第4章 黒騎士と星屑の残滓
第92話 黒騎士は自由騎士の手を握る
ネブロシルヴァの街中を走破竜車がゆっくりと進んでいた。
御者台には過去に
竜車の周囲には数名の騎士が馬に乗り周囲に目を光らせている。
人目を避けた夜に出立するのではなく、あえて街の喧騒の中を定期的に行われている戦略物資の輸送という通常通りの様相で街を出る予定だった。
この竜車以外にも、前後を挟む形でラプタニラへ向けての物資輸送を行う馬車を幾つか出しており、珍しい走破竜の姿に注目は集めるものの物資内容に関して怪しまれている気配は感じられない。
この時点で怪しい動きを見せている者が居れば、追手と監視が付けられる予定となっていた。
城壁の門まで一団が辿り着くも、既に先触れにより通達がなされており、警備兵に停められる事も無く、デハーニ達が乗る竜車はネブロシルヴァを出る事に成功した。
「ヒューメ嬢。ピエリス、街の姿を最後に拝まなくていいか?」
デハーニは背後の小窓を開けて、中で息を潜めて乗っている2人に声を掛けた。
だが、返ってきた声は悲しさが混じってはいるが、それでも明確な決意が滲んでいる。
「大丈夫です。デハーニ様...ではなくデハーニさん。もう覚悟も心の整理も付いておりますので」
「心遣いに感謝するデハーニ殿。私ももう大丈夫だ」
「そうか。ではこのまま走らせる。もう少しこのまま待っててくれ」
そういって尻尾が極端に短かい茶色のドラゴンに指示を出し、竜車の速度を僅かに上げた。
筋肉質の4本の脚が大地を蹴って駆けて行く。
それでも馬には遠く及ばないが、それでも牽引している竜車の重量を考えれば十分である。
絶え間なく穏やかな風が吹く、ネブロシルヴァ外周に広がる草原を見渡しながらデハーニは物思いに耽る。
この緑一色の草原を分断する街道を地響きを立てて走る竜車。
この道を逆方向に向かっていた時には想像もしていなかった帰り道。
行きと帰りで変わっていないのは、風が運んでくる草の香りと陽光のみであった。
デハーニは荷台前方の目立たない位置にある通気口を開け放ち、中に緑の香りを存分に含んだ新鮮な空気を車内に取り込む。
中からその空気を堪能する声が聞こえ、心なしか車内の雰囲気も向上したようにデハーニは感じた。
「いつクロム様は合流されるのでしょうか?」
「もう少し進んだらだと思いますよ。早く来ないかなぁクロムさん」
不測の事態に備えて車内に乗り込んでいるティルトとヒューメの緊張感の無い会話が聞こえ、デハーニは手綱を持ちながら御者台で項垂れている。
デハーニの考える行きと帰りで変わらないものに、このティルトも加わった。
一方クロムは街に降りて冒険者ギルドに足を運んでいた。
時間的にもう出立している頃だと考えながら、ロビーの扉を無造作に開け放つ。
規模の大きいギルドならではの喧騒がロビーを満たしていたが、扉が突然開き、逆光で影になっているのか、それとも元々の黒さか瞬時に判断が付かないクロムが姿を現わすと、その場は一気に静まり返った。
丁度、ロビーから出ようとした冒険者パーティが目の前に現れたクロムの姿に驚いている。
その中で体格の良い戦士の男が道を譲れと難癖を付けようと意気込んだが、彼の首に掛かったプレートとクロムの持つ威圧感に瞬時に危険を察知し、慌てて道を開けた。
クロムは周囲の眼や、目の前の冒険者達には興味を示さず、真っ直ぐに受付を目指し歩を進めた。
磨き抜かれた大理石のような輝きを放つ床から硬質な足音が発せられ、静まり返った吹き抜け構造のロビーに響き渡る。
クロムに標的にされた受付嬢の緊張感が一気に高まり、先程まで冒険者達に振り撒かれていた朗らかな笑顔が一気に消え失せた。
その手には、ファレノプシス伯爵家の印章が捺されたこの街では最上位の証書が握られており、その内容は
しかし既に主に冒険者ギルドを発端としてクロムの噂が街に広がっている為、彼の歩く先に居る冒険者達は一様に道を開ける等の行動に出ていた。
命が惜しければ、黒騎士クロムとその関係者には間違っても喧嘩は売るな。
この一言のみがギルドから冒険者達に通達が出されていた。
クロムは周囲から聞こえるざわつきを無視して、その印章付きの証書をギルド受付に手渡すと、その書類の重要度に思わずヒィと小さく悲鳴を上げて、深々と一礼するとギルドの奥に走っていった。
そして、渡すだけで構わないとオランテより言われていたという事もあり、その場を立ち去ろうとすると、ちょうどそこにベリスとウィオラがロビーに姿を現わした。
今まで装備していた完全武装ではなく、所々パーツを外し機動力重視の装備構成である。
その胸の騎士団の紋章は取り外され、代わりに
「クロム殿!」
クロムの姿を確認するなり、花が咲いた様な笑顔でベリスが大きく手を振り、鎧を鳴らしながら駆け寄ってくる。
対するウィオラも無言ではあるが表情を綻ばせ、ベリスの後を追うように歩み寄って来た。
ただクロムを見るその2人の目線がどうにも定まらないのは、クロムの素顔の下半分が露出しているからであり、それが乙女達の心をざわつかせていた。
ベリスのその背には背丈以上の長さがある突撃槍が背負われ、それだけで異様な威圧感を発し、ウィオラのシールドガントレットは丁寧に手入れがされていて、尚且つその装備の特殊性もあり非常に目立っている。
「ク、クロム殿、久々と言うべきだろうか?」
ウィオラがどことなく落ち着きのない視線でクロムに問い掛けた。
「そう言えばオランテの所でも、ウィオラとは顔を合わせる機会が殆ど無かったな。壮健で何よりだ」
クロムがさらりとこの街の領主である伯爵を呼び捨てにしたことにより、その会話に聞き耳を立てていた周囲の人間がざわついた。
「我々も書類関係を提出し、どうせなら依頼や周辺の状況を確認しようと戻ってきたところです」
ベリスがにこやかにクロムに話しかけると、ウィオラは久々のクロムとの会話を同僚に邪魔され、彼女をジト目で見つめている。
「クロム殿も...同行されると聞き及んでいるが本当なのか?」
「そうだな。それ以降の予定は決めていたのだが、どうしてもと頼まれてな」
そのクロムの言葉に僅かながら不機嫌さが混じっている事に気が付いたウィオラは、内心は彼の同行に喜ぶものの、素直に顔に出すのを躊躇っていた。
一方でベリスはようやくクロムに日頃の鍛錬の成果を見せられるかも知れないと、意気込んでいる。
― そういえば色々な出来事が重なった事もあってか、魔力視認の試みが出来ていなかったな ―
ふとこの街に訪れてからの出来事を振り返っていると、クロムは目の前のベリスとウィオラから放たれた気迫の籠った魔力の気配を感じ取る。
― これが魔力の気配だとすると、この2人も相当に腕を上げているという事か ―
「ベリス、ウィオラ。今から訓練場に付き合って貰えるか?少し調べたい事がある。予定もあるので時間をかけるつもりは無い」
突然、クロムに訓練場への誘いを受けた2人は、戦闘に関して彼と関わった際の苦い記憶から背筋に冷たい汗を浮かばせる。
2人は蘇ってきた記憶による焦りとクロムから直接頼みごと事をされたという特別感で心が揺さぶられ、返答を迷っていた。
「無理にとは言わない。少し気になっている事があってな。ただ2人が適任と思っただけだ」
そのクロムの言葉を聞いた2人は口を揃えて、お役に立てるのであれば!と過去の記憶を彼方へと押しやって快諾する。
それを見ていた周囲の冒険者達はそのやり取りを様々な想いで見ていた。
美醜の観念を持たないクロムにとっては特に何も思う事はないのだが、周囲の男達にとっては美しい2人を侍らせているクロムが嫉妬の対象にもなっている。
そして逆に女性の冒険者達は、噂の黒騎士の近くに立つ2人に羨望の眼差しを送っていた。
クロムはコアに指令を出して、これから行おうとする試験の準備を始める。
― 戦闘システム待機 コア出力20%に制限 魔力感応情報の数値化を実行 ―
― 視覚センサーに情報反映準備中 色彩区別を熱感知システムに同調開始 システム構築中 ―
クロムは自身の感じ取っている魔力の感覚をコアに数値化させ、その数値の大小や強弱でサーモグラフィと同じような表現が可能では無いかと考えていた。
先日の魔力関係の事故もあり伯爵邸内では実行に移せなかったが、単純に目の前の2人の実力が想定よりも早く伸びている事を感じ、クロムは大いに関心を寄せてしまう。
― 流石にあのような失態を繰り返す訳にはいかないな ―
クロムは先日の教訓を生かそうと、計画を慎重に練り始めた。
ラプタニラと違いネブロシルヴァの訓練場は、全天候型で広く石造りの立派な造りとなっていた。
長方形の敷地内は全て石畳で覆われており、その素材の影響もあって非常に涼しく心地が良い温度に保たれており、奥の方では新人の訓練をやっている集団や、パーティ同士による模擬戦も行われており、活気に溢れている。
そこにクロムとベリス、ウィオラが現れ、観覧席にはロビーで話を聞いていた冒険者達や、その話を聞き付けた野次馬が大勢集まって来ていた。
にわかに人が増えた訓練場の雰囲気に気が付いたのか、それまで訓練していた者達も手を休めて注目し始める。
「や、やはりクロム殿はどこでも人の眼を集めるのだな...」
「この人達の前で痛めつけられるのでしょうか...」
2人は早くもクロムの前に立ってしまった事を後悔し始めていた。
「付き合って貰って助かる。早速始めたいのだが、2人は魔力による身体強化全開で俺の手を握ってくれないか」
クロムが2人にその黒く禍々しい両手を広げて、2人の前に翳す。
それを見たウィオラが瞬時にあの日の記憶が蘇り、背筋を震わせた。
「大丈夫だウィオラ。あの時の様にはならない。そこは約束する。それに2人供あの日とはもう大きく違うだろう。それを見越しての俺の頼みと思ってくれて構わん」
ウィオラの心境を察したクロムが言葉を掛ける。
それを聞いた2人は、己の成長を試す絶好の機会だと気持ちを切り替え、魔力を練り上げ始めた。
周辺の冒険者達は、黒騎士と相対するその2人から突如沸き起こった魔力の大きさと密度をみて驚きの声を上げる。
既に一般的な冒険者の持つ魔力強度を大きく上回っていた。
― 魔力の増大を感知 魔力可視化システムの試験運用準備 視覚センサーのシステム同調を開始 ―
― 魔力強度の比較対象無し 魔力量の色彩配分調整 視界確保優先にて反映 ―
「では俺の手を全力で握って欲しい」
クロムの言葉に、2人は身体から沸き上がる魔力の強度とは裏腹に、戸惑いを感じさせる返答をする。
「ク、クロム殿...その手はどのように繋げばいいのだろうか。もしかして指と指の間に...」
「ちょっと色んな意味で勇気が要りますね...ははは...」
それでもクロムは至って真剣な雰囲気で無言を貫き、2人に所謂“貝殻繋ぎ”を求めた。
「そ、それでは失礼する...」
「大きい手ですね...」
そういって2人は恐る恐る、若干俯き加減でクロムに手を伸ばす。
ウィオラが右手でクロムの右手を、ベリスも同じく右手で彼の左手を握った。
その初々しく恥じらうような2人の様子を見て、再び観客からクロムに向けて嫉妬の目線が向けられたのは言うまでもない。
しかしその直後、その下世話な感情は2人の膨れ上がる魔力と身体強化、それを受け止めるクロムを見て消し飛ばされる事になる。
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