第78話 孤立した意識の中で

 ― 目標 体内スキャン 開始 生命維持システム 展開準備 強化細胞融解液 作製中 ―


 ― 強化細胞 変性開始 目標 生体接続菅 物理的侵入準備 3,2,1、穿孔開始 ―


 ― 強化細胞融解液 注入開始 目標 生体接続菅 侵入 臓器接続 準備 ―


 ― 生命維持システム 展開 ―



 クロムの手の中で既に意識を完全に手放したヒューメの身体が、ビクンと大きく痙攣した。

 ヒューメの胸部に密着したクロムの掌から強化細胞を変性して作られたチューブが何本も這い出て、事前に開けられた穿孔から彼女の体内に侵入していく。


 戦闘強化薬にて強化細胞を融解させた強化溶液が傷口の出血を抑え、神経麻痺を引き起こす。

 ヒューメの口に付き込まれた左手中指はそのまま気管へ到達し、小さな肺を強化溶液で満たし呼吸活動の維持を行い、そして一部は肺を通して血液に溶け込み、各部臓器へ流れていった。


 するとヒューメの手足を拘束していた血晶が魔法効果の消失に伴い、その形を維持出来なくなり徐々にひび割れ始め、砕けていく。

 右手で胸を掴まれた状態で宙吊りにされるヒューメを、クロムの左手が抱き支えた。

 外部から見れば、授乳中の母親が乳幼児を抱きかかえているようにも見える。

 しかし実際の内容は黒い騎士の腕に胸を貫かれ、半目で瞳の光を失った少女が手足を力無く垂らしているという、非常に陰鬱なものだった。



 ― 接続菅 各部接続完了 目標 心臓 正常稼働中 コア 生命維持モニタリング 問題無し ―


 ― 疑似血液 準備完了 血液サンプリング 拒絶反応 無し ―



 クロムの右の掌から幾つも伸びた接続菅がヒューメの体内の重要臓器に接続され、心臓にも両側の心室出口に新たな接続点を形成していた。



 ― オペレーション:ブラッド・カニバル 実行準備 完了 ―


 ― 生命維持システム 正常 コア演算 最終チェック 完了 ―


 ― 戦闘強化薬 1番2番シリンダー 段階的使用 準備 完了 ―


 ― コア出力 上限リミッター 限定解放 ユニット966 生命維持システム 準備完了 ―



「オペレーション:ブラッド・カニバル 実行」



 クロムの合図でコアの出力が急上昇し、戦闘強化薬が断続的に投与され黒い身体の中で肉体の細胞が再構成の準備を始め、脈動する。

 心臓に繋がれた接続菅の弁が解放され、血流操作によりその内部を血液が流れ始める。





 クロムがこのブラッド・カニバルというプログラムを知ったのは偶然だった。


 クロムのコアの記憶領域には、マスクデータとも言える機密情報や制御プログラムが幾つか眠っているが、それに関連する資料の中に、“試作技術プログラム:ブラッド・カニバル”という表題の技術資料を発見した。


 これは戦時中、帝国の生み出した悪魔の兵器“アラガミ搭載型強化人間”に対し、連邦の対抗兵器群では被害が拡大の一途を辿っている事を懸念し、連邦生体工学研究部が発案した技術だった。


 概要としては、鹵獲した帝国の強化人間にこの技術をフィードバックし、コアを書き換え、帝国の脅威に対抗するという方針が記載されていた。


 利点としては大規模な追加肉体改造手術を必要とせず、コアにその理論とプログラムを学習させる事によって、強化薬投与による強化細胞の再構築で実現出来ると言ったもの。

 欠点は、殺す為にかなりの犠牲が出るこの強化人間を、生きたまま素体として鹵獲しなければいけないと言う、かなり無茶な前提条件が課される事だった。


 そしてその技術の内容は、敵の強化人間の体内に強化細胞を無力化する薬剤を投与した上で、敵のコアに自壊ウィルスを注入するという物。


 同族食いカニバルと名付けられている理由でもある。


 しかしながら、強化人間の極めて高水準の防御力を実現している外骨格を突破する事自体が困難な上、コアの完全自壊完了まで敵を無力化し続けなければいけない等の問題が浮上し、最終的に物量で圧し潰して撃破した方が早いとまで言われていた。


 実際の所、実践にて使われた事はなく、その技術は血液や体液の抽出及びその検査や医療の分野で何度か試験運用された後に、正式に採用されていた。




 このブラッド・カニバルというプログラムはクロムの制御下に置かれる内蔵兵器では無く、あくまでコアの制御によって行われる戦術の一つである為、クロム自身この存在を認識していなかった。


 この技術資料を発見した後、クロムはこの機能を使いヒューメの血液を抽出し、魔力と言う存在を自身の認識下に置ける可能性を模索していた。

 加えて血液から遺伝子情報を取得する事により、この世界の人間のルーツや能力の因子等を解明する糸口になるのではないかとも考えていた。


 そして目標のヒューメがであるという事も、クロムが作戦を検討する要因の一つとしてあった。


 しかし、全く未知の物質を含む生物の血液を体内に持ち込む事自体が、非常に危険な物である事も確かだった。

 クロムは兵器であり、人造人間である。

 本来、このような賭けに出るような存在では無い。


 ただこの世界の人間の“成長”という物を目の当たりにし、それを脅威と判断したクロムの生存プログラムが発動している可能性も捨てきれなかった。





「あれは人間の戦いなのか...」


 オランテは高濃度の魔力が渦巻く中でのヒューメとクロムの戦いを見て、呆然とした様子で呟いた。

 そもそもあの空間内で生命活動が出来ている時点で、十分に驚異的なのだがその戦闘の内容も既に人知を超えた物だった。


 今も魔力障壁の内側から、断続的に衝撃音と破裂音、様々な戦場の音が周囲に放たれていた。


「私も信じられない気分ですが...クロム殿であれば十分に有り得る戦いかと。私との戦いは本当に遊びの延長戦だったと、今実感しております」


 近衛騎士団2番隊の隊長レオントは、再支給したハルバードを握り締め、悔しそうな、それでいてどこか晴れ晴れとした表情で主の呟きに応じた。

 現在、最高戦力の1番隊は伯爵邸の防衛、3番隊と4番隊は侵入者や逃亡する不審者等の警戒の為に周辺を警戒する為に散っていた。


 オランテの周辺警備に関して、当初は戦力不足、危険だという意見が各隊長達から出たが、オランテは自身の命よりも伯爵邸内における数多くの機密情報の漏洩、そして領民への被害阻止を最優先にするように厳命していた。

 そして既に不測の事態による自身の死後に関する指令書も、執務室の機密保管庫に収納している。


 宣言前までオランテの脳裏に愛娘の笑顔、そして亡き妻の哀し気な顔が離れなかった。

 迷いが完全に晴れたわけでは無く、心の何処かで希望の光を探していた。

 しかしクロムに相対するヒューメの姿を見て、オランテは何か通常では考えられない事態が、娘ヒューメに降りかかったのではないかと疑問を持ち始めていた。


 同じ人間とは思えない戦いを繰り広げるクロムと相対し、戦っているヒューメもまた同様に人間とは思えなかった。


 ― ヒューメよ、お前の身に一体何が起こっているのだ... ―


 オランテは娘の死をどのように扱い、どのように心の整理を付ければいいのか混乱していた。

 そしてこの事態の背後には一体何があるのか。

 父親として、そして貴族として様々な思考と感情がその心に渦巻いている。




 そのオランテが居る場所に、銀色の杖を魔力で青白く輝かせた錬金術師が近づいてくる。

 緊張感の中、騎士の一人がオランテを守ろうとしたのか、剣の柄に反射的に手を掛けようとしたが、闇夜に輝く魔力を湛えた青い瞳の一瞥を受け、身体を硬直させた。


「部下の無礼を謝罪する。ティルト殿、どうされたのだ」


 オランテがその様子を見て、即座に非礼を詫びた。

 ティルトの金髪と魔銀で装飾されたローブがふわりを浮いた。


「伯爵閣下、障壁魔道具の耐久限界が近づいております。仮に障壁が今崩壊すれば、かなり大きな魔力波動が放出されますので、周囲の兵に魔力防御の徹底をお願い致します。まともに喰らえば意識を失いかねません」


「わかった。オランテ、直ちに伝令を走らせろ。全軍最大警戒にて任に付け。周囲の騎士達にも徹底させろ」


「はっ」


 オランテが一礼すると、すぐさま各員に指示を飛ばし、何人かの騎士が伝令に走り、この場から散っていった。


「ティルト殿、あの戦いは一体何なのだ」


「確実に言えることは、あの戦いは既に私達の手には負えないという事です。私達が出来る事は、見守り、そして不測の事態にどうやって対応するか。どれくらいの犠牲が出るかを考える事だけかと」


 表面を断続的に走る魔力の稲妻の数が増え始めている障壁を見やりながら、ティルトが静かに答え、そして言葉を続ける。


「ボクは未だ伯爵閣下が、権力の為にクロムさんの力を利用したと思っております。ですがあの方が引き受けたのであれば、ボクはあの方への協力は惜しみません。ただしクロムさんへの対応を間違えない様、ご留意お願い致します。閣下は既にその意味がお分かりになられる筈」


 その言葉を終えると同時に、クロムの戦いを見つめていたティルトはその眼が大きく見開かれた。

 ヒューメの赤く輝く拳がクロムの顔面を捉え、彼の仮面が砕け散る瞬間をティルトが目撃したのだ。


 ティルトの伯爵への諫言とも取れる言葉に、それを耳にした騎士達が怒りの気配を噴出させるが、それは急速に冷却される事になる。

 瞬間、錬金術師の身体から冷気すら感じる程の青白い魔力が立ち上り、純銀の杖と青い瞳の輝きがより強まっていた。


 ― 黒騎士の傍にいる錬金術師もまた理の外を歩かんとする人間なのか ―


 オランテの背筋を冷たい汗が伝う。


 そしてその障壁の表面を、今までよりも大きくなった無数の稲妻が這い回り始めた。

 内側で爆発したブラック・オーガの膨大な魔力の影響で障壁が悲鳴を上げている。

 その役目を終える時がそこまで近づいていた。


「そろそろ限界の様です」


 ティルトが静かにオランテに告げる。





 ― 取得血液 データ収集開始 不明物質感知 疑似血液 還元開始 拒絶反応 問題無し ―


 ヒューメの血液を体内で回収し始めたクロムのコアが、解析を開始する。

 クロムの手から得られたヒューメの体重は、年齢と体格から推測される数値よりも軽い。


「全血液量はおおよそ2800mlといった所か」


 クロムがヒューメの体重から血液量を、前の世界のデータより算出する。


 ただしこの世界の人間は魔力の枯渇は死に繋がるというティルトの情報から、ヒューメから強奪する血液は全体の50%が限界と定め、生命維持システムの反応を見ながらの解析を行うと決定した。

 しかしながら、魔力を形成している物質の正体は未だ不明であり、その物質のみを抽出、透析するのはかなり困難と予想された。

 よってクロムは血液そのものをヒューメより取得、体内にて隔離保管し時間をかけて解析する手段を選んだ。


 奪った血液の代わりに、強化細胞から作られた疑似血液を補填し、ヒューメの体内に還元していた。

 そして奪われた血液量と同量が注入される疑似血液はヒューメの身体に戻った後、次第に彼女の血液に溶け込む形で身体を巡り、元の血液を模倣する形で体内に定着し、新たに作られる新しい血と入れ替わる形で消滅する。

 拒絶反応の可能性もあったが、今の所はその様子も見られない。


「人体の構成自体は、同じ人間の可能性が高いのか」


 コアが解析し続けている血液の情報がクロムの意識内で次々と流れている。


 しかし、次の瞬間、クロムの意識内で無数の警告の赤文字が大量に表記された。

 それと同時にクロムは意識内で、聞き覚えのある声を聞く。


 ― 終われない。終わらせない ―


 クロムの体内で、今まで感じた事の無い感覚が急激に広がっていく。

 身体の感覚が静かに、徐々に奪われていった。


「ぐ...」


 この世界で素肌を初めて晒したクロムが、またしても初めて声を唸らせた。






 ― 警告 対象血液に接触の強化細胞 正体不明の物質による浸食を確認 原因不明 正体不明 強化細胞の異常変性を検知 ―


 ― 警告 強化細胞 急速な浸食が進行中 戦闘強化薬 緊急注入 ―


 ― 警告 ユニット966体内 正体不明の物質の発現を確認 浸食尚も拡大中 ―



 クロムの体内に起こりつつある異常事態に、端的な表現での報告を設定されていたコアが詳細報告を自動的に優先し、流暢に警告を発し始める。

 クロムの身体が僅かに脈動し始めた。



 ― コア出力最大 リミッター解除 浸食細胞の分離を開始 浸食速度上昇中 ―


 ― 戦闘強化薬を緊急注入 予想注入量 ユニット966の安全許容量を突破 警告 オーバードーズ ユニット966生命維持システム 緊急展開 ―


 ― 血液供給の中断 反応無し 浸食による回路寸断 緊急回路を緊急生成 ―


 ― 浸食細胞の分離に成功 緊急排出を開始 ―


 ― 対象と腕部接続部の分離 失敗 ―


 ― コア出力115%へ引き上げ コアの損耗を確認 ― 



 停止信号を受け付けず、尚もクロムの体内に流入し続けるヒューメの血液。

 分離に成功した浸食細胞が、黒い液体となって排出経路を無視してクロムの右腕部装甲の隙間から滴り落ちた。

 様々なプログラムや緊急措置を動かすコアの出力が、リミッターを外している事により限界稼働を行い、コア自体の損傷が緩やかではあるが始まっていた。


 クロムは胸部から久しく感じていなかったコアの過熱を感じ、意識内は警告と情報を処理しきれず赤いノイズが走り始めている。

 身体の感覚が薄まり、クロムが地面に跪く。

 その姿は少女を抱いた黒い騎士が、神に祈りを捧げているように見えた。



 ― 警告 ユニット966の体内 高エネルギー反応 正体不明の信号を感知 強化細胞の浸食尚も拡大 ―


 ― 警告 1番シリンダーの戦闘強化薬 残量無し 2番シリンダー 戦闘強化薬の注入開始 残量500ml ―


 ― 警告 戦闘強化薬 注入量が危険域を突破 ユニット966の自我領域を緊急隔離 コア自動戦闘モード 自動迎撃システムを実行 対抗処置継続 ―


 

 その警告を最後にクロムの意識内から一切の警告やモニター情報が消え去り、五感も世界から切り離された様に沈黙した。






 暗黒に包まれたクロムの視界。

 クロムの身体から自我領域を切り離されたこの世界は、視界と言う言葉自体が既に存在しないとも言えた。


 ― この状況も想定はしていたが、ここまで追い込まれるとはな ―


 自我領域内で意識だけとなったクロムが思考を回転させる。


 ― 怖くないの?自分が世界から切り離されるているのに ―


 クロムの意識内に先程まで耳にしていた、1少女の声が響く。


 ― ヒューメか。俺に入り込んで来たのはどっちのヒューメなんだ? ―


 感情を全く感じない、平坦なクロムの意識が突然現れた少女の応える。


 ― 貴方に入った瞬間に心底後悔したわ。でもこれでハッキリとわかったわ。人間じゃないのね。多分この世界の存在じゃない。正真正銘のバケモノだわ ―


 ― それに関しては俺の口からはまだ言えない。まだ俺はこの世界の事を知らなさ過ぎる。証明が出来ない ―


 自身の魔力波動と同調したヒューメの意識が血液を介してクロムに侵入した瞬間、彼女は膨大かつ広大なクロムの意識に触れてしまった。


 中心に凄まじいエネルギーを持った中心核コアが浮かび、それを中心に光の筋が無数に飛び交う、どこまでも広がる意識の世界。

 ヒューメが少しでも自我の認識を緩めれば、大河の一滴の如くクロムの意識の海に霧散してしまう程の膨大な情報空間。


 ― ここまでやってくるとは思いもしなかったな。それで俺に何の用だ? ―


 ― 本当にどこまでも意地悪な人なのね貴方って。でも、それでもいいわ ―


 ヒューメの意識が、僅かに止まる。

 そしてその意識の中に、今までとは違う強い意志を感じさせる声がクロムに届いた。


 ― お願い。私を犠牲にしてを生かしてほしい。貴方なら出来るはず。これは私の無様な命乞い。そして交渉よ。代わりに出来る事なら私が協力する ―



 存在しない、見えない筈の赤い瞳がクロムを強く見据えていた。

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