第110話 一時帰還は魔物を連れて

 クロムは身体を低く、限りなく前傾姿勢で大地を蹴り上げながら森の中を疾走していた。

 しかしこの速度に追従してくる複数の敵性反応が、幾度と無くクロムに対し攻撃を仕掛けてくる。


 後方の藪の中からこの状況下においても、正確な狙いでクロムに対しダガーと思われるナイフが飛ばされる。

 クロムはこれを小さな跳躍と共に、身体を回転させ振り向きながらの廻し蹴りでこれを弾き飛ばした。


 クロムの魔力知覚が、そのナイフに込められた異常な気配を放つ魔力を察知し、コアが即座に危険と判断している。

 そしてそのクロムの崩れた体勢を狙いすましたように、側面からゴブリンがドス黒い液体を滴らせたナイフを突き入れようと飛び掛かって来た。


 クロムがいつしか投石のみで簡単に屠ったゴブリンが、圧倒的な速度とコンビネーションで襲い掛かって来ている。


 そのゴブリンのナイフを持った手首を手刀で骨ごと粉砕すると、膝蹴りでその小さな顎を叩き割る。

 ゴブリンの頭部が顎もろとも弾け飛び、血飛沫を上げながらそのまま地面へと倒れ伏すと、更にそれを想定したコンビネーションで2体のゴブリンがナイフを逆手で持ちながら上空からクロムに襲い掛かってきた。


 クロムは左肩で背負っているサソリの尾を軋むほどに抱え込み、肩で固定しながら再び身体を横方向に一回転させる。

 遠心力で加速されたサソリの尾の先端が、空中からやってくるゴブリンを纏めて薙ぎ払うと、血と臓物を振り撒きながら森の奥へと吹き飛んでいった。


 そしてクロムはその生死や戦果を確認する事無く、即座に最高速度で駆け出した。

 魔力レーダーには未だ敵性反応が幾つかクロムに向かって、移動を開始している。


「ゴブリンがこれほどまでの戦闘力を誇るのは想定外だな。社会性を持つ魔物がゴブリンであれここまで脅威になるとは。このまま引き離せればいいが」


 クロムはレーダーに映る反応の動きに対応し、脱出経路を逐一変更しながら森を掛けていた。

 このような襲撃が既に何度も行われており、ゴブリンやリザードマン等多種多様な社会性を持ち合わせた魔物が無尽蔵に湧いてきている。


 それはクロムがこの森の頂点捕食者の一角を討伐した事が一番の原因であった。

 頂点捕食者を失った今の森は、弱肉強食の生存競争によって、次の頂点を決める為の殺し合いが始まっている。


 その中で濃密な魔力を滲ませるクロムは、頂点を目指す原初の奈落ウヌス・ウィリデの魔物達にとって、この上ない極上の獲物と化していた。



 ― 魔力レーダーに新たな反応あり 目標更に増速 経路修正 接敵の可能性あり ―



 そしてここに来て更なる増援がレーダーに無数の光点となって現れる。


「これは荷を捨て、最大戦速で振り切るしか無さそうだな」


 クロムはこの時点で、戦いを避ける為には身軽になる事以外に選択肢が無い事を悟った。

 しかし次の瞬間、またしてもクロムは先程の謎の信号を受信する。


 ― ...ザッ...ザザザザ...っ...ガザッ...ザザ... ―


 既にその信号に乗せられた物が何であるかも判別が不可能な、只のノイズの塊。


「信号を記録。同じく最重要情報として隔離保存」


 クロムは即座に情報を収集し、それを保存する。



 ― 魔力レーダー内の敵性反応 移動停止 接敵の可能性無し ―



「どういうことだ。いや今はそれを検証している時では無いな」


 クロムはその隙を突く様に、一気に駆け出した。

 彼を執拗に追跡し、追い込んでいた光点はそれでも動かず、次第に一つまた一つと魔力レーダーから消えていく。


 ― いずれにしてもこれで脱出は出来る ―


 クロムは脱出した後の行動方針を幾つか候補として検証しながら最短距離で原初の奈落ウヌス・ウィリデからの脱出を試みる。

 そして先程とは打って変わって、周辺に何も反応が無いまま、クロムの視界が一気に開けた。


 原初の奈落ウヌス・ウィリデの植生とは違い、通常の人間であれば、心から安心出来るとさえ思えるような緑溢れるが視界に飛び込んで来る。

 しかしながらクロムはそのような事など微塵も感じる事無く、地面を抉りながら急停止すると、次は魔力連鎖で2体の部下の位置を探った。


 戦闘に集中している状況が続き、情報の優先順位が現在限りなく低い2体の魔物の反応が、クロムの予想よりも強く探知の網に引っ掛かる。

 クロムはその反応の方向に向かって再び走り出した。





 一方でゼロツとゼロスリーは、クロムから注ぎ込まれた魔力が時間の経過と共に馴染んできている事もあり、より強く彼の存在と魔力の繋がりを感知していた。

 クロムがサソリとの戦闘を繰り広げている時は、それが逆に仇となり、戦いの気配が存分に乗せられた魔力を感じ、戦いに対する本能の疼きを抑える事にかなり苦労している。


 そしてその反応が森の外に向かって急速に移動している事と、度々小規模な戦闘を繰り返している事を感じた2人は、主たるクロムの援護に向かうか迷っていた。

 だがクロムの魔力を強さをもってしても、一向に鎮まる様子の無い戦いの気配が繰り返し伝わり、自分達が向かった所で何の役にも立てない事を無理矢理に自覚させらる。


 それ故に、伝達されるクロムの気配から戦闘の要素が消えた事に安堵すると共に、その反応が急速にこちらに向かってくる事で主の無事の帰還を心から喜ぶ2体の魔物。

 しかしながら、同時に今のクロムの魔力の気配が、侵入当初よりも弱くなっている事から原初の奈落ウヌス・ウィリデの中で繰り広げられた戦闘の激しさを容易に想像させる。


 あの恐るべき強さを誇るクロムが消耗しているという事実が、通常の魔物が近づかない魔境の恐ろしさを如実に物語っていた。

 そしてクロムが2体の元に戻って来ると、まずクロムの身体が様々な色の返り血で染まっている事に驚く。


 そしてクロムが最後まで手放さなかったサソリの巨大な尾に眼を奪われた。

 明らかに通常の魔物の部位では無い事がわかり、そして今も尚、その尾からは凶悪な魔力の気配が漏れ出ている。


「首領、まずは無事の帰還、安心したぞ。怪我はないか」


「主よ、迷惑を掛けたがようやく魔力を身体に馴染ませる事が出来た。何なりと命令してくれ」


 ゼロツとゼロスリーが拳を地面に突き立て、跪いてクロムの帰還を歓迎する。

 クロムは2人の魔力が出発時よりも安定している事に、一定の評価を下し、まずはラプタニラに向かってこのサソリの尾を輸送する事に決めた。


 流石に支配下に置いているとは言え、魔物である部下2体を街に入れる訳にも行かず、森の入り口付近までは同行させ、それ以降は待機させる事を伝える。

 しかしもう一つの問題として、戦利品として持ち帰ったサソリの尾や魔石の欠片は、通常では侵入が許されていない星屑の残滓ステラ・プルナで産出された物である。


 それをこのまま街に持ち込んだ場合、無用な騒動になり兼ねない。

 その上、冒険者ギルドへの報告や戦利品の鑑定が行われた際、盟友の証や冒険者ランクだけでは話が纏まらない可能性もあった。

 そして何よりクロムの行動や伯爵の計画その他の情報が、第三者に渡る可能性が有る事を考えると、軽率な行動は出来ないとクロムは判断する。


 よって通常の冒険者が通行しない森の外縁部付近で2体を待機させ、クロムは北門の警備兵を使いゴライアを馬車付きで呼び出す方針を打ち出した。

 そして戦果である土産を積み込み、荷物をクロムの所有名義とすれば権力的な関係上、荷の改めや開示は回避出来る。


 もしそれでもダメな場合は、今クロムの持つ権力を最大限活用し、多少強引でも押し通すつもりでいる。

 加えてもう1つ、クロムはゴライアにゼロツとゼロスリーを直接引き合わせ、装備品を特注で製作依頼を出す事を考えていた。


 普通であれば人間が魔物を支配下に置いているという話自体がとても信用出来るものではない上に、人間を魔物に引き合わせる等、殺人罪に問われてもおかしくない暴挙である。

 だが王女の密命を帯びた状態で星屑の残滓ステラ・プルナに潜入し、その場所に生息する常識外れの魔物の素材を持ち帰り提供する時点で、既に普通の人間が行うやり取りではなかった。


 しかもそのクロムが単機で討伐した魔物は、王国内でも討伐例の一切無い魔物であり、そして過去の星屑の残滓ステラ・プルナ大遠征時に侵攻して来た人間に対し甚大な被害をもたらした魔物である。


 幸いゴライアはクロムの異常性を正面から受け入れ、一定の理解を持っている時点で魔物を支配下に置いているという話も受け入れられる可能性が高いとクロムは予想する。

 むしろゴライアの方がクロムに興味を持ち、異常の側に手と足を突っ込んで来ている状態であった。


 ― ゴライアには中途半端に情報を隠すよりも、こちら側に引き込んだ方が都合が良い。素材と情報の使い方に関しては十分信用している。ただ素直に話が進みそうにないものもある ―


 クロムは考えを巡らせ、クロムはまずはゴライアを馬車付きで呼びだす事と、森の中で星屑の残滓ステラ・プルナの素材を提供する事を決定事項とする。

 そこから状況を判断して、ゴライアにゼロツとゼロスリーを引き合わせ秘密を共有し、武具の提供を受ける事を計画した。


 それを2体の部下にも伝えると、意外にも返って来た回答は双方共に問題無いという、いつものクロムの様な返事だった。


「首領の考えであれば反対する理由は無い。当然、首領の関係者であれば一切危害は加えない」


「我も同じだ。全ては主の考えのままに進めてくれれば良い。俺達はただ主に付き従うのみ。勿論俺も関係者には如何なる理由があっても、危害を加えないと誓う」


 と言う条件を付ける時点で、ある意味ゼロスリーはクロムの性質を良く理解していると言えた。

 クロムの思考回路は人間よりも魔物の方が理解を得やすいのだろう。


 そして思考回路自体も肉体の変化によって変わる為、ゼロスリーは自身を“我”と呼び始めており、その口調や考え方等、精神構造にも変化が現れている。


「このまま一度、ラプタニラの街まで帰還し戦果の受け渡しを行った後、再び潜入する。同行させるかは戻った時に判断するとしよう。必要であればお前達の装備も調達する」


「俺達に装備を用意する必要はないぞ。首領の手を煩わせたくない」


「お前達の身を心配している訳では無い。俺がお前達に使った労力分を回収する為に必要な措置だ。一々断るな。説明するのが面倒だ。その一言二言が俺の貴重な労力と時間を奪っていると知れ。二度は言わんぞ」


 クロムは2体の回答を聞かずにそのまま森へと入っていく。

 ゼロツとゼロスリーは命令通り無駄な反論や反応は見せず、頭を軽く下げたのみで会話を終了させた。


 2体は今もクロムが肩に担いでいるサソリの尾を持とうとするが、クロムはそれを断り、代わりに戦闘を任せると告げる。

 その言葉を聞いた2体は、心を躍らせつつ魔力錬磨で全身に力を漲らせ、周囲の警戒を始めた。


 例え敵と遭遇せずに戦闘が起こらなくても、2体にとっては問題は無かった。

 ただ主のクロムの命令を受けた。

 それは自分達が部下として、不完全ながらもクロムの手足として使われているという充足感で今は十分と言える。


 そしていずれはクロムと共に戦闘の歓喜を味わえる位の強さを得られれば、それ以上の喜びは無いだろう。


 ― この2人の感情と言うのは、ベリスやウィオラが持っていると思われる感情と同じなのだろうか ―


 クロムは2体から流れ込む感情と魔力の気配を感じ取り、ふと出会った事が切っ掛けでクロムに追いつきたいと強さを求めだした自由騎士リーベルターの2人の事を思い出した。


 クロムも前の世界では当然ながら兵器として使のだが、今に至ってもそのような忠誠や忠義の概念は一向に理解が出来なかった。

 命令を受けて、ただ力を振るう。


 そこに歓喜や充足感など無く、命令の元にただただ眼前の敵の命を刈り取るのみの殺戮兵器。

 敵であれば相手が人間あっても、無慈悲に暴力を振り下ろす面は魔物と性質が殆ど変わらず、それでいて人間の立場で物事を判断し、この世界を歩み続ける。


 結局の所、どちらにも属していない状態で同時にどちらとも親和性があるという、あまりに奇妙過ぎる存在のクロム。

 その彼に忠義や忠誠心を理解しろと言うのは少々酷ではあった。





 クロムに加えて既にオーガの上位種とも言える魔力を持ったゼロツ、そしてゼロツにはまだ及ばないものの、オークキングとして破格の魔力を獲得したゼロスリー、その2体の主である黒騎士クロム。

 その3がパーティを組んで森を行動した結果、その周辺からほぼ全ての魔物が遠ざかっていった。

 既に底無しの大森林の外縁部ではこの3人の発する魔力の気配だけで、ゴブリンやオーク、コボルトと言った多少の知性を持つ魔物は触らぬ神に祟り無しと言った具合で、一目散に散っていく。


 純粋な強さだけで言えば、規格外のクロムを除いた2体だけでも、まずランク3層メディウムのパーティの1組2組では歯が立たない程である。

 また強まっていく魔力連鎖はクロムに対してだけではなく、ゼロツとゼロスリーとの間でも発現しており、言葉を介さない状態でも簡単な意思疎通を実現していた。


 そんな状況下で進む彼らは戦闘を一切する事無く、一晩中行軍を続けた結果、翌朝にはラプタニラの城壁が木々の間から見える位置まで帰還を果たした。

 この位置で一旦陣を張ると、クロムは2体の部下に最も重要な戦利品であるサソリの尾を渡す。


「俺が戻って来るまでこの尾を死守しろ。ただし人間との戦闘になった場合は、すぐさまこれを持って森の奥まで撤退だ。無理に戦おうとするな。もし戦闘を俺が察知した場合は、俺が戻り、武力行使で黙らせる」


 2人はクロムが地面に降ろしたサソリの尾を見ながら、改めてクロムの底知れない強さに感嘆と恐怖が混在した感情を表した。


「予定通りに事が進めば、俺ともう一人の人間が馬車でここまでやって来るはずだ。その際はこれを持って一旦奥に隠れていろ。俺が呼べば出てくればいい」


 ゼロツとゼロスリーは同時に無言で頷くと、クロムはそれを確認してラプタニラの北門に向かう。

 時刻は朝ではあるが、状況的な都合は夕暮れから夜までが都合が良い。


 しかしながら幾ら豪胆なゴライアとは言え、夜の闇包まれた夜の森でオーガとオークキングと対面するのは流石に一方的な誤解を生む可能性がある事を考慮し、太陽がまだ空に滞在している時間帯を選んだ。

 夜に1台の馬車が走るよりも、朝の商人の喧騒に紛れて馬車を走らせる方が目立たないだろうと、クロムは考える。


 そして当初の予定では北門までゴライアを呼び出すという計画であったが、直接クロムが出向いた上で、状況を説明した方が事の進みが早いと考え、クロムは途中で計画を変更した。


 クロムは警備兵に証とプレートを提示し、何の障害も無く北門を潜り抜ける。

 そしてこれからゴライアは自身の選択次第で未だかつて経験した事の無い、非常識な事態を目の当たりにする事になる。

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