第112話 異常の世界に立つ覚悟
太陽が頂点から僅かに下がって来た頃、クロムとゴライア、テオドの乗る馬車がラプタニラから僅かに離れた森の外縁部に停車した。
基本的にラプラニラ北門から最も近い場所が、冒険者達が出入りする森の入り口とされており、わざわざその入り口から離れて森に入る者もいない。
クロムが馬車から降りて、森に入る為の横幅が十分ある箇所に案内する。
だが馬自体が何かの気配を感じ取ったのか、一向にその足を進めようとせず、クロムは馬を馬車から外すと、無理矢理ではあるが外から見えない場所まで、抵抗する馬を引き摺る様に連れて行く。
途中までは懸命の抵抗を見せた馬であったが、いくら力を振り絞ろうともビクともしないクロムの力の前に完全に屈服する形で大人しくなった。
そして馬を繋ぎ終えたクロムが馬車まで戻り、一体どうするのかと不思議そうな目でテオドが見つめる中、クロムはおもむろに馬車の前に立つと、脚を地面に食い込ませながら馬車を引っ張り始める。
ゴライアとテオドは、目の前のその風景に驚きつつも、クロムならあり得るだろうという、達観に似た心持ちでそれを眺めていた。
そして完全に森の外から見えない位置に馬車を移動させると、その前に3人が降り立つ。
「今からその素材を持ってくる。だがこれからお前達が目にする事は、到底信じられない事かも知れない。だがそれが真実だ。こちらの世界に足を踏み入れるのであれば、それを疑う事は許されない」
クロムが2人の前で、拳を強く握り締めた。
これからの見る事に対して、いちいち驚くな、騒ぐなとクロムは暗に示している。
「わかった。もう驚くのには慣れた。大丈夫だ」
「わ、わかりました...」
ゴライアはあくまで冷静に、テオドは僅かに怯えの色を表情に浮かべながら、クロムの言葉に同意した。
「よし。では持ってくる。ゼロツ、ゼロスリー、預けた物を運んで来い」
ゴライアはクロムが隠し場所に取りに行くと予想していた。
「お前さん、俺はてっきり単独行動しかしないと思ってたが、仲間が居るのか」
「仲間では無いが、道中の成り行きで造った」
「...造った...ですか?お仲間さんを...?」
テオドが仲間という単語には結びつかない言葉に、戸惑いを覚える。
そして、目の前の藪が大きく動き出して、ゼロツとゼロスリーが巨大なサソリの尾の前後を肩で担ぎながら姿を現わした。
その2体の正体を知ったゴライアとテオドの顔から、瞬く間に血の気が失せる。
「テオド!下がってろ!クロムこれはどういう事だ!」
「ひぃっ!」
クロムの予想通りの反応を示すゴライアとテオド。
ゴライアは脚が竦んで動けないテオドを抱え、背中に担いでいたウォーハンマーに手を掛けながらゆっくりと後方へ下がっていく。
― やはりこうなるか。この様子では説明しても即座に冷静さを取り戻すとも思えんな ―
「結局、覚悟も何も出来ていないじゃないかゴライア。これがお前達が今踏み込んだ、俺の居る世界だ」
ゼロツとゼロスリーがサソリの尾をゆっくりと地面において、クロムに向かって拳を地面に突き付け、跪く。
魔力錬磨等を行っていない段階で、既に2体の魔力量は全盛期のゴライアを大きく上回り、それは絶体絶命とも言える力量差を表わしていた。
「こ、これは...クロム、お前さんまさか魔物を...」
「この2体は俺に完全な忠誠を誓っているそうだ。まぁ使えないと判断した時点で俺が責任を持って処分するが」
そう言って、クロムは拳を大きく広げると深紅の魔力を零し始める。
その魔力とクロムの雰囲気を察知して、ビクリと身体を震わせ、更に頭を下げるゼロツとゼロスリー。
「自分の今の状況を本当に理解しているなら武器から手を離せ。お前が落ち着くのが早いか、ここで戦闘を行って終わらせるのが早いかどちらかだ」
クロムの冷徹な言葉がゴライアに向けられる。
ゴライアはここに来て初めてクロムの歩む世界の異常さを実感した。
今まで関係を深める中で、常識の通じない事が多いクロムであったが、それでもまだ自分と同じ人間の世界の住人であるとゴライアは思っていた。
だが、実際は違う。
漆黒の鎧と深紅の魔力を身に纏い、傍らに強力な魔物を跪かせているクロムの姿は正真正銘、異常の世界の住人である事を嫌と言う程に理解させられた。
そして、ゴライア達に残された選択肢は既に一つしか残されていない。
それは自分達がクロムに問われて、選択した道。
そしてもう戻れないとクロムが宣言した以上、この時点でゴライア達はこの世界から逃れる事が出来ない。
唯一逃れる方法、それは死の救いのみだった。
「...武器を収める。だからまず説明してくれ...頼む...」
薄暗い森の中でもわかる程に顔色を悪くしたゴライアが、警戒心はそのままにウォーハンマーの柄から手を離し、両手を力無く下げた。
額から滲み出た大粒の冷や汗が頬を伝って落ちていく。
「テオドもその背から出て来い。覚悟を決めたのではなかったのか」
クロムはゴライアの武装解除だけで納得せず、後ろに隠れているテオドも前に出て来るように要求した。
テオドはそのクロムの言葉を聞いて、ゆっくりとではあるが足を震わせながらも前に出て来る。
「このオーガはゼロツ、そしてもう一方がオークキングのゼロスリーだ。双方とも俺が魔力を与え、ある程度の強さを得た。そしてその代償として俺の駒として死ぬまで働くと誓っている」
クロムが2体を前に、平然と駒と呼ぶ。
だが、頭を下げながらゼロツとゼロスリーがその言葉を静かに訂正した。
「首領、代償ではない。俺達は望んで首領に仕える道を選んだのだ」
「然り。代償ではない」
ラプタニラの総戦力を以てしても討伐が出来るか解らない魔物2体が、平伏とも言える程にクロムに頭を下げる光景。
その魔物2体を“ある程度の強さ”と言い切ったクロム。
「これが黒騎士クロムの本当の姿という事なんだな...お前さんの強さっていうのがどれほどの物か、今ようやくわかったぜ...」
「こ、こんな事が本当にあるなんて...」
ゴライアは今まで交流を交わしてきた相手が、魔物すらも従える異常の存在と言う事を理解し、自嘲気味に顔を歪ませていた。
「こんな面倒な事に時間をかけたくない。話を戻すぞ。これが
再びゼロツとゼロスリーが立ち上がると、その素材を再び拾い上げて、ゴライア達の前に降ろす。
正直な所、ゼロツ達が一歩踏み出すだけでその威圧感に負けて後ずさりしそうになるゴライア。
そしてクロムの元へ下がっていくその後姿でさえ、恐ろしさが漂っていた。
だがそれも差し出された素材を一目見て、2人の折れそうになっている心が一気に復活を遂げる。
テオドも恐怖の震えから、極上の素材への興味と興奮の震えへと即座に切り替わった。
― 鍛冶師と言うのは、一体どういう精神構造をしているのだろうか ―
その様子を見ていたクロムが、今度は2人の気配の切り替わりの速さに疑問を持つ。
「この甲殻は何だ?こんな硬さの素材見た事ないぞ...内包している魔力はミスリル、いやそれよりも多いな。
「師匠見て下さい。この傷口の肉ですが、魔力を失っているのにこんなに硬く瑞々しいですよ。しかも魔力が残っている場所は弾力性が凄いです」
「ゴライア、テオド、鍛冶師としての興味は解るが、それはここでは無く工房に戻ってからにしてくれ。素材が勝手に逃げる訳ではないだろう」
クロムは2人の様子を暫く観察していたが、止まる事を知らない素材への興味と考察が続き、流石に止めに入った。
「お、おう...確かにそうだな。これは俺達の好きに扱っていいんだな」
「ああ、俺が持っていても仕方が無いから。好きに使ってくれ。それにこの後も再び潜るから、素材自体はまだ追加で渡せると思う。ただ素材を持てるにも限度があるからな。大量とはいかないな」
こうやって話をしている最中もゴライアの目線や意識は素材の方に向いており、これはもう先に積み込んで、街に返した方が良いとクロムは判断する。
「とりあえず馬車にこれを積み込むぞ。何かを掛けて見えないようにしないといけないだろう。恐らくどの国も持っていない代物だ。目を付けられると面倒だ」
クロムのこの言葉に、我に返るゴライアとテオド。
この情報が洩れでもしたら、間違いなく国が動く。
それを改めて考えると、目の前に無造作に置かれているこの素材の価値は、値が付けられない程に貴重であり、そして所有する事自体に命の危険が伴うものだった。
「持って帰ったら、まず速攻でバラす必要があるな。危なすぎる」
「その辺りはそちらの判断でやってくれ。ゼロツ、ゼロスリー、これを積み込んでやれ」
クロムが積み込みを命じると、2体はゆっくりと素材に歩み寄り、それを再び持ち上げる。
「あ、あの...この上に置いて貰えると...た、助かります!」
馬車の荷台に分厚い幌布を敷き、素材を包む準備を整えていたテオドが、言葉に詰まりながらもゼロツに要望を伝えた。
「わかった。この置き方で構わないか?」
「は、はい!大丈夫です!あ、ありがとうございます」
素材を丁寧に馬車に積み込むゼロツに、テオドが多少その姿と存在に慣れ始めたのか、緊張を少しずつ緩めながら礼を言って頭を下げる。
対するゼロツとゼロスリーも、人間に礼を言われるのが生まれて初めてという事もあり、どう答えていいか解らず、そしてテオドとの距離感も計りかねていた。
「礼には及ばない」
ゼロツが短く答えると、恐ろしい魔物であるオーガと短いながらも会話が成立した事に、純粋な歓びを覚えるテオド。
それを見ていたゴライアもまた、歩む世界が変わった事による常識の変化に、とてつもない違和感を感じていた。
テオドは荷台を前後に歩き回りながら、丁寧に素材を包んでいき、今度ゼロスリーが端を持ち上げたりしながらテオドに手を貸している。
「ゴライア、次の話になるがこれは俺からの依頼になる」
「お、おう。何だ?まぁ何となくだが予想は付いているが話してみてくれ」
「ゼロツとゼロスリーの武具を提供して欲しい。防具は流石に人間サイズは無理なので製作して貰う事になるが、武器は人間用でも何とかなるだろう。何か店にある物を譲って欲しい。素材は魔鋼以上が条件だ」
ゴライアは2体の魔物の装備がなめし革の腰巻である事から、クロムの頼みをある程度予想はしていた。
それもあって、頭の片隅には店に置いてある在庫の武器や、改造流用できる防具を検討している。
「わかった。武器だが何が良いとかあるか?」
「オーガのゼロツには耐久性重視の大型のメイスを2本欲しいところだな。オークキングのゼロスリーは魔法適正がある。よって魔力親和性の高いウォースタッフとシールド欲しい」
人間の製造した武器を装備するオーガとオークキングを想像し、ゴライアは背筋が凍る思いでクロムの要望を聞く。
「メイス2本とウォースタッフ、盾だな。鍛冶師としてちょっと思う所もあるが、それは後だな。体格にあった大きさとなるとあまり選べねぇが、魔鋼以上の奴が埃被っているがあったはずだ。確か魔力改変も済んでる。メイスもウォースタッフも使い手があまりいねぇからな。作ってみたは良いが...ってやつだ」
「わかったそれで頼む。出来るだけ早めに用意してくれたら助かる。費用に関しては後ほど追加で素材でも用意しよう」
「馬鹿を言うな。あんな素材を貰っておいて、たかが魔鋼製の武器や防具数個で釣り合い取れる訳ねぇぞ。店の武具全部渡しても足りねぇ位だ」
下手をすれば、ゴライアが店を構えるラプタニラの街全体が買える程の権力と金が動く。
「一応、点検も必要だが、まぁお前さんの事だから頼んだ武具全部、重量無視で耐久性重視、ウォースタッフも魔法親和性を高めながらも、思いっ切りぶん殴れるようにして欲しいのだろう?」
クロムはいずれ各地の
未だ見ぬ敵に対して優位に立つ為に、武具を全て
クロムが考案した武器もまた完成すれば、大きく世界基準を上回る性能になるのは確実であり、その為の素材持ち帰りであった。
それまでは人間の技術によって洗練された魔物を殺す武器を2体に装備させ、実力を計るのがクロムの目的である。
「その装備が近日中に揃うのであれば、その装備を待ってから
「わかった。その武具は店の物を多少弄り直して渡すとする。背嚢に関しても適当に見繕ってやる。おいテオド!ちょっと来てくれ!クロム、あの2人をテオドの前に並べてくれねぇか?防具の為の型を取りてぇ」
ゴライアはこの場でテオドに特殊能力で、ゼロツとゼロスリーの防具サイズを計るつもりでいた。
テオドが丁度、素材の隠ぺい工作を終えて場所を降りて来る。
「ゼロツ、ゼロスリー、こちらへ来てテオドの前に立て」
2体は素直に指示に従い、並ぶも自分の背丈の3倍はあろうかと言うオーガとオークキングに見下ろされたテオドが、その圧倒的な威圧感から委縮しそうになっている。
「危害は加えない。安心しろ」
「我らは主の下僕だ。許可無く殺しはしない」
「きょ、許可があれば...いえ、何でもないです...えっと、師匠、防具製作用の寸法取りですね?」
テオドに掛けた言葉が多少なりとも難ありといった具合だが、それでも言葉を交わし、意思疎通を行う度にテオドの恐怖感も次第に薄くなっていった。
そして2体の周囲を回りながら、体格や寸法等を寸分違わず頭の中に記憶していく。
「やはり凄まじい能力だな」
クロムはその様子を見て、素直な賞賛を送る。
「首領、この人間の子供は何をやっているのだ?」
「お前達の身体の寸法を眼で見て読み取っている。強さと言うのは力だけでは無い。この非力な子供であっても、俺の役に十分立っている。替えが効かない程だ」
「なるほど。主にそう言わしめる程の子供とは。恐れ入った」
テオドの行動に疑問を感じた2体がクロムに質問し、クロムは知る必要は無いと返答しようとしたが、あえて鍛冶師としての彼らの価値と力に頼らない強さと言う物がある事を教えたクロム。
2体はクロムの役に立っているという時点で、相手がどのような者であれ、素直に賞賛を送る位には柔軟な思考が出来るようになっている。
― これが余計な思考に繋がらなければいいが... ―
「最後に腕を見て、触らせて貰えませんか?」
テオドが2体の魔物の周りを回った後、少なくはなったが、未だ抜けきらない恐怖心と戦いながらも、ゼロツとゼロスリーの手首等に触れてその太さや関節等を丹念に調べて行った。
当の2体は、先程のクロムの話によって既にテオドの存在意義を十分に認め、一目置いている事もあり、素直に彼の要請に従っていた。
そしてテオドも、実際にゼロツとゼロスリーの身体に触れ、更に会話を重ねる事により、恐怖心を克服していった。
「ありがとうございました!全て寸法を覚えたので、これで製作に入れると思います!」
先程とは打って変わって、武具製作が出来る歓びと、魔物と意思疎通が出来た事に対する興奮で笑顔を浮かべるテオド。
それを見たゴライアが呆れ顔で、あの柔軟さも俺には必要だなと独り言を呟いていた。
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