第80話 血の従者は嵐に笑う

 ヒューメがクロムの自我領域から去ってから、どれくらいの時間が流れているかは不明のまま。

 クロムは今後の対応や行動に関して思案を巡らせていた。

 実際の所、口約束での交渉が成立したのみで、実際にそれが確実に履行されるとは限らない。

 幸い五感を完全に閉ざされた空間にて半永久的に存在していても、クロムの精神が破壊される事は無く、自我が崩壊するまで思考の渦に身を投じるだけである。


 思考を再び沈めていると、クロムの自我領域にコアから信号が接続された。


 ― 状況が動いたか ―


 クロムは意識を震わせると、暗闇に浮かんだ光の塊に飛び込む。

 目の前が暗闇から一転、光の筋が無数に乱舞する情報空間に意識が帰還し、それを確認する間もなく視界が一気に現実へと引き戻された。





 ― ユニット966 自我領域の接続を確認 オペレーション:ブラッド・カニバル 実行中 ―


 ― 強化細胞の浸食速度の低下を確認 高エネルギー反応多数 2番シリンダー 戦闘強化薬 残量20% ―


 ― 投与量限界を突破 戦闘強化薬の中和剤転用を開始 ―


 ― コア損傷拡大 出力80%に低下 正体不明の物質の浸食を確認 分離不可 現在浸食は停止 ―



 現実に帰還した直後、クロムの意識内に膨大な情報が流れ込み、その内容を把握する前に思考が過負荷により停止する。

 次々と情報が表示されるも、処理しきれずに情報が停滞を始めた。


 クロムは思考の回転数を少しづつ挙げていき、状況把握を開始する。


 ― 現状一番の問題はコアにも魔力結晶の浸食が発生している事か。完全な浸食は食い止めたが、かなり危険な状態だったな ―


 既にコアの出力が損傷により低下しているものの、ヒューメとの交渉が実行に移されたのか、浸食自体はその勢いを止め、強化細胞の再生と変性との拮抗状態になっていた。

 既に戦闘強化薬は、ほぼ使い切っているに等しい残量であり、残りも投与量限界を超えた肉体を再生する為の中和剤に転用、その残量を減らしている。


「正体不明のエネルギー及び物質をそれぞれ魔素、魔力、魔力結晶と呼称。取得血液を成分分離。目標との接続を解除後、強化細胞の融合を開始する。コア出力60%。背部に魔力排出経路を緊急形成」



 ― コア出力60%上限固定 背部強化細胞の緊急変性を開始 コアの魔力結晶浸食率は全体の25% 高エネルギー反応あり ―


 ― 血液成分の分離開始 強化細胞の拒絶反応無し 強化細胞融合変性を開始 ―


 ― 警告 強化細胞の融合による構造変性 行動不能予測時間 約57時間 ―


 ― 警告 自動迎撃システム実行中 使用可能迎撃兵装 コア・バーストの

 使用許可を求む ―



「コア・バーストの使用を許可。目標からの接続菅分離準備。強化細胞融解液にて損傷個所を再生。生命維持システム実行継続。目標の生命活動継続を最優先」


 ヒューメの血液と強化細胞の融合は良好な兆しが見えているが、融合というプロセスは肉体構造を再構成する事と同義であり、その間、当然ながら行動の一切が不可能になる。

 そしてその際に使用できる兵装が1種類のみであり、それがコアが使用許可を求めてきたコア・バーストである。


 これはコアの持つエネルギーをリミッター解除した状態で全身から放出、クロム自身の身体を超高温状態にする捨て身の兵装であった。

 その温度は数千度まで上昇し、クロム周辺がありとあらゆる物を焼き尽くす高温の坩堝と化す。

 この状態でコア・バーストが発動すれば、腕に抱いたヒューメは灰も残らず焼却されてしまうが、クロムはそこまで責任を持つつもりは無い。


 ヒューメの生命は未だ微弱ながらも現世に留まっており、生命維持システムのモニターは回復の傾向を見せていた。

 既に肺に満たされた強化細胞融解液が肺の血管から吸収され、血液の流れに沿って全身に送り出されており、全身各部の細胞損傷を再生し始めている。


 ― 目標肺臓内の強化細胞溶解液の吸入を開始 ―


 コアが接続菅の分離を開始し、ヒューメの体内を再生させながら徐々に体外へ引き出されていく。



 ― 接続菅の離脱問題無し 穿孔部の再生を開始 生命維持システム異常無し 全プロセス完了後、細胞融合を開始 ―


 ― 肺臓内の強化細胞溶解液の吸入完了 自発呼吸誘発の成功を確認 生命維持問題無し 対象血液の成分分析及び分離完了 ―



「細胞融合を開始」



 ― 細胞融合を開始 戦闘システム起動 自動迎撃システム稼働中 背部緊急魔力排出経路の形成完了 ―






 クロムの意識から肉体の制御回路がパージされ、再び意識のみが働く状態に戻った。

 意識内ではヒューメの生体スキャンの情報、そしてクロムの全身の強化細胞の融合状況とエネルギー反応等がモニターされていた。



 ― 警告 未知のエネルギー波を検知 ―



 コアの報告が入るのと同時に、少女の声が意識内に響いた。


 ― ヒューメを助けてくれてありがとう。もう意識が解け始めてるから私もあと数分ってところね ―


 ― 交渉は無事成立した。後は自身の生きる意思に任せるのみだ。役目は果たした ―


 ― そうね。あと私の意識が完全に無くなると、私の血が保有している魔力が一気に解放されるわ。それに関してはそちらで何とか対処してもらうしかないの。ごめんなさい ―


 ― 問題無い ―


 ― そう。ならいいのだけれど。自分の存在が薄れていくのがわかるのって...何だか嫌ね... ―


 ― 俺から言う事はもう何も無い。だがお前の事は俺が記憶に残しておく。お前の記憶と共にな ―


 クロムの言葉を噛み締める様にヒューメの意識が沈黙する。

 互いの意識が繋がっている為、クロムには理解出来ない様々な感情がヒューメから流れ込んでくる。

 ヒューメの意識が揺れ動き、そして消失が始まった。


 ― 出来れば  忘れないで  居てくれたら 嬉しい かな    なにも 無い  世界    じゃなく    て    あなた  の    なか なら      ゆっくり   ねむれる  かも ―


 ヒューメの存在が急速に希薄になっていくのをクロムが確認する。

 クロムは次に訪れる状況に対処すべく、思考切り替えた。


 彼女の言った事が正しければ、この後クロムの体内に膨大な魔力が解放され、それを体外に緊急放出しなければ、魔力飽和の限界を超えて体内で魔力結晶が形成される。


 ― 魔力の緊急放出に備えろ ―


 ― 緊急放出経路の確保完了 緊急排出準備 全経路を背部魔力放出口に緊急接続 ―


 クロムの背部の外骨格装甲が変形を開始し、肩甲骨の位置にある装甲板が翼の様に跳ね上がった。

 排出口の奥で赤い光が明滅している。


 ― おやすみ    なさい    また いつ  か   あえる  と いい  な ―


 ― ゆっくり休め。ヒューメ ―


 ヒューメの意識がクロムの中から完全に喪失した。

 そして間髪入れずに、クロムの全身から急激な魔力の反応が発現する。



 ― 警告 ユニット966の体内にて高エネルギー反応 急速に増大中 魔力緊急解放 放出回路を全点接続 経路確保を確認 ―


 ― 警告 魔力エネルギー尚も増大 回路34Cから46B破損 緊急回路形成 34Cから56Aへバイパス 破損回路パージ 各部回路再形成を開始 予備回路を緊急転用 ―


 ― 背部魔力排出口を全開放 魔力大気解放を開始 ―



 少女抱き、跪いたクロムの黒い背中から深紅の魔力が噴き出した。

 その先端が限界を迎えていた魔力障壁の内側を炙る高さまで立ち上っている。

 高濃度に圧縮されたヒューメの魔力が、魔力飽和の限界を超えている空間に放出された瞬間、一気にその魔力エネルギーを解放する。


 そしてその深紅の魔力は大量の魔素を放出し瞬く間に血晶へと変化、クロムの背中に2対の赤い血晶の翼を形成し始めた。

 断末魔の叫びを上げる魔力障壁を嘲笑うように巨大化していく血晶の翼が、障壁を内側から突き破る。


 凄まじい轟音と魔力波動、そして屋敷を半分を吹き飛ばす程の衝撃波が周囲に放射された。

 それと同時に空間の魔力濃度が急激に変化した事により、その中心に居たクロムの全身を魔力結晶が覆い始める。


 ヒューメを抱くクロムが深紅と薄紫が入り混じった魔力結晶で覆われた。

 幸いクロムが抱いていた体勢と腕の位置により、小さく息をしながら眠るヒューメの顔を全て覆われる事は無く、かろうじて息が出来る空間は確保していた。


 未だ周囲を大混乱に陥れている原因のその中心地に、巨大な赤い翼を夜空に広げた魔力結晶の塊が出来上がり、月明かりを反射して赤く煌めいている。

 その周囲は粉塵程の大きさの魔力結晶が舞い散り、氷がひび割れるような音が鳴り響いていた。


 ― おやすみなさい。またいつか会えるといいな ―


 消えゆく少女が残した途切れ千切れの言葉が今一度明瞭に発せられ、そしてその声は誰の耳に入る事無く、夜空の月に吸い込まれていく。


 そしてクロムが殺した少女は、赤い魔力を残してクロムの中で永い眠りに付いた。







 障壁の爆発をいち早く察知したティルトは、予め銀世界の宿り木シルバ・ミストルティに込めていた魔力を使い魔法障壁を発動させた。


「深度4錬金術式 変質オルタレーション 隔絶の氷壁パーマフロスト・クリフ!」


 ティルトの青い瞳が魔力によって一段と輝きを増す。


 純銀の杖から小さな水球が生まれ落ち、それが瞬間的に白く凍り付くと周辺の水分を大量に拾い集め一気にその温度を下降させた。

 バキバキと音を立てながら連鎖反応でティルトのみならず、傍らでしゃがみ込んでいるデハーニ、そしてその後方に陣形を広げているウィルゴ・クラーワ騎士団をも護る形で分厚い氷壁が形成される。


 周辺の気温を急激に下げる程の氷壁が、魔力波動と衝撃波を真正面から受け止めた。

 しかし障壁崩壊によって発生した衝撃は凄まじく、ティルトが現在行使出来る最高レベルの深度4錬金術式を持ってしても完全に防ぎきる事が困難な程。


 魔力耐性が極端に低いデハーニは、氷壁でも完全に防げていない魔力波動を浴び、苦しそうに胸を抑えている。

 魔力防御を高めたローブを装備し、杖を構えて術式を構築し続けているティルトでさえ、貫通してくる魔力波動を浴び顔を歪ませていた。


「ティルト殿!私が貴殿を守る!」


 突然、後方から力強い声が響き、同時にシールドガントレットを構えたウィオラがティルトの前に飛び出してきた。

 半身で腰を落とし、ぬかるむ大地に両足を喰い込ませたウィオラが、ティルトの全身を背中に隠す形で、氷壁を貫通し襲い掛かってくる魔力波動を受け止める。


 ティルトの魔法の行使を妨げないよう、杖を避けて盾を構え、魔力を練り上げるウィオラ。

 魔力波動を一身に受けるウィオラの表情が苦痛で歪む。


「ウィオラ!助太刀します!」


 すると今度ベリスが現れ、同じく体勢を低く構えながらウィオラのシールドガントレットを裏側から支え、魔力を急速に練り上げながら盾に魔力を供給し始めた。

 ティルトを護る形で、2人全身から錬磨された魔力が放出される。

 衝撃波で荒れ狂う風が氷壁で巻き取られ、吹雪の様な冷たい嵐となってベリスとウィオラの髪を乱れさせる。


「感謝します!深度2錬金術式 二重構築ダブル・ラミネート 魔力変質マジック・オルタレーション 魔源増幅リザーバー・ブースト!」


 ティルトが新たに術式を重ねて発動させ、氷壁の効果と発動魔力を上乗せした。

 それによりひび割れ始めていた氷壁が修復されていき、更にその厚みを増すと同時に、増幅された魔力によって魔力波動が相殺され始める。


 しかし二重構築ダブル・ラミネート自体が魔力は問題無くとも術者の魔力回路にかなりの負荷を掛ける為、ティルトの鼻から一筋の血が零れ始めた。

 それでもティルトは、ベリスとウィオラの魔力で護られながら、銀色の杖を輝かせ氷壁を維持し続けていた。


 ― クロムさん!どうかご無事で! ―


 ― 護る事こそ私の役目!そうだろうクロム殿! ―


 ― 今こそ成長をお見せします!クロム様! ―


 三者三様の心が強い意志となり、三人の魔力が更に沸き上がっていく。







 ティルト達が魔力波動に飲み込まれているその時、横に広がる小さな森の中で1人の女が同じく魔力波動の嵐を受けて、それを防御しながら歩いていた。


「うひゃぁーなんなのこの魔力波動。触手ちゃんがいなきゃ意識ぶっ飛んでたかもぉ」


 金髪のメイド服を着た女がニヤつきながら背中から無数の触手を生やし、それを編み込むようにして盾を作り上げ、魔力波動を凌いでいる。

 既に以前のメイドの意識は無く、残っているのは血の渇望と衝動、そして自分の意識が徐々に改変されていく恐怖で崩壊したメイドの自我の残骸のみ。


 それでも彼女は血に刷り込まれた命令を忠実に守ろうと、動いていた。


 彼女に埋め込まれた“異形の種”は、魔力と血の衝動により急成長し、その服の下は既に人の身体を成していない。

 メイドの潰れた自我と脳の代わりとして、その身体に根を下ろしている触手の異形。

 魅惑的な女性的な体つきは残しているが、それは形だけだった。


「んーあのお嬢さんを回収するように言われていたけどぉ...もしかして死んじゃった?おかしいなぁ気配はするけど、血の契約は消えちゃってるし...どうしましょぉ」


 魔力波動が飛んでくる方向に触手の盾を向けながら、森を歩くメイドの前に意識を失った騎士が3名、そして商人の服装をした2人の男が倒れていた。


「あらあらあら...これはお仲間さんかなぁ?ここで倒れていたらバレちゃうでしょぉ。どうしましょ?」


 そう言って、メイドは大げさな仕草で考え込むジェスチャーを取るが、それもまた傍から見ればどこか歪な様子に見えた。


「んー、ん?んん?マスターですかぁ?ふむふむ?帰るのですかぁ?ワタシまだお仕事やってませんよぉー?」


 メイドが湿った暗い森の中で、身体をくねらせながら独り言を呟いている。


「はいはいはい?りょーかいです。じゃぁ帰りますねぇ。それとこれはどうします?すぐにバレちゃいますよ。運ぶの嫌なんですけどぉ」


 魔力波動がようやく収まり、盾を解いて触手が広がっていく。


「はーい。じゃぁ食べてから帰りますねー。でも硬いやつはこの場でぺっぺっして埋めておきますぅ」


 独り言を終えると、今まで忙しなく身体をくねらせていたメイドの動きが急停止した。

 そして今度は身体を何度も大きく痙攣させたと思えば、背中から更に大量の触手が飛び出してくる。

 触手の所々には小さな色とりどりの花や蕾が付いており、触手と言うよりは植物の蔓の様だった。


「まぁお仕事失敗してワタシみたいになるかぁ...ワタシに食べられるかぁ...どっちが幸せかな?」


 そう言ってメイドの無数の蔓が倒れている男と騎士に襲い掛かり、蔓の先端が犠牲者の全身の穴と言う穴から侵入し、体液もろとも吸い上げていく。

 吸い上げる毎に蔓に付いた蕾が開花し、また小さな蕾を付けていった。


 闇に包まれた森の中で、一筋の月明かりが無数の花を咲かせた女を照らす。

 その顔は恍惚の表情で笑い、塗られた口紅が擦り切れた口からは一筋の涎が垂れ、顎から糸を引き地面に落ちていた。

 血塗れのうねる蔓が花を咲かせながら喜びを表現している。


 喰われ続ける哀れな犠牲者が唯一運が良かった事、それは魔力波動を浴びて昏睡している事だった。

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