第76話 黒と赤の舞踏会
今回のヒューメ討伐の為に再編成されたオルキス近衛騎士団とウィルゴ・クラーワ騎士団、そして作戦の中核をなす黒騎士クロムが別館に向けて進軍、無数の篝火と魔道灯を敷設し目標を取り囲んでいた。
クロムはティルトの作製した、魔道具を埋め込んだ強大な魔力結晶を簡単に肩に担ぎ上げ、周囲の騎士達を愕然とさせたのは記憶に新しい。
夕方まで空の覆っていた暗雲はその半分以上を既に夜空に霧散させ、月が軍勢の頭上を静かに見下ろしていた。
地面の草をお辞儀させる風が、雨上がりの森の据えた香りを運ぶ。
ウィルゴ・クラーワ騎士団のピエリスに作戦内容と招集指令が伝えられたのは、進軍開始直前だった。
その指令書を読んだピエリスは、膝から崩れ落ちる程に動揺し、その書状を持って来た近衛騎士に作戦内容の再確認を願い出たが返って来た返事は、作戦内容に間違いは無いの一言だった。
ピエリスを底なし沼に落ちていくような感覚が覆い始める。
またその指令書には作戦内容に関する異議申し立ては、重大な反逆行為としてその場で処断するという一文まで書かれている。
副団長の2人はそのピエリスの姿を見て、ただきつく目を閉じるのみ。
「ピエリス騎士団長殿、出立の号令を」
それでもウィオラは、あまりの動揺に伯爵指揮下にある騎士という本分を忘れつつある騎士団長に対し、静かに指示を求めた。
「ウィルゴ・クラーワ騎士団...伯爵閣下の命により...これより出立する...」
力の入らない手で書状を持ち、目を暗く見開きながらピエリスは震え声で号令を出す。
― クロム殿...やはり貴殿が動くのだな... ―
副団長2人が退室した後、ピエリスはふらつく身体を壁に手を突き支えながら、その脳裏に敵を蹂躙する黒騎士の後姿を思い浮かべていた。
「そこに見える魔石をクロムさんの拳で砕いて貰えれば、魔力結界が発動します。ただその中はボクも経験した事の無い程の高濃度の魔力で満たされるので気を付けて下さいね。念の為...」
ティルトはその魔道具の説明をしながら、心配そうな表情でクロムを見上げる。
その顔は魔力結晶の薄紫色の自然発光で照らされ、ティルトは僅かに眩しそうに眼を細めていた。
「正直な所、その空間内では身体能力やその他、どのような影響が出るかはもう予測出来ません。クロムさん、ご武運を」
「了解した。予測が出来ない、そして経験した事の無い事が起こるのであれば、お前もそれを見届けて記憶すれば良い。それもまたこの先の何かに繋がるかも知れないからな」
ティルトは純銀の杖を握り締める。
その言葉を聞き、クロムの身の安全を本気で心配する心の片隅に、錬金術師の知識欲が黒い点となって現れ、それが滲むように広がっていく。
「それとクロムさんの鎖ですが、感触は如何でしたでしょうか」
ティルトはその黒い染みを思考の片隅に置きながら、クロムの左腕に巻かれている鎖を指差した。
今まで白銀だったその鎖が、魔力結晶の魔力を浴びて淡い光を放ち揺らめいている。
ティルトは
これをクロムに会った時に武器や防具の材料として使って貰おうと、ティルトが今持ちうる自身の能力で可能な限りの魔力を込めている。
言わばティルト特製の“魔銀”と呼べるものだった。
ティルトは近衛騎士団専属の鍛冶師と相談し、高度な魔力改変が施されているクロムの鎖に着目した。
この鎖を鍛冶師の魔力改変と、ティルトの錬金術にて液体金属化した魔銀を表面融着させる事を思い付く。
この液体魔銀はティルトの錬金術師としての特殊性が生み出した異質の改変であり、これは特定の波長の魔力を親和させる事により、液体金属状の魔銀を瞬時に固体化させる事を実現させた。
また液体、固体の状態変化だけでなく、緻密な魔力操作が必要とされるものの、粘度の操作もある程度可能としている。
異質の頭脳も持つティルトの、錬金術の秘奥に近い領域の産物とも言えた。
それをクロムの左手に装着された魔道具で操作し、鎖を任意の形で保持出来る特性を生み出した。
この魔道具は繊維状にされた魔銀が編み込まれたグローブで、各指の角度とその組み合わせで異なる波長の魔力を鎖に供給し、その魔力波長に応じた鎖の箇所の液体魔銀を状態変化させるという非常に高度な技術が盛り込まれた物だった。
これにより、従来の鎖では実現不可能な挙動を起こす事が出来るようになっている。
ただし通常の人間の脳では、高速で動き回る鎖の挙動と左手の指示パターンの組み合わせを制御する事はまず不可能であり、これもクロムのコアの演算能力によってのみ実現可能な代物である。
これに関して言えば、クロムも制御にかなりの時間を要し、進行中の仮説の検証との同時進行でコアにかなりの負荷を掛ける事態に陥った。
ただ問題が無いわけでは無い。
致命的な欠点とクロムが評した問題もあった。
それはグローブ自体の耐久性の問題である。
実際の所、クロムが左手で攻撃するとグローブはその一撃に耐える事が出来ず、全損してしまう事が分かっている。
つまり鎖の為に左腕の近接攻撃を封印されてしまうという大きな欠点もあった。
「制御は可能だろう。だがその先は未知数だ。尽力に感謝する」
クロムはティルトにそう言って、魔道具を担いで1人前に歩き始めた。
ブローチの留め具を外した黒い外套がバサリとティルトの身体を撫で、黒い身体を離れ夜風に乗って空中に舞う。
「あっ!ク、クロムさんっ!」
外套が水滴が残る地面に付いて汚れないよう、慌てて回収しながらティルトはクロムの名を呼んだが、その後に続ける言葉が見つからなかった。
クロムが村を出立する時に見送ったあの後姿に重なる。
幾ら手を伸ばそうとも届きそうにない、夢の中で走っているような感覚を覚えたティルトは、杖と外套を胸に抱きよせた。
クロムは未だ雨で緩む地面の脚を喰い込ませながら、別館の玄関まで歩き、そして魔力結晶を下ろした。
魔力結晶の光が屋敷の前面を照らし出し、遠くでそれを見る騎士達は幻想的な光景を目にしていた。
これからここが戦場になるとは思えない光景だった。
そしてその敵は、父親に魔物と認定されたその愛娘である。。
近衛騎士の1人が生唾を飲み込み、その緊張が次第に水面に生まれた波紋の様に伝播していく。
その緊張感の高まり、そしてクロムが首が横に向いた事をその眼で確認すると、周囲の騎士と同じく完全武装のオランテが声を張り上げた。
「オランテ・ファレノプシス・ソラリス・オルキスがここに宣言する!我が娘ヒューメ・ファレノプシス・ソラリス・オルキスを今ここに災厄をもたらす...っ...魔物と認定しその討伐を
伯爵の宣言により、ついにヒューメが正式に災厄をもたらす敵として認定された。
近衛騎士4隊の騎士隊長はその号令に従い、顔色を変えずに武器を抜き払い部下の騎士達も鶴翼の陣形を形成し始めた。
結晶の光にあぶり出され闇夜よりも黒い影となったクロムが、その宣言を聴き遂げると魔力結晶の前で拳を握り、それを大きく振りかぶる。
拳と腕部、そして肩部から肉体が軋む音が漏れていた。
その中で未だ事態を受け止めきれない騎士団長ピエリス。
その口が大きく息を吸い込む事を両脇に立つベリスとウィオラが見逃さなかった。
2人の両手がピエリスの口を塞ぎ、その身体を拘束しようと伸ばされた直後、悲痛を含む彼女の絶叫が屋敷に向かって放たれる。
「ヒューメ様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そのピエリスの叫びを背に受けながら、クロムが魔力結晶に取り付けられている魔石に拳を重苦しい風切り音と共に叩き込み、その魔石を粉々に打ち砕いた。
― 戦闘システム 起動 コア出力上限70% アラガミ5式 解放 ―
― 改2式遊撃鎖連携格闘プログラム 実行待機 ―
― オペレーション パターン1~4 実行準備 ―
― 戦闘強化薬 投与準備 1番シリンダー装填 残量350ml 投与量 未定 ―
― 戦闘強化薬 2番シリンダー装填 緊急投与 準備 ―
砕かれた魔石から放出された魔力波動が結晶に接続された魔道具の発動させ、それを中心に目も開けていられない程の閃光を周囲に迸らせた。
魔道具を中心として、屋敷全体を覆ってまだ余裕がある程の空間を半球状に作りだす。
魔道具の力で内包していたエネルギーが荒ぶり始めた魔力結晶が、爆発的な勢いで魔力を放出し、急激に障壁内の魔力濃度を上昇させていった。
屋敷が薄紫の空間に包まれていき、次第にその透明度を取り戻していく。
飽和状態の魔力と還元される魔素が反応し、時折、空間に細い紫色の稲妻を発生させていた。
その時、玄関の大きな扉が勢いよく開け放たれる。
そこにはおぼつかない足取りで、白い仮面を付けた騎士が姿を現わした。
白い仮面が、何者かに殴られたのか、大きくひび割れて顔の右半分下の部分が既に欠けている。
既にその身に装備している防具は傷が多数走り、震える手で抑えた肩口からは大量の出血を起こしていた。
外れ掛けた防具の隙間から見えるインナーも所々引き裂かれ、肌が露出している。
「こ、こんなはずでは...これは一体なに、ごと、だ...ぐぅぅ...」
そして胸から上がって来た大量の血を吐き出す動作を見せ、口からそれを吐き出した瞬間、その血がバキバキと音を立てて深紅の結晶と化した。
「むぐぉぉぉぉっ!?」
仮面の騎士が急激に結晶化した己の血液で口を塞がれ、くぐもった叫び声をあげる。
高濃度の魔力に晒された騎士は、飽和状態を超える量の魔力を身体に流れる血液に供給されていた。
急激な魔力飽和によって、騎士は全身を内側から焼かれるような感覚に晒される。
そして本来であれば卒倒してしまうその現象を、強靭な肉体が運悪く耐えてしまった。
そして魔力が飽和状態の血液が体外に飛び出し外気に触れた事により、魔力が一気に血液から離脱、急激に魔素分解され結晶化を引き起こす。
そしてそれは騎士の口から出た血だけの話では無い。
大きな出血をしている肩口や、体中の細かい傷から滲む血にも結晶化が及んでいた。
結晶し始めた血液が連鎖反応を起こし、魔力バランスを崩壊させた血液は体内にもその影響を与え始める。
「たす...け」
体内に起こった異変と激痛に立ったまま痙攣を起こした騎士が、名も知らぬ黒い騎士に助けを求めて震える手を伸ばす。
絶望に染まった澄んだ女性の声が、クロムに届く前に消えていった。
そして騎士の全身から装備している防具を弾けさせる勢いで、大小様々な深紅の結晶が飛び出した。
皮膚を突き破り肥大化する結晶。
飛び散った血飛沫が空中で結晶化し、月光で煌めきながら風に流されていく。
クロムの見つめる先に、鎧と肉を着た辛うじて人の形を残した赤い結晶が出来上がった。
クロムの熱源センサーが赤い結晶の後ろ、暗闇に包まれたロビーに1体の反応を探知した。
サーモグラフィは人間にしては高温の反応を見せる、小さな人の形を浮かび上がらせている。
クロムは左腕の鎖を展開し始めた。
普段の鎖の金属音では無く、ヌルリと無音で蛇かムカデの様に腕から垂れ下がっていく。
「「あら。随分と醜い姿になってしまって」」
暗闇の奥からそれぞれトーンが違う声が重なって発せられ、それをクロムの耳が捉えた。
クロムは瞬時に感覚器官の異常と取得した声の分析を行い、それがクロムのセンサーや五感の問題で無い事を確認する。
「「こんなにも美しい“血晶”でも、人によってここまで醜くなるものなのね」」
薄く白いドレスを返り血に染めた少女が暗闇から姿を現わす。
そしておもむろにその姿には似つかわしくない勢いの手刀を、目の前の血晶の塊に叩き付けた。
ガラスが砕け散る時と似た音が響き渡り、元騎士の血晶が粉々に砕け散る。
そしてクロムの眼前に現れた、柔らかな微笑を湛えた薄幸の
「「そのお姿...もしかして貴方様がピエリスの言っていた黒騎士様でしょうか」」
そしてヒューメはクロムの返答を待たずに、洗練されたカーテシーにて自己紹介を行う。
「「オランテ・ファレノプシス・ソラリス・オルキス伯爵が長女、ヒューメ・ファレノプシス・ソラリス・オルキスと申します。以後お見知りおきを...黒騎士様」」
「クロムだ」
赤く光るヒューメの瞳を正面から受け止めたクロムは、端的に自身の名前を告げる。
例え討伐される魔物と認定されていたとしても、貴族の礼儀に対し最低限度の返事は返すべきと判断した。
「「クロム様...その様子ですと、お父様は私達の存在を消すつもりなのですね。あぁ可哀そうなピエリス...使命も果たせず、他の者の手で主が討たれるのを何も出来ずに見届ける事になるなんて」」
微笑が消え、赤い眼がピエリスの顔を思い出すようにそっと閉じられる。
クロムとの間に吹き抜けた風が、ヒューメの銀髪を柔らかく浮かし、月明かりが薄桃色の光沢を生み出した。
「「クロム様、貴方様が私達の
再び微笑を湛えたヒューメが、小首を僅かに傾げてクロムに問う。
「俺はお前の贖罪に微塵も興味が無い。ただ眼前の敵を潰すのみだ、ヒューメ」
「「あら私達の名前を呼んで下さるのですね。嬉しいですわ」」
頬を僅かに染めるヒューメ。
「「こちらがクロム様に敵意をもっていなくても...ですか?」」
「そうだ。今俺がお前を敵と認識している時点で、お前は俺の敵だ。残念だがそれは変わらない」
ヒューメが悲しそうな表情でクロムを見つめる。
しかしその小さな身体からは、奥でその様子を見守っているオランテ伯爵以下、騎士達にも見える程の禍々しい深紅の魔力を噴出し始めていた。
クロムは突然、左腕の鎖を跳ね上げ、大きく一回転させると縦軌道でヒューメ目掛けて振り下ろした。
クロムの左指が手影絵を作るかのように、せわしなくその形を変え、鎖の性質を操っている。
振り下ろされた鎖が僅かに形を保っていた騎士の血晶に直撃し、小さな塊を更に粉々に砕く。
ヒューメはそれをドレスを靡かせながら難なく交わし、浮かび上がったスカートの部分を少し恥ずかし気に抑えた。
舞い散る血晶が月明かりで煌めいて、ヒューメの幼さが持つ独特の美しさを助長する。
「ヒューメ・ファレノプシス・ソラリス・オルキス。お前をここで終わらせる」
引き寄せた鎖を身体の周りで渦状に操作し纏わせながら、クロムはヒューメのフルネームを呼ぶと共に少女の終わりを宣言した。
「「残念です...ではこの美しい月夜の元で、
クロムには見えない深紅の魔力を全身から吐き出しながら、微笑むヒューメが再びカーテシーを披露した。
その双眸が一際赤く輝きクロムを捉えた。
「戦闘開始」
クロムの漆黒の身体に力が満ちる。
月夜の晩に出会った漆黒の騎士と深紅の令嬢。
互いに名を呼び合った2人の為に開催された、月下の舞踏会の幕が上がった。
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9/19
第75話のキャラ名称を都合により「血脈の教導者」に変更させて頂きました。
宜しくお願い致します。
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