第72話 黒い尋問と答えられない問い
荒れた部屋の中の3人の間を疑念交じりの沈黙が漂っていた。
時折、クロムによって痛めつけられた木の床が軋む音が響く。
「あの、えっと...とりあえずその女性、かなり背中が痛々しいのですが、治療します?」
「ある程度、会話が可能な範囲で治療してくれたら助かる」
意外にもその沈黙をティルトが破り、ベッドに突っ伏したまま動かないメイドを指差して、クロムに意見を求めた。
デハーニはメイドに対して、クロムがどのような行為に及んだか、周辺の被害状況からある程度推察は出来たものの、この場の雰囲気を変えたい一心で軽口を言った。
「まぁお前さんの女遊びの楽しみ方には、何も言うつもりは無いけどよ」
その軽口に、クロムよりもベッド脇に移動したティルトが何故か反応する。
「デハーニさん!クロムさんはそんな方では無いです!」
「わかってるよ、冗談だ冗談...ったく、ティルトのやつ、冗談も通じなくなってきてやがる」
デハーニがベッドの傍で薬剤を準備しているティルトを眺めながら呆れる。
「宿に荷物も置かず直接ここに来たのか?そこまで急ぎでもあるまい」
クロムがデハーニ達の持つ荷物の多さを見て、何か予定の変更でもあったのかと思い、確認を取った。
それを聞いたデハーニは、背中から黒い背嚢を下ろすと本が幾つか積まれた机に降ろす。
その背嚢の重さに、上質な木の机が軋んで悲鳴を上げた。
「その荷物を置きにここに来たんだよ。ほれお前さんがゴライアに注文していた背嚢だ。何の素材で出来ているか分からんが恐ろしく頑丈で、ドえらい重さだぞ。預かったはいいが、重くて嫌になっちまったぜ」
デハーニそう言って、疲れたと言わんばかりに近くにあった椅子を引き寄せて座る。
「それは苦労を掛けたな。感謝する」
クロムは労いの言葉をデハーニに贈りながら、早速その背嚢を手に取ると、ゴライアの伝言を受けたデハーニが装着方法や、その背嚢の特徴等をクロムに説明し始めた。
その背嚢は説明の通り、クロムの体格に合わせて収納が腰の後ろに来るように取付けられる構造になっていた。
形はクロムの身体のラインに可能な限り沿うように曲線で構成され、クロムが跪いても脚の付け根に干渉しないように設計されている。
その身体を十全に使い切るクロムの戦闘において、可能な限りの干渉を避けた形で造られており、クロムが要求した耐久性も十分に発揮するよう、多数の魔物の革や甲殻を特殊な接着剤で何層にも重ねられていた。
硬さの中核を成す魔鋼のプレートには、魔力改変も施されている。
それにより普通の人間では、容量に全く釣り合わない重さになってしまったが、クロムであれば問題無い。
クロムの装備の設計に関しては、まず重量をある程度無視出来ると言う鍛冶師にとっては夢のような事案である為、ゴライアはここぞとばかりに様々な試みを詰め込んでいた。
「流石がゴライアといった所か。見事な仕事だな」
「まぁ俺にはその辺りの熱意と評価はわからんが、製作費用はお前さんが受け取らなくて、そのまま有耶無耶になっていた報奨金から差し引いたらしいぞ」
「問題無い」
クロムはその金額には全く興味を抱かずに、膝を跳ね上げたりしながら脚部との干渉や身体の重量バランスの修正、再計算を行っていた。
「あ、クロムさん、処置終わりました。意識も回復しているようです。ただ逃亡防止に身体の自由を奪う“奪力剤”を投与しているので、歩かせるのは今は難しいかも知れません。尋問も問題無く出来ますよ」
ティルトが状況とクロムの考えを読んだような処置で、メイドを治療していた。
ただそのあどけない顔のティルトに似合わない、物騒な台詞が飛び出してきた事に、デハーニは眉根を寄せた。
「はぁ...とりあえずそいつの尋問には俺達も付き合う。もし伯爵の関係者なら簀巻きにして話し合いに連れていくぞ」
「その辺りは好きにしたらいい。使えるならそのまま利用して使い潰す。そうでなければ処分だ」
そう言ってクロムは黒い拳を握り締める。
デハーニは変わらないその一貫した冷徹さに、僅かな安心を覚えていた。
ベッドの脇にひじ掛け付きの椅子を移動させ、メイドを座らせたクロム。
デハーニは適当な紐を荷物から取り出すと、椅子の脚とひじ掛けの部分にメイドの手足をきつく縛り付けた。
「自白剤が必要なら作成します。現場調合なので安全性は保障できませんが」
「必要なら力を借りる」
「はい!」
これから始まる尋問の空気を全く読まないティルトは、久しぶりに出会えたクロムとの会話を心から楽しんでした。
そのクロムとの会話を続けられるなら、目の前のメイドに最大限、役に立って貰うつもりでいる。
「う、ううぅ...」
メイドの意識が明瞭になりつつあるが、その前にデハーニが尋問の内容に言及してきた。
「とりあえずコイツが何者って話だよな?」
「そうだな。ただ戦闘中この女は刃物を一切使ってこなかった。俺を殺すつもりでは無く、眠らせるか力を奪うつもりだったようだ。そもそも戦闘をする想定をしていなかったのかも知れない。ただ心音から察するに何かしらの訓練は受けているはずだ」
「心音ねぇ...まぁクロムならそれも出来るって話か...」
デハーニが感心する中、クロムは事の経緯を簡単に説明し、床に落ちて砕け散っている花瓶と、それに挿されていた花を指差した。
「では花はボクが調べてみます。薬品が使われているなら大抵は分かるはずですから」
そう言ってティルトが、手袋を付けて花や撒かれた水を回収し始める。
「んで、どうやって聞き出すつもりだ?ポーション飲ませながらぶん殴るか?」
荒事には慣れ切っているデハーニが、古典的ではあるが効果が高い単純明快な尋問方法を提案してきた。
「いや少し特殊な尋問を行う。ただし方法は他言無用の方が良さそうだな」
クロムの言葉にデハーニは少し顔色を変えて慌てた。
「おいおい、流石に情報を漏らしはしないが、騒ぎだけは避けてくれよ」
「大したことはしない。デハーニにも手伝って貰う」
そう言ってクロムは小声で戦闘システムを起動する。
デハーニはそれを今も魔法の類の詠唱と勘違いしていた。
「戦闘システム起動。ピアッシング・エレクトロン起動準備」
― 強化細胞 両腕部先端 変性開始 エレクトリック・オーガナイザ 限定稼働 ―
― 腕部先端 発電細胞 電極化転用変性 電子測定回路 演算システム 接続 ―
クロムの両手の指先からシステム稼働による高周波が発生する。
通常の人間では認識は出来ないが、ティルトは花を調査しながら、不意に感じ取った聞き慣れない音に疑問符を浮かべていた。
― これにも気付くのか。あまり機能使用の乱発は避けた方がいいかもな ―
このピアッシング・エレクトロンは、クロムが搭載する兵装の中でも汎用性が高く扱い易い物の一つだった。
威力自体はさほど大きく無く殺傷能力も低いが、電圧や電流の調整も幅広く対応出来、制御もしやすいという特徴があった。
脊髄や脳幹に高出力で撃ち込めば、その機能を麻痺もしくは機能不全に陥らせる事も可能であり、機器類の電気回路を局所的に破壊する事も出来た。
また電極化した指先を対象の頭部に接触させ、簡易的に脳内の電気信号を読み取る事も可能だった。
今回はメイドに電撃を打ち込むわけでは無く、右手でメイドの脳波を、左手でメイドの心音を測定し、質問する事によりその正体を探ろうとクロムは考えていた。
「起きろ。起きないのであれば更に痛めつける」
クロムは真正面からメイドの顔を鷲掴みにして、顎の骨の接続部に僅かに力を込めた。
脳内で突然弾けた痛みに、目を見開いて覚醒するメイド。
「これから尋問を開始する。暴れたら嬲り殺す。嘘をついても嬲り殺す。こちらの質問に真実のみを話せ。それと簡単に死ねるとは思うな。反抗には地獄の苦痛を持って返す」
クロムの右手に徐々に加わっていく力。
顎の骨が外れるギリギリのラインで、痛みのみを最大効率でメイドに与えていく。
メイドは涙を流しながら、くぐもった声を上げ、必死にそれを了承した。
クロムは右手を離し、メイドの後ろに回ると右手の親指と小指の鉤爪の先端をメイドのこめかみに浅く突き刺した。
鉤爪が皮膚に穴を開け、僅かに血が垂れていく。
ビクリとメイドの身体が跳ねるが、クロムはそれを気にする素振りは一切見せない。
そして中指の鉤爪を眉間にも浅く突き刺し、人差し指と中指は眼球に刺さる直前までその爪の先端を接近させた。
それを見たデハーニは、それを見るだけで顔に盛大な違和感を覚えたのか、両手で顔をゴシゴシと拭っていた。
「あぁぁ...顔がむず痒くなってくるぜ。見てるこっちも拷問されてる気分になるな」
「目を閉じるのは自由だが、あまり閉じ過ぎていると俺の気分次第で爪が瞼を貫くぞ。それから眼をこじ開けられることになる」
当然だがデハーニ以上にメイドの精神は既にかなりの負荷を受けており、眼球は激しく上下左右に動き、全身から冷や汗が噴き出ていた。
― 脳波スキャン 開始 システム 正常 データ取得中 ―
意識内にメイドの脳の立体図が浮かび上がり、モニター状況や数値が多数流れていく。
それを確認した後、クロムは左手でメイドの胸の上から掌を押し付ける。
「ぁっなに...うぐぅ!」
「黙れ」
メイドは突然クロムに胸部を触られた事に思わず声を上げたが、クロムの冷徹な声と共に指に力が加えられ鉤爪がこめかみに更に食い込み、メイドは痛みで呻いた。
― 心音モニター 正常 データ収集中 ―
「準備完了だ。最初は簡単な質問からだ。素直に嘘偽りなく答えれば、頭の中を電撃でかき混ぜられる事は無い」
メイドの耳元でクロムが機械的に囁いた。
クロムとデハーニは、メイドに質問に対して全て“いいえ”で答えるように命令し、幾つか簡単な質問をし始める。
何度も同じ質問を重ねたりしながら、それで得られた結果をメイドにも伝えていく。
それにより平常時の電気信号のパターンを測定し、時折確信を突く質問をした時のパターン変化を読み取っていった。
心音に関してはやはり訓練されているのか、無意識でもその制御が働くらしく、こちらの反応は信頼性が高いとは言い切れなかった。
そして予想通り、このメイドはクロムの調査を行う為に送り込まれた間者という事が判明する。
加えてティルトが花に染み込んでいた成分を調べた結果、長時間吸入すると酩酊状態に陥り、判断力と肉体の自由を奪う自白剤の様な効果がある事がわかった。
「クロムを誘拐でもするつもりだったのか?流石に無茶だろ...」
デハーニがその結果を予想して苦笑いを浮かべていた。
そして危害を加えられず、いつ終わるかもわからない単調な質問攻めは、次第にメイドの思考能力を奪っていき、脳波の乱れや流れも平坦に、そして分かりやすい波形を見せ始める。
既にかなりの時間を費やしながら、様々な質問を続けていき、徐々に質問の内容が核心を突き始めると、クロムはその反応に違和感を覚える。
ティルトも調査を終えて、その尋問を興味深そうに眺めており、質問の内容やそのパターンに何やら納得している様子から、その効果や意味合いも朧気ながら理解し始めていた。
目的やメイドの思惑、計画等は問題無く収集で来ており、脳波の反応も想定の範囲内だった。
しかし、“誰の命令なのか”、“どこの所属なのか”、そして“本当の名前は”という質問に対しては一向に答える事が出来なかった。
脳波の揺らぎが一切無く、全く反応しない。
普通はどのような答えでも、脳内で思考と判断が働く以上、脳波の反応は必ず検出される。
例え知らなくても、それを思い出そうとする、もしくは疑問に思うといった反応で脳波は揺らぎを見せる筈だった。
クロムはこのメイドはその質問に対する答えを“知らない”のではなく、そもそも答えが存在しないという結論に至る。
しかも強烈な思考誘導や認識阻害を掛けられ、それを脳が意識する事すら許していない。
記憶すらも存在せず、そもそもその部分には只の無の空間が広がっているだけであり、場合によっては廃人と同じ反応なのだ。
― 可能性として洗脳か...いや... ―
試しにティルトの用意した簡易作成の自白剤を少量投与してみたが、結果は変わらなかった。
「精神が壊れても不思議じゃない程の強度で、洗脳を受けている可能性が高い」
「しかしそんな事が可能なのか?例えば俺の頭の中からクロムの事だけを完全に綺麗サッパリ消し去って、しかも考える事すら不可能にするんだよな」
「洗脳の魔法ってそんなに簡単に成功するものじゃないですよ。それこそ生まれたての赤ん坊の頃から、ゆっくりと互いの思考の理解を進めながら魔法をかけていく位の慎重さで、出来ても敵意や信仰心の増幅が関の山です」
クロムはこのメイドの処遇で少し悩んでいた。
この場で処分するか、それとも拘束したまま潰れるまで尋問するか。
何よりこのメイド自体が、それ以外は何の不具合も無く思考出来ている時点でクロムの今までの経験と知識の範囲を超えていた。
クロムの前に未知という単語が浮かび上がる。
「こいつどうするんだ。面倒なら潰して、賊として警備に引き渡すのが一番だろうがな」
「...騎士団に引き渡し、拘束しつつ監視を続けさせる」
「あのポンコツ騎士団か?大丈夫なのか?こいつがどこの間者かもわかんねーんだぞ」
「いやあの騎士団には既に色々と刷り込んでいる。もし事が解決するまで拘束と監視を続けるのであればそれで良し。もし解放、逃亡を許すなら騎士団、もしくは向こうの陣営が何らかの形で関わっている、もしくは別の組織の内通者がいるという事だ」
クロムはピエリス、ベリス、ウィオラの3人の姿を思い浮かべ、情報提供者として最適な人物を選定し始めた。
「ティルト、すまないがウィルゴ・クラーワ騎士団の騎士団長ピエリス・アルト・ウィリディス宛てにこちらに人手を送るよう、ここの責任者を使って連絡を取ってくれないか」
「はい!お任せください!」
クロムはティルトに頼み事をした後、メイドを拘束していた右手を外し、通告する。
「お前はこれから騎士団に重要参考人として拘束される。もしそれを望まないなら今ここで苦痛なく処分してやるが、どうする」
「こ、殺さないで...何でも言う事聞くから...」
助命を懇願するその眼にも別の意図を感じさせる気配はない。
― 前の世界での常識と知識で考えるのを一旦やめた方が良いのかも知れないな。そしてこの消えない違和感はなんだ? ―
震えるメイドを見つめながら、思考を巡らしていくクロム。
一方、クロムに睨まれていると思っているメイドは、自分の生死の判断を今決められていると感じ、気が遠くなる程の恐怖を覚えていた。
―何で私がこんな目にあっているの?なんで?私何かしたの?お花を換えて来いって言われただけなのに...なんでこんな事されなきゃいけないの? ―
メイドは涙を流し震えながら、クロムの判断を待つしか道は残されていなかった。
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