第87話 黒の抑止力に望むもの

 保管庫に静かな時間が流れ、沈黙に耐えきれなくなったオランテがクロムに声を掛けようと口を開いた。

 それと同時にクロムはそのまま紙の束をオランテに返却し、その言葉を止める。


「今日はこれで十分だ。戻ろう」


「そ、そうか...クロム殿、何か気になる事でもあったのか?」


 明らかにクロムの纏う気配が変わった事に、焦りを覚えるオランテ。

 クロムはその様子に構わず、静かに質問を投げ掛ける。


「そうだな。まず遺物の年代測定は技術的に可能か?」


 オランテは年代測定と言う聞き慣れない単語を耳にしたが、その意味は把握出来た。


「基本的に魔力親和の性質や、その物体に含まれる魔力や魔素の濃度、その土地の成り立ち等から推定は出来るが確実性はそこまで高くない。それに遺物は肝心の魔力を一切通さない性質の物が殆どなのだ。よって何時の時代の物かはまず判別不可能だと思って良い」


 クロムの脳裏に思い浮かぶ物があった。


「ではどうやって遺物であると判別するのだ?」


「絶対条件として、星屑の残滓ステラ・プルナの領域内で発掘された物であるという事だ。後はその形状や用途に関して我々の常識や概念では判別不可能な物というのもある。それ以外で発見されたものは遺物と呼ぶ事は出来ない。場合によっては処罰の対象になる場合もある。どのくらい古い物かというのは、汚れ具合や傷等から予想するしか無いのが現状だ」


 その遺物の内容よりも、遺物と言う概念そのものに価値を見出しているこの世界では、年代等の情報は優先度が極めて低いものだった。


 ― 放射性炭素による年代測定等は流石に夢の技術か。それにここまで多くの犠牲を要求する星屑の残滓ステラ・プルナを何故神聖視しているのか ―


「正直、何ともお粗末な扱いだな遺物というのは」


 クロムの呆れた言葉に、オランテがため息交じりで応える。


「その為に何千人、何万人と犠牲になってるのが現状だ。全く度し難い」


 紙の束を棚に戻し、封印の魔道具を起動させるとオランテは出口に視線を向けた。


「残りは戻ってから話す。ただどこまで話せるかはオランテ次第だな」


「わかった。かなりの覚悟が必要、という意味で捉えても良い訳だな?」


「そうだ」


 そう言って、2人は保管庫を出て階段を上っていく。

 オランテはクロムの両腕から赤い魔力の放出されている事を感じ取る。


 ― 俺と同じく別世界からやって来た者、いや物がこの世界にあるという事か。仮に模造であったとしても、その情報源は一体何処にある ―


 ― 融魔細胞 微活性を確認 魔力放出回路 腕部解放 ―


 クロムの感情の振れ幅によって、体内の融魔細胞が僅かながらに活性化し魔力を生成し始め、徐々に許容限界に近付いている事を受け、コアが魔力を大気放出する措置を取る。


 そしてクロムとオランテは執務室に戻り、全ての仕掛けを元通りに戻すと、まずは侍従を呼んで乾ききった口と喉を紅茶で潤すという選択をした。

 そしてオランテはクロムに目線を移す。


「頂こう」


 クロムは仮面の破損で口が露わになっている事を利用し、この世界の紅茶を口にする事を決めた。

 仮に紅茶にも魔素が含まれているなら、これもまた補給手段として有用になるかも知れない。

 オランテは、想像以上に精神の疲れを感じ、貴族家当主とは思えない程の苦々しい顔でソファーに身を沈ませる。


 そして暫くの間、年季の入った柱時計が時を刻む音が部屋に響き、部屋の色が抜けたような空虚な時間が過ぎ去っていく。

 それは侍従が扉をのノックしてティーセットを持ち込むまで続いた。





 湯気の立つ紅茶が侍従に洗練された動作で準備され、そのまま部屋を後にする。

 扉が閉まる音が響き、再び二人だけの空間に戻ると、まずクロムが沈黙を破った。


「確認する。ここでの会話を俺達以外に聞かれる可能性はあるのかという事。そしてお前は俺に何を求めるのかという事だ」


 疲れに負けてソファーに座るオランテに対し、執務机の傍に立つクロム。

 窓を背にしている為、逆光がクロムの黒さを更に際立たせる。


 クロムの五感では屋根裏や壁の向こう等に人の気配や音は感知していないが、センサー系が使用不可な状況では、それも確実とは言えなかった。

 そこでクロムは敢えて、オランテの覚悟と信頼性を試す意味も含めて質問する。


「まずここでの会話を盗める者はいないと言っていい。魔道具も作動させている。そもそもこの執務室で話を交わす時点で最高機密扱いになる。もし聞いたものが居たのであれば、その場で反逆罪を適用し処刑する」


 オランテの瞳に冷たい気配が宿った。

 基本的に会合などは、護衛等が周辺に待機出来る別室を利用する為、ここで話す時点で伯爵にとっての最重要事項が絡んでいる。


「それと私の望みか...まず...こんな事を今更望んでいいかはわからない。だが私はヒューメの身に起こった事の真相をまず知りたい。間違いなく何かが裏で起こっている」


 オランテが手に持つ芸術品の様に細工された陶器のカップが震え、中の紅茶の表面で波紋が暴れる。


「そしてもう一つ、これは先程も言った事だが、遺物の発見及び場合によってはそれの破壊。もしくはクロム殿による完全な掌握だ」


「俺にこの世界の全ての遺物を破壊、もしくは所有物にしてくれとでも言うのか?流石に無謀、いや無茶と言う物では無いのか?」


「全てとは言わない。だが国家の権威に屈さず、圧倒的な個人の武力を持つクロム殿であれば十分に可能性はあると思っている。貴殿には世界各地の遺物を収集し、そして国を超える数の遺物を掌握、いずれ遺物の真実を知る者として


 オランテ自身、個の武力の限界は理解している。

 それは異常とも言える武力を持つクロムにも言えることだとも理解していた。


 オランテはそのクロムに国の威信の代名詞でもある遺物を与え、その武力に加えて遺物を個人で所有する者として、その威を以って最強の個として、国と対等に渡り合える力を持たせたいと考えていた。


 国家に対する最強の抑止力を持つ個人。


「それでお前に何の利がある。その俺の力を使って国堕としを考えている訳でもないだろう」


 オランテは、暫く頭の中でもっともな言葉を並べようと思案した。

 だが、小さく心に残る感情が邪魔をして、その言葉は思うように組み合わせる事は出来ずに終わる。


 目線をカップに下げ、口を噤むオランテ。

 そして頭を落ち着かせる為に、紅茶で唇を潤すと想いをそのまま言葉に変換した。


「貴族から離れる事が出来たヒューメには、せめて平和な世界を最後まで生きていて欲しいのだ。これから罪を背負って生きていく事になろうとも」


 オランテの眼から一筋の涙が頬を伝い、カップを持つ手の上に落ちる。

 長年、政治の怪物達が跋扈する世界を、情報と言う武器で生き抜いてきた壮年の貴族。

 常に相手を疑い、冷徹に判断を下してきた冷たく鋭い眼からでた涙は、間違いなく父親としての温もりを宿したものだった。


「例えそれが一息吹けば終わる仮初の平和だとしても、その為に悪魔の力を借りる事になってもだ。その短い間だけでも人々の犠牲を少なく出来るだろう。その為に私はクロム殿に遺物を集めて貰い、戦乱の抑止力になって貰いたい。非常に個人的で我が儘な要望だよ。ただし私はその我が儘の対価として自身の全てを差し出すつもりだ」


 クロムと視線を合わせるオランテの表情が貴族の物なのか、それとも父親のものなのか、クロムは判別が付かなかった。





 クロムはまずヒューメの中で起こっていた事、そしてヒューメとの間で交わされた契約の事をまずオランテに伝えた。


 ヒューメには“血の覚醒”とも言える現象が起きていたという事。

 自身を血脈の教導者ブラッド・リーダーと名乗った事。


 そして何よりオランテは、ヒューメの中にもう一人の人格が現れていた事に驚愕していた。


 そしてヒューメのもう一つの人格と会話を交わし、クロムの望んだ要求の対価として、彼女の助命と以後の事を頼まれたと説明する。

 クロムは要求の内容に関しては、貴族の世界での血の価値観が一般と異なる事も考慮し、この場では説明を伏せていた。


 「ではやはりクロム殿がヒューメの命を救い、その血の覚醒とやらを抑えてくれたという事だな」


「この先どうなるかはわからない。そしてその血の覚醒とやらも情報がないのだろう?」


「無いとは言えないのだが...これはどう説明したものか。その血の覚醒という物には覚えが無いが、英雄譚の中に“血の誓いと赤眼の聖女ルベルキア”と言われる一節があるのだ」


 カルコソーマ英雄譚の中に“血の誓いと赤眼の聖女”という逸話が言い伝えられている。

 それはアルバ・エクイティ自由国家連合の国教でもある、カルコソーマ神教にもそれに似た一節が残されていた。


 かつての英雄達は、自分達が厄災との戦いの中で斃れてしまった場合に備え、後に続く英雄の血脈を残す為、世界にその血を分け与えたという話である。

 それは後に赤眼の聖女ルベルキアと呼ばれる1人の修道女に英雄達の血を残し、人間族や獣人族、巨人族等にその血を分け与えるという使命を帯び、たった一人で過酷な旅を続けるという物語であった。


 ただ最終的に英雄達は見事、厄災を退け帰還を果たし、世界は平和を取り戻すという話で締め括られる。

 だがその英雄譚において、その後の赤眼の聖女の事に関して語られる事は無かった。

 一方のカルコソーマ神教では、過酷な血を分け与える旅路の果てに、その功績を認められ、英雄達が神となって住まう天星の都ステラカエルムに迎え入れられたとされていた。


 ― 英雄譚とは一体何処までが、真実に基づいている物語なのだろうか ―


 クロムは英雄譚やカルコソーマ神教とヒューメの血の覚醒が、何処かで繋がりを持っている可能性を僅かながらに残し、思考を進める。

 いずれにしても、ヒューメの残した記憶の情報も調べる必要があるとクロムは考えた。


 ― 何らかの理由で失われた英雄譚の一節ががあるのかも知れないな。宗教が関わるのであればその可能性も大いにある ―


 クロムはオランテの逸話の話を聞きながら、様々な可能性を探り始めていた。






「そしてこれが恐らく一番重要な事になるだろう。ただし警告はしておく。この情報に触れた時点でお前はもう戻れなくなる。例えヒューメの命を失う事になろうとも、逃げる事は許されない」


「逃げた代償はどのようなものになるというのだ」


 オランテはヒューメの命を引き合いに出された時点で、その代償自体がどの程度の物かある程度の予測は付いていた。


 ― この私の命で済むのであれば ―


 ただし、クロムの提示した代償はオランテの予測の上を行く。


「お前を含む伯爵家に関わった全ての人間、そしてこの街全ての人間の命だ。もし逃げたり、情報を漏洩する等の裏切り行為を察知すれば、その理由に関係無く実行されると思え」


「なっ!?街全体を人質に取りつもりか!」


「そうだ。無論、容赦はしない」


 クロムが右手を前に掲げて握り拳を作り、軋ませた。

 その手や腕の装甲の隙間から深紅の魔力が、鮮血の様に溢れ出る。


「どうするオランテ。この情報を受け取らなくても、知らなくても構わない。こちらは必要な情報をお前から引き出せれば良い。遺物に関するお前の要望もこれとは別の扱いになる」


「そこまでの事なのか...」


「そうだ。そこまでの情報だ。それ故に俺もこの件に関しての失態には一切の容赦はしない」


 オランテは情報の対価に領民の命を提示されて、大きな焦りを覚えていた。

 落ち着こうと、時間が経ちすぎて味の出過ぎた紅茶をカップに注ぎ、口にするも味は全く感じない。

 何よりこの件に関して、クロムは必ず実行に移すという確信もあった。


「...いや、待ってくれ。その対価を要求される程の情報は、今の私には荷が重すぎる...私には背負いきれない可能性が高い...」


 その言葉を紡いだ直後、オランテの背筋に大量の汗が噴き出した。

 もしかしたら破滅に繋がる道を選んでいたのかも知れないという、底無しの恐怖が時間差でオランテに襲い掛かってくる。


「...そうか。それではこの情報は後々に取っておくことにしよう。それとは別として遺物の探索と収集は実行に移す。回収した遺物も可能な限り一度はここに持ってくるとしよう。その代わり必要な情報は無条件で渡して貰う。これがお前との契約だ」


「...わかった。ただヒューメの件はどうするつもりだ。頼まれたというだけではあまりにも適用範囲が曖昧過ぎる。こちらとしても対応が取りにくい」





 クロムはヒューメに関して対応を決めかねていた。

 今後の活動に確実に重荷となる上、現状では戦力にもならず、四六時中守っていてはそもそも行動自体が制限される。


 庇護対象から外す事は簡単ではあるが、1つ懸念点があるとすれば、今のクロムの身体はヒューメの血が入っているという事だ。

 もしヒューメとクロムの関係性が露見した場合、仮に彼女を拉致された上で、その血にのみ害を与える未知の魔法や薬品が開発されると、それがそのままクロムへの対抗策になり兼ねないのだ。


「一先ずは移住先での生活や精神その他の安定が見られるまでは、守護を継続しよう。そこから先はデハーニ達に任せればいい」


「そうなると、ヒューメ達の移住に同行する事になるのだな。それ以降の行動はどうするつもりだ」


星屑の残滓ステラ・プルナの中心地を目指して潜入する。どの場所を目指すかはまだ決めかねている。ただアルバ・エクイティ自由国家連合に向かう可能性が高いな」


 クロムはまず白き星樹の一枝アルバ・カドケウスの正体を確かめる為にアルバ・エクイティ自由国家連合に入る事を検討していた。

 その際に、近くの星屑の残滓ステラ・プルナに潜入出来れば、上出来だとも考えている。


「しかし星屑の残滓ステラ・プルナに潜入するにはかなり困難だ。相当の権力を動かさなくては近くに寄る事も出来ないぞ」


「仮にそうでも俺の邪魔はさせない」





 オランテは頭を抱えそうになった。

 ピエリスが帰還時に言っていた、クロムの評価の本当の意味を今ここで実感したのだ。


 このクロムであれば、例え国と全面戦争になったとしても必ず潜入を果たすだろう。

 恐らく白き星樹の一枝アルバ・カドケウスが祭られているカルコソーマ神教総本山の大聖堂にも向かうはずだ。


 その際に何が起こるかなど、火を見るより明らかだった。

 間違いなくアルバ・エクイティに血の雨が降る。

 クロムに未来の抑止力の為に遺物を集めて貰うはずが、その前に無数の犠牲者を出したのであれば全く意味が無い。


 「とりあえずこちらで何とか渡りを付けてみる。少しの間で構わないから待っていてくれないか。帝国か自由国家連合かどちらかには必ず向かえるように動いてみる」


「わかった。ただしあまり時間は無いと思ってくれ」


 今度は違う意味での焦りに支配されるオランテ。


 オランテは本日対応するはずだった予定を全てキャンセルして、クロムの行動の根回しに全力を尽くした。

 

 あの時、クロムの話に触れておくべきだったのか。


 そう思う度に、自分の収める領地が火の海に包まれる幻を脳裏に浮かべてしまう。


 そして改めて自身が呼び寄せたのは、魔物よりも恐ろしい存在だったと再認識する。


 ただその恐ろしい存在が自身の望みを叶えられるかも知れない。

 オランテはもはや後戻りはせず、決して後悔はしないと心に誓った。

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