第107話 奈落を駆ける赤い暴風

 ゼロスリーの案内で大森林の星屑の残滓ステラ・プルナ、通称原初の奈落ウヌス・ウィリデへ向かっていたクロムは、魔力レーダーに映る光点の色が一定の領域内だけ赤く染まっている事に気付く。

 その一部分だけ異常な程の魔力の存在を感知していた。


 ― 恐らくそこが目的の場所だな ―


 それを裏付ける様に、その周囲には一切の魔力反応が無く、近づくにつれて生物の発する音が一切聞こえない静寂の森が広がっていた。


 ゼロツとゼロスリーの緊張感がより高まるのをクロムは感じ取り、その領域が周囲の魔物に如何に恐れられているかを確認する。

 そして一行が森を抜けて目的地の外縁部に辿り着くと、クロムはこの時点で今、目の前に現れた森が、これまで歩いてきた森とは違う事を理解した。


 そもそも原初の奈落と呼ばれているこの場所の植生や環境自体が大きく異なっていた。

 クロムの魔力知覚が森に滞留する異常な程に濃度の高い魔力を検知し、魔力レーダーには、真っ赤に染まった幾つかの光点が動き回っていた。


「この場所に足を踏み込むだけで、通常の人間は意識を失いかねないな」


 星屑の残滓ステラ・プルナ大遠征が甚大な被害を被り続けているという原因は、こういった環境にも起因していた。

 まず全身を魔力遮断可能な魔道具や防具で護らなければ、例え強靭な肉体を持つ騎士であっても長時間は耐えられない。


 内部で橋頭堡を確保するだけでも、被害を被る環境下でレーダーに映っているような強さの魔物が襲い掛かって来るとなると、文字通り死の行軍になり兼ねない危険度だった。

 クロムはそこまでの犠牲を払ってまで入手しようとする遺物に、どのような意味があるのか計りかねていた。




 現状可能な範囲で周辺状況を確認したクロムは、後方の木の陰で待機している2体のに目を移し、魔力連鎖から伝わってくる気配を探る。

 やはりゼロスリーはまず近寄る事すら出来ないと判断、当初は同行を考えていたゼロツに関しても、レーダに映る敵戦力とその数から考えて戦力として計上できるかは微妙な所であった。


 一度限りの肉壁としても利用価値は限りなく低く、むしろ極限環境時における機動力の低下は可能な限り避けなければならない。


「結論から言って、お前達はこの先に入るのは無理だと判断した。俺が一人で侵入する」


 ゼロツは未だ体内の魔力を制御出来かねているゼロスリーは無理だと判断されても仕方が無いと考えていたが、ここにきて自分も戦力外と見做されるとは思ってもみなかった。


「首領、俺なら大丈夫だ。例え手足が千切れようとも首領の役に立って見せる」


「その台詞が出る時点で問題外だ。そもそも手足が千切れる事を想定して行動する戦力など最初から役に立たん」


「だが!首領の為に肉壁にでも!」


「くどいぞゼロツ。その肉壁が何度の攻撃に耐えられるのだ。俺が今察知している敵の魔力の前で一撃耐えられるかも疑わしい。たった一撃で肉片に成り下がるような肉壁に頼る位であれば、その辺の木で十分だ」


 ゼロツが感情を昂らせ、その身体から遭遇した時よりも濃密な魔力を放出し始める。

 時折赤い魔力が混じるのは、クロムとの魔力連鎖が強まっている証拠でもあった。


 クロムにも悔しさを伴うゼロツの魔力の気配が流れ込んで来る。


「ゼロスリーは現状論外として、ゼロツ、貴様も役不足に変わりはない。まずは俺が外周を偵察しながら敵と交戦を試みた後、一度ここに帰還する。その間はこの周辺を探索し、簡易拠点を作った上でゼロスリーをまずはまともに動かせるようにしておけ。帰還する際に必要になって来るかも知れん」


 様々な情報から、一筋縄では行かないだろうと考えていた星屑の残滓ステラ・プルナへの侵入だったが、実際にこの奥にいるであろう魔物の強さは、想定を超えていた。

 クロムにとっても、全力出せずアラガミの使用が制限されている中でどこまで戦えるかが未知数である。


 命を落とす事は無いと予測してはいるが、損傷した状態で街に帰還を前提に動くのであれば、ここに戦力を置いておく必要があった。


「もし仮に俺が森を出る事が困難な状態で帰還した場合、お前に頼る事になる。そのつもりは無いが、想定はしておかなくてはならない。わかったかゼロツ。まずはゼロスリーと共にここで態勢を整えろ」


「ぐ...弱いというのはここまで惨めなものなのか...」


「惨め等と言う下らない感情を背負う暇があるなら、まずは今俺の望んでいる事をやり遂げろ。それすらも出来ないのであれば、俺にとってお前達は不必要な存在という事だ」


 ゼロツがクロムの言葉に呻き声でしか返す事が出来ず、拳を握り締めている。

 ゼロスリーも同様の感情を持ち合わせており、同じく身体を震わせていた。


「わかった。今はここで首領の帰りを待つ。多少場所は移すかもしれないが、陣を構築する場所を探しておく。狂いの狩場の魔物はどういう訳か、敵を目の前にしてもこの境界線から一歩も出てこない。周囲は魔物も近づかないから問題は無い筈だ」


「よし。俺はこれより侵入を開始する」


 クロムは2体を残し、踵を返すと星屑の残滓ステラ・プルナに向けて歩き出した。

 既に魔力レーダーがクロムの存在に気が付いたと判断出来る一つの光点を感知している。


 ― まずはこの敵と交戦する事になるな ―


「戦闘システム機動。コア出力を50%を稼働上限とする。緊急措置限界上限は55%に設定」



 ― 戦闘システムを機動 コア出力30% 魔素及び魔力の計測開始 魔力結晶化モニタリング ―


 ― 融魔細胞活性化を確認 魔力生成問題無し 警告 大気中魔素濃度の警戒数値を超過 魔素リジェネレータ最大稼働 ―


 ― 常時魔力大気解放を実施 魔力解放口を全点解放 回路接続問題無し ―



 クロムの身体を覆う外骨格装甲が僅かながらに変形し、各所から余剰魔力の大気解放が始まる。

 深紅の魔力が湯気の様に放出され、その濃度により周辺の景色が陽炎の様に歪んでいた。


「ぐぅぅ...何という魔力...身体の中の魔力が...あばれ...うぐっ!」


「首領は一体どれほどの魔力を...ぐっ」


 その後ろ姿を見守っていた2体が、クロムの魔力波動の煽りを受けて苦しみ始める。

 特にゼロスリーは未だに取り込んだクロムの魔力が馴染み切っていない為、再び体内で魔力が暴れ始め、魔石に負荷が掛かり始める。

 ゼロツもまた圧倒的に濃度の濃い魔力放射を浴び、問答無用で魔力飽和を起こし始めていた。


「まずはここを離れるぞ、ゼロスリー。悔しいが身体が持たないっ!」


「ぐぅぅ...す、すまない...」


 ゼロツが再びゼロスリーに肩を貸し、森の奥に消えていく。

 クロムはそれを確認すると森に向かって猛然と駆けだした。





 背中から抜き去った金棒に右手から放射され続けている魔力が浸透し始め、赤い稲妻が金棒に纏わりつき始める。



 ― 警告 大気中魔素濃度が急激に増大 魔素保有量100%を突破 魔素リジェネレータ 魔力生成稼働最大 魔素消費量最大 魔力大気解放量増大 ―



「なんて環境だここは。魔力を無駄使いし続けないと肉体が維持出来ないとは」


 その異常な程の魔素濃度によって、クロムの魔力知覚と魔力サーモグラフィが異常な動きを見せており、まともな視界が得られていない。



 ― 魔力知覚 数値基準を変更 表示魔力数値の幅を変更 ―



 コアが視界の表示設定を変更し、徐々に視界が戻って来る。

 最低限、敵の魔力の動きを視認出来れば十分だと判断し、コアに必要最低限の表示で留める様に追加で命令した。


 クロムは走りながら魔力消費量を上げる為に、金棒に流す魔力量を増大させる。

 ゴライアが追加で鍛え上げた金棒が、無数の赤い稲妻を放ち火花が弾ける音が断続的に発生し始めた。


 ― ここがゴライアの鍛冶師としての腕の見せ所だな ―


 周辺に満ちる高濃度の魔素の為か、クロムの魔力レーダーに若干のノイズが走り始めている。

 その中で、真っ先に動き出した光点がクロムの動きに合わせて的確に距離を詰めて来きていた。


「向こうも何らかの形でこちらを認識しているな。まぁこれだけ派手に魔力を発していればそれも有り得る話だが」


 広場と言えるような開けた場所は無く、木々の幹が連なる暗い森の中を黒い騎士が駆けて行く。

 原初の奈落とは良く言ったものだと、接近する魔力反応の動きを確認しながら障害物を避けつつ前進するクロム。



 ― 目標 更に増速 接敵まで残り距離20 ―



 そしてクロムの進行方向にある大きな藪が揺れ動き、レーダの光点とクロムの位置が重なった瞬間、オーガ程の体躯を持った人型の爬虫類が錆びた大剣を振りかざし、奇声を上げながら飛び出してきた。


 接敵の準備も前触れもまるで関係無く、双方は駆ける勢いを殺さぬままに戦闘状態に入る。

 大剣と金棒が空中で交差し、大きな金属音と共に魔力の火花を盛大に散らした。


「リザードマンか。図鑑で見た事があるが...なるほど、なかなかの剣撃だ。だがこの程度では俺は倒せんぞ」


 クロムの全身の融魔細胞が豊富に生産され続ける魔力を存分に食らい始め、クロムの身体が膨れ上がった。

 外骨格装甲が軋み、隙間からは深紅の魔力が噴き出している。



 ― 融魔細胞の活性化を確認 魔力消費量増大 魔素リジェネレータ―最大稼働を継続 ―




 全身から薄紫色の魔力を放出し、青い鱗を輝かせているリザードマンが尻尾を何度も地面に叩き付けているが、クロムはそこに不思議と怒りや苛立ちの感情を読み取れなかった。

 むしろ、目の前の獲物をただ襲って食らいたいという、原初の本能、飢餓感の様な様相をその縦割れの瞳から読み取る。


 その眼から過去の戦場で補給線を絶たれて、飢えと死臭に塗れながら死に物狂いで抵抗してきた敵兵士達を思い出すクロム。


 右脚を半身で後ろに引き、金棒を一字構えで両手持ちし態勢を整えると、先手必勝とばかりにリザードマンに突貫する。


 リザードマンもそれに合わせてクロムと距離を詰め、クロムよりも先に身体を回転させ力強い尾を横薙ぎで繰り出した。

 クロムはこれを飛んで避ける事をせず、更に速度を上げて踏み込むと金棒の先端を下からかち上げる。


「尾とは便利な物だな。飛んで避けていたら大剣が打ち込まれていた所だ」


 密着に近い距離まで詰められたリザードマンの攻撃はその勢いを殺され、太い尾の根元がクロムの脚にぶつかる程度に軽減される。

 そして連撃で繰り出そうとした大剣がクロムを捉える前に、クロムの金棒の先端が下からリザードマンの柔らかい腹にめり込んだ。


 その衝撃で金棒に込められた魔力が弾け、追加で体内に魔力波動が打ち込まれる。

 クロムの一撃によって打ち込まれた魔力波動で全身が痙攣し、硬直するリザードマン。


 その状態ではゴライアが鍛えた金棒の先端が下からめり込むだけで済まず、腹の柔らかい皮膚を引っ掛けて破り、そこから大きく引き裂いた。

 そしてそのままクロムは身体を半回転させ、腹から血と体液を振り撒くリザードマンの側面に回り込むと、金棒を返すように反転させ逆側の先端をその勢いのまま叩き付ける。


 それは肩口を捉え、またも強烈な魔力波動を放射しながら、その一撃はバキリと肩関節部分を粉々に撃ち砕いた。

 しかしリザードマンはその一撃に叫び声すら上げず、大剣を無理矢理に横薙ぎで振り払いクロムに一撃入れようする。


 クロムはその一撃に威力を警戒し金棒で受けつつ、片腕を離して力と刃を金棒に沿って受け流す。

 さして切れ味の良くない錆びた大剣の刃が、金棒の表面を僅かに削り、赤と紫の火花を散らせながら受け流されていく。


 大剣は魔力を帯びているようだが、リザードマンが魔力を込めている様子は魔力知覚で確認が出来ず、どうやら長年この魔素濃度に晒されていた為に自然と魔力を帯びている可能性が高いとクロムは分析した。

 それが証拠に、クロムが魔力を通した金棒は僅かに傷が出来ている程度であるが、リザードマンの大剣は魔力強化をされておらず、金棒に刃を大きく削り取られている。


「切れ味も大した事は無さそうだ。ではまずはこの地での戦果1匹目。殺らせて貰う」


 クロムは再び全身の融魔細胞に魔力を喰らうように指令を出した。

 全身の融魔細胞が雄叫びを上げる様に最大稼働で魔力を貪り、強化されていくと、再び黒い外骨格装甲を内側から押し上げる。


 クロムから発せられる魔力放射から殺気に似たものを感じ取ったのか、リザードマンがここに来て甲高い咆哮を上げた。

 腹は裂け肉が露出し、右肩は砕け右腕が力無く垂れ下がっている。


 それでもその瞳の中に映る無色の殺意とも呼べる、本能に似た感情がクロムを正面から見据えていた。

 尾と大剣がリズムカルに揺れている。




 そしてクロムが大地を蹴り前進するのと同時に、リザードマンの尾が地面を叩き前傾姿勢から跳躍してクロムに飛び掛かった。


「この期に及んで空中戦か」


 クロムは冷静にリザードマンの動きを予測し、その攻撃を見極める。

 リザードマンが空中で身体を一回転させて尾を遠心力で加速させながら、猛烈な勢いで上段からクロムを攻撃する。

 そして同時に大剣も併せて並行する形で繰り出した。


 クロムは金棒の中央に両手をスライドさせ、その両端で大剣と尾の同時攻撃を正面から受けきる。

 ゴライアの鍛え上げた金棒は、クロムの魔力も合わさって驚異的な硬さと耐久力を発揮し、リザードマンの猛烈な一撃をクロムの両脚を地面に食い込ませる程度に抑えた。


 それでもクロムの全身がギシリと軋むほどの衝撃が走り、融魔細胞がその不可に耐えるべく魔力を更に喰らい始めた。


「終わりだ。リザードマン」


 クロムは金棒を握る右手を動かし、脚部に力を充填するとリザードマンの尾を絡めとる形でその身体を跳ね上げた。

 かなりの体重を誇るであろうリザードマンの巨躯が、クロムの剛力によって空中を回転しながら舞う。


 そしてクロムは金棒の端を両手を持っていき握り締め、身体を横方向に一回転させ、先程のリザードマンと同じ要領で遠心力を使い金棒を加速させると、斜め上段から全力で叩き下ろした。

 その金棒が空気を圧し潰しながら、空中で防御も出来ないリザードマンの背中に直撃し、一撃でその背骨を粉々に叩き折る。


 それでも勢いが収まらない金棒が背中から反対側の裂けた腹まで食い込み、そこから圧力に負けた臓物が鈍い音と共に地面に弾き出された。

 リザードマンはぐぎゃという短い断末魔を吐き出しながら、金棒と共にそのまま地面に叩き付けられる。


 轟音が鳴り響き、放射された魔力波動と衝撃波が赤い稲妻と共に荒れ狂う暴風を巻き起こした。

 地面がひび割れ、その衝撃が周囲の木々の葉が落ちる程の振動で広がっていく。 


 そして一拍遅れて、リザードマンの手から離れた大剣が回転しながら落下、地面に深々と突き刺さった。

 リザードマンから魔力の活動が失われるのを確認し、クロムは金棒を地面に叩き付けた態勢のままで標的の死の流れを観察している。


「撃破完了。戦闘システムの起動を継続。次の戦闘に備え体内魔力の調整を開始。戦闘データをフィードバック」



 ― 融魔細胞の活性化を小康状態維持 魔素リジェネレータ 魔力生成バランスを調整 ―


 ― 魔素過剰供給状態の緩和を確認 魔力保有量85% 魔力充填開始 ―



 クロムは長い残心の後に、次の戦闘への準備を念頭においてコアに指令を出す。


 その視線の先には、逆くの字で身体をへし折られ、地面に出来た深いひび割れに身体を真ん中から押し込まれたリザードマンが息絶えていた。

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