第100話 黒と青と赤の向かう未来

 朝日が馬車を照らし出し、デハーニ達が荷物を纏め出発する直前に森から出て来たクロムが合流した。

 クロムが森に入った件に関しては、中で幾つかの魔物を討伐し、ある程度の魔物は追い散らしたと説明、デハーニもそれで特に思う事無く話は終了する。


 ヒューメとティルトは朝になって気が付いたらパーティにクロムがおらず、荷造りを手伝いながらもその視線は彼を探す為に常に周囲に向いていた。

 出発を遅らせようと2人はデハーニに相談するも、クロムが戻らなければ別行動になるという方針は一切曲げない。


 特にヒューメは街を出てからクロムと話す機会が殆ど無かったという事もあり、その落ち込みようは凄まじく、隣で必死に宥めるピエリスに同情の視線が集まっていた。

 クロムが森より戻って来た事を確認すると、もはや我慢ならないと言った具合でクロムに走り寄り、何の躊躇も無くクロムに抱き着いた程。


 ヒューメと同じくクロムに走り寄ったティルト。

 その彼女の吹っ切れたような堂々とした振る舞いにティルトが何処か悔し気な、それでいて羨むような視線と表情でそれを見ている。

 ただこう見えてティルトは特にヒューメを敵視しているわけでは無く、寧ろ互いが持つ独特の雰囲気とクロムに対する考えから、意気投合に似た関係性を構築していた。


「いきなり居なくなるなんて酷いです、クロム様!」


「そうですよ。朝起きてビックリしたのですから!」


 赤と青の瞳に下から見上げられたクロムは、その様子を見ていたデハーニとピエリスを交互に視線を投げ付ける。


「おい、お前達が保護者だろう。何とかしろ」


 クロムが呆れた口調で言うと、デハーニもプエリスも視線をクロムからワザとらしく反らし、夜を追い出し朝日に染まる空を見上げていた。





 竜車が街道を昨日よりも速いペースで走り、その左右の脇をベリスとウィオラの騎馬がそれぞれ護衛の配置に付いていた。

 街道の幅に対して、デハーニ一行の占有率がかなり高かったが、大きな竜車とそれを引く走破竜ベクタードラコの迫力に負けた対向の馬車が次々に道を譲る。


 クロムはその竜車の後部にある荷室の中に座り、その開口部から後方監視の為に視界を通し、加えて魔力感知で周辺の魔力の動きを探っていた。

 その前にはティルトが座り、クロムの要請に応じて杖や指先、瞳等に魔力を集中させたりと、彼の魔力感知の検証に付き合っている。


 そしてその脇にはクロムに寄り添うようにヒューメが座り、その様子をじっと見つめていた。

 ヒューメはその身の安全上の観点から居室部分から出る事は禁止されていたが、ピエリスがデハーニと交渉した結果、荷室であれば車内の扉を通じて行き来しても良いと許可を得る。


 クロムは魔力感知と魔力視覚を使ってティルトの魔力を観察し、時にはその手を取って魔力の感覚を確かめていた。

 クロムがティルトの手に触れる度に、彼の精神的な事情で魔力錬磨がどうしても乱れてしまう事になる。


 そしてクロムはヒューメに対しても、その身体に投与した強化細胞融解液のその後の影響等を調べる為、問診に近い質問を彼女に投げ掛けた。

 特に強化細胞溶解液に対する拒絶反応の影響で、肉体の内外に異常が出ていても不思議では無く、事細かに説明するように彼女に求めるクロム。


 ヒューメは自身の身体の事を、事細かに自らの口で曝露していく事になり、ただクロムの直球的な質問に答えるだけでその乙女心と精神が羞恥により疲弊していった。

 それに加えて、クロムがティルトと同じ様にその手を取り魔力の変化を診ようとしたが、ヒューメはこの時既にまともな魔力錬磨出来る精神状態では無い。


 その様子を居室の開口部から心配そうに見つめているピエリスは、その主の姿を見て手で眼を覆っていた。


 それでもクロムが話を聞きだした所によると、魔力に関しては今まで通り問題無く扱う事が出来るが、その魔力保有量は感覚的にかなり減少しているとヒューメは話す。

 またその保有量が少なくなった事により、魔法行使等による魔力枯渇に対しより一層の注意を払わなければいけない状態だと言った。


 ― 魔力保有用に関しては恐らく外部から入った溶解液が体内の各所を補填した影響だと推測出来る ―


 クロムは思考を巡らせながら、ヒューメの顔に掌を当てて、ティルトとは違い魔力が常時微量に籠っているその赤い瞳を観察する。

 当然ヒューメはその赤い瞳を潤ませながら身体を硬直させていた。


 ― それと魔力とは違うが、俺の身体にはヒューメの血が入っている。しかしその血を分けた状態でありながら魔力連鎖が感知出来ない。血と魔力、そして人間と魔物ではやはり根本的な所で構造が異なるようだな ―


 もしヒューメがゼロツと同じ様に眷族化されているのであれば、今のヒューメの魔力に乗った感情がクロムに察知される筈だが、そのような事は無かった。

 逆にゼロツの魔力はあの別れた時から今に至るまで、僅かではあるが存在を感知出来ている。


 これはクロムにとっても上手く言語化出来ない感覚であり、“クロムの魔力がゼロツの存在を認識している”という酷く曖昧な表現に留まっていた。

 もし仮にクロムがヒューメの存在を感知出来たとするならば、それは彼の体内に溶け込んだである可能性が高い。


「クロム様?」


 ヒューメが幾分落ち着きを取り戻したのか、クロムの手に顔を預けながら問い掛ける。

 かなりシステムの最適化が進んだクロムの魔力視覚が、ヒューメの深紅の瞳の中を流れる魔力を細かく見分けていた。


 ― 瞳に流れる魔力も、ティルトとはまた違うな ―


 傍から見れば、黒騎士が少女を見つめ合っているという絵になるが、互いの思考は壊滅的なまでに異なっている。


「こほん...クロムさん?」


 ティルトがその光景に耐えかねたのか、時を強引に動かした。


「ティルト、ヒューメ。協力に感謝する」


「あ...」


 ティルトの声を切っ掛けにしてクロムが検証終了を告げ、ヒューメから手を離すと、彼女は名残惜しそうに小さく声を上げる。

 そして時間を動かしたティルトを頬を膨らませてジト目で見つめるヒューメ。


 だがヒューメは心の充足にはまだ足りないとばかりに、クロムへ更に身を寄せるとクロムの左腕を抱きしめて頭を預ける。


「ヒューメ、居室に戻らなくていいのか」


「大丈夫です。私は協力に対するご褒美を所望します」


 その言葉を聞いたティルトはそれに反対せずに微笑んで、クロムの横に同じく移動しクロムに身を寄せた。


「ヒューメさん、それはとても良い考えですね。ボクもご褒美を頂きます」


 そう言ってティルトはクロムの右腕に身体をもたれさせる。


「なんでそうなる」


 クロムの呟きは華麗に無視された。





 完全に空を登り切った太陽の光が、荷室の窓から差し込み3人を照らす。

 小刻みに竜車が揺れ、窓から心地良い陽気と涼しい草原の風が荷室に舞い込んでいた。

 その草木の香りを運ぶ風が、ティルトとヒューメの髪を柔らかく揺らす。

 やがてクロムの両側から静かな寝息が聞こえて来た。


 すると今までそれを見ていたピエリスが、居室から大きめのクッション2つとブランケットを手に取りクロムに歩み寄って来る。

 そして両側の2人にそれらをあてがうと、静かに頭を下げて戻っていった。


 ― まぁこれはこれで静かになったのだから良しとするか ―


 そう結論付けて、クロムは魔力連鎖での遠く離れたゼロツの魔力存在の感知に関して意識を集中させた。



 ― コア出力20% 演算領域を解放 システム構築に必要な領域を確保 ― 


 ― 魔力連鎖統合システム構築計画を発動 システム名:ブレイン・オーバーライド  ―


 ― 魔力感知データ 被検対象を確認 識別名:02ゼロツの認識を固定 システム仮想構築を開始 ―



 クロムの戦略を忠実に実行に移し、クロムによって完全掌握された、クロムの為の魔物による戦術部隊の構築。

 コアの戦略によって統率された軍団規模の魔物の群れが、駒として戦術的行動を取る事を可能にするシステム。


 魔力連鎖をネットワーク状に展開し、感情や情報を数値化した上で、魔力にそれを乗せる事が出来るのであれば、この構想も実現不可能な物では無い。


 そしてこの世界におけるクロムの目的がまた一つ追加される。


 ― 魔物を支配下において魔力連鎖を植え付ける ―


 巨大な災厄の種となるクロムの計画が、幸せそうに眠るティルトとヒューメに間でその産声を上げた。





 クロムが演算にて意識を内側に向けている間、同時展開していた魔力感知には何も引っ掛かる事も無く、無事にラプラニラ東門前が見える位置まで到着した。

 竜車が停車する際に、荷台が大きく揺れて軋むと、ようやくティルトとヒューメが夢の世界に足を引っ張られながらも目を覚ます。


 クロム自身も意識内に閉じ籠っていた事もあり、両側の2人の事は感知していなかった。

 まずティルトが目を擦りながら意識を現実に戻すと、いつの間にかクロムの右腕をしっかりを抱え込んで眠っていた事に気が付いた。

 盛大に赤面し、クロムの様子を伺うように彼の横顔を見上げるティルト。


 そして片方のヒューメと言えば、いつの間にかクロムに横から膝枕の状態で眠っており、しかもクロムの世界で一番硬いであろう太腿と、ヒューメの側頭部の間には丁寧に追加のクッションが挟まれており、心地の良い眠りを提供していた。


 意識を現実へと即座に戻し、それに気が付いたクロムが居室の方を見やるとピエリスが謝罪と感謝の意思を込め頭を下げていた。


 「クロムさん!ボク寝ながらクロムさんに抱き着いていたみたいで...折角の休憩を邪魔してしまってすみません!」


 全く身動きしていないクロムを見て、休息を取っていたと考えたティルトが慌てて謝罪を口にする。


「問題無い。気にするな」


 クロムは謝罪を口にしながらも、まだ自身の右腕を離さないティルトに短く応える。


「はふぅ...え...えぇ...!私、クロム様のお膝で...も、申し訳御座いません!」


 ヒューメもまた自身の体勢を確認するを慌てて起き上がり、顔を真っ赤に染めてクロムに謝罪する。


「問題無い。気にするな」


 全く同じ口調で、ヒューメの謝罪を受け取るクロム。


「とりあえず2人は居室に戻れ。俺は少し動く予定がある」


 そう2人に告げると、クロムはそのまま立ち上がって荷台から出ようと背を向けた。

 黒い外套を羽織るクロムの背中にティルトとヒューメの声が飛ぶ。


「クロムさん、もしかしてお一人で行動されるのですか?」


「クロム様、村まではご一緒出来ないのでしょうか?」


 この時ばかりは2人の疑問が見事に統一され、そしてクロムの今後の行動を看破した。


「まだわからないが、単独行動が必要になってくる可能性が高い。村には立ち寄るつもりでいる」


「そう...ですか...残念です。どうかお気を付けて。クロム様のお膝で眠るのはとても心地良かったです。またいつかお願いしても良いですか?」


「くれぐれも気を付けて下さいね。まだボクも色々とクロムさんと魔力の検証がしたいですし...それに寂しいですからね...はは」


 2人はそれぞれの想いをクロムの後姿に投げ掛けた。

 クロムは荷台の壁に掛けられている久しく装備していなかった金棒を掴み取ると背後に背負い、僅かに視線を2人に向けた。


「ヒューメ、願う事は良い。だが今は自分を受け入れ、成すべき道を見つけて自分の足で前に進まなくてはならない。膝枕はその後だ。俺の膝で良ければその時は好きなだけ眠ればいい。ティルト、いずれお前に作成して貰いたい物が幾つかある。現状ではお前にしか頼めそうにない。その時は頼りにさせて貰う」


 そう言い残して、クロムは荷台を降りて姿を消す。


 ピエリスが戻りましょうと声を掛けるまで、2人はクロムの言葉を脳内で繰り返し反芻していた。


 クロムと約束を取り付ける事が出来たヒューメ。

 クロムに自分にしか出来ないだろうと頼りにされたティルト。


 2人はゆっくりと互いの目線を合わせ、その喜びを静かに共有していた。

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