第88話 赤黒い怪物と歩む者達

 クロムはオランテに案内された伯爵の書斎で多くの書籍に目を通していた。


 主に、英雄譚やカルコソーマ神教の論文、そしてこの世界の歴史に言及した書籍等を写し漁り、過去にあった出来事と逸話の比較を行っている。

 窓の外から入り込む日の光が落ち始め、森の輪郭を陰で演出し始めた頃、書斎の扉が軽くノックされた。


 書籍を閉じ、顔を扉の方へ向けるとそれに合わせる様に静かに扉が開き、そこにはオランテが侍従を連れて立っていた。


「何か参考になる物はあったか?しかし凄まじい数の本を読んだようだな」


 机に積み上がった書籍の山を見て、オランテが呆れにも似た声とため息を漏らす。


「そこまでの発見があった訳ではないが、知識と情報は力だ。あって損は無い」


 クロムが手に持っていた書籍を山の上に置き、埃の波紋を空中に発生させる。


「それで?何か用か?」


「ああ。ヒューメの件も含めて予定通り進める手筈が整った。ただ情報の広まりの関係上、ここを出発するのに3日程、時間が欲しい所だ。クロム殿はどうするつもりだ?まずは森の村までヒューメの護衛に付くつもりなのか?」


「そうなりそうだな」


 オランテは既に街全体の情報統制を敷き始めており、オルキス領内外に放った間諜を使って情報の広がりを調査している。

 不自然な情報の広がりを見せるのであれば、何か他の勢力の影響が考えられた。


「それと報告が遅れたが、クロム殿が騎士団に預けていた謎の女は、あの戦いの日の夕方から行方をくらませているようだ。監視していた騎士1名も同時に行方不明となっている」


「俺の宿泊先に忍び込んで、毒を盛ろうとしていたな。尋問したが何処かの間諜で間違いはないようだったが、自分の名前や所属すら思い出せない程の洗脳を受けていたぞ」


 オランテの表情の鋭さが増し、手を一振りすると侍従が頭を下げて静かに部屋を退室する。

 本日何度目かの沈黙が2人の間に満ちた。


「こちらでも調べさせてはいるが、不自然な程に情報が集まらないのだ。陰すら無い。そうか、洗脳の可能性もあったか...いずれにしても大きな組織が関わっているようだ。となれば恐らく王都フローストピアからの手勢と見て間違いあるまい」


 そう言って、オランテは懐から白銀のプレートを取り出して、机の上に静かに置いた。


「クロム殿の所に間者が来たという事は、既に貴殿の存在が上層部の中で知られているという事だ。ランク4層スプラー・メディウム冒険者という時点で、避けられない事なのだがな」


「これは?」


 オランテが差し出したプレートは、横に長い菱形をしており、そこには伯爵家の象徴である蘭の花が彫り込まれていた。

 夕暮れに近い日の光を反射した部分は薄い桃色に輝いている。


 ― ヒューメの髪の様だな ―


 ふとクロムはこの輝きを見て、あの少女の髪を思い出す。


「これは伯爵以上の貴族のみが発行を許された盟友の証ミスラプロヴァという物だ。これを持つ者はファレノプシス伯爵家が身元を保証し、として認めたという証になる。王国内においてはこれを見せるだけで通行を許可され、場合によっては伯爵相当の権限を行使できる。ただその持ち主が犯した不名誉も伯爵家が保証しないといけないがな」


 オランテは肩を竦めながら、毎回警備兵を潰されては堪らんと心の中で付け加えた。


「現状において可能な限り、クロム殿の行動の制限を取り払うにはこれしかないのだ。あくまで伯爵家と対等であり、支配や何らかの制限を設ける事では無いという事だけでも理解してくれたら助かる」


「そうか。では頂いておこう。ただし後悔はするなよ」


 クロムはそのプレートを鉤爪で起用に拾い上げ、背嚢に収納する。


「もはや後悔をする場所はとうに通り過ぎている。こうなればクロム殿についていくまでだ」


 そう言って、オランテは佇まいを正して直立不動の体勢になると、クロムに対し貴族としての最敬礼の姿勢を取った。


「クロム殿。我、オランテ・ファレノプシス・ソラリス・オルキスはここに貴殿の功績に対し最大限の敬意と謝意を示すと共に、以後ファレノプシス伯爵家総力を以ってこの恩義に報いさせて貰う。貴殿の栄光は我らと共に」


 オランテの身体から静かな魔力の波動を感じ、クロムは彼の意思の固さを感じ取る。

 夕暮れの日が窓から差し込み、黒い騎士と伯爵の姿を浮かび上がらせていた。


「...確かにその意思、受け取った」


 そう言い残してクロムは書斎を出ようと歩き出す。

 そしてクロムはふと立ち止まり、この世界に辿り着いた当初より装備している金属ポーチの1つを腰から取り外すと、蓋を開け中身を背嚢に移動させた。


 オランテは何をやっているのかと不思議そうな顔でクロムを見ていると、不意にその空になった金属ポーチが彼に向かって投げられる。


「うぉ!...突然どうしたというのだ!...んなっ!こ、これはっ!」


 金属ポーチを手に取り、戸惑いながらもその正体を探っているオランテが何かの結論に辿り着いたのか、その眼が驚愕で見開かれた。


「俺の所有物だ。プレートの代わりに譲渡しよう。何かと問われれば...そうだな、只の“遺物”だ」


 そう言い残して、クロムは呆然としているオランテを1人書斎に残し、太陽の温もりとは縁遠い空気が満ちる廊下の先へと姿を消した。





 クロムはすれ違う度に、廊下の脇に寄り頭を下げる侍従や使用人を無駄に怯えさせながら、ヒューメの部屋までやってきた。

 扉の奥からは部屋を出る時よりは、多少明るくなった雰囲気の声が聴こえてくる。


 そしてその部屋に入ろうとした時、慌てた様子でヒューメの側仕えである侍女が駆けてきて、クロムに対して何度も謝罪の言葉を口にしながら、扉をノックした。

 そしてクロムの来訪を告げると、扉が開け放たれる。


 窓が開いている為か、部屋の中の空気が廊下に流れ出てクロムの身体を撫でていった。


「クロム様っ!」


 未だ身の丈に合っていないクロムの外套を小さな身体に羽織ったヒューメが、黒い騎士の姿を見るなりベッドから飛び降り、駆け寄ってくる。

 そして、今までの怯えていた様子とは打って変わって、喜びの表情と共にそのままクロムの黒い身体に身を預けた。

 少女の煌めく銀髪がクロムの漆黒の身体との対比で、より一層際立っている。


 そのヒューメの行動に驚いた侍女が慌てて諫めようとするも、デハーニがそれを手を出して首を横に振り制止させる。


「それで伯爵との話はまとまったのか?随分と時間が掛かったな」


 デハーニが用意された軽食を摘まみながらクロムに問い掛ける。


「そうだな。大筋で方針は決まったようだ。俺は確実では無いが幾つか予定の候補は作ってあるといった所だ」


 それを聞いてデハーニが今後の予定を詰めようとしたその時、ベッドの脇に控えていたピエリスがクロムの前に進み出て、突然、頭を下げた。

 あまりの勢いで、絹の様に繊細な金髪が乱れている。


「クロム様...今回の件、ヒューメ様をお救い頂き感謝致します。そして数多くの失態、申し訳御座いません。如何様なりとも罰はお受け致します」


 騎士籍を捨て平民となったピエリスは、クロムの敬称を“様”に変更し、口調や言葉遣いも平民のそれだった。


 しかし、クロムは誰かに頼まれてヒューメを救ったわけでは無い。

 その目的は討伐、言い換えれば殺害である。

 尚且つ、クロムはピエリスに謝罪される覚えも無い。


 そしてクロムはこのような場面において、そのまま謝罪を受け入れ、慰めの言葉を掛けるような人物では無い。


「俺はヒューメを殺害しようしたが、物事の選択の結果、今も彼女は生きているだけだ。そしてお前に謝罪される覚えも無い。意味の無い謝罪を俺に投げ掛けるな。不愉快だ」


 感情を感じさせないクロムの口から出た言葉にピエリスは硬直し、デハーニがそれに対して抗議の声を上げた。


「おい、クロム。もう少し言いようってものが...」


「デハーニ、この機会に言っておく。俺とお前は違う。俺の意見を曲げさせたいのであれば、その方法は既に解っている筈だ」


 クロムとデハーニが睨み合い、今まで部屋に漂っていた空気が冷え始める。

 当人同士ではそこまでのやり取りでは無いのだが、ヒューメやピエリスそして侍女から見れば完全に一触即発とも言える雰囲気に感じてしまう。


「クロム様、デハーニ様!申し訳御座いません!私の身の程を弁えない発言のせいで!」


 ピエリスが慌てふためいて、自身の口が呼び寄せた災いを必死に消し去ろうと跪いた。


「おいてめぇ!俺の名前に“様”なんて付けるんじゃねぇよ!張っ倒されてぇのか!」


「ピエリス、お前はまだわかっていないのか?」


 睨み合っていた筈の2人の怒気に似た気配と言葉が、今度は一気に泣き顔のピエリスに向かってぶつけられる。


「一体私はどうしたらいいのだぁ!うわぁ!」


 そして泣き出すピエリス。


「クロム様、デハーニ様、私はそのお言葉しっかりと受け止めております。何も問題ありません。ピエリス、貴方はもう少し自分の立場を見つめ直した方がいいですよ」


 ヒューメはクロムに身を寄せたままで、ピエリスを諫める。

 ピエリスはその言葉を、身の程を知れという意味で捉えるが、ヒューメの言いたい事は全く違う。


「この方達は、騎士の身分を捨て平民になると失われるような、そんな細い繋がりの存在なのですか?」


 ヒューメの言葉に涙と鼻水で汚れた顔を上げるピエリス。


「それは...いやしかし...」


「小せぇ事でうるせぇよお前は。騎士だろうが平民だろうがお前はお前だろうが。これ以上ポンコツ晒してヒューメ嬢を困らせるな」


 デハーニがピエリスの言葉を遮り、罵りと紙一重である慰めの言葉をぶつける。


「お前はまだこれからだろうが。これだけ言われてもまだ納得せずに変わらねぇなら、森に置き去りにしてやるからな、覚悟しろよ」


「わ、わかった!ただこの街の中だけは許してくれ!示しが付かないという所もあるのだ!」


 ふふっとヒューメは微笑むとピエリスに歩み寄り、手を取って立たせるとハンカチで彼女の色々な液体で汚れた顔を拭き始める。

 そして拭き終わると、風のような速さでクロムの身体に吸い込まれていくヒューメ。


「おいデハーニ、何なんだこれは。正直な意見なんだが、酷く面倒だ」


「んなこたぁ知らねぇよ...はぁ、こりゃまた面倒な事にならなきゃいいが...」


「もう面倒な事になっている。どうにかしろデハーニ」


 クロムが明らかに不機嫌な口調でデハーニに言葉を投げるも、デハーニは言葉の受け答えをする気配を見せず、遠い眼で部屋のシャンデリアを見上げていた。

 デハーニの脳裏にティルトの仏頂面が浮かび、デハーニは更に表情を苦々しくさせる。


「まず俺から離れろ」


 クロムがそう言い放つと、一向に離れないヒューメを掴み上げて無造作にベッドに放り投げた。

 きゃふっと悲鳴を上げて、ベッドの上を跳ねて転がるヒューメ。


 部屋の空気が、別の意味で一変したのは言うまでもない。






 そしてその夜、クロムは1人で先日の戦場跡に姿を現わした。

 半月となった月の明かりでさえ、この澄んだ大気の中では驚くほどの照度を誇っており、夜の草原に立つクロムの姿を明確に浮かび上がらせている。


 風も無く、先日の戦闘からようやく立ち直った雑草が、夜の空に葉を立てていた。



 ― ハイブリッド・コア出力上限65% 設定維持 ―


「通常時から段階的にコア出力上限まで出力を上昇。コア状況通知をデフォルトに設定。各部モニタリング開始。魔力解放経路は順次解放」



 ― 了解 コア出力30%から段階的に上昇 魔素及び魔力の計測開始 魔力結晶化は優先監視中 ―



「実験開始。状況に応じて語句短縮を許可」



 ― 了解 魔力解放テストプログラムを実行 コア出力35% 魔素―魔力変換 問題無し 魔力解放回路を各部解放口に接続 緊急回路は接続待機 ―



 クロムの身体の各部に設けられた魔力解放口から、徐々に赤い魔力が排出され始める。

 それは鮮血の様に赤く濃密な輝きを放ち、暗色が支配する夜の草原に彩を加えた。



 ― コア出力45% 融魔細胞活性化を確認 魔力生成問題無し 魔力保有量急速に増大中 魔素保有量減少  魔素消費量が自然供給量を超過 ―


 ― 魔力放出回路 A1~C13を解放中 余剰魔力の魔素還元テストを実行 魔素リジェネレータの稼働を開始 ―



 クロムの体内で魔力が急速に生成され、新たに考案した魔素リジェネレートシステムで余剰魔力を魔素に還元し、効率化を図る試験も同時に実行される。


 爆発的に増大し始めるクロムの魔力が、体内の適正魔力量を維持する為に絶え間なく大気解放されていく。

 そしてその魔力の勢いと放出量も噴出と言った方が適切と思える程になっていった。


 その赤い魔力の放出は、遠く離れた伯爵邸にいる人間にも感知され始めた。

 夜の空に再び赤い魔力の翼が顕現する。



 ― コア出力55% 魔力生成量の予測量を突破 融魔細胞に結晶化予備反応 魔力放出回路 A1~E15を解放中 ―



 クロムの意識の中で発せられる警報の数が一気に増え始めた。



 ― 魔力回路安全弁の作動を確認 緊急魔力回路 S1~S18を全開放 魔素リジェネレータ稼働限界を突破 ―


 ― コア融着魔力結晶に高エネルギー反応 コア自己防御システムを展開 ―


 ― 警告 融魔細胞内に魔力結晶の生成を確認 魔力解放口に全魔力回路緊急接続 ―



「コア出力55%が現状の限界値と考えておくか...実験終了」



 ― 了解 実験終了 コア出力段階的に低下 魔力解放準備 ―


 ― 魔力体内保有量122% 魔力放出口の緊急増設 放出回路を追加生成 ―



「魔力緊急解放を開始。モニタリング準備」



 ― 警告 全魔力放出口を解放 開度全開 魔力回路負荷増大中 損傷率14% ―



 クロムの合図と共に、全身の魔力放出口から深紅の魔力が濁流の様に夜の闇に解き放たれた。

 霧散した魔力が血晶となり、月明かりを赤く染め上げる。


 夜の闇よりも黒いクロムの全身から、鮮血の様に噴き出す夥しい量の魔力。

 周辺の草木を魔力飽和で瞬時に枯らし、その表面に赤い魔力結晶を生み出す程の濃度の魔力が地を這い、宙を舞う。


 クロムの身体が、蠢き続ける漆黒と深紅のグラデーションで覆われ、まるで地獄の底から這い出て来た赤黒い怪物の様な姿と化すクロム。


 噴き出す魔力の奔流によって生成された2枚の深紅の翼が、排出口の増設により4枚となり、半月を巻き込みながら夜の空を斬り裂いた。

 大気中の魔素を巻き込みながら、クロムの周辺を赤に染め上げ、尋常では無い威力の魔力波動が衝撃波と共に周囲に放射される。




 伯爵邸のガラスが振動し、邸内にいた魔力耐性の低い者達が次々と倒れ始めた。


 警備中の騎士でさえ不意の襲い掛かって来た、強烈なイメージで記憶に残っている赤い魔力波動を浴び、胸を抑えながら恐怖に支配されて膝を付く。

 デハーニやピエリスも含めて、伯爵邸内は蜂の巣を突いた騒ぎに包まれ、特に執務室のオランテはその発信源を瞬時にクロムと断定し、思わずここに居ないクロムに対して恨み言を含む言葉を大声で叫んでしまった。


 伯爵邸からでも視認出来る深紅の魔力の柱が4本、夜の空を月すら巻き込んで血の色に染めている。

 そしてその邸内の中で2人だけが、その波動を浴びながらも窓から平然とその爆心地の方向を見つめていた。

 

 サファイヤの様に青く輝く瞳。

 ルビーの様に赤く煌めく瞳。


 そのどちらの瞳も歓喜と憧憬、そして僅かな狂気を孕みながら暗闇の中で揺らめいていた。

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