第69話 贖罪の毒花は月夜に迷う

 訓練場の舞台の上で、“動”を表わすように豪快な素振りを続けるベリス。

 そしてそのベリスとは位置を離した場所に、もう1人の副団長ウィオラ・トリコが鍛錬を行っていた。


 彼女の専用武器であるシールドガントレットを前に掲げ、左手には鉈の様な刺突剣が握られている。

 その構えは大地に根を下ろすかの如く動かない。


 あの遠征から帰還を果たした騎士団は、伯爵邸にて魔力結晶を下ろした後、労いの言葉を受けながら本部施設に戻って来た。

 その時、今までとはまるで違う雰囲気を纏ったウィオラに、誰一人声を掛ける事が出来なかった。


 騎士団副団長としての地位を賜るものの、実力に見合わない理想を掲げ、その言葉の信頼性を失いつつあったウィオラ。

 その奇抜な装備に関しても、今までであれば配下であっても小声で揶揄されるのも容易に予想が付いた。

 

 ― 剣も満足に振れない、ただ騎士の理想を追いかけ続ける騎士 ―


 幸い本人自体が周りの評価や声に気が付いていなかったので、問題になってはいなかったが、それもまたウィオラの未熟が招いた事態である。




 ウィオラは帰還後、すぐに自室で装備を外して湯あみをした後、その脚でピエリス団長の執務室に向かい、新装備の使用許可申請を行った。

 申請書にゴライアとテオドの署名付きの設計図、使用素材等が細かく記された仕様書等も添付し、ピエリスに簡単な運用方法を説明する。

 そして最終的にピエリスがこの武器に関する使用許可証にサインを入れた時点で、シールドガントレットはウィオラの正式な専用装備となった。


 刺突鉈は剣として分類されているので、製作元が信用のおける存在であれば添付資料に情報を載せるだけで問題無い。


 現在のウィオラは毎日、副団長としての業務が終われば、残った自由時間の殆どは鍛錬と読書に時間を注いでいた。

 特に鍛錬に関しては、訓練場の舞台に上りシールドガントレット構えたまま、数時間に渡り驚異の集中力で魔力錬磨を行う。

 その間、他の人間から見れば動きが分からない程に、ゆっくりと拳に力を溜めていくように、シールドガントレットを引き絞られていく。


 そして最後、長時間かけて引き絞られたシールドガントレットを、練り上げられた魔力と身体強化を乗せて一度だけ、正拳突きのように放つ。

 その衝撃と音は、初めてそれを放った際、敵襲と勘違いした警備兵や騎士達が慌てて飛び出てくる程の威力にまで高められていた。

 本人は気が付いていないが、その動作は既にクロムの動作とほぼ同じものになっている。

 あのオーク戦で意識を手放す前に見たクロムの姿を、彼女は無意識で追いかけていた。


 ― よくやった ―


 オーク戦の後にクロムが送った感情無き賞賛が、大きな原動力となり今のウィオラを前に前にと突き動かしている。

 彼にもう一度褒めてもらう為に、もう一度名前を読んで貰えるように。


 そしてこの力が、自身の信じる騎士の正義の道を切り開いてくれると信じ、今日もウィオラはベリスと並んで魔力を練り上げていた。

 シールドガントレットの淵に脚を掛けてしばしの休息を取っていた蝶が、ベリスの突きによって発生した音と衝撃に驚き、慌てて空へ飛んでいく。





 ピエリスは騎士団長の執務室の窓から、紅茶のカップを口に運びながら、眼下に見える訓練場の様子を見ていた。

 淹れたての熱い紅茶は、未だ終わらない報告書との格闘ですっかり冷めてはいるが、日々の作業に追われているピエリスにとっては、この冷めた紅茶の味が何よりも日常を感じさせる。


 帰還後、ピエリスは魔力結晶の入手やその経緯、特にクロムの存在に関して、かなりの量の報告書を要求された。

 突如現れた黒い騎士。

 化物じみた戦闘力を誇る人外の存在。

 ブラック・オーガを正面から嬲り殺せる暴力を持つ者。

 そしてその者に一騎打ちにて殺されかけた事。


 何よりクロムとの出会いで、騎士の何人かが戦闘能力の開花と言うべき程に成長を見せているという事実。


 これらを如何に現実味を持たせて報告書に書くか、連日連夜ピエリスは頭を悩ませていた。

 特にウィオラに関しては、とある事件が切っ掛けでピエリスの頭痛が倍増する羽目となる。


 ある日、いつものように鍛錬していたウィオラの元に、とある騎士がウィオラのその装備をほんの軽い気持ちで揶揄いながら、お遊び程度の模擬戦を挑んで来た。

 そしてその騎士がウィオラにどんなに攻撃を加えても、その場から彼女を一歩も動かす事が出来なかった。

 そして全ての攻撃をウィオラに難無く弾き返された挙句に、その騎士は彼女のカウンターの一撃で場外まで吹き飛ばされ、生死の境を彷徨う事になる。

 その顛末の報告を受けた時、ピエリスは古傷が疼いて、思わず自分の胸を抑えてしまった。




 眼下の訓練場では、舞台の上で2人の副団長が鍛錬を行っていた。

 執務室にいるピエリスの眼から見える、彼女達の発する魔力の質や量が遠征前とは桁違いに増えている。


 突撃槍を振りながら魔力を高める“動”の騎士ベリス。

 盾を構え一歩も動かず、魔力を濃縮する“静”の騎士ウィオラ。


 その光景を見つめながら直立不動で魔力錬磨を行い続ける部下の騎士達。

 反対側の木陰や休息所で談笑しながら、年相応の表情を浮かべる騎士達。


 ― 間違いなくクロム殿との出会いが、我々ウィルゴ・クラーワ騎士団の有りようその物を変えた。一体この先、我々は... ―


 訓練に参加する騎士達の様子を見て、小さくため息を付くピエリス。

 ウィルゴ・クラーワ騎士団が遠くない未来に精鋭として戦場に立つ日が来るのかも知れない。

 あの黒騎士の騎士団に見せつけたドス黒い暴力の影響が、徐々に騎士団内の見えない所で病魔のように広がっていっている事に、未だピエリスは気が付いていない。


 そしてその黒い病に耐えきれず、篩に掛けられ落ちていく騎士の数は一体どれくらいになるのだろう。


 ― その時が来た時、騎士団長としての私はまだ ―


 未だにピエリスの胸から沸き上がる有りもしない痛みが、彼女に底の見えない不安を与え続けていた。






 クロムがネブロシルヴァに到着したという情報、そしてまたも門前でトラブルに巻き込まれたという情報を一気に受け取ったピエリスは、胃薬を速攻で紅茶で飲み下した。


「ふぅ...。全く一体あの御仁は戦乱の神に愛されているのであろうか」


 もう苦い胃薬の味に慣れてしまったピエリスが、執務机に突っ伏しながら呟く。

 外は既に日は落ち、月が昇り始めていた。

 ピエリスは壁に掛けられている振り子時計を見やり、時刻を確認するとメイドを呼んだ。

 待っている間、壁に掛けられた主の肖像画と飾られた3本の騎士剣を眺めながら、自分自身の本来の役目を思い出している。


「ピエリス様、お呼びでしょうか?」


「うむ。入ってくれ」


 失礼致しますと一言断りを入れ、ピエリスの側用人を務めているメイドが部屋に入ってくる。


「すまないが、本日の食事と湯あみは無しで頼む。各自職務を終えたら今日はもう休んで構わない。他のメイドにもそのように通達を入れておいてくれ」


「...承知致しました」


 今晩のピエリスの予定を察知したメイドは、僅かに間を開けてそれに応えて、頭を下げた後、執務室を後にした。


「では行くとするか。我が主の所へ」


 ピエリスは静かにそう呟くと、窓から除く月夜を眺めながらカップに残った冷めた紅茶を一気に飲み干す。





 ピエリスの乗った馬車が伯爵邸の門を潜り、そして玄関前をそのまま通り過ぎる。

 そして広大な敷地の奥にある木々に囲まれた小さな森を抜けた所に、1邸の建物が見えて来た。

 馬車は何度か停止し、何重にも掛けられた魔法障壁を解除しながらようやくその邸宅の玄関前に到着した。

 馬車より下りたピエリスが、その凝った意匠の施された両開きの玄関扉前に辿り着くと、そのタイミングに合わせてゆっくりと開いて行った。

 その時の蝶番の寂しげな軋み具合で、この磨き上げられた木製の扉が開かれる頻度が想像出来る。


 ピエリスの着ている純白の継ぎ目が見当たらないワンピース調のドレスが、月明かりを反射して闇夜に包まれた邸宅を背景に輝いていた。

 扉の向こうから、紋章を持たない銀色の騎士4人がピエリスを出迎える。

 銀色一色の全身鎧を身に纏い、4人共同じ花が描かれた白色の仮面を身に着けていた。

 そして、ピエリスを中心に四隅に立つと1人の騎士が彼女に告げる。


「ウィルゴ・クラーワ騎士団 騎士団長 ピエリス・アルト・ウィリディス殿。良くぞ参られた。では早速ではあるが奥にて御斎を」


「承知した」


 ピエリスは騎士の先導に従い、まずは湯あみを行う為の部屋に向かう。

 ピエリスを四方から囲むように、剣の柄に手を掛けた騎士達が同じ歩幅で歩く。

 深紅の絨毯を踏みしめる音が、見事に一人分の音に収められていた。


 この騎士は輝花護衛騎士団クリューエクエスと呼ばれる王家に連なる血筋を護衛する専属騎士団の一員であり、権力とその実力は王家近衛騎士団に匹敵する。

 近衛騎士団と異なり、戦争には一切参加せず、自国領内における王族の護衛のみをその任務と定めていた。


 その職務の性質上、所属する団員数や素性の詳細は一切不明。

 紋章を持たぬ女性騎士のみで構成され、団員は生涯純潔独身を貫く事を誓っていた。

 当然ながら、純潔の誓いが破られた時は本人のみならず、相手も例えそれが国王であっても極刑をもって償われる事となる。

 そして一度仮面を付けた以上、団員以外の前では一切取り外す事は許されず、素顔を見られた場合、その理由を問わずこれも極刑に処され、最終的に顔を潰され埋葬される。

 別名“顔無しの騎士団”とも言われていた。


 騎士では非常に珍しい短剣術を主に使用し、二刀流の逆手持ちで戦闘を行う。

 中でも瞬抜式騎士短剣術 双花葬送コルチカムと呼ばれる剣術を習得しており、二刀流の短剣で相手の複数個所の急所のみを瞬間的に攻撃する剣術を多用していた。


 その戦闘方法も非常に特殊であり、床を這う程の低い姿勢から無数の斬撃を急所目掛けて繰り出してくるという、騎士剣術の中でも特に異彩を放つものであった。

 常に柄に手を掛けているこの騎士達は、例えこの館の主に使える騎士のピエリスであっても、僅かでも怪しいと判断すれば警告無しで彼女を一瞬で殺害する。




 ピエリスは騎士達の要請のまま、奥の部屋にある湯を張られた浴場で4人のメイドによって隅々まで身体検査と共に洗われる。

 このメイド達でさえも元騎士であり、実力はピエリスよりも遙かに上だった。

 その際、騎士達によって女性特有の月の物の検査の為に、妊娠検査用魔道具を体内に挿入され確認されるという徹底ぶりだった。


 そして薄手のローブに着替えたピエリスは髪等を乾かされ、最後に護衛騎士の一人から一振りの宝石で飾られた短剣を手渡される。


 短剣の名は贖罪の毒花ヘレボルス


 致死性の神経毒が刃に塗られた短剣であり、その名前自体がウィルゴ・クラーワ騎士団の別名でもあった。




 ピエリスは4人の仮面騎士に見送られる形で、魔力灯が僅かに照らす廊下を歩いていく。

 その暗い廊下には家族を描いた絵画や、新鮮な香りを放つ花が挿された花瓶が並んでいた。

 既に十分な高さにまで登った月の明かりが窓から差し込み、僅かに幼さの残るピエリスの身体の輪郭とその素肌が透けて見える程に薄いローブを照らす。

 月明かりに湛えられた、彼女の美しい薄緑色の瞳が暗がりに浮かんでいた。


 ピエリスが今、身に着けているのはこの薄手の白いローブと猛毒の短剣のみ。

 廊下の奥から流れてくる冷たい空気が、容赦なくピエリスの剥き出しに近い素肌を撫で上げ、冷やしていく。




 そして目的の部屋の前に辿り着くと、ピエリスはローブを柔らかく浮かしながら跪き、慈愛と忠義が込められた静かな声で名を告げる。


「ウィルゴ・クラーワ騎士団 騎士団長 ピエリス・アルト・ウィリディス。我が主の目覚めの報を受け、ここに参上致しました」


 暫く続いた沈黙の後、その扉に魔法陣が浮かび上がる。

 そして幾つもの錠前がリズム良く開錠されていき、やがてゆっくりと音も無く開いていった。


 ピエリスは目を閉じて跪いたまま、主の声が掛かるのを待ち続ける。

 そしてピエリスに鈴の音の様な澄み切った、透明感溢れる少女の声が降ってくる。


「頭を上げてピエリス。私の愛しい騎士。会いに来てくれたのね」


 ピエリスの脳に直接響くような主の声。

 彼女は溢れ出る歓びを必死に隠しながら、ゆっくりと顔を上げた。

 そこには開け放たれた大窓から吹き込む、柔らかな夜風を背に受けてピエリスを見つめる主の姿。


 腰まで伸びる髪は、月明かりが当たると薄い桃色に輝く銀髪。

 ピエリスよりも更に身体は小さく、強く抱きしめれば壊れてしまいそうな、儚さすら感じる少女。


「忠実なる騎士ピエリス・アルト・ウィリディス。御身の前に」


 再び頭を下げるピエリス。

 夜風に乗って、ふふと少女の嬉しそうな声が運ばれてくる。


「頭を上げて、もっとよく顔を見せて頂戴。おかえりなさい我が騎士。そしておはようピエリス」


 月明かりだけが支配するこの部屋の中、ピエリスの主はそこに立っていた。

 大窓から大きな月の姿が見え、それを背景に立っている主の深紅の双眸が、優しく騎士を見つめていた。




 彼女の名はヒューメ・ファレノプシス・ソラリス・オルキス。


 贖罪の毒花ヘレボルスのピエリス・アルト・ウィリディスは、この時、真の帰還を果たした。



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