第97話 黒騎士が喰らった魔力

 大きく欠けた月の僅かな月明かりが広場を照らす。

 人間であれば目が慣れれば何とか見えると言った程度で、森の中の暗闇は到底見通せない。


 木々を揺らし折る音が次第に近付き、クロムの前の草木が掻き分けられた。

 そこに姿を現わしたのは、クロムよりも二回りほど大きな体躯を持つ人型の生物。

 額に2対のらしき突起を生やした筋骨隆々の身体、そして肌は浅黒い。


「いつぞやのブラック・オーガに似ているか?同種か似たような別種か...」


 クロムが過去の戦闘データからブラック・オーガの情報を引き出し、目の前の生物と比較する。

 ただ実際にクロムが戦ったブラック・オーガは、更に立派な体躯であった上、その保有していた気配も目の前の生物とは比べ物にならない程に大きかった。

 クロムが感知している魔力からして、いずれにしても戦って負ける要素は見当たらない。


 その生物は姿を現わした直後に動きを止め、立ったままクロムと相対する。

 赤い双眸がじっとクロムを見つめ続けていた。


「いずれにしても魔物であれば、今後の安全の為にも狩るか」


 クロムが全身の融魔細胞の活性化を強め、それに応じて全身から滲む魔力濃度が上昇していく。

 半身で腰を落とし、黒い拳を構えるとクロムは戦闘態勢を整え、一撃で屠る為に魔石があると言われている胸部に標準を定めた。


 しかしそのタイミングで、目の前の生物が突然、右拳を地面に突き立て跪いた。

 そして赤い魔力に包まれるクロムを真っすぐに見つめて言葉を発する。


「おまえが、あの王鬼をたおした者なのか。その赤き魔力から感じるものはまちがいなくあの王鬼のもの」


 少々聞き取りにくいが、間違いなく人語を話す目の前の生物からはクロムへの敵意を感じない。

 クロムは構えを解きつつも、臨戦態勢のままで対話を試みた。


「お前の言う王鬼とやらはわからんが、ブラック・オーガと言われていた鬼らしき魔物は俺が倒したな」


「おお...やはりか。すばらしい強さ。王鬼の魔力を喰らった強きものよ」


 発声器官の問題なのか妙に引っ掛かりのある声を聞いて、クロムはコアに波長のフィルタリングを命令する。


「喰らった?俺はあのオーガの魔力を喰らった覚えは無い」


 ただクロムはこの言葉を発すると同時に、一つ思い当たる行動があった。

 ヒューメとの戦いの最中、クロムはブラック・オーガの魔石を握り砕いた時の膨大な魔力放射をヒューメと共に受けている。


 その時点ではクロムの外骨格装甲が魔力を遮断しているが、最終的にその魔力放射を全身に浴びたヒューメの血液を体内に取り込んでいる。

 間接的に喰らったと言われれば否定は出来ない。


「いやその恐ろしい程の赤き魔力の中に、確かにあの王鬼の波動を感じるのだ。同じオーガとしてそれを間違える筈はない」


 音声フィルタリングの成果があったのか、随分と聞き取り易くなったオーガの言葉。

そのオーガの双眸に畏敬の念が籠めらている。


「そうか。俺を喰らいたいのであれば、さっさとかかってこい。時間が惜しい」


「それは違う。俺はあの王鬼に屈服し軍門に下った才覚無き只のオーガ。情けをかけられ、魔力を分けて貰っただけの弱者」


 そして未だ臨戦態勢を解かないクロムの前で頭を下げると、そのオーガはこれまでの経緯を語り始めた。

 あのブラック・オーガの圧倒的な力の前に、自分以外の仲間は全て喰われ、最後に生き残った自分は最期まで強者と戦おうとした気概を気に入られる形で、魔力を分け与えられた事を。


「王鬼が戦の為に離れ、俺はここに残り、他にも軍勢を作って合流しろと言われた。だがその後、王鬼の魔力の気配が俺の中から消えた」


 このオーガはブラック・オーガから魔力を分け与えられた時点で、眷族という扱いになり“魔力連鎖”という魔物独自の繋がりを持っていた。

 その事を聞いた時、クロムはこの独特の魔力気配察知が遠距離通信に使えるのでないかと考え始め、人間側にその技術が無い事を不思議に思う。


 ― やはり人間と魔物では根本的にその成り立ちや構造が違うのか ―


 そんなクロムの思考に気付く筈もないオーガは言葉を続ける。


「他の皆もそれに気が付き、再び森の奥に帰っていった。だが俺はあの王鬼を喰らった者がどのような強者かどうしても知りたくなったのだ」


 オーガの中の強者を求める本能。


「しかしあれから月を何度も見送っていたが、突然、俺の中であの王鬼の魔力の気配が復活したのだ。しかも更に大きな気配となって俺に流れ込んで来た。そして今、その強者が目の前に立っている」


 オーガはそう言うと、立ち上がりその巨躯から魔力を放出し始めた。

 その魔力量は先日見たベリスやウィオラを上回り、クロムの魔力視覚では既に黄緑色~黄色を示している。

 その魔力の輝きが、暗い森と照らしている弱々しい月明かりを猛然と喰らう。





「王鬼を喰らった強者よ。俺にその強さを示して欲しい。例え殺されても構わない。ただ俺は強者であるお前の存在に触れたいのだ」


 そういって、クロムの構えと似た徒手格闘の構えを取るとここで初めて殺気の様な気配を放った。

 その双眸からは憎しみではなく、純然たる強者への憧憬の光が灯っている。


 ― 魔力連鎖に魔力の分配か。その構造がわかれば魔力のエネルギー変換の解明に繋がるかも知れないな ―


 クロムはオーガの本能や矜持に微塵も興味を示ず、このオーガの利用価値に期待を寄せていた。


 この雑念の無い純粋な強さへの想いは、人間よりも遙かに信用出来ると感じるクロム。

 向こうの世界には存在しなかった、自然由来の生きた兵器。

 強さを示し続ける限り、忠実に動かせる駒として支配が出来る事、そして魔力関連の検証素材として使えるこのオーガにクロムは大きな価値を見出した。


 そして考えを纏めたクロムは再び腰を落とし、地面に足を喰い込ませる。


「かかってこい。俺はお前に価値を見出した」


「おお...何と嬉しい事だ...では行くぞっ!!」


 オーガが纏っていた魔力が圧縮されるように急激に圧縮され、その巨躯が一回り膨れ上がる。

 クロムの魔力視覚はその身体に宿る洗練された魔力の奔流を察知した。


 大地を蹴り砕き土煙を巻き上げながら、オーガが魔力の残滓の尾を引きクロムに突貫する。





「ぬおおぁぁぁ!」


 魔力を纏い強化されたオーガの右拳が、何の小細工も無くクロムの顔面に繰り出された。

 しかしその愚直なまでの拳を喰らうようなクロムでは無く、その拳は魔力を纏っていない只の左の黒い掌で受け止められる。


 その瞬間、鈍い衝突音と衝撃波が放射され周囲の空気を大きく揺らし、クロムの足がが大地に僅かな線を引きながら沈み、その周りがひび割れた。

 そしてそのオーガの拳を上から圧倒的な握力で握り、その動きを封じる。


「ぬぐっ!外せないだと...何という力か!」


「これがお前の全力か?」


 クロムは力の拮抗にもならない状況の中で、静かにオーガに語り掛けると暇を持て余していた右の拳をオーガの左腕関節、可動域に無い方向から叩き込む。

 バキッという衝撃音と共に、本来曲がる筈の無い方向にオーガの右腕が曲がり、力が瞬く間に抜けていく。


「うぐぅぅ!」


 オーガの顔が驚きと苦痛に歪む。

 しかし、クロムの魔力視覚はその折れた関節部分に魔力が大量に集中し、その壊れた関節に何か作用し始めるのを捉えた。


 ― 再生か? ―


 クロムはその握ったオーガの右拳を力任せに引き寄せ、その巨躯を右拳の射程範囲に収めると股関節から脇腹、胸側面、喉と連続で拳打を叩き込む。

 鈍い衝撃音が連続で発生し、その度にオーガの牙が目立つ口から苦悶の呻きが漏れ出た。


 クロムは拳に伝わる感触と魔力の移動量やその経路を記録しながら、更に金的に腹、鳩尾、胸へと右拳を絶え間無く、そして容赦無くめり込ませていった。


 ― 魔力が淀みなく移動をしている。あと胸の大きな反応が魔石か。潰す訳にはいかんな ―


 冷静に思考を回転させながら、クロムはオーガの身体の至る所に拳による殴打を着弾させ、次第にオーガの身体は身体強化では無く、殴打による腫れで膨らんでいく。


「ま、まだま...だぁぁぁ!」


 オーガはクロムの打撃の衝撃で身体を躍らせながら、左手で何とかクロムの肩を掴む事に成功すると、左膝に魔力を集中させ、その黒い身体に向けて蹴り上げた。

 しかしその渾身の膝蹴りも、事前に魔力の流れと気配を察知して予測していたクロムには通用しない。


 金属音に似た衝突音と共に、クロムの右前腕部がその膝を受け止め、膝関節が砕ける感触が伝わって来た。

 そして肩を掴んでいた左手が落ち、身体を崩れ落とすオーガの顔がクロムの拳の射程に自然と入る。





 互いの体格差故に、この状態でようやく目線の高さが合った両者。

 未だにクロムの強さに向けられる光を失わないオーガの双眸。

 だがその眼が映していた視界はすぐさま黒一色に塗りつぶされた。


 オーガの顔面に真正面から叩き込まれるクロムの拳。

 そして鼻血を噴出しながらのけ反るオーガの顔が戻って来た瞬間に、再びクロムの拳が左頬を横から打ち抜き、叩き折られた牙が血と涎の糸を引きながら宙を舞う。


 そこからまた顔面に肩、胸とクロムが捉えるあらゆる箇所に打撃が加えられていき、無慈悲に拳が炸裂する度に鈍い衝撃音が森を空気を震わせ、次第にオーガの身体から見える魔力の色が暗く青くなっていく。

 

 だがその魔力の反応を見て、そろそろ頃合いかとクロムが考えを巡らせたその時、オーガの左腕の魔力が青から一気に明るい色に跳ね上がった。


「ぬがぁぁぁ!」


オーガは無残に折れた牙を剥き出しにして雄叫びを上げると、狙っていたかのように魔力錬磨された左拳をクロムの顔面目掛けて打ち出す。

ガシッという音と共にオーガのその拳は確かにクロムを捉えた。

だがそこはクロムの右手の中だった。


オーガの顔に絶望と諦めに似た気配が宿る。


オーガの両手はクロムに捉えられ、地に落ちた膝は既に攻撃手段を持たない。

クロムの黒い手に掴まれたオーガの両拳が、クロムの握力で軋み始める。


「うがぁぁっ!...こ、ここまでの差があると...は...っ」


クロムの眼が、オーガから諦めに似た雰囲気を察知する。


「お前のよう...な強者と...戦って死ぬなら...本望...」


オーガの血塗れで腫れ上がる顔に不敵な笑みが浮かぶ。

ただしその笑みを上回る不敵さを含む声でクロムがオーガに告げた。


「オーガよ。俺の魔力をしてみないか。どうなるかは知らん。死んでも構わんが、出来れば死ぬな」


「何を...言って...」


夜空と暗い森を背景にクロムの身体が赤い魔力で輪郭を作り始める。

その余りに禍々しい魔力の気配に、オーガは王鬼と初めて対面した時以上の恐怖と震えを覚えた。


オーガにとっての地獄はここからが本番だった。

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