第84話 身を寄せる者と離れ行く者

 少女を抱く黒騎士の前に並ぶ完全武装の騎士達は一様に、この場を早く切り抜けたいという考えに支配されている。

 明らかに対面で立っているクロムの発する魔力が異常だったのだ。


 クロムが一方的に自分の意思をレオントに告げて、その回答を待たずに近くにいるティルトに問い掛けた。


「ティルト、戦う前に預けた外套があるなら持って来てくれないか」


「はい。わかりました。今も持って来ているので取ってきますね」


 そう言ってティルトは自分の野営している所に駆けて行き、すぐさま丁寧に畳まれたクロムの外套をしっかりと胸に抱いて戻ってくる。

 ティルトは若干息を切らしながらも、血色の良くなった頬を僅かに緩めて外套をクロムに差し出した。


「助かったティルト。ではそれをベリスに渡してくれ。ベリス、外套の装着を頼めるか?」


「お任せを」


 この場の雰囲気を読んだ2人は、至って真剣な顔つきでクロムの要請を即座に快諾したが、クロムの帰還の嬉しさと彼に頼られたという事実が、2人の顔の筋肉を徐々に緩ませていく。


「ヒューメ様、失礼致します」


 ヒューメに予め断りを入れてベリスが外套を広げ、今回2度目となる着付けを行うと外套はヒューメを覆う形でクロムに装着され、外からは彼女の姿が完全に隠された。


 クロムの首に背伸びして両手を回し、外套の位置を調整するという作業をベリスは役得とばかりに心の中で喜んでいたが、今回は少し勝手が違った。

 それはクロムの素顔の一部が露出している為か、互いの顔が接近すると変に意識をしてしまいベリスの顔の温度が上がる。


 当然だが、クロムは全く気にも留めない。





「こほん...ではブローチを付けて...おや?魔力が殆ど空になっておりますね。もしかしてあの時の影響でしょうか」


 先程のクロムの魔力吸収の影響を受け、ブローチにあしらわれていた魔石の魔力が大気に吸い出されており、澄んだ緑色の魔石が白い靄が掛かった様に白濁していた。


「クロムさん、ボクが魔力を補充します。その大きさであれば大丈夫です」


 ティルトがベリスの脇から現れて、純銀の杖の先端に魔力を集中させた。

 杖の先の蜻蛉を模した部分に淡く魔力の光が灯り、それを注意深く、そっとブローチの魔石に触れさせる。


 ― 先程よりも強い気配を感じるな ―


 ティルトの魔力錬磨を感じ取るクロム。


 瞬く間に魔石から白濁が消え、元の澄んだ緑色の魔石に戻った。

 その外套の中、クロムの腕に抱かれたヒューメが視界を完全に遮られて居心地が悪いのか、少し不安げに身体を動かしている。


「ベリス、この外套の機能を使うには魔石を起動させればいいのか?」


「はい。単純に魔力を纏った手等で触れると、魔石の魔力が続く限り効果を発揮します。取り外せば効果は切れますね。前回は私が起動させましたが...」


「なるほど」


 クロムはコアに指令を出し、自らの手で魔石を起動しようと試みた。


 ― 融魔細胞 変性 右腕先端部 魔力放出回路を生成中 生成完了 放出開始 ―


 クロムの意識内の指示を読み取り、コアが右手人差し指の先端に小さな魔力放出回路を作成し、既存の回路を延長させてそれに接続する。

 融魔細胞が変性し、指先に魔力放出口を生成すると、そこから赤い魔力がゆっくりと放出され始める。


 その魔力の放出を見て、ベリスとティルトが後ろに半歩下がり、周囲の騎士達はどよめいた。

 突然クロムの黒い指先から溢れ出した魔力が余りにも濃密だった故に、その魔力に当てられた2人は若干の眩暈を感じた程。


 その指先が魔石に触れ、ブローチが作動すると外套に魔力が行き渡った。


「わぁ...えっ...見えて...る?」


 外套の中でヒューメが小さく驚きの声を上げて、内側から外套を指で突いている。


「大丈夫だ。内側からは外が見えるが、外からは全く見えていない」


「そ...そうなのですね...ありがとうございます...」


 ヒューメがほっと一息溜息を付くと、安心したのか再びクロムにもたれ掛かり身体の力を抜いていった。


 ― 右腕先端部 魔力放出口の有用性を確認 新規回路を維持 ―


 その回路増設の有効性を認めたコアが、新たに作成した放出口をそのまま運用する事を決定する。


「レオント殿、クロム殿の装備を現場から回収してくるので、今しばらくお待ち頂けますか。そこの2人、私を手伝って下さい」


 ベリスが2人の騎士を連れ立って、未だ戦闘の跡が生々しく残る場所に落ちている、クロムのパージした装備を回収しに向かっていった。





 クロムの鎖自体がかなり重いらしく、ベリスと騎士達が分担してクロムの装備を回収して戻ってくる。

 その鎖は馬車の後方にある小さな荷台に積み込まれ、馬車の重量を増やした。

 ティルトの野営装備もその時に他の騎士によって回収され、簡易テント等も一緒に積み込まれている。

 

「レオント、待たせたな。準備が完了した。先導と案内を頼む」


 クロムがレオントに目線を向けて、準備完了の合図を送るとレオントは戸惑いながら出発の号令を出した。


「わ、わかった。よしこれより屋敷に戻る。その後は持ち場に戻り、引き続き別命あるまで与えられた任務を続行せよ」


「「「はっ!」」」


 最後まで乗り込まれなかった馬車の扉が閉じられ、レオントら騎士達の先導でその場を後にし、クロム達はその後をティルト、ベリスを伴ってその後に続いた。

 ヒューメは外套の端を小さく掴んで、自分の身体に巻き込むように持ち、可能な限り自分の身を隠そうとしている。


「ティルトとベリス、そしてここには居ないがウィオラ含めた3人に少々協力してもらいたい事がある。説明は後でする」


 歩きながら、クロムが2人に声を掛けた。


「はい。ボクに出来る事なら喜んで協力させて頂きます」


「もちろん私も協力させて頂きます。私がお役に立てるなら」


 ティルトはベリスの嬉しそうな声色を聞いて、騎士としての本分を忘れてはいないか少々不安に襲われる。


 クロムは魔力の錬磨や纏う個所、そして魔力の強さ等を感覚で捉えてコアに学習させる為に3人に指示を出し、魔力操作を行って貰うつもりでいた。


 ティルトは何も言わずとも優秀である事はわかってはいたが、ベリスの雰囲気が前回と比べて一変しているのを気配で感じ取ったクロム。

 ウィオラに関しては、以前に成長の種を蒔いていたの事を加味している事もあり、この時点でクロムは2人の騎士の価値を上方修正している。


「クロム様...私はやはり...死なねば...ならないのでしょうか」


 クロムが思考を回転させていると、外套の中からヒューメが小さな声で彼に問い掛けた。


「お前の中に居たは既にいない。残されたお前が生きるも死ぬも、その意思次第だ。俺に問うて決める事では無い」


 もう一人のヒューメに頼まれてはいるが、それとこれは全くの別問題だとクロムは考えている。

 選んだ行動に対する多少の助力はするが、彼女の意思の行き先を決めるつもりはクロムには無い。


「死にたく...ありません...まだ生きていたいです」


 ヒューメの消え入りそうな声を、クロムの聴覚がしっかりと聞き取った。


「わかった。では“契約”に従いお前の生存に協力する。そこまで悪い結果にはならないと予想はしているがな。少なくとも今はお前を守る。安心しろ」


「契約?...わかりました...お願いしますクロム様...それと後少しだけ...貴方様の腕の中で目を閉じて休ませて頂いても構いませんか?...少しだけ...です」


 ヒューメが掴んだ外套を引き寄せて、その小さな身体に巻き取る。


 その行動を見て、少女が寒さを感じていると判断したクロム。

 外気温を計測し別段寒いと感じる気温では無い事を確認したが、それでも多少の対応策として身体の内部構造を操作した。


 ― 融魔細胞 微弱活性 ユニット966 体内温度上昇 ―


「ふわ...暖かいです」


「暑くなるようなら言え」


 外套の中の温度が緩やかに上昇し、ヒューメの身体の力が更に溶ける様に抜けていく。

 クロムは彼女が少なくとも落下はしないようにする為、腕の位置や角度を再調整した。


 その後ろを歩くティルトがそのクロムの動作を目撃し、外套の中で少女がクロムに安心して身を任せているのが、後姿を見るだけでわかってしまった。


「うぅ...いいなぁ。ボクも頼めば抱きかかえて貰えたり...」


「ん?ティルト殿?頼み事...ですか?」


 感情の機微に敏感になっているのか、隣のティルトのほんの小さな呟きにも反応するベリス。


「な、何でもないですよ!」


 顔を赤らめて慌てるティルトを見て、ベリスはふと何かに気が付いたように赤面する彼とクロムの背中を交互に見た。

 そしてベリスは複雑な表情を顔に浮かべる。


「クロム殿も本当に罪なお人なんですね...はぁ...同僚も隣の美少年も...わ、私も...困ったものですね...」


 以前見た時よりも、クロムが更に大きな背中になったように見えたベリスは若干疲れを含むため息を付く。


 湿気と木々の香りを含んだ冷たい風が吹き付ける中で、クロムは様々な思考を巡らしながらいつも通りの無言で歩き、ティルトとベリスは色々な感情で揺れ動きそうになる心の整理に追われている。


 その中でヒューメだけは黒い騎士に身を預けてその温もりを感じながら、安らかな寝息を立てていた。





 クロムが目覚め、ヒューメも生きているという緊急の報告を執務室で受けたオランテは、近衛騎士団を緊急招集し現場へ向かわせた。

 まず彼が目覚めた事で、停滞していた事態が進む可能性もあり、オランテは少しばかり心に久しく姿を見せていなかった安心感と言う物を感じ、ソファーに身を預けた。


 ただオランテはクロムの覚醒に伴う変化、そしてヒューメとの間に交わされている契約の事を未だ知らない。

  

 そして執務机に置かれている騎士団の紋章入りのメダルに目を移すと、眉間に僅かに皺を寄せた。

 上質で磨かれた木の執務机の上で、僅かに差し込んで来た日の光を反射する1枚のメダル。

 そのメダルにはクローバーの意匠が施された紋章が刻み込まれていた。


 先程、クロム覚醒の報を受ける直前、ウィオラ副団長から1枚のメダルを差し出されたオランテ。

 ウィルゴ・クラーワ騎士団の紋章が刻まれているそのメダルは、騎士鎧の右胸に取り付けられる騎士の証でもあった。


 ピエリスは騎士団長としての任を降りる事に加えて、騎士の身分も返上すると申し出て来たのだ。

 現状、ピエリスの処遇は諸問題の関係もあり、先送りにしていたがやはり戦線放棄の責任を取る方向で動いている。

 

 軽くて減俸、重い場合は騎士団長からの降格という意見も出ていたが、近衛騎士団の中からは彼女の立場を配慮した上で、多少の慈悲は与えてしかるべきとの意見もあった。

 騎士団長の後釜には、最近実力を急に発揮し始め、頭角を現し始めた2人の副団長が候補に挙がっている。


 だがウィルゴ・クラーワ騎士団の存在理由が、この件に関して多少の関りがある以上、存続そのものが問題になる可能性もあった。

 それに関しては、クロムとヒューメの帰還によって多少の方向性は変わる筈だったが、先手を打った形でピエリスが騎士を廃業するという状況になっている。


 レオントから、ピエリスは既に心自体が折れており、今後、騎士としての使命を果たす事自体が困難な可能性があるとも報告を受けていた。


「これに関しても、何とか穏便に済ませる事が出来ればいいが...」


 オランテは今回ばかりは熱い紅茶が飲みたい気分であり、侍従に用意するように申し付けた。





 騎士団長代理としての職務である各種報告書を提出し終え、ウィオラは訓練場で日課の魔力錬磨の鍛錬を行っていた。

 現在、ウィルゴ・クラーワ騎士団は騎士団長ピエリスの問題もあり、騎士団全体がその活動を制限され、完全な予備兵力要因として待機命令が下されている。


 最近はウィオラと共に鍛錬する騎士達も増えており、魔力錬磨を基本として身体強化や基礎戦術等、全てを基本から鍛え直すという風潮が出来上がりつつあった。

 

「今日のウィオラ副団長、いつもより気合い入ってますね」


「凄い魔力錬磨だ」


 訓練場脇で身体強化の鍛錬を行い、汗を流している騎士達がウィオラの身体から湧き出る魔力量に感嘆の声を上げている。


 それもその筈で、ウィオラが報告書を提出し、ピエリスの件の報告とメダルを置いてきた帰り際、クロム覚醒の報を耳に挟んでいた。

 交代であの現場に出入りしていたが、クロムの目覚めに立ち会えなかったと自身の運の無さを呪った。

 しかしその反面、クロムが帰ってくるという事実は彼女の心に火を灯す十分な理由となり、それが今のいつもとは違った気迫が籠った魔力錬磨に現れている。


 だが魔力を練り上げるウィオラの心に不意に消極的な思考が混じり始め、そこに小さな陰を落とす。


― 騎士団長の事もある...これから我々はどうすればいいのだろうか... ―


 長らく騎士として共に過ごしてきたピエリスの騎士廃業の意思は固く、その時の様子を見たウィオラも説得は諦めていた。

 騎士団の行く末、そして自分自身の行く末、様々な懸念が鍛錬の集中を乱す波紋となって心の表面に波風を立てる。


 魔力錬磨の精度が徐々に落ちていき、雑念が焦りを産み落とす。


 ウィオラはこれ以上の魔力錬磨は自身の為にならないと断じ、その場で錬磨した魔力を解放した。

 中途半端な状態で練り上げられた魔力とは言え、鍛錬場にかなりの威力の魔力波動が放射され、周囲の騎士達は身体を強張らせる。


「ふぅ...まだまだダメだな」


 ウィオラはそう呟いて、額から流れ落ちる大量の汗をタオルで拭う。

 その時、伝令がウィオラの元を訪れてクロムとヒューメの帰還を報告し、そしてウィオラに騎士団長代理として伯爵邸へ向かうよう命令を与えた。


 一瞬ウィオラはせめて汗を流したいと、乙女の心境を浮かばせたがそこは騎士団長代理としての職務と騎士の矜持を優先させる。


「了解した。至急、身支度を整えて向かう。騎士団総員は待機状態を維持せよ」


「「「はっ!」」」



 ウィオラは急ぎ足で鍛錬場を後にしながら、せめて鎧の中の手が届く範囲の汗は拭おうと最後の抵抗を見せていた。

 そして騎士団本部施設を出る際、いつもより多めの香水を首元に振りかけて、自身の臭いを何度も確認する。


 そしてふと我に返ったウィオラ。


「やれやれ...騎士の資質を問わなければならないのは私も同じか...」


 ウィオラはシールドガントレットを一度大きくガチャリと鳴らし、再び気合いを入れ直すと伯爵邸へと馬を走らせた。

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