
そこにはサソリの甲殻を加工し、様々な形を組み合わせた黒い仮面が専用スタンドに鎮座している。
ぬらりと漆黒に輝くその仮面は、先日見た設計図と同じ中央に、赤い魔石をレンズ状に削り出した大きな
加工された何枚もの黒い甲殻が複雑に組み合わさったその仮面は、精悍さと不気味さを両立させた見事な意匠となっていた。
「素晴らしい作り込みだな。加工に苦労しただろう」
「正直な所、ホントに大変でした師匠の技量の助けが無かったら削る事すら不可能な程の素材です...」
その時の過酷な作業を思い出したのか、テオドの顔の疲労の色が濃くなる。
「クロムよ。このサソリの甲殻のとんでもねぇ硬さだぞ。これと比べたら魔鋼やミスリルなんて可愛いもんよ。魔力親和性や容量もミスリル魔鋼と同等かそれ以上だぞ。逆に言えば、これに一撃でヒビを入れたお前さんの拳が恐ろしくて仕方ねぇ」
ゴライアが拡大鏡を額に戻しながら、クロムに言い放った。
「まぁ、師匠の俺から見てもその仮面は見事な出来栄えだと思うぞ。魔石のレンズ加工なんざ生まれて始めてやったが、テオドの計算と寸法計測が無ければ無理だったぜ」
「なるほど。これはもう戦闘に耐えられる状態なのか?」
「はい。余程の事が無い限り壊されないかと。ただ実戦投入してみなければ、未知数としか言えないです...。ですので、もし宜しければ装備して頂いて、実際に使ってみて耐久性や使いやすさ、色々と教えて貰えれば嬉しいです。機能の追加に関しても、是非ともご意見も伺いたいので」
クロムは仮面をゆっくりと丁寧にスタンドから取り外すと、外観の形状を視覚から精密に読み取り始める。
― このまま装着するのは不可能だな。残りのマスクも取り外す必要がある ―
クロムは残りの防護マスクをここで外すか迷った。
実際の所、ヒューメとの戦いで破損して以来、防護マスクの機能の殆どが修復不可能な程に破損しており、現状ではただクロムの素顔を隠すだけの装備となっている。
しかしクロムの素顔、特に顔面の上半分は人間と同じ見た目であったが、一目で人間から逸脱している事が明確にわかるパーツもあった。
特に眼球は完全に機械化されており、ゴライアやテオドが見れば、人間の物とは違うと一目で看破されてしまうだろう。
しかしながら、テオドがクロムの為にあのサソリの素材と格闘し作り上げたこの芸術品にも等しい仮面を、クロムはそのような理由で断る事は出来ない。
そもそもクロムは既に人外の認定を、二人から十分すぎる程に受けている。
― 戦闘マスクの接続解除 現時点を持って廃棄処分とする ―
クロムはコアに指示し、戦闘マスクの各部接続解除を命じた。
― 戦闘マスクの接続を解除 視覚拡張ユニットは破損 接続解除済み 着脱問題無し ―
黙り込んだクロムを不思議そうに、そして心配そうに見上げるテオド。
その様子を見て、作業をしていゴライアも一旦手を止めて歩み寄ってきた。
いざとなれば弟子のフォローをするつもりでいる。
クロムの残った戦闘マスクの各接続部分がパシュという空気が抜ける音と共に、小さな留め金が外れ、機械的な接続が連鎖的に解除されていった。
それを目の前で見ているゴライアとテオドが、見た事も無い機構に息を飲んで見つめている。
そしてクロムが両手を広げ、顔を覆うようにマスクの残りの部分を取り外した。
この世界で初めて露わになるクロムの素顔。
その初めての素顔の露出を見た2人は、驚愕で眼を丸くしながら、身動きが出来ない程に衝撃を受けた。
クロムの眼は本来白い筈の眼球結膜が漆黒で、その中に浮かぶ虹彩が赤く、そして中心の瞳孔が金色という、人間離れした色合いをしていた。
それだけでは無く、目の周り、今まで隠れていた顔の上半分の皮膚には、この世界で言う所の魔力回路の様な複雑な赤く輝く線が幾つも走っていた。
この線はクロムの各センサー関係の信号受信部が露出している状態であり、この上に戦闘マスクの送受信部が接続され、各種情報の受け渡しを行っていた。
本来は青色だったが、ヒューメとの融合で深紅に輝く線へと変化している。
無言の時間が過ぎていく間も、赤い回路が明滅し、小さな光点が無数の走っている。
そしてテオドはクロムの瞳の中に、無数の光の線が走っている事に気が付く。
「...もうここまで来ると俺の理解を遙かに超えちまってる。神の世界を覗いてしまった気分だな、もう何も言えねぇ。お前さんがこの世界の中で特殊な存在って事が解っただけで十分だ」
「凄い...クロムさんの中にたくさんの光が...凄く綺麗な世界が広がってます...」
テオドの特殊能力が何かを感じ取ったのか、視線がクロムの瞳に吸い込まれていた。
クロムの瞳の中では常時膨大な情報を取集し、コアとデータの送受信を行っている為、注意深くその瞳を除き込めば、その奥で無数の情報が光の線となって乱舞している事が解る。
「テオド、この仮面を取り付けたいが、構わないか?」
クロムの言葉で漸く現実世界に意識を戻したテオドが、赤面しながらどうぞと勢い良く答える。
クロムはその異形の仮面を両手でゆっくりと位置を合わせながら、顔面に装着する。
その仮面はテオドが実際にクロムに触れて寸法取りしただけあって、ほんの僅かな隙間も狂いも無く、クロムの頭部ユニットにフィットしていた。
そのあまりの正確さに仮面を付けた瞬間、隙間の空気が押し出され顔に密着したほどだ。
― 互換性の無いパーツの装着を確認 既存エネルギー接続回路を放棄 魔力回路の接続経路を確立 ―
― 頭部ユニットの魔力回路を増設 不明パーツとの魔力接続回路 構築中 ―
― 接続回路の構築完了 接続開始 魔力接続問題無し 応答反応を確認 ―
― 戦闘システムとの連携プログラム 構築開始 センサーユニット接続 回路反応良好 ―
― 不明パーツの物理接続完了 ―
異形の仮面がクロムの頭部ユニットに完全に装着され、クロムの息遣いが仮面内部で反響し、独特の呼吸音を発生させている。
それと同時に5つの単眼に赤い光が灯り、クロムの視線の動きに合わせて魔石レンズの濃淡が移動していた。
最初はかなり視界に制限が掛かった状態だったが、コアが魔力回路を接続した瞬間、その視界が一気に広がりを見せる。
左右の小さな4つの単眼が視界を補佐し、尚且つスリット部が内側からのみ透明になるという、クロムの外套と同じ効果を発生させていた。
ただ、まだ情報表示関係をコアが調整していない為、何も視界に表示されていない。
「...今更なんだがよ...お前の見た目の人間離れが一気に前に進んだ気がするな...」
「凄いです...実際装備するとここまで禍々し...いえ、威圧感のある雰囲気になるんですね...」
ゴライアのこの反応は通常通りではあるが、この仮面を造った張本人のテオドですらクロムの発する想像以上の禍々しさに頬を引き攣らせている。
― こんなのと暗い森の中で出会ったら間違いなく悲鳴を上げる自信があるぜ。新手の魔物と勘違いされてギルドが討伐依頼を出さなきゃいいがな... ―
ゴライアがクロムを見ながら、心の中で本音を浮かべていた。
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