第106話 黒騎士が生み出すモノと壊すモノ

 森に再び静寂が戻ってくるのは意外にも早かった。

 ゼロツが耐えた時間の半分程で動かなくなったオークキング。

 クロムはその様子を見てこれ以上の魔力注入は時間の無駄だと考え、ある程度のデータが収集出来た事を一定の成果とし、地獄の蓋を閉じた。


 クロムが魔力を流し込んだオークキングの肩からは、無数の鋭利な形状の魔力結晶が毛皮を突き破り突出している。

 クロムはオークキングが持っている魔法適正の影響ではないかと、泡を吹いて気絶している被検体を見下ろしながら考察していた。


「首領、それでこいつは連れて行くので?」


 ゼロツが立ち上がり、クロムの傍らに歩み寄るとオークキングの合否について問う。


「そうだな。死ななければ連れて行くと言ったからな。それにお前よりも素直に魔石が俺の魔力に順応し始めているようだ」


 クロムが魔力知覚と魔力サーモを使って、オークキングの体内を巡る魔力の流れを観察し記録していた。

 この魔力への順応性の高さも、魔法適正が関係しているのかも知れないと考えるクロム。


「いずれにしても魔法適正のある魔物を数体使わないと何とも言えないが、これがどう影響し、どう変わるかだな。変化が無いなら無駄な検証だったと諦めるしかないが」


「俺の時と同じように魔力が大きくなっている。ただ暫くは無理が出来ない。俺もようやく首領の魔力に身体が馴染み始めているところだ」


 ゼロツはクロムが魔物を何の躊躇もなく己の為に使い捨てるという旨の発言をした事で、少し胸のざわつきを覚えた。

 だが魔物も人間を食料として狩り、そして慈悲無く喰らう事を考えると、大して変わりはしないと思い直す。


 だがその胸のざわつきをクロムが見逃すはずがない。

 突然、クロムの左手が獲物に喰らい付く様に動き、ゼロツの首を掴んで締め上げた。


「うぐぅ...ぐぁ...っ!」


「慣れてくるとここまで“揺れ”が読み取れるのか...便利な反面、少々面倒な気もするな。知らない方が楽な事もあるという事だな。それでゼロツ、俺に何か思う所でもあるのか?」


 ゼロツはオーガの膂力を遙かに超える握力でクロムに首を締め上げられ、呻き声しか絞り出せない。

 必死に首を振って、それを否定する。

 クロムの手が首から離れ、ゼロツは地面に膝を付いて盛大に咳き込んだ。


「ごほっげほっ!す...まない首領...決して叛意を持ったわけで...」


「黙れ。謝罪するという事は認めたという事だ。もしこれが戦闘中なら首を背骨ごと引き抜いていた」


「...肝に銘じておく...げほっ」


 眼球の直前までクロムの鉤爪を突き付けられたゼロツは、顎から数滴の汗を地面に落としながら息も絶え絶えに応える。





 そのようなやり取りをしていると、オークキングの肩から飛び出していた魔力結晶が徐々に砕けていき、無数の穴を残して分解されていく。

 それと同時に呻き声を漏らしながらオークキングが意識を取り戻した。


「ようやく目覚めたか。今はお前に使う時間は無い。すぐに狂いの狩場に向かう。立って準備しろ」


「う、うぐぅ...わ、わかった...ぐぁ...」


 クロムが魔力レーダーで周囲の警戒をしていると、ゼロツがオークキングに肩を貸して何とか立たせる。


「あんな恐ろしい魔力...と苦痛は...初めてだ...まだ体の中で...魔力...うぐぅっ!」


「慣れろ。首領の魔力に慣れる事が出来れば、文字通り世界が変わる。それまでは死ぬなよ」


 クロムはオークキングとの魔力連鎖の感覚が思ったよりも小さい事に気が付くと、振り返って問う。


「魔力連鎖の感覚が薄い気がするな。が足りなかったのか。どうなんだオークキング」


「もう...十分だ...俺を首領ディクタートルの配下として...使ってくれ...頼む」


 クロムは魔力連鎖が徐々に強まっていく気配を感じ始め、そしてオークキングから感じる魔力に畏怖らしき気配を感じ取る。


「ふむ。ようやく素直な恐怖を感じ取れたな。今はお前に満足な働きを期待していない。だがそれでも存分に働いて貰う。オークキング、お前の呼び名は03ゼロスリーだ。覚えておけ」



 ― オークキング 個体識別名:03 固有魔力登録を完了 魔力認識を固定 魔力強度の基準値を更新 ―



「俺にも名前をくれるのか...ありがたく頂く。ゼロスリーか...そうか俺はゼロスリーなんだな」


 ゼロスリーはゼロツに肩を担がれながら、何度も自分に与えられた名を呟く。

 その瞬間、クロムの意識の中に魔力連鎖を介してゼロスリーの歓喜に似た感情を伴った魔力の気配が強く流れ込む。


 それ以降、ゼロツと同じ強度の存在認識がクロムの中で確立され、少々クロムの意識の中が騒々しくなった。


 ― 二人で既にこの騒々しさか...コアに情報のフィルタリングをさせないと五月蠅いなこれは ―



 ― 流入情報のフィルタリングを開始 魔力反応の数値化を実行 ―



 コアが魔力連鎖で流れ込んでくる魔力と感情の揺れを、暫定的に数値に置き換え、状態を色と数値で可視化する。


「これより狂いの狩場へと向かう。案内をしろ。到着後、即座に態勢を整え侵入を開始する。ゼロスリー、お前はどうする。足手纏いになりそうなら退避していろ」


「...大丈夫だと言いたいが、狩り場に着くまで答えは待って欲しい。あの狂いの狩場は今の俺には荷が重すぎるかも知れない」


「それならまずは案内だけでも役目を果たせ。ゼロツ、ゼロスリーを手伝え。治療に手を貸しても構わん。だが歩みは止める事は許さん。いけるなゼロツ」


 クロムは魔力連鎖を可視化した事により、ある程度の身体の状態も推測出来るようになっていた。

 確かに今の魔力の不安定さを見れば、ゼロスリーは戦闘の役に立ちそうにない。


「わかった。全力を尽くす。ゼロスリーの魔力の鎮静化に力を貸しながら進む。少し速度は落ちるが構わないだろうか」


「問題無い。戦闘は俺が全て請け負う。まずはゼロスリーを使える状態まで持っていけ」


 クロムは背中の金棒を抜き去り、右手で一度横薙ぎに振り抜き、森の空気を大きく斬り裂いた。

 ゴライアの調整の甲斐もあり、金棒に赤い魔力が浸透し始め、赤く細い稲妻の様な火花が、金棒の表面をじゃれ付く様に走っている。


「首領は武器も特別なんだな...」


 ゼロスリーはセロツの魔力補助を受けつつ、必死に体内の魔力の鎮静化を行いながら、クロムの金棒を見つめていた。

 魔物2体からすれば、あの金棒は突き付けられただけでも戦意喪失しそうな程の恐ろしげな魔力が滞留する武器に見える。


 あれがクロムの膂力で振り回され、頭部に叩き込まれる事を考えると思わず相手に同情すらしてしまいそうだった。


 宣言通り、歩むスピードを緩めたクロムは、ゼロツとゼロスリーの道案内で狂いの狩場、原初の奈落ウヌス・ウィリデへと向かい始める。

 やはり魔物は対応が楽だと考えながら、今後の魔物2人の育成計画を練り始めるクロムだった。


「ベリスとウィオラに、育成した2人をぶつけたらいいデータが取れるかも知れないな。ブレイン・オーバーライドのシステム構築が間に合えば、更に良い」


 クロムはそれも踏まえて、計画を一部変更し、思考を重ねていく。


 そのクロムの様子を魔力連鎖で感じ取ったゼロツとゼロスリーは、その中に僅かな高揚感に似た気配を感じ取ると、まずは彼の思考を邪魔をしない事を最優先とし、そして主の期待に少しでも応えようを気を引き締めた。


 それを実現出来なかった時は、間違いなくあの金棒の一撃が頭上に落とされ、頭蓋ごと打ち砕かれると2体は共通して予感している。





 一方その頃、ネブロシルヴァの屋敷内、その執務室で書類関係に眼を通すオランテの姿があった。

 あの騒動以降、定期的に冷めた紅茶を飲まなければ落ち着かないという、奇妙な癖がついてしまい、メイド長からは一度医者に相談した方が良いと進言されてしまう。


 そして今も意図的に熱を冷まし、その醍醐味である香りを消し飛ばした紅茶を飲んでいた。

 書類の山の大半は、ネブロシルヴァから離れた大森林の外縁部に建設予定の、オルキス近衛騎士団専用訓練場の建設案やその予算等が書かれている。


 表向きは騎士団の訓練場、そして森から出て来る魔物への対応の為となっているが、実際の所はクロムとの連絡や物品のやり取りを秘密裏に行う事を目的とした施設である。

 それ故に、この伯爵邸に施されている魔道具を活用した警戒網や防衛機構の仕組みをより強化する形で施した地下施設の建設も計画に入っている。


 このクロムとのやり取りの為だけに建設する施設に対し、オランテは年間特別予算を組んで金を捻出した上で、長年収蔵していた貴重な魔道具や書籍、絵画等の骨董品も金に換えていた。

 金の動きに敏感な他の貴族や王家の関係者も、その伯爵の不自然な状況に感づいていたが、近年の森の動向や次の星屑の残滓ステラ・プルナ大遠征に備えての軍拡と捉えており、表立って接触や詰問は発生していない。


 それに加えて恐らくラナンキュラス第1王女の手が回っている可能性が高く、オランテは王女がこちらの動向や目的をどこまで知っていて、どこまでこちらに入り込んで来るかという事を気にしていた。




 そして先日、クロムより届いた特別伝令の内容に驚かされる。

 彼がこちらの思い通りには動かない事は最初から覚悟はしていたが、まさかこの速さで星屑の残滓ステラ・プルナへの潜入を開始するとは思ってもみなかった。


 しかもラナンキュラス王女の密命で原初の奈落ウヌス・ウィリデへの侵入許可が下りたという特別伝令が届くと同時にこのクロムの伝令も届いた事により、有り得ないとは思いつつも、王女とクロムの繋がりを疑わなければならない事態になっていた。


 オランテは余りに事態が密に動き始めた事を受け、血相を変えてすぐさまクロムへの書状を作成、王女の件と不干渉の意思を内容に盛り込んで送り返している。


「全くあの黒騎士殿は...」


 溜息を付きつつも書類に目を通し続けるオランテに、訓練施設の構造案を提出しにやってきたレオント2番隊隊長が声を掛けた。


「閣下、少し休まれた方が宜しいのでは?」


「そういう訳にはいかんだろう。クロム殿が本格的に動き始めた。施設の建造を急がねばならん。領民にも特別業務告知を行って期間作業員を募集した上で、必要であればランク1層スペイフランク2層サブ・メディウムの冒険者に纏めて作業依頼を出す事も検討する」


「それほどまでの事態になっているのですか。この場合、流石とは言ってはいけませんが...流石、黒騎士クロム殿といった所でしょうか」


「...まぁよい...これから事態は更に動きだすだろう。近衛騎士団の再編成も急がねばならん。首尾はどうなっている」


 クロムと白昼堂々、街道上で模擬戦を行ったというレオントもまた変に度胸が付いていた。

 オランテは、あのクロムに関わる者は皆、何か熱病の様な物に感染しているのではないかと疑っている。

 オランテ自身もその気配がある事を承知した上で、少々厄介だと考えていた。


「再編成の件は、1番隊隊長のウルスマリテ殿が騎士団長を務めるという方向で話を進めております。3番隊、4番隊の隊長は、先の事件の際に自信の実力を疑問視する形で副団長への降格を願い出ておりましたので」


 オルキス近衛騎士団は4つの騎士団から編成されていたが、先のヒューメとの一件で戦力分散による命令系統の混乱が目立ち、一部対応の遅れが出た事を疑問視された。

 それによりピエリス率いるウィルゴ・クラーワ騎士団の解体を契機に、近衛騎士団の統合案が進められる事になった。


 しかしながら実力は確かな騎士団長が4人いる中で、新編オルキス近衛騎士団の団長を1人選出する際、水面下で争いが起こる可能性をオランテは懸念していた。

 だが実際の所、2番隊隊長のレオントは既に自身の実力をクロムとの模擬戦で思い知らされた上でそれを辞退、他3番隊、4番隊の隊長もあの騒動の最中に魔力放射で倒れ、その職務を満足に果たせなかった事で心を折られていた。


 そしてピエリスの処罰に反対意見を出したのも、この2番隊隊長レオント以下の3人だった。


 ― 黒騎士と出会い、あの強さを目の当たりにした上で、あの騒動となると心を折られても仕方が無い。自分でもあの立場であったなら精神を保てるか自信が無い ―


 3人は一様に口を揃えてピエリスを擁護した。


 一方で実力自体は4人の騎士団長の中で一番高いとされている1番隊隊長ウルスマリテは、ピエリスの立場を尊重しつつも、騎士としての失態は罰せられるべきと主張。

 騎士としての名誉は残しつつ、騎士団長からの降格を提案し、最終的にはピエリスの騎士籍離脱という決着を受け入れる運びとなった。


「ウルスマリテ殿なら問題無いでしょう。後は閣下のご判断に委ねます。私は騎士団再編後、暫く自由騎士リーベルターをやってみようかとも...いつかクロム殿と行く魔物討伐も悪くないと思っておりますので」


「いい加減にしろ...待て、その顔はもしや本気か?」


 オランテが冗談で済ませよう会話を流したが、レオントのその顔と眼を見て思わず聞き返した。


「冗談でこのような事は言いませんよ、閣下」


「...せめて再編後、クロム殿の動向と周辺貴族の動きが見えてからにしろ。話はまたその時に機会を設けてやる。全くどいつもこいつも何だというのだ」


 クロムが数回戦うだけで、騎士団再編まで話が動き、そしてラナンキュラス王女もそれに合わせて動きを見せ始めている。

 水面下でどれだけの組織と権力が動き始めているか、現時点では想像が出来ない。


 今後、確実に巻き起こるであろう国を巻き込んだ大きなうねりの中を足掻き続けなければならない未来。

 その中心には確実にあの黒騎士クロムが居る。


 黒騎士クロムを止められないという事は、この事態の動きとそれに続く未来もまた変えられないと同義である。


 ― クロム殿、これから先、貴殿は一体何を成すのだ?もし貴殿が...いやこれは流石に考えすぎか。だがもしそうなるのであれば...間違いなく一緒に歩かせて貰うぞ、その道を ―


 オランテは一瞬頭を過ったその夢物語に等しい未来を、不敵な笑みで歓迎した。

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