第79話 少女の願いと深紅の翼

 上下左右の無い暗闇だけが浮いている空間で、クロムとヒューメの意識が交錯していた。

 クロムはヒューメが対話を望んでいるという事、そして交渉と言う言葉を用いた事でその話の内容を聴く判断を下した。

 命乞いに関して言えば、クロムに耳を傾ける気は一切無い。


 ― 命乞いは受け付けない。交渉であれば聞く余地はある ―


 ― わかった。まず聞きたいのだけど、何故あのまま殺さずに私達を?私達の血が貴方の中に入れなかった時点で、既に勝ち目は無かった。貴方もそれは分かっていたはず ―


 もしあの時ヒューメの血が体内に侵入していたら、ここまで深刻な状況とは行かずとも厄介な事になっていたのだなと、クロムは僅かに意識が保持していた記憶を引っ張り出してくる。


 ― そうだな。今回の俺の目的は魔力を自分の認識下に置く事だ。知り合いの錬金術師の話や書籍、そしてお前の事が記載されている報告書で、魔力は体内に流れる血が大きく関係していると推測するに至った ―


 クロムは言葉を続ける。


 ― そこに殺害を許可されたお前が居た。そして殺害の報酬も含めて交渉された。道義的にも恩を売るにしても、またとない機会だ。それでも成果がある程度出るまでは、ギリギリまでは生かしておくつもりだったが ―


 クロムは血液の解析に必要な十分な血液を採取した後、血液と血中魔力を失ったヒューメが魔法を行使出来るのかという事、そして意識や生命力、魔力にどのような影響を及ぼすのかを検証するつもりでいた。

 ただ、こうして血を介して意識内で会話が出来るとは、クロムも流石に予想していなかった。

 必要であれば交渉材料として、魔力に関して聞き出せば良いだけである。


 あの場で全て血液を吸い尽くし、その延長線上での殺害も候補に入れていたが、無抵抗のサンプルとして利用価値があると感じたクロムは、殺害までの時間を延長した形になる。

 いずれにしてもこの交渉が不成立に終われば、殺害という予定は変わらない。


 それが例えクロムの意識が切り離されたままだとしても。


 恐らくコアはこの状態が続くとクロムの自我領域を隔離したまま、管理者不在として権限をオーバライドし、肉体の維持を優先する為にヒューメの血液を吸い尽くし殺害する方針に切り替えるだろう。

 その後に肉体の復旧を行う。

 自我よりも再利用可能な肉体を優先するという、軍の方針が反映されている筈だった。





 その事を聞いたヒューメは、そのあまりにも人を人として認識していない事、そしてその常識から隔絶した価値観に対し恐怖を覚え、意識を震わせた。


 ― 貴方が私達の前に現れた時点で、もう運命は決まってたのね ―


 ヒューメはあの夜、ピエリスが自分を贖罪の毒花ヘレボルスの短剣で刺さなかった事に少しばかり感謝した。

 刺される事に対して抵抗するつもりは無かった。

 だが、それ以外で死ぬつもりもなかった。


 そしてその結果、黒い騎士が眼前に現れて交渉する機会を得られる今に繋がる。

 その為に随分と痛めつけられてしまったが、それでも、もう一人の私を生かせる可能性を残す事が出来たのだ。


 ― 運命って本当に分からないわね ―


 ― お前の感傷に興味は無い。本題を話せ ―


 あくまでクロムはクロムのまま、ヒューメの想いと回想を投げ捨てる。


 ― そうね、ごめんなさい。まず魔力だけど、その予想で正解よ。血液は魔力の貯蔵庫でもあり魔力を肉体に宿らせる源泉、そして魔法を行使する最も重要な触媒よ。生物が保有できる魔力量は生まれ持った血に最も影響を受けるわ。王家や貴族がその典型例ね ―


 ― 出血が多いと魔力の総量も少なくなり、行使できる魔法にも影響が出るのだな ―


 ― ご名答、因みに私の身体は特殊な形に生まれ変わってるから当てはまらないけど...それはいいとして、魔力を認識したいっていうのは見る事?それとも感じる事? ―


 クロムはヒューメが魔力を“見る”と“感じる”に候補を分けた事に、疑問を感じた。


 ― 見ると感じるとは違うのか ―


 ― 結論から言うと、私の力では貴方がこの世界の生き物のように魔力を直接見るのはほぼ不可能だと思う。貴方の身体はあまりにも私達とのよ。でも感じる事は出来るはず。私の血を身体に宿していれば ―


 魔力を“見る”為には視神経をはじめとして、その見る事に関連した器官の全てが魔力と親和出来る細胞で構成されていなければならない。

 クロムの眼球はあくまで機械であり、細胞で構成されている訳では無い。

 仮に眼に接続されている強化細胞の回路が魔力を感知出来たとしても、機械の眼は魔力を捉える事が出来ない。


 ― 魔力を感じるのであれば恐らく可能よ。全身が疼いたり色々な反応で魔力量を推し量る事が出来る。でも魔法の行使は不可能。何故なら貴方のその黒い身体は一切の魔力を通さないから。体内の魔力を最適な属性の形で魔法陣に送り込めない。出せたとしてただ垂れ流すだけ ―


 魔法陣に最適な属性で魔力を流す場所は、種族などによってある程度決まっていた。

 人間であれば、一般的には利き腕の指先や掌が魔力を放出する際に属性等を付与できる、言わばフィルターの付いた蛇口の様なものだった。

 魔法陣は発動する魔法の効果等によって属性があり、それが魔力の属性と一致しなければ作動しない。

 対して身体強化は体内の血液を触媒として肉体を強化するので、属性の関係性が無かった。


 ― そして今から話すのが、仮に貴方が私の血を宿して、魔力を感じる様になった時の不都合な部分。結構致命的かも知れないわ。まず私の血と貴方の身体は融合に近い形で共存する事になる。そして貴方の黒い身体がまず邪魔をする。貴方の身体は体内に取り込んだ魔素を、生きている限り延々と魔力に変換していくのよ ―


 ― 身体が魔力を閉じ込めて、いずれ飽和するのか ―


 ― そうよ。これに関しては定期的に魔力を放出するしかない。意識を何日も失った状態が続くと致命的な魔力飽和を引き起こすわ。あともう一つ、魔力の生成量は肉体の活性化に影響を受ける。戦士の肉体で言えば力みや気合いに繋がるわね ―


 ベリスやウィオラ、デハーニらが使う身体強化は、体内で保有している魔素を通常よりも多く魔力に変換し魔力量を増大させ、身体能力を引き上げる技のような物。

 気合いや力み、そして精神的なもの、感情の起伏が肉体の細胞を活性化させ、魔力生成量や親和性を高めていた。


 身体強化を長時間続けていると、呼吸等から吸収する魔素だけでは供給が足りず、いずれ魔素が尽きてしまい結果的に魔力の供給が止まる為、生命活動に必要な最低限度の魔力が得られなくなる。


 これが魔力枯渇である。


 クロムの場合、通常戦闘における戦闘システムの起動だけであれば強化細胞の活性はそれほど上がらない。

 ただし戦闘力を最大まで引き上げる為に、コアの出力を上げてアラガミを解放する、またはアラガミ解放が必要な内蔵兵装を使用する場合、強化細胞の活性化は必須であった。


 ― 貴方の力の仕組みは理解出来ないけれど、貴方の身体の中で起こる変化が凄まじい事は戦った私が直に体感したわ。そんな急激な変化を伴う活性化が起これば、貴方の身体の中でとんでもない量の魔力が一気に生成される事になる。体内の魔素も失って、更に魔力飽和の危険性も高まる。しかもその魔力を逃がせなかった場合... ―


 ― 逃げ場を失った魔力が、飽和の限界を超えて内部で結晶化する、か ―


 クロムは魔力枯渇の場合であれば、行動不能になる事を避けられると予想していた。

 強化細胞が完全にこちらの世界の細胞に入れ替わる訳では無く、融合と共存であれば十分に対処は可能だ。

 クロムの肉体は生存に対し、魔力を必要としない。


 だが、体内で魔力の結晶化が起こる事は恐らく避けられない。


 ― しかも貴方の恐ろしく頑丈な身体の中で魔力結晶が生成される。体内がどんな状態になるか想像しただけでも恐ろしいわよ。つまり貴方は全力が出せなくなるかも知れない。それと魔力を感じれるようになる事と釣り合いが取れるとは正直思えないわ ―





 クロムの望みを叶えられないかも知れないという事実に声のトーンを下げるヒューメ。

 しかしヒューメの予想に反して、この時点でクロムは結晶化した魔力の排出方法を検討し始めていた。


 クロムは戦わなければならない宿命は背負っていない。

 その問題を解決出来るまで、全力を出さねば勝てない相手とは戦わない選択肢を選べば良いだけだ。

 衣食住を殆ど必要としないクロムは、必要に応じて身を潜めていれば問題は無かった。


 クロムは既にヒューメの血と融合する道を決定していた。


 ― わかった。交渉成立だ。可能な限り向こうのヒューメの命は繋ぎ止める。ただし戦闘前の損傷に関しては責任を持たない。あくまで可能な限りだ ―


 ― 貴方、それ本気で言ってるの?もしかしたら貴方の身体が滅茶苦茶になるかも知れないのよ? ―


 ― 問題無い。お前には分かっているのだろう。俺はお前達とは違う ―


 互いに意識だけの存在であるにも関わらず、ヒューメの意識の中にに呆れと畏れの感情が発生した事がクロムにはわかった。





 クロムの予想とは違う回答に、ヒューメは戸惑っていた。

 暫くの間、クロムの自我領域に沈黙が満ちる。


 ― わかった。交渉は成立ね。向こうのヒューメをお願い。私も可能な限りやる事やるから ―


 ― 了解した。ただ時間が無いのも確かだ。コアが俺の権限を上書きして、制御を掌握すれば確実に向こうのヒューメは死ぬ ―


 ― 時間に関しては多分まだ大丈夫よ。この世界でのやり取りは一瞬、貴方と会話した事も向こうの世界では瞬き程度の時間かも知れないわ ―


 神経や器官を介さない意識だけの会話。

 これから自らを犠牲にして、もう一人の自分を救うために消える少女との刹那の時間。


 ― これから私の意思で魔力の浸食を止める。浸食を止めた後は貴方に任せるわ。私の意思が貴方の身体との魔力融合を望めば、きっと上手くいくはずよ ―


 ヒューメの意識に再び強い意志が宿る。

 クロムの自我領域がヒューメの意思に干渉を受けて揺れ動き、クロムにもその決意の意識が流れ込んでくる。


 ― それと今に至るまでに何が起こったのか。私の記憶を貴方に渡しておくわ。きっと何かの役に立つはずよ。しかし便利ね貴方の中って。記憶をこんな簡単にまとめて複製して取り出せるなんて ―


 クロムの暗闇に覆われた自我領域に、赤く淡い光を放つ正十二面体の結晶が浮かび上がった。


 ― お前の記憶情報か ―


 ― そうよ。私が生きて見て来た、私の存在を証明する全て。知識も含めてここに置いていく。私達とは違う遠い存在の貴方に預けるわ。もし私の身に何が起こったか解れば、貴方の目的に少しでも近づけるかもしれない ―


 クロムにとっては、情報の宝庫でもあるヒューメの記憶。


 ― 確かに預かった。俺の自我がコアに再接続されれば向こうのヒューメの命を繋ぎ止める処置を施そう。ただし、俺の措置で彼女も世界から切り離された存在に変わるかも知れない。それでもいいのだな? ―


 クロムの処置で延命されるという事は、クロムの持つ科学技術の一端、強化細胞の恩恵で肉体を修復する事になる。

 肉体や精神にどのような影響を及ぼすか、予測が出来ない。


 ― 私達も既に世界を逸脱しててもおかしくない存在よ。今更って話。私達にとって生き延びる事こそ最も大事なのよ。ヒューメを...お願いね ―


 ― 了解した ―


 ヒューメの意思がクロムに伝わったように、クロムの強固な意思もヒューメに伝わっていた。


 ― それじゃ、私はもう行くわね。血の融合が始まれば私の意識も一緒に溶けて無くなる。貴方の中に居候はしないから安心して。暫く残されたヒューメはかなり混乱すると思うけど宜しくね。さようなら黒騎士クロムさん...それと...ありがとう ―


 ― 最善は尽くす。さらばだ、ヒューメ・ファレノプシス・ソラリス・オルキス ―


 その言葉を聞いて、名を呼ばれた事に年相応の歓びの感情を漂わせたヒューメの意識が、クロムの自我領域から喪失した。


 クロムは感慨に耽る事も無く、瞬時にこれからの行動を思考し始める。






 ティルトは障壁の限界が近い事を伝える為、デハーニの近くに待機していた。

 デハーニが魔力耐性が極端に低い事を懸念して、障壁崩壊に伴う魔力波動を防御する為だ。

 近くにはクロムとの接触が長かったとされている騎士団も配置されているが、その騎士団長は今、その職務を十全に果たせる精神状態では無かった。


「もう障壁が限界を迎えます。その際に放出される魔力波動は一般人なら生死を彷徨う程の大きさになります。魔力防御の準備をして下さい」


 ティルトはクロムが滞在していた宿に訪れていたベリスに声を掛けた。


「了解した。忠告感謝する。その波動はどの範囲まで警戒すれば良いだろうか。正直、今の騎士団長は恥ずかしながら恐らく耐えられないだろう。出来れば後方に退避させたいのだが」


 ベリスは今も呆然自失の状態で立ちすくんでいるピエリスに目を向けながら、ティルトに助言を求めた。


「恐らくこの伯爵閣下の敷地内は波動が届きます。それでしたら魔鉄製以上の素材で造られた盾を構えた騎士が数人で波動を受け止めるしかないですね。私もその際は魔法障壁を張りますので、その後ろに居て貰えれば何とか耐えられるかも知れません」


「すまない。世話になる」


 ベリスはティルトに深々と頭を下げた。


 ― この騎士団、大丈夫なのかな。デハーニさんはポンコツ騎士団って言ってたけど ―


 それでも副団長のベリスとウィオラは、ティルトから見ても相当の実力があるように思えた。

 纏っている魔力の質がかなり上質だったからだ。


「ク、クロム殿!?」


 突然、今まで言葉を発する事無く、クロムの戦いを凝視していたウィオラがクロムの名を叫んだ。

 その言葉でティルトもクロムのいる方向に目を向けると、ヒューメを抱きかかえたクロムがその場で跪いている光景が目に飛び込んで来た。


「クロムさん!」


 ティルトはあの場に飛び込んでいけない自分自身の弱さを呪った。

 まずこの場にいる人間全員、間違いなくあの障壁の中では、数秒と意識は保てないだろう。

 その中で凄まじい戦いを繰り広げているクロムとヒューメが異常なのだ。


 そして自分自身の弱さを呪っているのは、ベリスもウィオラも同じだった。

 デハーニは既に自分の弱さを再認識させられており、厳しい表情でそれを見ている。


「ティルト、何とかあの中に入る事は出来ねぇのか」


 デハーニが拳を握り締めながらティルトに問う。

 ベリスもウィオラもその疑問の応えに耳を傾けていた。


「無理です。デハーニさん、いい加減にして下さい。今更あの場所に入って何か出来るとでも思っているのですか?お気持ちは分かりますが、今のボク達の立場を今一度考えて下さい。村の事も含めて、余計な犠牲を払う事になり兼ねません」


 デハーニが余計な事を考えているのは、ティルトも良く分かっていた。

 下手をすれば激情に駆られて、いつあの中に突っ込んで行くか分からない程に危うい精神状態だという事を。

 

 ティルトがデハーニを諫める言葉を発しようとした瞬間、障壁の表面にひと際大きな稲妻が無数に、激しく乱舞し始めた。






 そしてその場に居る全ての人間が目撃する。

 魔力障壁が吹き飛ぶ直前の光景。


 少女を抱いて跪く黒騎士から噴出した赤い魔力。


 限界を迎えた魔力障壁を内側から破壊せんと、黒騎士の背中から2本の暴れ狂う赤い魔力の奔流が立ち上る。


 その赤い魔力は瞬く間に深紅の結晶へと変化し、黒騎士は月夜に煌めく血晶の翼を広げた。

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