第86話 遺物が開ける扉の先に
クロム以外の人間にとっては様々な想いが交錯した会議は、一応の決着を見た。
その重々しい空気を攫うように、ひと際大きな風が窓から吹き込むと、その部屋にいる人間の髪を乱す。
特にオランテはその風を神の苛立ちなのかと感じつつも、状況が前に進む事に一定の安心感を覚えていた。
「ではクロム殿、貴殿とはまだ話が残っていたな。これからすぐでも構わないか?急ぎ根回しなどを行わなければならないので、こちらも時間が惜しい」
オランテが安堵から来る疲れを顔に滲ませながらも、椅子から立ち上がり目線のみでクロムに場所を移す事を伝える。
「わかった」
クロムは一言そう告げると、同じく立ち上がる。
「あ...クロム...様...」
ヒューメが小さな声でクロムを呼び止め、その声を聞きクロムが振り返ると、彼女が不安げな表情で手を伸ばしていた。
その手はクロムに触れようか触れまいか、迷うような動きで宙を頼りなく動いている。
「すまないが、今から俺はこの場を離れなければならない。これは俺の最優先事項だ」
「戻って...来られますか?」
― あの戦闘の影響で幼児退行でも起こしたのか? ―
クロムは色々とその原因を考えるが、コアからも有力な情報は返ってこない。
どうにもヒューメは頑なにクロムから離れようとせず、このままでは埒が明かないと彼は外套のブローチを片手で外した。
そしてその外套を取り去ると、そのままヒューメに覆い被せる様に装着させる。
クロムとの対格差もあり、全身を何重にも覆える程だが彼は一考に気にする様子も無い。
「ふわぁ」
驚きの小声を発するヒューメ。
「これを俺が戻るまでお前に預ける。寒さを和らげる程度にはなるだろう。後で取りに来るからそれまで好きなように使えばいい」
「は、はい...っ!」
クロムは寂しさと嬉しさが同居したヒューメ表情を見て、静かに跪くと右手の鉤爪の背、その湾曲部で彼女の目尻に溜まっていた涙をそっと拭い去った。
そしてそのまま無言で立ち上がり、オランテとその部屋を後にする。
デハーニと一瞬視線が合うが、会話をする事も無くその場はすれ違うのみ。
クロムはこの時、既に思考を別の段階に移行させており、今ここでデハーニと会話をする有用性を見出していなかった。
対してデハーニは、この結末に対して何も出来なかった己の弱さを今も悔やんでいる。
そしてクロムが部屋を出て暫くすると、互いの名前を呼び合ってすすり泣く2人の女の声が廊下に静かに響いた。
オランテは廊下を歩きながら、クロムに何の情報を求めているのか問い掛ける。
「俺の欲しい情報はまずは遺物関連だ。遺物の可能な限り詳細な情報とその出土した場所、そしてこの世界にある
「この質問には答えなくても構わない。クロム殿、貴殿はその情報で何をしようとしている?遺物を集めて国でも作る気なのか?」
オランテは歩きながら一切目線を動かさずクロムに質問を投げかける。
廊下の絨毯をサクサクと踏みしめる音が、沈黙の時間をカウントしていた。
「俺はこの世界を知る為に動いている。この世界の成り立ちから現在に至るまでの軌跡。その全てだ」
― 俺がここにいる意味...というべきか ―
「...知ってどうするのだ。やり方を間違えれば全ての国家を敵に回す事になる。それ程の価値があると?」
オランテは自分のその言葉を改めて脳内で反芻し、そして恐怖を覚えた。
― この男であればやりかねない ―
このクロムと言う男は、恐らくこの世界の全てが敵になったとしても、何の疑問も抱かずに戦いに身を投じるだろうとオランテは考える。
そして恐らく国家との戦いであっても、どのような形であれ勝利を収めるだろうとも。
そして跡に残されるのは、夥しい量の死体の山、そして破壊された街。
オランテはそこに至るまでのビジョンが絵巻物のように明確に脳内に映し出され、果たして情報を渡して良いのだろうかと、今更ながら自信の決断に疑問を持った。
しかしもう事態は動き出しており、この交渉の結末は決して覆す事は出来ない。
「国家を敵に回したとして、それが何か問題でもあるのか?立ち塞がる障害は実力を以って叩き潰すのみだ」
その迷いの無いクロムの言葉を聞いたオランテが執務室に到着する頃には、まるで飢えた魔物を自室に招いているような、底知れぬ畏れを実感していた。
オランテは執務室に入り、魔力を手に纏い本棚の収められている無数の本を幾つか順番通りに触れていく。
すると執務室の壁の一部に魔法陣が出現し、その壁が移動し始めた。
そしてその先にあったのは地下へと続く階段。
その暗い入り口から、少し湿った風が吹き上げて来る。
― 古典的と言えなくも無いが、魔法が絡んでいる事を考えるとその他にもセキュリティがあると考える方が妥当か ―
クロムはその様子を見て、率直な感想を持った。
そして場合によっては伯爵邸を陥落させて情報を強奪する事も、一つの今後の行動指針として可能性を残していた。
穏便に事を進められるのが優先ではあるが、場合によってはこういった方法を取る事に関しても、クロムは躊躇しない。
「この下に我がファレノプシス伯爵家が、長年蓄積し続けている機密情報を保管している。勿論、遺物に関する表には出回っていない物もある」
「そうか」
そう言ってオランテは、クロムを先導する形で階段を下りていく。
明かりも魔道具が使われており、2人の歩みに対応して順次点灯していった。
2人の全く質の異なる足音が交互に響き、その反響からクロムはかなりの距離を降りていると推測する。
ただ定期的に全身にざわつきを覚え、体内の融魔細胞が反応を見せている事により、何らかの魔法、もしくはそれに伴う魔力の気配をクロムは感じ取っていた。
― 魔法陣が起動している気配か ―
今の段階で魔力を見る事は出来ないので、次の機会にそれが成功していれば調査も必要だとクロムは計画を一部変更する。
暫く階段を降り続け、ようやく大きな魔石が左右に2個嵌め込まれた金属製の扉の前に到達すると、オランテがまたも両手に魔力を纏いその魔石にそれぞれ触れた。
「この先が保管庫だ」
オランテはそう言って、魔石を通じて魔法陣に魔力を送ると扉が自動的に左右に割れる様に開いていく。
するとそこには無数の書籍や巻物が収蔵された図書館のような空間が広がっていた。
「ここの保管庫に収納されているものが、クロム殿の欲する遺物の情報、その他含め全てになる。自由に手を取ってみる事は可能だが、私の監視下でのみ許可と言う形でお願いしたい。これはこちらからの絶対条件となる」
「それで構わない。情報とはそういう物だ。そちらも時間が無いのだろう。幾つかの情報が見れれば今回は引き下がる。まずこの中で一番詳細な情報が記載されている遺物、そしてその遺物の出土場所、それに関係する
オランテはクロムの要望を聞き入れ、彼を案内しながら保管庫内を歩いて回る。
保管庫内は常に一定の環境に維持する為か、クロムは至る所に魔力や魔法陣の起動の気配を感じ取っていた。
「本心で言えば、クロム殿にこの情報を公開していいものなのか迷っている部分のある。機密の漏洩というような次元の低い話では無くだ」
「そうだろうな」
「この私の行為が、何か予測不可能な未来の扉を開くのではないか...そう思えてならない。私は心の底から恐れているのだ、クロム殿を」
オランテが拳を強く握り締めながら、険しい表情を浮かべ歩きながら歩き続ける。
ファレノプシス伯爵家は代々、諜報機関として国内外で合法非合法問わずに入手した国家機密を取扱い、蓄積し続けており王国内でも特殊な立ち位置にいる貴族だった。
王家の外戚であり、その血の繋がりを持ちながらも、地位は伯爵から上がる事は決してない。
それは王家以下、国家の重要人物の情報すらも保有している伯爵家は、その気になれば国家転覆も可能な程の機密を保有していた。
過去の伯爵家はこれを盾に、古くから王家と相互不可侵の契約を秘密裏に結び、互いに協力関係にあった。
伯爵家当主を継承する際に、その者のみに明かされる最高機密。
そして伯爵側は、他の諸侯との無用な軋轢を避ける為、また政治力の均衡を保つ為にも一切の地位の向上を望まないという誓いを王家に立てている。
その中でも国家の威勢とパワーバランスに大きな影響力を与える遺物関連の情報は、扱い方を間違えれば大規模な国家間紛争へと発展する火薬庫の様な存在だった。
現状、遺物が謎の存在であるからこそオランテ達、この世界の住人はまだ取り扱いが出来ている。
だが、この謎が解明されれば確実に世界は、遺物を奪い合う血みどろの大戦へと歩を進めるだろう。
遺物の欠片一つで、国家が威信を賭けて争い、途方も無い人命と資源が失われる事になる。
各国が時に協力し合い、正式な国家事業として認められている
それ故にオランテは恐れていた。
この伯爵家、そして己の命を潰してでもこれを阻止しなければならないのではないか。
彼にはこの人知を超えたクロムの存在が、この先にある最悪の扉を開く悪夢の使者に思えてならなかったのだ。
「これが...今一番情報が開示されている遺物の一つだ。私はクロム殿を完全に信頼しているとは言い切れない。未だに貴殿との約定を破ってでも情報を渡したくないという想いさえある。それを不服に思うクロム殿に、この場で殺されても仕方ないだろう」
強力な魔法防護が掛かった紙の束を幾つか手に取って、オランテがクロムの眼を正面から捉え、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「私は怖いのだ。恐ろしいのだ。クロム殿がこれから先に開く扉の向こう側の景色が。ここに改めてクロム殿に願いたい。もしこの先、クロム殿が何らかの真実に辿り着き、それがこの世界に厄災をもたらすと貴殿が判断したのであれば...それを完全に破壊して欲しい。必要であればこの保管庫内の情報全て、伯爵家全ての破壊でも構わない」
オランテの気迫と意思を感じ取ったクロム。
「それは契約か?それともオランテ個人の願いか?」
「どちらに解釈してくれても構わない。私はここの情報全てに目を通しているが遺物関連に関しては、未だ確証を持てない情報も多い。それ故、予測は出来ても確証は得られていないのだ。そして私はその予測を的中させたくないのだよ...せめてあの子が生きている間だけでも戦乱の扉を開くわけにはいかないのだ...」
オランテは絞り出すようなその言葉。
その意思には、先程別れを済ませたヒューメへの強い感情も含まれていた。
― 恐らくオランテは何かに気付いている可能性が高い ―
クロムはオランテの口調と畏れ、そしてここに保管されている情報の量からして、何らかの予測を立てていると判断する。
―ここの情報を全て吐き出させる為には、俺の情報も多少出す必要があるかも知れない ―
クロムは大きな決断を必要とする場面も視野に入れて、オランテに答えた。
「1人の男の願いとしてその言葉受け取っておこう。ただしそれは俺自身に損害が及ぶと判断した時だけだ。必要であれば時を見て、俺からも情報を提供するだろう」
「...わかった。必要であれば貴族として宣誓を交わしても構わない。その時は以後、全面的に協力する」
そう言ってオランテは、紙の束をクロムに手渡した。
クロムはそれを受け取り、中に記載されている情報に次々と目を通す。
過去の
そして各国が保有している遺物の情報も記載されており、その殆どが形状や色といった外見的な記載のみであったが、おおよその出土場所や時期も記されている。
その中で一際、明確に情報が記載されている遺物の項目があった。
その名は“
保有国家の名の一部を冠した
保有国はアルバ・エクイティ自由国家連合となっており、出土場所の情報もその詳細が記されていた。
「オランテ。この遺物に関してだが、何故これだけここまで詳細に情報が出ている?」
オランテはその報告書を覗き込むと、あぁそれかと小さくため息を付いた。
「その遺物は、そこにある通りアルバ・エクイティ自由国家連合という他種族連合国家が所有しているのだが、奴らが国教として定めている“カルコソーマ神教”という宗教の
「使用目的まで分かっているのか」
「いやそれは無い。カルコソーマ神教は英雄譚の伝説にも深く関わりを持つ宗教だからな。過去の聖者、勇者とも呼ばれる英雄達を神に等しい者と崇拝しているという背景もあり、便宜上、遺物は全て英雄達の武具、
クロムは未だ王国から出てはおらず、他国家への足掛かりとしてもオランテに最大限の協力を引き出すつもりでいた。
情報の統制や、保有量、その価値観と判断力、どれ見ても役に立つ事は明確だった。
― 代償として俺の情報を出すとして、この男がどこまで信用出来るか、何より受け止めきれるかという問題もあるが... ―
様々なリスクを考慮し思考を巡らせながらも、クロムは次々と情報に目を通していき、コアにそれを記憶させていく。
その間、オランテはクロムの様子を食い入るように見つめていた。
どんな変化も見逃さない為に。
すると、突然クロムの思考すら瞬間的に停止する情報が彼の目に飛び込んでくる。
それは情報を処理し、分類しながら記憶しているコアですらどこの記憶領域に保管すべきか処理を中断したほど。
そのクロムの様子の変化を一切見逃さずに察知したオランテが、声色を低く変えてクロムに静かに尋ねた。
「クロム殿、何か...」
「待て。これは...」
クロムは黒い手を前に出し、オランテの言葉を制止する。
― これは一体どういうことだ。似ている?いや違うな... ―
クロムの思考が、この世界に来て初めて混乱というものを覚えた瞬間であった。
それは先程のアルバ・エクイティ自由国家連合が保有する
画家か何かの手によって、その形状等の詳細が書き記された見事な一枚絵だった。
コアがクロムの記憶領域とは違う、別領域の情報から情報を引き出し始め、検索と照合を繰り替し行っている。
そしてコアから一つの情報が意識内に投げ返されてきた。
情報の重要性から、コアの表示がまたしても流暢な物に変化している。
― 形状及び各部特徴から予測 各種情報からの一致率95% ―
― データベース照合 兵器分類項目より参照 一致情報を開示 ―
そして表示された結果報告に、クロムの思考が停止する。
― 連邦製 対装甲兵器用 超長距離支援砲撃兵装 電磁エネルギー砲弾加速システム内蔵型単発砲 ―
― 識別名:ガルグイユ・シューター ―
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