第93話 黒騎士は魔力と心を奪い去る

「良し。全力で頼む。手加減は不要だ」



 ― コア出力15% 融魔細胞の活性化を確認 魔素消費及び魔力生成を制限中 ― 



 2人はそれぞれ異なる構えを取り、重心を落として集中力を高めていく。

 クロムが両脚を肩幅程に開き石畳を2度程踏みしめ、腰を2人の身長に合わせる様に落とし、黒い装甲の内側に力を漲らせた。



 ― 魔力可視化システム 起動 ―



 システム起動の瞬間、クロムの視界の色彩が乱れ世界が極彩色に塗り替わる。

 そして徐々にその色が抜け落ちていくと、暫くして通常の世界の色を取り戻していく。

 しかし、今までと違う点があった。

 それは目の前の2人の身体から青い炎に包まれている様な光景が飛び込んで来たのだ。


 ― これが魔力なのか ―


 クロムが初めて見る魔力の胎動に、初めて感動に似た感情を意識に浮かべた。


「では...行かせて貰う!」


「行きます!」


 その瞬間、ズドンという音と振動が彼女達の足元から訓練場に伝わり、石畳を震わせる、非常に密度の濃い魔力が炎の様に2人を包み、肉体を急激に強化し始める。


 周囲の観客が驚愕の表情を浮かべていた。


「ぬぅぅっ!」


「ぐぅぅっ!」


 2人の気迫の籠った声と共に、クロムの両手に大きな力が加わり始める。

 クロムの視界に彼女らの身体を取り巻く魔力の色が、青から水色へと遷移していくのが見て取れた。


 ミキミキと何かが軋む音がするが、それはクロムの物では無く、彼女達が装備しているガントレットからだ。

 彼女達の額にはその整った顔に似合わない青筋、そして先程まで他の冒険者達を魅了していた愛らしい顔が修羅のそれへと変貌を遂げている。

 


 ― 対象の握力尚も増大中 腕部負荷上昇 損傷の可能性無し ―



 クロムが観察していると、その魔力の色は水色から緑へと変化し始め、特に手を含めた腕部と脚部の色は既に黄緑から黄色に変化しつつある。


 ― 魔力配分はこうなっているのか。面白いな ―


 既に訓練場には金属製の防具の悲鳴が断続的に響き、彼女達が発する魔力の余波を浴びて興味本位で冷やかしに来た新人冒険者が膝を付き始めていた。

 他の観客達も2人のこの凄まじい魔力からなる身体強化を、真正面から身動きせずに平然と受け止める黒騎士に底知れぬ恐怖を覚える。


「クロム殿...!私は...強くなれただろうか...っ!」


ぁ...!今は弱いかも...知れませんが...いつかはっ!」


 額に大粒の汗を浮かべながらも、ベリスとウィオラは更に全身の魔力の色を黄色へと変化せていく。



― 腕部末端負荷が増大中 損傷無し ―

 


 クロムはコアの無機質な報告を受けながら、尚も上昇しようとする2人の魔力と自身の手に掛かる負荷の増大を感じ取り、改めて“成長”というものに対し畏敬の念を持つ。

 この2人の過去のデータを引っ張り出して現在と比較すると、存在そのものが変わったと言われても仕方が無い程に成長していた。


 クロムの中でベリスとウィオラの情報が次々と塗り替わっていく。


「ベリス、ウィオラ。やはり素晴らしいなお前達は」


「「っ!!」」


 不意にクロムの心からの賞賛を受けて、顔に汗を浮かべながらも瞳に涙を浮かべる2人。



 ― 融魔細胞 両腕部末端の限定活性化を開始 強化率8% 強化率の制限上限に到達 ―



 コアが魔力波動等の被害を極力抑える為に、ベリスとウィオラの魔力計測値を基準として出力制限を掛けた。

 クロムの両手の指が1本ずつ、ゆっくりと鉤爪で2人の手を傷付けないように閉じられていく。


「え...何を...!?」


「あ...えっ!?」


 不意に手を握られた2人が困惑の声を上げる。

 黒く大きな手が、汗ばむ彼女達の手を包んでいた。


 

 ― 融魔細胞 両腕部魔力を限定魔素分解 魔素リジェネレータ稼働 魔力回路を腕部先端部放出口に接続 ―


 ― 両腕部一部の魔力保有量低下中 融魔細胞の魔力枯渇を確認 魔素供給を一時遮断 ―


 ― 両腕部の魔力放出を開始 ―



 黒い両手から赤い魔力が滲み出て、黒に包まれた2人の手を覆い始めた。


 濃度の高い強い魔力は、薄く弱い魔力を通さないという仮説。

 これは魔力波動に対する一般的な防御方法から仮定した現象であり、想定では現在、彼女達の魔力はそれを上回る濃度と強さのクロムの魔力に閉じ込められている状態である。


 そしてもう一つの仮説として、クロムは自身が魔力枯渇状態で外部から魔力を浴びると、その魔力を吸収出来る可能性を考えていた。

 クロムの身体の一部分を魔素リジェネレータで意図的に魔力を分解、強制的に魔力枯渇状態にし、両手に増設した魔力放出口と魔力回路を経由して吸収が可能ではないかという仮定。


 ただしそれは融魔細胞と言う人知を超えた代物を運用するクロムに限っての事であり、この世界の人間は魔力枯渇を起こしている状態で魔力を浴びても、そう簡単には回復しない。

 通常、魔力の供給や魔素変換は心臓等の一部の重要臓器によって行われており、体内の構成している細胞単位で変換供給出来るクロムとは、そもそも構造自体が大きく異なるのだ。


 ただしクロムの外骨格装甲は魔力を通さない特性がある以上、単に相手の魔力に触れただけでは体内に魔力が侵入しない。

 そこで装甲に穴を開ける形で形成した魔力放出口を経由すれば、内部に魔力を取り込めると考えた。

 そして簡単に言ってしまえば、放出口が魔力の出口であるならば、逆に入口としても使える筈という結論に至る。





「うぐっ!何だこの感覚は...うぉ!」


「んっ!魔力が...んんっ!?」


 未だ限界近くまで身体強化を続けているベリスとウィオラが、自身の身に起こっている異変に朧気ながら気付き始めた。


「さて、実験を開始しよう。痛くはない。頑張ってくれ」


 クロムはそう言って、魔力サーモグラフで2人の魔力変化を記録しながら魔力吸収試験を開始した。



 ― 魔力枯渇融魔細胞を魔力回路に接続 魔力解放口との経路確認 モニター開始 ―


 ― 試作システム M・インヘーラ 起動 コア出力を5%追加解放 システム運用に限定使用 ―



 クロムの腕力を維持しながら、一部の融魔細胞が直列に並び魔力回路と魔力放出口に接続され、クロムの両腕部を覆っている黒い外骨格装甲の隙間や関節部が、赤く鈍い光を放ち始める。

 クロムの魔力で覆われ逃げ場を失った2人の手に集中していた魔力を、放出口を経由し腹を空かせた融魔細胞が貪り始めた。

 

 流れて来る2人の新鮮な魔力を融魔細胞が貪り喰い、次々と消化しながら細胞内に溶かし込んでいく。

 だがコアが魔力吸収を維持する為に、魔素リジェネレータを稼働させて融魔細胞の枯渇状態の継続を強要し、取り込んだ魔力を瞬時に魔素に分解していった。


 魔力を喰らい続けても決して満たされない、無限の飢餓が融魔細胞を襲う。



 ― 対象の魔力を吸収中 モニター正常 吸収量調整により余剰魔力及び魔素を廃棄 ―


 ― 腕部装甲を部分展開 廃棄を開始 ―



 自分の身に何が起こっているのか完全に把握出来ておらず、困惑の表情を浮かべる2人の前でクロムの腕部装甲が展開され、赤い魔力に混じってベリスとウィオラの魔力が大気中に勢い良く廃棄された。

 その見覚えのある色の魔力を見て、2人はようやく自身の身に何が起こっているかを完全に把握し、そして心の底から恐怖で震えあがる。


 ― 魔力が、命が吸われて捨てられていく! ―


 目の前で自身の命に等しい魔力が吸われ、そして無造作に大気中に捨てられていく光景。

 そして徐々に身体から魔力が抜けていく感覚は死の感覚に最も近いものであり、恐怖が2人の心を支配する。


 「そ、そんな馬鹿な事...くそ、外れん!身体強化が...魔力が...あああぁぁ!」


 「い、いやっ!私の魔力が...吸われ...うぁぁぁ...ダメやめてっ!」


 クロムの魔力サーモグラフィでも、2人の魔力の色が黄緑色から水色へと、急速にを奪われていく様子が見て取れた。

 しかもその魔力消費を補う形で、他の箇所から本人達の意思とは関係なくその手に魔力が流れ込んでいるようだった。


 当然の事ながら、心が恐怖で満たされ恐慌状態に陥った2人が身体強化をまともに維持する事は出来ず、クロムの手に加わっていた力も失われていく。


 ― 流石にこの2人の魔力濃度と強度であれば、魔力枯渇は直ぐに解消されるな。魔力吸収を維持する為に、魔力枯渇を維持し続ける必要があるが融魔細胞に影響がどう出るか ―


「あぁ...クロム...殿...」


「クロム...さまぁ...」


「おっといかん。すまない。ここまでだな」


 ベリスとウィオラの身体強化が完全に切れ、2人は極度の疲労に襲われ半ばクロムの手にぶら下がる格好となっていた。

 魔力枯渇にはまだ余裕があるが、急激に魔力を失った事による肉体と精神の疲労が大きい。



 ― M・インヘーラ システム停止 検証によるフィードバック開始 装甲展開解除 ―


 ― 融魔細胞の魔力回路を段階的に接続解除 コア出力を通常状態に移行 ―


 ― 魔素リジェネレータ 稼働 魔素保有量96% 魔力保有量98% 規定値内にて安定 ―


 ― 背部放出口より余剰魔力放出 ―



 クロムの両腕部が通常状態に戻ると同時に、背部の放出口の装甲が勢い良く開き余剰魔力が解放されるが、放出量がかなり少ない事もあり、風船が破裂したような形で赤い魔力が噴出し魔力波動が衝撃音と共に発射された。

 それでもドンという赤い衝撃波が訓練場の空気を振動させ、観客は一斉に耳を抑えてうずくまる。


 ベリスとウィオラ両名とも、額の汗で前髪を張り付かせ、全身からも汗が蒸気となって上がっていた。

 クロムが手の力を抜くと、支えを失った2人が同時に崩れ落ちそうになる。


「むっ」


 クロムは崩れ落ちる2人の身体を両腕で抱きかかえ、地面に倒れるのを防ぐ。

 右腕でウィオラを、左腕でベリスを抱き留めた。


 そしてクロムはその2人の身体から力が抜けているのを確認すると、自身の身体に身を預けさせ、彼女達の尻の下に前腕部を滑り込ませ、いとも簡単に持ち上げた。


 ― これは俺の責任でもあるからな ―


 女性とは言え、鎧等を装備している騎士の重量を難無く持ち上げ、平然と歩き出すクロムを周辺の観客は目を丸くしてそれを見送る。


 ベリスとウィオラはこの状態を恥ずかしがる余裕は無く、容赦なく襲い掛かってくる疲労感から、もうどうにでもなれと言った具合でクロムに身を預けていた。


「...こうやって運ばれるのも良いものだな...少々...恥ずかしいが...」


天星の都ステラカエルムが見えた気がします...でも役得...かも」


 2人はそう呟いて目を閉じて心地の良い揺れを感じている。

 流石にこの状況で目を開けて、周囲の視線を確認する勇気は彼女達には無かった。



 ― 魔力可視化システムの試験運用 終了 視覚センサーのシステム同調を解除 ―


 ― 可視化による色彩強度 収集データから基準点を作成 ―


 ― システム運用評価 良好 システムフィードバックを検証 常用最適化プログラムを構築中 ―



 クロムは概ね問題無くシステムの稼働が出来た事に満足し、その立役者であるこの2人に感謝の意を意識内で持った。

 ただしベリスとウィオラがこの状態でデハーニに追う事が出来るかという事に、若干の問題をクロムは感じている。


 ― その場合、この2人を抱えたまま走って追えば良いだけの話だな。それに改めて2人に礼もしなくてはいけない。本当に十分な働きを見せてくれた ―


「ベリス、ウィオラ。お前達2人の成長に感謝する」


 クロムのこの小さな呟きが、2人の耳に届いているかはクロムは気にしていない。


 だがクロムに身を預けながら、目を閉じ揺られている2人の頬の血色が良くなり、表情が大いに緩んだ事は本人達だけの秘密であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る