第98話 鬼の眼に絶望を

 この暗く静かな森の中で繰り広げられる戦いの観客は、大きく欠けた月と物言わぬ木々のみ。

 それらの視点から見れば、赤い魔力を纏った黒い怪物が、満身創痍のオーガを捕らえて捕食しようとしているように見えただろう。



 ― 融魔細胞の活性化を確認 腕部先端の魔力放出口を解放 魔力回路の接続完了 ―


 ― 対象の魔力枯渇を確認 魔素リジェネレータ 魔力回路接続 魔力濃度上昇 ―


 ― M・インヘーラ 逆転作動の準備完了 モニタリング開始―



「無理矢理にでも俺の魔力をして貰う。オーガは魔力を喰うのが好きだと聞いている。この後、生きていたら後で感想を聞かせてくれ。M・インヘーラ作動」


 クロムの両掌の魔力放出口の開度が全開に近い形で解放され、オーガの両手を貫く様に魔力が迸る。


「な、なんだ...手が...?う、うぐ、うぐぅ...うがぁぁぁぁぁぁ!!」


 最初、両手に感じたのは小さな熱の点だった。

 だがそれは瞬く間に灼熱と化し、両手から両腕へと伝播していくとオーガの腕の魔力回路がクロムの膨大な魔力によって次々と悲鳴を上げて焼き付いていく。


 両腕から骨の芯から灼熱の炎で焼かれている様な激痛が炸裂し、オーガの身体が反射的にのけ反った。

 夜空に向かって大きく開かれた口から、オーガが発した事の無い絶叫が吐き出される。


 クロムの魔力に炙られたオーガの両腕が内側から赤く光り始め、同じく魔力回路が血管の様に浮かび上がっていた。

 拘束されたオーガの両手の甲がクロムの赤い魔力で穿たれ、まるで黒い台座に磔にされている様な光景を作り出す。



 ― 放出魔力約8%対象に浸透 魔力解放口の開度25%縮小 ―



 オーガの手を貫く魔力の勢いが僅かに減少するも、その内部で弾ける地獄は一向に収まる気配はない。


「思った以上に魔力を喰わないな。魔力枯渇量も予想では適切な範囲の筈だが」


 クロムはオーガの叫び声を耳にしながら、ヒューメとの戦いの記録とデータを今一度掘り起こす。

 そして魔力視覚でオーガの身体の魔力の流れを、サーモの情報から朧気ながらに読み取っていった。


「上手く流れていないのか...何故だ」


 そこでクロムはヒューメの時の魔力融合時でのやり取りを思い起こす。


 ― 私の意思が貴方の身体との魔力融合を望めば、きっと上手くいくはずよ ―


「もしかして精神的な物...意思か」


 そして意思の変化により爆発的に成長した2人の騎士の記録が、この仮説を裏付ける。

 クロムは検証の一環として、今も悶え苦しむオーガに声を掛けた。

 可能限り近い距離まで顔を近づけるクロム。


「おい。オーガは魔力を喰うと聞いていたが、全然喰わないじゃないか。俺は時間と魔力を無駄に失っているだけだぞ」


「うごぅぅ...なにを...いう...か...ぬぐぅ...喰わさ...れるのは...違うぞ...」


「まだ会話が出来るくらいの意識はあるのか。安心しろ、決して意識を失わせない。まだ足りないんだ。それにこれでも死なないのであれば、まだ俺の実験に付き合えるという事だ。そうだろう?魔力をくれてやるから肉体を再生すればいい。そうすればまだこれを...


 クロムの平坦な声が、自分の叫び声で耳鳴りがする程の状況でも明瞭に聞こえてくる。


 まだ続くのかこの地獄の苦痛が。

 強者と戦い、そして満足して逝けると考えていた。

 この何を考えているか解らない恐ろしい男は、己の欲求を満たすまで俺を殺し続けるつもりだ。


 絶え間ない激痛に加えて、クロムの言葉がオーガの精神をも炙り始める。


 俺は一体何と戦っているのだ。

 只の強者ではなかった。

 我々、純然たる強さと戦いに焦がれるオーガとは違う。

 愉悦でもなく、狂気でもなく、何の感情も供わない欲求。


 オーガはその為の、その為だけに用意された怪物の餌なのだと、現実を受け入れてしまう。



 ― 放出魔力約19%対象に浸透 魔力解放口の開度維持 ―



 オーガの眼の意思の光が濁り始めるのを感じたクロム。

 そして魔力の浸透率が増大した事を受け、精神を可能な限り衰弱させ、その意思を砕けば効率が良くなると確信した。


「魔力放出口開度を全開。オーガよ、壊れるなら今の内だ」


 クロムの握力が更に強まり、オーガの拳を潰し始めると同時にそれを貫く魔力が勢いを一気に増した。

 オーガは腕だけでは無く、全身の魔力回路が焼き付く耐えがたい激痛に声を失った。


「!!!...っ!!...!?」


 もはや痙攣しか許されない白く塗り潰された視界と意識の中、それでもオーガは意識を手放す事が出来ない。

 オーガは痛みが支配する意識の中で、極上の絶望を感じ取った。





 それを転機として、オーガの腕で停滞していた魔力の移動が、急激に魔石へ流れ始める。



 ― 放出魔力約45%対象に浸透 対象の魔力枯渇解消を確認 魔力解放口閉鎖 ―


 ― 魔素リジェネレータ 稼働 魔力補給開始 魔素保有量58% 魔力保有量67% ―



「ここまでだな。しかしかなり魔力を無駄にしたな。まずは心を折る事から始めなければならないとは」


 クロムの全身から赤い魔力が消し飛ばされる様に放射され、オーガの小さく断続的な呻き声だけが響く静かな世界が帰ってくる。


 ― まだ生きているな。では次だ。このオーガは俺の性質の異なる魔力を喰って肉体を回復、エネルギーとして活用出来るのか ―


 ― もし出来るのであれば、このオーガの身体組成を調査すれば糸口は見つかりそうだが... ―


 クロムは魔力視覚でオーガの色を観察しながら、肉体組成の調査はやはりこのオーガを喰うしかないか等と次の検証へと思考を移している。


「うぐぉぉ...おれは...どうな...て...」


「目覚めたな。生きているようで何よりだ。早く身体を再生しろ。折角俺の魔力を喰わせてやったんだ。無駄な時間だと判断すれば、今度は殺してお前の肉を喰わせて貰う」


 冥府の悪鬼かと思われそうな台詞を、淀みなく言い放つクロムにオーガは何と会話しているのか分からなくなる。


「うぐ...胸が...魔石が熱い...なんだこの魔力は...魔力があばれ...うっぐぁぁぁ...」


 未だに焼き切れた魔力回路を赤く浮かび上がらせる両腕は動かす事が出来ず、オーガは正体不明の魔力で悶える魔石を抱える胸部を、大きく空に突き出していた。

 魔石の周囲の魔力回路上にて魔力が暴れている様子を、クロムが静かに観察している。


 ― 拒絶反応のような現象かもしれないな。これは...徐々に魔石が魔力を消化し始めているのか ―


 暴れ続ける魔力を魔石が回収し始め、代わりに落ち着きを取り戻した魔力がオーガの身体の各部へ流れ出し始める。

 特に損傷が激しい箇所への流入量が多い。


 オーガの身体に魔力が徐々に行き渡りつつあり、クロムが破壊した関節部分も含め損傷個所が次第に回復し始めた。

 ただし再生にはそれなりの痛みを伴うのか、オーガは未だに苦し気な声を上げ、時折痙攣しその巨躯を仰向けのまま跳ねさせている。


「再生し始めたな。どうだ。俺の魔力を喰った感想は」


「今も...身体が燃えている...うぐっ...ようだ...ただ明らかに魔力の...強さが...違い過ぎる...気を抜けば...ぐぁ...この身が破裂しそうな気さえ...する」


 クロムが腕組みをしながらオーガを見下ろし感想を求めると、痛みに言葉を途切れさせながらも素直にその身に起こっている状況を説明した。


「実際、強くなったのか?ただそれは試してみないとわからないな...もう一度俺と戦うか?」


 そのクロムの容赦無い再戦の要求に、オーガは明らかに恐怖でその身を震わせた。


「もう...やめてくれ...いっそ強さに関係無く...うぅ...ただ殺された方がマシな事も...あると知った...ただ今までとは違う物を感じるのは...確かだ...今までこんなに早く再生する事は...なかった」


「間違いなく身体能力は上がっていると見ていいだろうな。後はお前の肉を喰う必要があるのだが...」


「!?...ま、待て...待ってくれ...喰うだと...!?」


 平然とした声で自分を喰うと宣言したクロムに、オーガは回復したばかりの肌の色を再び青褪めさせる。


「ああ。今度はお前の魔力と肉体、そして再生に使う力の関係を知りたいからな」


 夜よりも黒い影となってオーガを見下ろすクロムの言葉に、オーガは身体を震わせ始めた。

 人間では無い...という言葉を、魔物であるオーガが心に浮かべる。


「待ってくれ...肉は用意する事が出来る...だがそれ以外で俺にお前の役に立つ機会を与えては貰えないか」


 オーガの強者に向ける本能とあの地獄の苦痛への恐怖が、命を繋ぐ選択を懸命に模索する。

 そして今は痛みになど構っていられないとばかりに、大きな呻き声を上げて痛みに震えながらも身体を起こした。


 未だ馴染み切らない魔力が体内を蹂躙する中、再び最初の敬服の姿勢を不完全ながら取るオーガ。


「俺はお前に、絶対強者たるお前に付いて行きたい...戦いで使い潰してくれても良い。役に立たないと判断すれば殺してくれて構わない。頼む...お前の配下になる事を認めて欲しい」


 新たなる強者を見つけた歓びか、それとも死への恐怖から来る物か。

 クロムにはその震えの正体までは判断が出来なかった。





 ― 無駄では無い事が判明した時点で殺すつもりは無いが...恐怖で縛れるならそれも好都合と考えるか...後は魔力連鎖とやらの検証が出来れば成果は上々だな ―


「そうだな。肉は次のオーガでも狩った時に喰らうとするか。後まだお前の言っていた魔力連鎖とやらを試してみたい。それはお前が回復してからで構わんだろう」


「いや、まずはこれを受け取ってくれ」


 そう言って、オーガはその姿勢のまま、未だ上手く動かせない身体を懸命に動かしながら左手の小指を口に咥え、そして躊躇無くそれを噛み千切る。

 血が傷口から滴り落ちるが、全く気にも留めないオーガ。


 オーガにとって、今も全身を走る痛みや先程までの苦痛に比べたら、小指を噛み千切る程度の痛みは何の苦も無く耐えられた。

 そしてその根元から噛み千切られた小指を、クロムに差し出すオーガ。


「これはどういう事だ」


「オーガの絶対の忠誠を示す証だ...左手の小さき指は“支配者の指”とオーガの間では言い伝えられている。それを強者に渡す事は、その者の支配を受け入れるという絶対の誓いとなる。その忠誠の力は魔力連鎖も強い発現にも影響するはずだ。あくまで魔物同士での話になるが...受け取ってくれ」


 クロムはその小指を拾い上げると、最初に一言、衛生上あまり良く無さそうだなと呟いた。

 実際の所、未知のウィルス等による脅威は多少なりともあるものの、クロムに毒や雑菌、病原菌は効果が殆ど無い。

 それに仮に食すことで得られる情報の価値と比べれば、その程度の危険は十分に受け入れられた。


 クロムは背嚢から水の入った鉄の水筒を取り出すと、気休め程度とは解ってはいるがその小指を新鮮な水で洗い流す。

 この水筒は、ティルトが必要無いと言ったクロムに半ば無理やり持たせたものだった。


 ― 感謝する、ティルト ―


 クロムは意識の中でティルトに感謝の言葉を送る。


「...ならばお前を部下として使わせて貰おうか。精々役に立ってくれる事を願う」


「お、おお...本当か...俺の身体と命、そしてオーガの魂は首領ディクタートルと共に征く事を誓う」


 オーガに首領ディクタートルと呼ばれたクロムは、その言葉に反応する事無く興味はオーガの小指に向いていた。

 当のオーガはあっけなく認められた事に多少困惑するものの、願いがかなった事による歓びで心を躍らせる。


 するとクロムはおもむろに水で洗ったオーガの小指を、こちらも何の躊躇も無く口に放り込んで、骨ごと咀嚼し始める。

 クロムはヒューメとの戦いの件で得た融魔細胞、そしてその時の記録からオーガの肉の摂取に大きな問題は無いと判断した。



 ― 調査物質の取り込みを開始 成分分析を実行 分析中は非浸食変性領域にて隔離 ―


 ― 異常発生時は体外緊急排出を実施 ―



 オーガは自分の差し出した小指が、咀嚼音と共にクロムによって嚙み砕かれ、磨り潰され、そして飲み込まれるていくのを、ただただ茫然と見ているしかなかった。


「ふむ。骨が邪魔だが、喰えん事もないか」


クロムがオーガの様子も気にせずに、食事の感想を事も無げに呟いた。

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