第71話 襲来そして合流
クロムはレオントが用意したと思われる施設の中の一室にいた。
この施設は高い塀に囲まれ、門や施設入口には今まで見て来た警備兵よりも体格の良い兵士が歩哨として立っており、彼らの発する雰囲気から通常の警備兵よりも練度と実力が高いとクロムは判断した。
クロムが警備兵に尋ねると、この施設は重要人物や貴族の客人専用の宿泊施設であると告げられる。
部屋の壁や扉も通常に比べて分厚く頑強に作られており、内装に関しても鏡や絵画、時計、その他調度品にも一定以上の質の物を設置していた。
クロムが最も関心を寄せたのは、それなりの大きさの書棚が置いてあり、書籍の内容は民間伝承や娯楽小説が中心であったが、中には百科事典や学術書、貴族名鑑等、あまり一般的に流通していない書籍も入っていた事。
クロムはこの時点で、もし仮にここで戦闘になったとしても、外部に音が漏れ辛いという事を想定していた。
現段階で有効なセンサーは音響センサーだが、こちらは破損している関係もあり、クロムは聴覚を最大限に感度を上げて警戒を続けている。
正確な情報はセンサーに比べて信頼性は落ちるが、仕方の無い事だった。
熱源センサーも試してはいるが、壁の分厚さから外部の様子は感知出来ず、使えるとすれば屋根裏に潜む何かを発見する事ぐらいだ。
エックス線による透過検知は、戦闘システムの補助が少々必要な事もあり現状では使用できない。
襲われたところでという楽観的な見方も出来るが、クロムの思考制御がそう思わせなかった。
クロムはこの施設の責任者と思われる人物に、夕食その他の世話は不要と伝えてあるので、余計な人物の来訪も無く、穏やかな時間を過ごしている。
それでも部屋の掃除だけは室内の維持管理や防犯上、他の滞在者の関係もあり入室を許可して欲しいと言われ、クロムはそれを了承した。
部屋にやって来た使用人は最初、扉を開けた直後に目に飛び込んで来たクロムの異様な姿に驚いた様子を見せたが、それでも職務は全うしようと掃除を始める。
だが、この部屋に入ってクロムがやった事と言えば、書棚から本を取り出して机に置き、椅子に座ったのみ。
外套すらも脱いでいない状態である。
通常の人間からすれば、生きた形跡が無いとも言えるこの部屋の状況に、使用人は何処か得体に知れないモノを感じていた。
そしてクロムが書棚から持って来た7冊目の書籍の表紙を開いた時、再び扉をノックする音が響く。
クロムが要件を聞くと、先程の清掃に間に合わなかった業務があり、この部屋に活けてある花を交換したいと告げて来た。
クロムは入室を許可すると、扉が開き、今度はメイドが色彩豊かな花の束が挿してある花瓶を大事そうに胸に抱え、恭しくお辞儀をするとゆっくりと入室してきた。
そしてメイドはクロムの前を通り過ぎて、窓際に花瓶を置いて花の向きなどを調整し始めた。
場所的にはクロムの斜め後ろ、人間であるならば視界の端に捉えられるかどうかといった位置取りだった。
クロムは当初、完全に背後に回られた場合において警戒を強める考えだったが、逆にその絶妙な視界の切り方と、何より花を窓際に置いた事に疑念を抱いた。
これはティルトと村で過ごしていた時、錬金術と薬の作成時に雑談交じりで話した内容だった。
花を切って採取した後、その質を維持する為に太陽光には当てないという事。
実際に光合成等の原理はクロムも知っており、その理屈も当然ながら理解していた。
クロムはその時、こちらの世界の人間はその原理を知った上で、その方法が良いと思っているのだろうかと疑問を抱いた事があったのだ。
「美しい花だな」
クロムは視線は本に落としたまま、呟くのではなく、明確にメイドに聞こえる声で話しかけた。
メイドは突然声が掛けられたことにより、瞬間的に恐怖に似た気配を放ったが、すぐさま元に戻す。
クロムの聴覚が捕らえたメイドの心音の揺れの回復は早く、余りに反応が良すぎると更に警戒を強めた。
「は、はい。少しでもお部屋の雰囲気を良くする為に、貴族様御用達の花屋より特別に仕入れております。お気に召されて良かったです」
花瓶の脇に立ち、両手を前に揃えて軽く頭を下げるメイド。
緩やかにカーブが掛かったボブカットの金髪が一房、お辞儀の際に揺れて顔に掛かる。
クロムはここでメイドに1つ仕掛けてみた。
「そうか。それでその花は温めると何か効果が出るのか?」
その言葉に、メイドは疑問では無く、驚きと焦りの感情を乗せた気配を浮かべた。
感度を最大迄上げたクロムの聴覚は、メイドの心音の変化を逃さない。
やはり驚きで瞬間的に跳ね上がった心音が、元の平常時に戻る速度が速すぎであり、明らかに感情の制御する訓練を受けている反応だった。
「生け花の花瓶は窓際には置かない。高価な花であれば劣化を緩やかにするのが普通だ。温める事で効果を発揮する薬品でも花に仕込んで、俺の動きを封じようとしたのか?」
クロムの嗅覚が既に今まで部屋に存在していない、人工的な香りを感知していた。
ただし普通の人間でも気付かない程の僅かな香り。
取得した成分データには、どれも該当する情報は無かった。
ただこの世界の科学技術の発展具合から考えると、未知の植物から抽出した自然由来の物である可能性は高い。
実際、ティルトの錬金術や薬術に使う薬剤にも、植物由来の鎮痛作用がある成分の物があったが、どれもデータベースに無いものだった。
「私はただのメイドでございます。お戯れを...私は気が弱いので驚かされる事になれておりません...」
「そうか。お前の心臓の音は全く驚いているとは思えないがな」
クロムは本に落とした目線をそのままで身動きしない。
メイドも手を前に揃えて立ったまま動こうとしない。
元々静かだったこの部屋に重い沈黙が積み重なり、次第に満ちていく。
次の瞬間、クロムとメイドが動き出す。
実際はメイドの動きを察知したクロムが、その先手を取る様に先に動いたと言う方が正解だった。
その刹那の動きの差に気が付いたメイドが驚愕の表情を浮かべているが、それが既にこの人物が、何らかの専門的な訓練を受けた手練れであることを証明している。
クロムはまず窓を突き破って脱出させないように、窓の方向に向かって距離を縮めてバックジャンプを封じる。
そして窓の無い壁際に誘導する為、メイドの行動に先回りする形で、その見た目が非常に凶悪な左手の鉤爪を、わざと強調するように開いて下から上に振り抜く。
案の定、脱出経路を想定していたのか、予想通りにその左手の進路上に入って来たメイドは、顔色を変えて咄嗟に回避行動を取る。
メイドの金髪が鉤爪によって斬り裂かれ、宙を舞った。
次いで、今度は逆にメイドを部屋の入口の扉に誘導する形で距離を再び詰めて、軽く左脚で横に薙ぐモーションを見せると、メイドは扉に向かって跳ぼうとする予備動作を見せた。
メイドはクロムを誘惑する事も視野に入れていたのか、今まで見たメイドの服装よりも短いスカートを履いており、剥き出しの脚から筋肉の収縮具合や力の配分の情報が見えており、クロムに筒抜けの状態だった。
それを既に見越した上で、クロムもメイドの動きに合わせて扉の方向に飛ぶと、またも先回りする形で、今度は右手の掌底をメイドの腹に合わせる様に打ち出し、更に部屋の奥へと押し込もうと攻撃を加える。
メイドはその攻撃を喰らってしまい苦悶の表情を浮かべながらも、身体を咄嗟に曲げて衝撃を逃がした。
そして致命傷を避けつつクロムの右腕を掴んで下半身を持ち上げ、その脚をクロムの首と脇腹に絡みつかせると頑強に拘束した。
「これならどうですか!」
襲撃者にしては少々物言いが丁寧なメイドが叫んで、その手首のアームレットに仕込んでいたガスをクロムの顔面に零距離で噴射する。
この世界にはガスマスクと言う概念はまだ無く、メイドは仮面を付けた状態のクロムの顔面に躊躇無くガス攻撃を見舞う。
ただこのガス自体がアームレットに刻まれた魔法陣によって発動する、魔力を帯びた魔法の一種である為、魔法防御が施されていない防具だとそのまま効果が減衰はするが貫通するという物だった。
しかしながら、クロム自体が魔力自体を受け付けないという、魔力耐性とも呼ぶべき体質である為、当然ながらそのガスも効果が無い。
仮に魔力を含まない純粋なガスであっても、クロムの強化細胞の中和力をもってすれば十分に効果を打ち消す事が出来た。
「そんなものは効かん」
「なっ!?至近距離で直撃したはず!」
ガスが晴れた後も、全く影響を受けていないクロムを見てメイドが驚く。
心音が今度こそ、人並みの反応を見せた。
「ようやく驚いたな」
クロムはそう言って、逃げられる前にメイドの剥き出しの白い太腿を両手で掴む。
この時点でメイドには脚を根元から千切る以外に逃げる方法が無くなった。
「くそっ!離せ!」
そう言って、メイドは必死にクロムの腕を剥がそうと試みるが、クロムの手はまるで鋼鉄の輪の様にビクともしない。
脚をバタつかせ、クロムの胸に手を当てて突っ張るも、掴まれた太腿の皮膚が千切れそうな痛みが走るだけで状況は変わらない。
「離せと言って離す奴が今までいたのか?まぁいい、足腰は丈夫なようだ。死にはしないだろうが、暫くまともに動けなくなる。諦めて耐えてみろ」
そう言って、クロムは身体を反らせてメイドの身体を持ち上げた。
この時点で自分の身に降りかかる事態を察知したのか、必死に身を捩って逃げようとするメイド。
ただクロムから逃げられる訳はない。
「や、やめ...」
「この状況でやめてと言われて、本当にやめる奴を見た事あるのか?」
冷たい言葉を返すクロムに対して、メイドが出来る事は後頭部を守ること以外無かった。
ブンというメイドが振り下ろされる音、そして直後にドゴンという無慈悲な衝突音が部屋に響き渡る。
クロムは容赦無くメイドにパワーボムを喰らわせた。
絨毯の敷かれた木の床とは言え、質の良いこの部屋の床は軋まないように工夫が施されており、それは言葉を換えれば非常に丈夫だという事。
そこにクロムの力で背中から叩き付けられたメイドは、両手で何とか後頭部を守ろうとする代わりに受け身が取れない。
メイドがその攻撃に耐えようと咄嗟に身体強化を掛けた背中を、床に強烈に打ち付けられる。
強化を掛けてたとしても、メイドの視界が歪み、意識が遠のきそうになる程の衝撃が襲い掛かって来た。
後頭部を両手で守りきり、背中も何とか強化で耐え、背骨も粉砕されなかった。
この攻撃自体、相手もかなりの体力を使うはずとメイドは考え、防御強化を徹底する事により、これを耐え抜く方針で身構える。
しかしこれがそもそもの間違いであった。
そしてこの潜入の為に施設内に居た数名の使用人や責任者を事前に眠らせており、加えてこの施設の全部屋には、極秘会談や機密情報を取り扱う時に発動させる防音の魔道具が備わっていて、これを作動させている。
メイドは簡易密室を作り上げてしまった。
誰も来ない、誰にも音が聞こえないこの空間。
敵として相対するのはクロム。
メイドを襲う地獄はこれからが本番だった。
幾度となくパワーボムをメイドに喰らわせた段階で、扉が激しく叩かれた。
クロムは作業を一旦中断し、扉の向こうの人間に声を掛けた。
「どうした?」
「お休みの所、大変申し訳ございません!賊と思われる侵入を確認しました!魔道具も発動されていて、お客様の安全を確認している最中です!ご無事でしょうか!?」
クロムは、既に意識が飛ぶ寸前のメイドに目をやると、既にその眼からは光が失われていた。
最初はメイドにも力が入っており身体強化の効果もある為、衝突音や感触も硬さを感じていたが、それもすぐに柔らかくほぐれていった。
クロムが入室の許可を出さないので、責任者と思われる人間が扉の外から中の状態を確認する。
「こちらは大丈夫だ。特に問題はない。今、重要な機密情報を扱っているので入室は許可出来ない。それと騒々しいな、少し静かにしてくれ」
「ゴホンッ!んんっ、こ、これは大変失礼致しました。ご無事であることがわかれば結構でございます。それとクロム様のご友人と仰られている方が2名、こちらに来られています。お通ししても宜しいでしょうか。ギルドから発行された身分証明書をこちらで確認済みでございます」
騒々しいのは間違いなくクロムの方である。
「了解した。通してくれて構わない」
「畏まりました。それでは失礼致します」
そう言い残して、責任者の足音が遠ざかっていく。
クロムは来客が来る前に、このメイドをどうしようかを思案を巡らせる。
可能であれば殺さずに、情報が欲しい。
恐怖と力で縛れるなら、使い潰すつもりで利用も検討したいとクロムは考えていた。
その時、床に転がっていた金棒を見つけると、その場所までメイドを身体にぶら下げたまま移動する。
僅かに意識の戻って来たメイドと目が合う。
「まだ喰らってみるか?」
右手を太腿から外して、メイドの顔を掴むとクロムの目の前に引き寄せる。
そして無理矢理、メイドの顔を床に向けて、無造作に転がっている金棒を見せた。
それを見たメイドは眼に希望の光とは正反対の絶望の影を纏わせ、ガタガタと身体を震わせ始めた。
ここに叩き付ければ間違いなくメイドの背骨が粉砕される。
「さてどうする?俺の役に立たないなら...今ここでお前を処理する」
そう言って、クロムはメイドを鷲掴みにした頭を万力の様に締め上げた。
頭に炸裂する痛みと圧迫感、そして感情を全く感じないクロムの声に、メイドは既に折られていた心を、その上から更に叩き潰された。
「た、たすけ...言うこと...聞きま...」
「逃げられると思うな。もしその素振りを見せたら、これ以上の地獄が待っていると思え」
クロムの左手に掴まれた白い太腿が肉ごと捩じられた。
メイドはあまりの痛さに声も出せず、涙と鼻水、涎を振り撒きながら何度も頷いた。
「良し。では少し静かに寝ていろ」
クロムはそう言って、メイドをキングサイズのベッドに向かって無造作に放り投げる。
メイドはバウンドしながらベッドを転がり、その上で突っ伏したまま動かなくなった。
何度も背中を床に叩き付けられたせいで、衣装は下着ごと無残に破れ、剥き出しの背中が真っ赤を通り越して、黒く腫れ上がっている。
丁度そのタイミングで扉がノックされ、聞き覚えのある男の声が聴こえて来た。
「クロム。デハーニだ。ティルトもいる。入って良いか?」
「構わん」
クロムの返事を受けて扉が開き、デハーニが入ってくる。
その陰から、気恥ずかしさを隠せない、遠慮がちなティルトが続いて部屋に入って来た。
そして2人が目にする部屋の中の状況。
床のあちこちが凹み、ベッドには服が破れて背中を腫れ上がらせ失神しているメイドの女性。
久々に出会った黒騎士に対してどのような反応をしたらいいか、早速困り果てる2人だった。
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