第111話 黒騎士の立っている世界へ

 クロムがゴライアの裏手の工房に到着すると、いつものようにゴライアが机に向かって唸っていた。

 その傍らの机の上には、かなり精巧に作られた武器とも防具ともつかない縮尺模型が鎮座している。


 クロムは開けたままの扉をノックすると、目の下に隈を作ったゴライアがゆっくりと振り返った。


「酷い顔をしているな。寝ていないのか?」


「おお、クロムじゃねぇか。エライ汚れたなりしてるが戻って来たのか?怪我は無さそうだが」


 ゴライアは鍛冶仕事で鍛え上げられた筋肉質な肩を回しながら、盛大に伸びをすると設計机から離れて、模型が鎮座する机の椅子にドカリと腰を下ろす。

 そしていつ注いだかわからない酒入りカップを一気にあおった。


「ふぅ...色々考えはいるが、完全に沼に嵌まっちまった。お前さんに教えて貰った関節部を再現したが、柔軟な動きには程遠くてよ」


 様々な大きさの甲殻状のプレートが張り付けられた縮尺模型の端を摘まんで、前後左右にゆするゴライア。

 カチャカチャと音を立てながらエビの尻尾のような模型が揺れるが、柔軟に動いているとは言い難かった。


「後どうしてもこれを動かす動力の再現が思いつかねぇ。鍛冶一本の俺にはどうにも出来ねぇのが現実だ」


 ゴツゴツした職人の手を広げて、お手上げと言ったジェスチャーを見せるゴライアに、それまで無言で聴覚を傾けていたクロムが口を開く。


「ここに来た理由を言う前に、ゴライアに1つ問いたい」


「おいおい、改まって何だよ。気味が悪いな」


 ゴライアがクロムの口調に真剣味を感じ、椅子に座り直し表情を引き締めた。

 鍛冶竈の炎の音が静かに響き、その明かりがゆらりとクロムの黒い身体を浮かび上がらせる。


「ゴライア、お前は俺の生きる世界に本気で付いて来るつもりなのか」


「んだよ、改まって。俺はお前の武器や防具の案を俺の腕で再現してぇ。その為ならお前の後にでも付いて行くつもりだぜ」


「鍛冶師としての人生が変わるかも知れないぞ。この街にも居られなくなるかも知れん。命の危険すらある。お前の野望にテオドも巻き込む事になるぞ。」


 クロムが身動き一つせず、ゴライアに淡々と覚悟を問う。

 竈の明かりの逆光で、クロムにはゴライアの表情が上手く読み取れない。


「...命、それにテオドと来たか。それでも俺はお前の言うその世界に触れてみてぇ。師匠失格だってのは解っている。だがよ俺だってまだ鍛冶の情熱は消えちゃいねぇ。お前に出会って更に風を送り込まれた竈みてぇなもんなんだよ」


 ゴライアは模型を睨みながら、机の上に置いた両拳を握り締めている。

 クロムは表情は読み取れないが、その震える拳を見るだけでゴライアの葛藤と野望のせめぎ合いがを垣間見た。


「もしこちらの世界に足を踏み込めば、二度と戻れない可能性が高い。それでも来るなら俺は拒みはしない。もし仮に追われる立場になるのであれば、逃げ隠れ出来る場所は提供する。勿論、テオドもだ。俺の最大限出来る範囲でお前達を護る事は約束しよう」


「...お前がここに来た理由を話してくれ。必要ならテオドも呼ぶ」


 その言葉を決意と受け取ったクロム。


「テオドを呼ぶかはお前が決めてくれ。俺はどちらでも構わない」


 クロムはテオドの特殊な才能に関しても、今後の知識の付け方で大きく化けると確信している。

 もしクロムの住む世界に来るのであれば、最優先保護対象として指定する事も十分にありえた。


「わかった。呼んで来る。ちょいと待っててくれ、話も付けて来る。わりぃな時間取らせちまって」


「問題無い」


 そう言ってゴライアは工房を出て行く。

 その顔は普段の飄々とした表情では無く、鍛冶師として、そして戦士としての気迫を滲ませるものを浮かばせていた。


 ― 使えるものは何であろうと使う...だが ―


 クロムはゴライアの鍛冶師としての腕、そしてテオドの特殊な才能をこのまま育てるか、自分の世界に引き込んで育てるか、どちらが有効かここに来て悩んでいた。

 これから先、ゴライアの力を借りるのであれば、いつか必ずクロムの側に立つ必要が出て来る。


 仮にあのサソリの尾を提供する時点で、クロムの世界の淵に脚を掛ける事になる。

 国の威信を示す遺物の価値と同等、もしくはそれ以上の価値を持つ星屑の残滓ステラ・プルナが産出した素材である。


 そしてゴライアはその探究心と才能によって、最終的にクロムの正体に触れる場所まで昇って来る可能性が高い。

 そして現状、クロムと交流がある人間の中でゴライアが最も柔軟に適応出来る可能性が高かった。


 クロムはゴライアとテオドの人生を変える事には躊躇しない。

 ただその才能の価値を下げる、もしくは潰す事を純粋に損失として考えていた。


 次の星屑の残滓ステラ・プルナへの侵入でクロムは中心部に到達する事を目標に掲げている。

 その世界で類を見ない成果に、あの2人が関わるかどうかで大きく流れが変わってくる。


 ゴライアとテオドはその岐路に立たされていた。





「すまねぇ待たせちまった」


 ゴライアがクロムの背後から声を掛け、工房に入ってくる。

 そして後にテオドも居た。


「一先ず、お帰りなさいと言った方が宜しいですか?」


 ゴライアが人生を左右する話をしたとは思えないテオドの口調に、クロムはゴライアの表情を伺った。


「こいつはやっぱり俺の弟子だったわ。二つ返事で人生を賭けやがった。ある意味、俺よりも度胸がありやがる...」


 ゴライアは呆れた表情でにこやかな顔でクロムを見上げているテオドを見る。

 その2人の様子を見て、クロムも方針を固めた。


「まずここに来た理由を話す。単刀直入に言おう。俺は星屑の残滓ステラ・プルナ原初の奈落ウヌス・ウィリデの奈落の魔物を討伐し、その素材を持ち帰っている」


 その言葉を聞いた2人が驚きで言葉を失っている。

 そしてクロムは背嚢から、持ち帰ったサソリの砕けた魔石や魔力結晶を取り出して机の上に並べた。


「なんだこれは...前貰った結晶もヤバかったが...これはもう王家に献上してもおかしく無い代物だぞ。本当に原初の奈落ウヌス・ウィリデの魔物を一人で討伐したのか...」


「多少時間は掛かったがな。問題無く討伐した。そして次の侵入で原初の奈落ウヌス・ウィリデの中心部に到達する予定だ。つまりこれ以上の素材や魔石、遺物が更に手に入る可能性が高い。これが何を意味するかわかるだろう」


 ゴライアとテオドに対して、国が国宝として管理する程の貴重な遺物や素材がこれから先、クロムの手によって無数に提供される事に他ならない。

 そしてそれがどれだけの危険を孕むか見当も付かなかった。


 国家反逆罪に問われる事案。

 軽い土産感覚でクロムが無造作に机に置かれた魔石の欠片や魔力結晶でさえ、通常であれば2人の人生でまず触れる事が絶対に出来ない代物だった。


原初の奈落ウヌス・ウィリデに生息していた大型のサソリの魔石だ。半分は粉々にしてしまったがな。その領域全体が普通の人間では到底生きていけない程の高濃度の魔素が充満している。そこで生き続けていたサソリの魔物の尾を丸ごと持ち帰っている」


 クロムはサソリの魔石に魔力放射等の危険性が無い事を今一度確認すると、震えながら目を輝かせているテオドに手渡した。

 半分に砕け、魔力が完全に抜けているにも関わらず、崩壊せずに形を保つほどに強度が残っているサソリの魔石。


 テオドは目に涙を溜める程に高揚し、その手渡された魔石を食い入るように見つめていた。


「その尾の大きさはどれくらいなんだ。どういう構造だ」


 ゴライアもまた目が血走る程に気分を高め、詳細を聞き出そうとクロムに詰め寄る。


「元々は荷馬車の3倍近い大きさのサソリの魔物だ。俺の拳の一撃をヒビで済ます程度の甲殻を持ち合わせていた。そのサソリの尾を根元から引き抜いて持ち帰っている。内部組織や甲殻もそのままだ。結晶化もしていない」


 ゴライアはそれを聞いて、机の模型に熱い視線を送っていた。

 クロムもまたそのサソリの尾がゴライアに与える影響を予測している。


 あの大きさと重量を誇るサソリの尾を、縦横無尽に動かす事が出来る力を生み出す構造。

 その尾の内部に収まる筋肉組織の素材と構造の知識は、ゴライアが武具開発で行き詰っていた壁を打ち壊すのに十分な破壊力を持っていた。


「まだ色々あるが、ここで伝えられるのはここまでだ。そしてこれの受け取りはゴライアとテオドが馬車を使って、ここから離れた森で秘密裏に受け取った後、工房に運び込む必要がある。荷物の名義を俺にすれば荷の改めも無い筈だ」





 この段階での情報であれば、ゴライア達はまだ引き返せる余地が残されている。

 ただしゼロツとゼロスリーの存在、そしてクロムの今後の行動を聞いてしまえば、もう後戻りは出来ない。


 通常の世界に身を置きつつも、その世界の常識では計れない場所を歩き続けなくてはならないのだ。

 もしその世界から逃げだせば、クロムはありとあらゆる方法を以って、この2人をこの世界から消さなければならない可能性が浮上する。


「受け取りを決めた瞬間、お前達の歩く世界が変わると思って欲しい。今ならまだ引き返せる。命の危険もある事はこの土産を見たら解る筈だ。国に狙われる可能性が有る。まぁ仮に国が相手でも俺がそうはさせないが」


 そう言ってクロムは拳を握り締め、軋ませる。


「師匠、僕はクロムさんについて行きたいです」


 ゴライアの言葉よりも先に、テオドが口を開く。

 テオドはゴライアが弟子である自分の安全やこの先の人生を考え、答えに迷っている事を分かっていた。


 だからこそ自分が明確に意思を示し、ゴライアの返答を後押しすべきと考えている。

 それにテオドは師匠の目指す先を純粋に見たいと思っていた。

 師匠であり親代わりのゴライアがこの先、未知の素材で作り出す武具を見て、そしていつかは自らの手で歴史に名を残す英雄の武具を作り出す野望を、テオドは持っている。


「ちっ、弟子に気を使われる師匠なんざ、情けなくて仕方ねぇな...ここまでくりゃ俺もお前についていくぜ。だがクロム、頼みがある。テオドの安全の確保に協力してくれ。最悪の事態になった場合、テオドだけは確実に逃がしたい」


「無論、俺のこの先の行動と利益の為にもテオドのみならずゴライア、お前も俺の保護対象に加わる。街を出る可能性も考える必要があるが、それは後の話だな。暫くはまだここで生活出来る筈だ。だが先は解らない。覚悟してくれ」


 その情と言うものを感じさせないクロムの言葉を、ゴライアは何よりも信頼出来た。

 クロムはあくまで自分の利益の為、自分の目的の為に安全を保障すると言ったのだ。


 普通であれば、命を賭ける決断をした相手に対して選ぶ言葉ではない。

 だがゴライアは誰にも邪魔される事無く、それを遂行出来るクロムを逆に頼もしく思えた。


 ゴライアとデオドが利益を生み出し続ければ、クロムもまた全力でそれを守る。

 情や裏切り等、決して見えない相手の胸の内を考える必要も無く、自分の道を確実に進む事を考えていれば良い。


 この関係がもっとも信頼出来るとゴライアは思っていた。

 それは長年、武具と言う物言わぬ相手に人生を賭けて対話を続けて来た、鍛冶師ならではの考え方であった。


「わかった。いざとなりゃ荷物まとめて森にでも逃げ込んでやるさ。これでも元冒険者だ。何とでもなる。テオド、お前も覚悟を決めなきゃいけねぇ。本当に良いんだな?決して楽な人生じゃ無くなるぞ」


「僕はクロムさんに、師匠に付いていくと決めました。どっちにしてもクロムさんという方に出会った時点で人生が大きく変わりました。勿論良い意味でですよ。それならトコトンついて行きます」


 テオドが腕まくりをしてゴライアの視線を真っ向から受け止め、そして隣のクロムの顔を笑顔で見上げた。


「師匠がバカなら弟子もってやつか...よし今から荷馬車を用意する。テオド準備しろ。とんでもねぇお宝を受け取りに行くぞ」


「はい!」


 テオドが準備の為に工房を飛び出していく。

 その姿を見送るゴライアはクロムに向かって手を差し出した。


「これからもよろしく頼む。俺にも見せてくれや、お前が歩いている世界とやらをな」


「こちらこそだ。その選択を後悔するなよ。だが俺はお前達を後悔はさせるつもりは無い」


 クロムはゴライアの決意の言葉に淡々と答え、ゴライアの握手に応じる。


「期待しているぜ。こうなったら世界中のお宝素材を丸ごと取って来て貰うからな。お前こそ覚悟しろよ。そんでもってお前の知識を丸ごと頂いて、思いつく限りの武具を作りまくってやるぞ」


「お手柔らかに頼む」


 2人の視線が交わり、握手にも自然と力が籠る。

 竈の火がその2人のそのやりとりを後押しするように、轟々と燃え盛っていた。




 ゴライアは、鍛冶に使う燃料や武具を製作する為の素材を運搬する馬車を所有しており、クロムが外から見る限り、あのサソリの尾がギリギリ乗せられると判断した。

 テオドは前回、クロムとウィオラとで森に入った時の冒険者装備を既に装着し、ゴライアも不測の事態に対処する為、金属製のチェストプレートと魔鋼製のハンマーを装備している。


 テオドは未知の素材を早く見たいと、自身の人生が大きな転換点を変えた事実を忘れそうになる程に高揚感を露わにしていた。

 対してゴライアは、その熟練者としての勘や経験が常に思考と予測を繰り返し、テオドと同じ様に高揚感を感じつつも、危機回避の為の緊張感を滲ませる。


「そういえば森の受け渡し場所でも、何か話す事がありそうだったな」


「そうだな。先程の話だけならまだ後戻りは出来るだろうが、これから森で話す事を聞きいてしまえば、もう後戻りは出来ない」


 ゴライアはクロムの秘密が、検討も付かない予想以上の内容である事を確信するも、胸に灯った未知への探求心と先程の決意が揺らぐ事は無かった。


「もう決めた事だ。そこまで気を回す必要は無いぞ」


「そうか。それでは向かうとしよう」


 クロムとゴライアが幌が被せられた荷台に乗り込み、馬に水を飲ませていたテオドが道具を片付けて御者台に乗る。

 そして軽く鞭を馬に入れると、ゆっくりと馬車が動きだした。


 そして喧騒に包まれる街中を通り過ぎて、北門まで移動する3人。

 北門を潜り外に出る際、馬車が警備兵に止められるも、クロムがそれに乗っている事が判明すると警備兵達は皆、直立不動で馬車を見送った。


「お前の権限、当たり前の結果かも知れんが、どえらい事になってるな」


 ほとんどフリーパス状態で北門を通過出来た事に、ゴライアは現在のクロムの持つ権力の大きさを実感した。


「森の受け渡し場所で重要な話を伝えた後、ゴライアとテオドに仕事の依頼をするかも知れない。無茶な事を頼むつもりは無いから安心してくれ」


 無茶な事を頼むつもりは無いとはいったものの、クロムが支配している2体の魔物の装備を見繕って欲しいというとんでもない依頼は、確実にゴライアの精神を削るだろう。


 そして3人を乗せた場所は、素材の受け渡し場所へと進む。


 クロムの中の2体の魔力連鎖も、今の所は異常を感知していない。


 この世界で魔物を使役したという前例は全く無く、そもそも魔物は人間を含めた他種族にとって不倶戴天の敵である。

 ゼロツとゼロスリーの存在自体が、今後のゴライアとテオドにどのような影響を与えるのか、クロムこの後の展開に僅かながら期待を寄せていた。

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