第85話 別れても罪を背負い続けて

 クロムが伯爵邸の玄関前まで戻ると、未だ警戒態勢を敷いている近衛騎士団の騎士達が慌ただしく動いていた。

 騎士達は出迎えの準備をしていたようで、周辺を警戒しながらも隊列を組み、玄関先に整列している。


 その隊列の先頭に居るレオントがクロムに歩み寄り、最初に無事の帰還を労う言葉を口にすると、屋敷の中に案内する為に隊列を左右に割った。

 重厚な扉が開かれ、中には必要最低限ではあるが執事を始めとする使用人が頭を下げてクロム達を出迎える。


 近衛騎士団の隊長と思われる騎士等も出迎えに招集されたようで、クロムも一目見て強者の気配を感じていた。

 その騎士の中にはウィオラもおり、目線だけでクロムに挨拶をすると顔を引き締める。


 クロムはセンサー関係が破損している為、可能な限り五感の感覚を研ぎ澄ましながら周囲の動きを監視していた。

 そして血の覚醒以降、この屋敷を訪れる事が無かったヒューメは屋敷に漂う花の香りを嗅いで、懐かしさを感じている。




「クロム殿、これより伯爵閣下の執務室に案内する。ヒューメ様はお部屋を既に用意させて頂いておりますので、そちらでお待ち下さい。優秀な侍従を付けますのでご安心を」


 レオントが外套の中から未だ姿を現わさないヒューメに対し、頭を下げながらクロムから離れる事を願い出た。

 しかしヒューメの動きは殆ど無い。


 ― 起きてはいるだろうが、仕方が無いな ―


 外套の中で小さい動きがある事を感じているクロムは、暫く思案似た後、レオントに告げた。


「レオント、まずはヒューメの部屋に案内を頼む。そして伯爵にはその部屋に来るように伝えてくれ。もしくはこのままヒューメを連れて執務室に行くか、どちらかを選択しろ」


「すまないが、閣下にはヒューメ様を別室で休ませてからと命令を...」


「それはレオントに対する命令だろう。俺に対してでは無い。どちらにするか選べ」


 クロムがレオントに有無を言わさず、選択を迫る。

 レオントが言葉を失い、対応を迫られている中で1人の騎士が動く。


「クロム殿、レオント隊長殿もお立場がありますので、ここは申し訳ございませんが要請に従って...あぐぁぁっ!」


 クロムの横に立ったベリスが、彼らの指示に従うようクロムに願い出たが、その言葉を最後まで言い切る事叶わず、苦痛の声で塗り潰された。

 クロムが外套を跳ね上げて、突然ベリスの肩を鎧ごと一気に握ったのだ。

 一瞬で飴細工のように肩鎧が歪み、ベリスが脂汗を浮かべながら本能的に何とかクロムの右手を引き剥がそうと必死の抵抗をしている。


「誰の命令で、誰が、誰を従わせようとしている。答えろベリス」


 クロムの声と歪む鎧の悲鳴がロビーに響き渡り、ベリスは既に痛みに声も出せず、それでも膝を震わせながらも何とか立ち続けていた。

 ベリスは全力で魔力を錬磨して身体強化を掛けているが、クロムの力の前ではそれも抵抗にすらなっていない。


「ク、クロム様...どうか...その騎士をお許しになって...」


 ベリスの悲鳴を聞いたヒューメが、小さな声でクロムに許しを請う。


「許して欲しいのであれば、今すぐ俺から降りて自らの足で部屋に向かえ。俺に自身の守護を願い出るという事がどういう意味を持つのか、今一度よく考えろ」


 ヒューメが身体をびくりと震わせて、言葉を紡ごうとするが震えて声が出ない。


 レオントも含めて騎士の間では、ティルトやベリス、ウィオラの3人とクロムの間で少なくとも友人や仲間としての関係が成立していると思っていた。

 信頼を得られれば、この黒い騎士は自分達の味方であってくれると勘違いしていたのだ。


 だが実際は違った。


 例え数分前まで言葉を交わしていた友人の様な立場の者でも、距離感や対応を間違えれば躊躇無く力が振るわれる。

 もし仮にその相手が顔も名前も知らない者であれば、息をするように一切の慈悲も無く暴力が加えられると騎士達は感じ、一様に皆震え上がった。


「わ、わかった。もうベリスを許してやってくれ、頼む。このままヒューメ様の部屋に案内する。私は伯爵閣下にそのように伝えてくるので、そのまま部屋で待っていてくれ。おい!クロム殿を用意した部屋まで案内しろ!」


「了解した。では案内を頼む」


 そう言い残すと、レオントは速足でオランテの執務室に向かっていった。

 クロムがベリスを解放すると、彼女は呻きながら肩を抑えて、床に膝から崩れ落ちる。


「ヒューメ、もう一度言うぞ。今一度よく考えろ。ティルト、ベリスを診てくれ」


「は、はい...ごめんなさい...」


「はい。わかりました。ベリスさんちょっとあそこの椅子に行きましょう。ウィオラさん、すみませんが力を貸して下さい」


 ヒューメが震える声で応え、ティルトは未だ呻き声を上げるベリスに肩を貸し、近くに並んでいたウィオラを見つけるとその名前を呼んだ。


「わかった。手を貸そう」


 ウィオラがすぐさまティルトの所へ駆け寄って、ベリスに肩を貸して移動を始める。

 懐かしい感じがするなとウィオラはベリスの歪んだ肩鎧を見ながら、いつしかの苦い記憶を思い出していた。


「クロム様、それではヒューメ様のお部屋に案内させて頂きます。どうぞこちらへ」


 執事と思われる初老の男がクロムの前に出て、深々と頭を下げ、案内役として歩き始める。

 クロムはベリス達の方を振り返る事無く、階段を上りヒューメの部屋へと歩いていく。


 ロビーには、歪んだ鎧を取り外そうと唸るウィオラと痛みで呻くベリス、淡々と回復薬を用意するティルト、そして恐怖で動く事が出来ない直立不動の騎士や侍従が残された。





 必要最低限の数ではあるが上質な調度品が置かれた部屋。

 その部屋の中央に置かれた貴族用の清潔なベッドの上で、ヒューメがヘッドボードに背を預けて薄い敷布団を脚にかけて座っている。

 執事が空気を入れ替える為に開けた窓から、日の光を浴びた風がレースのカーテンを揺らしながら部屋に舞い込み、彼女の白銀の前髪を流していた。


 クロムはそのすぐ脇で、執事と急遽呼ばれた使用人達が用意した大型の椅子に腰かけている。

 その前にはオランテが同じく用意された椅子に腰掛け、その脇をレオントが、そしてデハーニが少し距離を開けて立っていた。


 オランテはレオントからクロムの要求の内容を聞き、一切迷う気配を見せずにそれに対応した。

 特にヒューメの件に関しては、即座にでも行動を起こさねば事態は悪化の一途を辿ると結論付けたオランテは、自身が動く事で確実な成果を得ようと考えている。


 実際の所、クロムが何らかの理由でヒューメの傍を未だ離れないという事実は、見えない謎への不信感よりも、彼に彼女が護られているという安心感の方が圧倒的に強かった。




「まず、クロム殿には本当に世話になった。約束通り必要な情報はそちらに開示する。後ほど言ってくれ。そして少なからず貴殿にも被害が及んだと聞く。治療が必要であれば全て此方で面倒を見させてもらう」


 入室した際、クロムの仮面の損傷をまず一番最初に見て、驚いたオランテ。


 彼は開口一番に礼と報酬の話を明確にし、クロムへ自身の考えと立ち位置を示す。

 クロムに取り入るという事では無く、心の底から出た感謝と賞賛の表れだった。


「問題無い。治療も必要無いので気にするな。報酬に関しては、この後そちらに伝える。それよりもまずはこのヒューメの事だ。どうするつもりだ」


 誰とも目線を合わそうとせず、俯いたままのヒューメが自身の名を呼ばれ、身体を硬直させる。

 彼女の耳に掛かった髪が、さらりと落ちて頬を撫でた。


 クロムの発した処理と言う言葉にデハーニが僅かに暗い反応を見せるも、クロムはオランテから目線を外さずに睨み合う。


「ヒューメの件は、どうやら王都の組織が動いていたようだ。だがその人間らは既に何者かに処分され、どれくらいの情報が向こうに渡っているのかは予測が付いていない。こちらの方針としては、ヒューメをファレノプシス伯爵家から除籍した上で何らかの形で保護、王都の目から離すつもりでいる」


「そうか。現在、俺はヒューメの処理の方針が決まった上で事態が収束するまでの間、ヒューメ本人の意思によって護衛を依頼され、それを受諾している。何故俺がその依頼を受けたのかは、後ほど伯爵のみであれば話しても構わない」


 ヒューメに起きた現象に関しては、オランテとの情報の連携が必要だとクロムは考え、契約の事に関して情報を渡すつもりでいる。

 オランテは、そのクロムの言葉に無言で頷くと、話を続けた。


「ヒューメの除籍後の事に関しては、大筋で方針は決定している。クロム殿がヒューメを守っていると今知った上で、この処遇は問題無いと判断出来た。ヒューメはデハーニの助言により底無しの大森林の村へ移住させ、そこで残りの余生を過ごしてもらう」


 デハーニがヒューメとクロムを交互に見て、目を伏せる。


 ヒューメはその移住という言葉を聞き、クロムの背中が急激に遠ざかる錯覚を覚える。

 そしてその喪失感に耐えられず、敷布団を跳ね除けてベッドから這い出ると、そのままクロムの背中にしがみ付いた。

 クロムが装着したままの外套を小さな両手が強く握り締めながら、震えている。


「そしてその移住には、従者兼使用人として1人の人物をあてがう事も決定している。その者も村への受け入れも同時にデハーニに承諾して貰った。ピエリス、入れ」


 デハーニはそのオランテの言葉を聞いて、苦い顔するが表情には憎しみも後悔も現れていない。


 表に待機していた執事が扉を開くと、そこには簡素だが上質な平民服を着たピエリスが立っていた。

 そして何も言わず、頭を下げて礼をすると俯き加減で部屋に入って来る。


 ヒューメとピエリスは互いに存在を強く意識しながらも、目を合わせる事は無く、僅かな緊張と共に静かに部屋の時間が過ぎていく。


「ピエリスは先日の戦いにて、騎士団長にあるまじき戦線放棄という失態を犯し、多数の部下を窮地に追いやった。その責任を取る為、騎士団長の任を辞すると共に、騎士の身分も返上すると本人より申し出てきた。本来であれば規則に基づき罰を与える所ではあるが、慈悲としてヒューメの従者兼使用人として移住に同行させる事で刑は相殺される。無論、双方共にこちらの地を踏む事は未来永劫まかりならん」


 オランテの迷いない、そして威厳が籠った言葉。

 これを持って、父オランテと娘ヒューメの別れが決まる。





「ヒューメ・ファレノプシス・ソラリス・オルキス。今この時を以て貴族籍から除籍し身分を平民に降格、以後、家名を口にする事は許さん」


「...はい」


 クロムを通して背中のヒューメに、一族からの追放を命じるオランテ。

 デハーニとレオント、そしてピエリスは俯いたまま目を伏せている。


「ピエリス・アルト・ウィリディス。お前は騎士の身分を廃した事により、一代貴族としての資格も喪失する。お前は緑の末裔ウィリディスであると同時に、領地を持たぬ名誉騎士爵であるので、そのまま家名を喪失、ヒューメと同じく身分を平民に落とした上で以後、その家名を口にする事を禁ずる」


「承知致しました。あのような失態犯した騎士に対する多大なるご慈悲、心より感謝致します」


 ピエリスが深々と頭を下げる。

 名誉騎士爵は王家より叙爵されるものではあるが、裁量権は仕える主に相当する貴族、この場合オランテ伯爵が保有していた。


 未だヒューメとピエリスの目線は一度として合う事は無く、2人の間には深い悲しみを湛える空気が満ちている。


「そしてピエリスが騎士団長を務めていたウィルゴ・クラーワ騎士団は即時解体が決定した。団員は引き続き能力に応じて、近衛騎士団見習い及び領地警備騎士隊に再配属される。また副団長を務めていたべリス・プレニー及びウィオラ・トリコ両名は、本人達の強い要望により自由騎士リーベルターの身分を伯爵権限で叙する事とし、領内外での自由活動を許可する」


 自由騎士リーベルターとは、主君に仕える騎士としての責務を一部保持しながら、冒険者として領内外で活動する騎士の事である。


 この場合、仕える主はオランテ伯爵となり、伯爵及びオルキス領にて重大な危機が訪れた場合は特別指揮権が発動され、一時的に騎士として戦線に加わる。

 ただし騎士としての特権はほとんど持たず、普段は平民と同じ扱いの冒険者として活動し、伯爵家から僅かな給金が支給され、最低限の衣食住は保障されるものの、正規騎士と同等の好待遇は受けられない。


 自由を獲得した騎士が支払う代償とも言えるだろう。


 それでも世間一般では、騎士という職業が貴重であるが故に、一般冒険者よりは安定した活動と生活が望めるのも事実であった。


 副団長2人の今後は聞いていなかったのか、ピエリスは驚きの表情を浮かべ、そして何処か安心したように再び目を閉じる。





「以上が今回の件の決定事項だ。デハーニ、再度確認するがこれで構わないか?」


 オランテは腕組みしたままのデハーニに視線を向けて、一連の決定に関する最終確認を取る。


「ああ、問題無い。ただし情報の扱いだけは細心の注意を払ってくれ。頼むぜ伯爵さんよ。それに村に来るなら、最後まで村総出でしっかりと面倒を見るつもりだ。今までの贅沢なお貴族様の生活とはいかねぇが、それでも辛いものではない筈だ」


 その言葉の前半部分はオランテに、後半部分は口調を和らげてヒューメに向けられた。


「それとそこの元ポンコツ騎士に関しても問題無い。腐っても騎士だ。十分に村の役に立つ。最初は慣れないかも知れんが、それでも貴重な戦力には違いないからな」


「ポ、ポンコ...い、いや、よろしく頼みます。デハーニ殿」


「敬語は止めろ。むず痒くなる。今まで通りで構わない。これから大変だと思うがしっかりやってくれ。一応期待しているからな」


 デハーニから罵倒に似た言葉と、期待するという言葉を一度に受け、どのような態度を取れば良いか分からなくなるピエリス。

 それでも闇に閉ざされていたピエリスの瞳に、小さな光が灯っていた。


「ヒューメ嬢、そういう訳だ。辛い現実とは思うが、ここは受け入れなきゃいけねぇ。誓って悪いようにはしない」


 デハーニが、クロムの背中に隠れているヒューメに静かに語りかけた。

 ヒューメはその言葉を聞いて、クロムの脇から半分ほど顔を出す。


「...はい、ありがとうございます。デハーニ様。ご迷惑かけてばかりで...」


「様付けはやめてくれ、せめて“さん”で頼む。それに迷惑とか謝罪はもういらねぇからな」


 デハーニは、居心地の悪さを誤魔化すように、少しばかり強い口調で後頭部をガリガリと掻く。

 それを見たヒューメは、ほんの僅かに微笑んだ後、再びクロムの背中に隠れた。





 これから毎夜、少女の夢に血塗られた手と犠牲者の顔が悪夢となって現れるだろう。

 それが少女に課せられた罰。

 何も知らなかった少女に突然襲い掛かって来た出来事。


 未だ体温を高めに維持しているクロムの背中が、身を寄せる彼女の身体をゆっくりと温めている。

 その温もりを感じていると、この先に待ち受ける罪深く暗い未来にも僅かに光が見えて来た気がするヒューメだった。

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