第105話 只の遊びで地獄が来たる
時刻が昼に差し掛かった頃、黒い騎士が旅の荷物を持つわけでも無く、必要最低限に見える装備で、森に面しているネブロシルヴァ北門に現れた。
そのネブロシルヴァ北門から出る際に、あのブラック・オーガとの戦いで黒騎士の存在を知った警備兵からご武運をと敬礼されたクロム。
この街での知名度や証の効果もあった為、軽く右手を掲げるのみで足止めされる事無く、街を出る事が出来た。
クロムは魔力感知と魔力連鎖に意識を集中し、森の奥にあるゼロツの魔力を朧気ながらに捉えた。
距離や魔力の大きさも未だ上手く掴めていないが、それでもクロムの意識が向いた方向に確実に居ると解る。
― 魔力連鎖に反応あり 個体識別名:02 距離不明 魔力状況の数値化を開始 ―
僅かに遅れてコアもゼロツの魔力を捉え、報告を上げてきた。
コアは現在、魔力を感情などに応じて様々な形や属性に変質する為に、データ収集を常に行うようになっている。
魔力に乗せる感情や状況を係数化し、M・エンハンサーにて魔力の変換を行おうとする試みの一環である。
常に変化し続ける感情や状況の分類も同時に行っているので、通常時でもコアの出力は15%維持し続けていた。
「コア出力20%を上限とする。戦闘時のコア出力は自動分配」
クロムは面倒な戦闘を避けつつ、まずはゼロツとの合流を目指す為、コア出力を上げ脚部にエネルギーを供給し始める。
エネルギー効率の良い巡航速度で走ったとしても、その速度は馬を超えるという事もあり、ゼロツとの合流にさほど時間は掛からないと予測出来た。
トントンと軽く地面を蹴り、クロムは身体を僅かに屈めて構えると一気に大地を足で抉り取りながら駆け出した。
目前の迫る木々を避けながら、次の障害物の位置をコアが正確に視認、最適なルート選択を意識の中で表示する。
簡易マップと魔力レーダー画面が視界の端に表示され、そこには周囲の魔力反応を示す水色の光点が幾つか浮かび上がっていた。
― あの魔力の反応はゴブリンか何かの群れか?意外に近くまでやって来ているのだな ―
クロムが陽の光を遮る程に鬱蒼と茂った森を駆け抜けていく。
森の奥へと進軍するにつれて、魔力レーダーに表示される光点の色味が徐々に水色から緑色に遷移し始めた。
レーダーの光点の色も魔力サーモグラフィの色と合わせている為、その魔力の発信源の強さが上がっている証拠だった。
現在、自由騎士2人とゼロツを基準に色味が決定される為、少なくとも黄色以上の表示であれば、ベリス&ウィオラと同等の強さという事になる。
今後、様々な存在の魔力を計測しデータ基準を更新し続けて行けば、相対する者の強さを計る精度も上昇するだろう。
現在の所、黄色~赤であればゼロツと同等という事もあり、最高値の赤であってもそれが強いかと聞かれれば、決してそうではない。
赤は基本的に青天井であるが故に、最も信頼が出来ないデータである。
よって強い敵と相対し、基準点を更新しなければならない。
弱い相手の位置や魔力を計測した所であまり役に立つデータとは言えず、感情の揺らぎを読み取る位の価値としかクロムは認識していなかった。
暫く森を駆け抜けていると、魔力レーダーの範囲にゼロツと思しき反応が表示され、その周囲に2つの光点が存在している事がわかった。
魔力連鎖で感じるゼロツの揺らぎは、戦闘の際の高揚感等ではなく落ち着いた様相を見せており、クロムは未だに状況を掴めずにいる。
クロムは速度を落とし状況を確認しようと考えたが、脅威度の低い相手に時間を使う事を惜しんだクロムはそのままゼロツの元へ向かう事を決めた。
「必要なら殲滅するのみだ」
― 戦闘モードを起動準備 コア出力上限30%に変更 魔力計測開始 ―
― 体内魔素量及び体内魔力量 規定値にて安定 魔素リジェネレータ稼働中 ―
クロムが最後の木を避けて、ゼロツの居る場所へ躍り出る。
ゼロツは既に魔力連鎖でクロムの接近を感知してた為、既に意識を突然の乱入者に向けていた。
「
戦闘中では無いが、ゼロツは相対する2つの存在から意識を外す事無く、軽く頭をクロムに向かって下げる。
「それでそこにいる魔物は何だ。敵か?ならさっさと始末して先に進むぞ」
クロムは両手を握り締めて戦闘の意思を明確に示す。
相対する2体の魔物は、見た目はオークとよく似ているが豚と言うよりは、猪に近い顔をしていた。
クロムよりも背丈が高いゼロツよりも大きく、その体躯は中々に鍛え上げられている。
茶と黒が入り混じった剛毛が猪の顔の一部や背中を覆い、ゼロツには及ばないものの身体に纏う魔力もそれなりに強力な物だった。
分類するならば自由騎士以上、ゼロツ以下と言ったところだ。
「首領よ、待って欲しい。こいつらはこの一帯を縄張りにしているオークキング達だ。役に立つかもしれないと話をしていた所なのだ」
「お前よりも弱い魔物に用は無いぞ。ここで殺されるか逃げ帰るかどちらかだ」
赤い魔力を漏らしながら問答無用で戦闘状態に入ろうとするクロムの前に、ゼロツが慌てた様に割って入って来る。
「ま、待ってくれ。こいつらに戦闘の意思は無い。むしろ首領に興味を示してここに来ているんだ」
するとオークキングの1体が拳を握り、跪くとその拳を地面に突き立てて頭を垂れた。
ゼロツが依然見せていた敬意を示す動作。
「何と恐ろしい魔力。我々は敵ではない。どうか気を収めてくれ」
額の部分の毛が赤く染まっているオークキングが話し終えると、更に頭を下げる。
その様子を見ていたゼロツもクロムに対して同じ姿勢を取った。
「我々だと?隣のやつはお前と同じ意見では無さそうだぞ」
クロムは未だに拳を握りながら悠然と立つ、もう一方のオークキングの前に進んでいく。
そしてクロムはそのオークキングの前に立ち、見上げると視線を真正面からぶつけ合う。
完全に人間と異なる猪の顔である為、クロムはその表情から思考を読み取る事が出来ない。
クロムはその魔物の魔力も同時に観察しているが、強いという判定は下さなかった。
「面倒だな」
クロムの口から一言短い言葉が発せられ、ゼロツは魔力連鎖でクロムの不機嫌とも取れる魔力の揺らぎを感じ取った。
何か言葉を発しようと口を開いたゼロツ、そしてその言葉を聞き、侮蔑を表わすように鼻を鳴らしてクロムを見下ろす目の前のオークキング。
突然、クロムの抜き手がオークキングの鳩尾に突き込まれた。
引きによる力の溜めも無く、ノーモーションで目標に突き刺さるクロムの黒い右腕。
苦悶の叫びを上げる事も無く、ただ眼を見開き口を開けるオークキング。
僅かな掠れ声がクロムの耳に入って来た。
何が起こったのか理解出来ないオークキングは、ゴボリと血の塊を口から吐き出しながらも、本能的に身体に突き刺さったクロムの右腕を抜こうと全力で掴む。
オークキングの掴んだ手に魔力が集中し、その掴んだ両手が軋み音を上げるも、それは自由騎士との訓練の時と同じくクロムからではない。
「やはりこの程度か。土産の魔石が手に入るならこの手間も許容範囲内だな」
クロムはそう言って、オークキングの体内で最も魔力濃度が濃い場所を見つけると、腰を落として脚部に魔力を流し込み、融魔細胞を活性化させた。
メキリと静かにクロムの両脚が膨張し、赤い魔力が隙間から漏れる。
「ま、まで...」
血反吐と共に漸く言葉を絞り出したオークキングを完全に無視して、クロムは大地を下に蹴り込み踏み割ると、その反作用で生まれた力の流れを上方向に解き放つ。
上向きに方向転換させたクロムの抜き手が傷口と体内を抉り回し、その先端が分厚いオークキングの胸の中を引き裂きながら魔石目掛けて突き入れられた。
そしてその黒い手が肉片と共に直径15㎝程の魔石の球を掴み取った。
オークキングがのけ反りながら、口から血を噴き断末魔の声を上げる。
しかし周囲に茂る木々がその長くは続かなかった絶叫を容易く受け止め、再び静寂が戻って来た。
クロムは一気に魔石ごと腕を引き抜くと、ゴボリという音と共に傷口から血が大量に零れ落ち、ゆっくりとオークキングの肉体が前のめりに崩れ落ちて行く。
そして覆いかぶさる様に倒れて来たオークキングの胴を、クロムは無造作に横から蹴り払う。
クロムの脚から漏れ出た魔力が、赤い曳航線を引いていた。
鈍い音を発して身体を腕もろともくの字にへし折られた死体が、血を撒き散らしながら木々をへし折り、森の奥まで吹き飛んでいく。
魔石を握り締め右腕全体を血で染めながら、クロムがゼロツともう1体のオークキングに向き直った。
「それで、そっちはどうしたい?場合によってはお前も魔石になって貰うが」
クロムは魔物とのやり取りは本当に楽だと思っていた。
余計な情も必要なく、そこにはただ強さだけが支配する世界がある。
戦うのであれば倒して魔石にすれば良い。
無駄な話のやり取りも無く、至って単純に力を振るえば解決出来る。
「どうか待って欲しい。我は敵対しない。そこのオーガと同じく俺を使ってくれ」
必死に言葉を紡ぐオークキングは、生まれて初めてこんなにも深く跪いた事は無かった。
身体が柔らかければ額はとうの昔に地面に付いていただろう。
それほどまでに目の前の黒い怪物が恐ろしかった。
身体の震えが収まらない。
死の恐怖ではなく、ただ純粋な無情の恐怖が身体を全力で震えさせていた。
何度も拳を交えて獲物や縄張りを奪い合った同族の長。
黒い怪物が面倒だと口にしたのが聞こえ、その身体から血色の魔力が溢れた瞬間、これから訪れる同族の死を瞬時に確信した。
「ゼロツ、こいつは役に立つのか?肉壁は2体も要らん」
クロムは背嚢から取り出した水筒の水で魔石にこびり付いた血肉を洗い流し、背嚢に収納すると、ゼロツに問い掛けた。
オークキングはクロムの面倒だという言葉に過剰に反応し、この言葉がここまで恐ろしく聞こえるのかと体毛を冷や汗で湿らせる。
「首領よ、聞いてくれ。オークキングは俺達オーガより身体能力は劣るが、その代わりに魔法適正がある者が多いのだ。この者も魔法適正がある。そして狂いの狩場の位置等も詳しい。配下にすれば役に立つはずだ」
「オークキング。お前は魔法が使えるのか?どのような魔法だ」
オークキングはどう答えれば良いか迷った。
血の気が引き、視界が遠ざかるような感覚に襲われる。
クロムの腕から同族の血が地面に滴り落ちる音がはっきりと聞こえてくる。
オークキングは確かに魔法適正があり、魔力量から考慮すると深度2魔法までは問題無く使える容量を持っている。
ただまともに使えるのは深度1魔法の風魔法と水魔法のみ。
ティルトの様な応用力があればまだ良いが、戦術の伴わない初級魔法では戦闘の役には立たない。
魔物は人間と異なり、魔法書や師となる魔法師がそもそも存在せず、人間の様に自然現象を研究し真理を求めるような事はしない。
それ故に、魔物は魔法適正があったとしても、それを行使出来るかは別問題なのだ。
「か、簡単な風と水のみ...まだ血が目を覚まさないのだ」
「血が目を覚ます?」
クロムの疑問にゼロツが答えた。
「我々魔物は、ある日突然、急激に何かに目覚める事がある。種族や親子の繋がりも関係無くだ」
人間は血筋によって、才能や能力、特技の覚醒が起こりやすい傾向にあり、王家や貴族の血統主義がまさにその象徴だ。
対して魔物は血統や遺伝に関係無く、突然力に目覚める事があった。
魔物全般に言える事として魔物の力は遺伝的に継承されず、強さ自体はその種族が持つ“種族値”のようなもので生まれながらに決まっていた。
その殆どが一定の強さを超えた際に突然変異によって覚醒が引き起こされる。
つまり肉体が強くなれば、その覚醒が起こりやすくなるという事だった。
強い魔物の種族や血統が支配する世界ではなく、単純に強い者が弱い物を支配する。
基本的なヒエラルキーが種族別には確かに存在するが、一部の覚醒した魔物には当て嵌まらない。
例えゴブリンであっても、力の覚醒次第では格上のオークよりも生態的地位が高い世代も生まれる。
種族に関係無く、強い魔物をランダムで生み出しながら繰り返される弱肉強食の世界。
これが魔物の世界の基本だった。
ただしそのタイミングは完全な個体差があり、寿命を迎えるまで何も起こらない魔物が大半である。
その中で覚醒を迎えた数少ない魔物が、ブラック・オーガやドミナス種の様に強い存在として世界の上に立つ。
― 血の覚醒か...ヒューメはともかくあのブラック・オーガもその覚醒した魔物の可能性が高い訳か。となると覚醒を引き起こすのは強さ、厳密に言うと魔力の保有量、もしくは濃度か? ―
あのブラック・オーガが口にしていた魔力を喰らうという言葉を思い出すと、クロムがまた実験を思い付く。
ゼロツが覚醒している様な素振りを見せない所を見ると、この仮説の信憑性が多少疑われるが、種族や能力によってそのボーダーラインが違う可能性もある。
種族的な覚醒の難易度があるのかも知れないとクロムは思考を巡らせた。
クロムは未だに跪いて顔を上げないオークキングに向かって告げる。
「オークキング。お前は俺の“遊び”に付き合う覚悟はあるか?覚悟が無く今この場を大人しく離れるなら見逃しても構わない。選べ」
クロムの問い掛けにオークキングはびくりと身体を震わせて、顔を上げた。
自分に向けて差し出された黒く血塗られた禍々しい手や、その黒い身体の各所から血の様な魔力を湧かせているクロムの姿を見て、更にもう一度身体を大きく震わせる。
「その“遊び”とやらに付き合えば...配下に加えてくれるのか...?」
間違いなく楽な遊びではない。
それは隣で跪いているゼロツと名乗ったオーガの気配を見ると解る。
主に名を貰ったと言った自分よりも強い種族のオーガが、僅かに恐怖で震えているのだ。
「死ななければ、という条件付きだがな。ただ俺はこの“遊び”でお前を殺すつもりは今の所は無い。立ち去るならそれで構わない。ただ結果的にお前が死ぬかも知れないだけだ」
今の所、殺すつもりは無いと明言した上で、死ぬかも知れないと言い放つ黒い怪物が、同族の血と魔力で赤く染まった手を差し出していた。
自身の命の価値などまるで感じていない事は解っている。
このまま逃げ帰れば死なない。
恐怖に包まれた葛藤がオークキングの脳内を駆け巡る。
そして結論を出した末に、再び頭を下げた。
「遊びでも試練でも構わない。受ける。生き残れば配下に加えてくれ」
そのオークキングの言葉を聞いたクロムが、わかったと一言呟き、頭を下げるオークキングに歩み寄る。
オークキングの眼に映る森の地面の中にクロムの黒い脚が入って来た。
「では、行くぞ」
クロムの言葉を頭上から聞き、その震える肩に手が置かれた瞬間、オークキングの身体に地獄が舞い降りた。
瞬間、周囲の木々に止まっていた鳥達が、一斉に飛び立つ程の絶叫が森の中に木霊する。
ゼロツはその絶叫を聴きながら、立ち上がる事無く跪いたまま目を閉じていた。
オークキングの絶叫から、自分も体験したあの地獄の苦痛を思い出している訳ではない。
魔力連鎖でゼロツに流れ込んでくるクロムの魔力の気配。
どこまでも平坦で無情を感じさせる静かな気配の魔力が、真っ黒の世界の中で赤い口を開き、小さく小さく嗤っていたのを感じ取った。
ゼロツは恐怖で震えが止まらない。
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