第68話 冒険者と騎士の進む先に

 クロムはギルドの受付でオルキス近衛騎士団からの伝わっているであろう要請の内容を確認していた。

 クロム達がギルドの中に入った瞬間、様々な意味でこのロビーがざわついていたが、徐々に落ち着きを取り戻しつつある。

 それでも女性を片腕で抱えた黒い騎士が突然出現し、しかもそれがランク4層スプラー・メディウム冒険者という事実を受け入れられない者も少数だが残っていた。


「それではクロム様。こちらの書類をご確認お願い致します。申し訳ございません。こちらの書類に関しましては、私どもの権限では内容の確認を含め、読む事も許可されておりません。またお読みになられた後はその場で処分が必要になります。お手数をお掛けします」


 受付嬢はふわりとカールした水色の髪を揺らしながら、丁寧に頭を下げた。

 非常に物腰が柔らかく、所作にも一定の気品や儀礼訓練の後が垣間見える。


「問題無い。内容に目を通す間にこちらの書庫で書籍を閲覧する許可を取って欲しい。出来るか?」


 書類に目を通しながら、滞在場所やこの街の詳細等の情報をコアにインプットさせていくクロム。

 滞在中はラプタニラと同様に書庫にて情報収集を行う事を検討していた。


「了解致しました。クロム様のランクですと確実に許可は下りますが、申請の許可はご領主様直轄の部署が最終決定権を持っておりますので、早くても明日の夕方以降になると思われます。後こちらの書庫よりもご領主様が自ら管理されているオルキス中央大書庫の方が書籍等が多数保管されております」


「なるほど。ではそちらの方を利用出来るか、こちらからも聞いておく事にしよう」


「お手数お掛け致します。当ギルドの書庫は全て中央大書庫の複製品になりますので、そちらの方が確実にクロム様のお役に立てるかと」


 受付嬢は申し訳なさそうに顔を暗くさせた。


「問題無い。それと書類は確認し、全て記憶した。必要な処置を頼む」


 そう言って、驚いている受付嬢に書類を渡すクロム。


「本当に構いませんか?...それでは処置を開始します」


 クロムが無言で頷くのを確認すると、受付嬢は書類に魔法陣が描かれた布を被せて、首にかけていた赤いクリスタルの様な物体を手に取り魔法を発動させた。


「深度2魔法 忘却の添削ミッシング・ドロップ


 クリスタルが赤く光り輝き、その先端からその光を濃縮した様な赤い雫が布に描かれた魔法陣の中央に1滴零れ落ちた。

 雫から魔力を供給された魔法陣が今度は青く輝き始め、ロビーに光が漏れる。

 布の下にある書類の魔力インクで書かれた文字から魔法陣が魔力を完全に吸収し、文字その物を消去していく。

 そして、全ての文字が消え去り、魔法の効果が切れるとその布の上には小さな紫色の魔力結晶が転がっていた。


 受付嬢はその結晶をピンセットの様な器具で丁寧に拾い上げると、魔法陣が刻まれた小さな木箱に入れ、蓋をして封印措置を施す。


「こちらは後ほど担当部署にて結晶と魔力インクの照合を行って、完全消去の確認を取らせて頂きます」


「そうか。それでは世話になった。あと鍛冶所の場所の情報も助かった。礼を言う」


「いえ、この度は私がお役に立てました事、光栄に思います。また何かあればお呼び下さいませ。ランク4層スプラー・メディウム冒険者クロム様」


「失礼する」


 一歩後ろに下がり両手を前に合わせて、深々と頭を下げた受付嬢。

 顔を上げた時に浮かんでいたその彼女の微笑には全く興味を示さずに、そのまま受付を離れるクロム。

 普通の冒険者であれば、その春風を思わせる優雅で温かみを感じる笑顔も、クロムにとっては個体識別データの一部に過ぎない。





 クロムが受付での作業を終えて、多数の冒険者が行き交う中央ロビーに戻ってくると依頼関係で別の受付に言っているペーパルを除く、フィラとロコがロビーの一番端の更に隅に待機していた。


「コロシテ...もう生きて表を歩けない...クロさんに抱っこされて街を練り歩いたとか...悪夢だわ...」


 元々小柄なフィラが、更に小さくダンゴ虫の様にソファーで横向けに丸まっている。

 そんな様子を、憐れむような、それでいて面白がっているような表情で見ているロコ。

 そんなロコが戻って来たクロムに喋らないでくれとジェスチャーを送る。

 何の事かよくわかっていないクロムは、そのまま傍観を決め込む事にした。

 先程の情報を整理が意識内で始まる。


「おいおい。いい加減落ち込むのやめろって。そこまでショックを受ける事か?」


「いきなりクロさんのマントに包まれて、あんな風に抱き寄せられるなんて誰が想像するのよ...しかも頭が沸き立って気を失ったと思えば、街中をクロさんに抱っこされて...どうせ滅茶苦茶目立ってたでしょう?...見世物じゃないのよアタシは...うぅぅ」


 赤髪のダンゴ虫は未だにソファーの上を転がっている。


「普段はあまり見ない位に心地よさそうに寝てたからよ。起こすのも気が引けてな。クロムさんは俺達に運ばせようとしたんだがな、そのまま運んでくれって俺達が無理言って頼んだんだよ。嫌だったか?さっき悪夢だって言ってよな」


「嫌なわけないじゃない...しかも一定のリズムでフワフワして運ばれてるのも朧気に覚えてるのよ...すっごい心地よかったんだから」


「一体お前の主張はどっちなんだよ...」


 ダンゴ虫がようやく丸まりを解除したが、両手が赤面収まらぬ顔に当てられていた。

 近くに居た冒険者も何事かと集まって来そうになるが、そこに立つクロムの威圧に似た異様な雰囲気によってすぐに離れていく。

 クロムはいつもの様に周囲の冒険者達の装備や身のこなしを視界で捉えながら、その実力を予測し記録していた。


「急な行動で混乱させたな。大丈夫か?」


「大丈夫じゃない!もうどんな顔してクロさんの前に立てばいいのよ...クロさんもきっと呆れて...ってクロさん!?」


 一通り愚痴を吐いてからようやくクロムの声に築いたフィラは驚きで、そのままソファーから落ちて、ふぎゃっと覚えのある悲鳴を上げた。


「ご、ご、ごめんなさい!あんな事になってしまって...呆れているでしょ...?」


「謝る必要は無い。呆れているなら、そのまま呆れていると俺は言う」


「ほ、ほんとに?ほんとにそう思ってる、クロさん?アタシ重かったでしょ?」


 ロコは通常運転のフィラがいつ戻ってくるのだろうかと、今後の冒険者活動も踏まえて計画の練り直しも検討し始めた。

 ただロコもペーパルも冒険者活動において常にリーダーシップを発揮してくれている彼女に、たまにはこういった新鮮な気分を味わって欲しいと思っているのも事実。


 彼女の持っている感情が恋愛感情であれ、仲間意識であれ、そしてそれが成就しようがしまいが、ロコとペーパルは問題にしていなかった。

 全てを糧にして今日明日を生きる冒険者であるなら、どんな形であれこのクロムとの出会いと交わりもまた冒険者の生きる糧となるはずだ。

 2人はそう信じて、フィラの思うがままにして欲しいと本気で思っている。


 メンバーの誰もがいつ死ぬか分からない刹那の中で生きる冒険者である。

 もし仮にフィラがクロムを本気で愛したとしても、恐らくその愛は成就しないとロコは感じていた。

 あまりにも生きる世界が違い過ぎる。

 振り返ればもうそこには存在していない...そんな有り得ない事もクロムでは有り得てしまいそうな気さえする。

 それでも死の間際に想いを伝えずに後悔して涙を零すより、愛した事、愛せた事を喜び、涙を流して逝って欲しいと思うのは、仲間として当然だった。


 ― でもやっぱり胸張ってその願いを叶えるのなら、最低でもランク3層メディウムが必要になってくるよな。ちくしょう、やってみるかぁ ―


 ロコもまた間接的ではあるが、クロムとの出会いで新たな目標への闘志を燃やしていた。


「この金棒に比べたら、フィラは羽のように軽い」


「比較対象がその金棒なのね...もうやだ...クロさんキライ」


 そのクロムの言葉を聞いたフィラは呪詛のように言葉を吐いて、今度は床で丸まり始める。


「何なんだ一体」


 今度はしっかりと呆れた声を発するクロム。


 その様子を見たロコは、このままだと先程決意したばかりのランク3層メディウム到達の実現が危ういと本気で感じ、流石にこのフィラをどうにかしなければと焦り始めていた。

 ペーパルが戻ってきたら本気で対策会議をしようと心に誓うロコであった。






 街の中心街から外れた位置、そして尚且つ伯爵邸にほど近い場所。

 周辺は集合住宅のような建物が並び、何処からか風に乗って気合いの声が運ばれてくる。

 中央に石畳が敷き詰められた円形の舞台がある、とある施設の野外空間。

 大きな舞台の周りには日陰を提供する木々に、湧き水が零れる石の貯水箱、傷だらけの鎧を着る木人形、多種多様な武器が無造作に入れられた武器棚等が配置されていた。


 ウィルゴ・クラーワ騎士団ネブロシルヴァ駐屯地。

 騎士団本部施設に接続されている屋外訓練場。

 近衛騎士団や実績や強さを重ねた騎士団の訓練場であれば、全天候型施設の中で訓練用具も豊富に支給されているが、この騎士団は実績や創設経緯等の影響もあり、現状では必要最低限の予算しか割り振られていない。

 それでも先日の魔力結晶獲得の功績もあり、今後の予算繰りも多少は楽になりそうだと騎士団付きの会計係がほっと肩の荷を下ろしていた。


 屋根の無い訓練場の入り口の壁には、いつの間にかあのクロムが歪めた槍が飾られており、その下には表題が刻まれた真鍮製のプレートが丁寧に張り付けられている。


《黒騎士の槍一本振り》


 あの時の事情を知る騎士と、予備戦力として本部待機だった騎士とでそれに対する反応は全く違う。

 騎士の中には、訓練前にその槍の前で背筋を伸ばし、しばしの瞑想を行う者も何名か目撃されていた。

 事情を知らない騎士達にしてみれば、新たな宗教でも始まったかと疑問を持つ者もいる。

 それでも夕食後の酒のつまみ代わりに語られる黒騎士の話が、口伝えではあるが徐々に広まりつつあった。


 あの遠征から帰還した騎士達は、自発的に決められた時間になると訓練場に姿を見せていた。

 遠征に参加していない騎士達は、一体何があったのかと聞くが、緘口令が敷かれていないにも関わらず一様にその詳細を話す者はいない。

 その時の騎士の顔は決まって、恐怖や畏怖、そして何か大切な物を隠しているような複雑な表情を浮かべていた。




 そして今、晴天から降り注ぐ陽光の下で2人の騎士が鍛錬を行っていた。

 青色のロングヘアの騎士と栗色のセミロングヘアの騎士が互いに干渉しない位置で、それぞれ汗を流している。

 そしてそれを見つめながら背筋を伸ばして立つ騎士数名と、奥の木陰で兜を脱いで汗を拭きながら座り込み、談笑しながら休む騎士が数名。


 対極的な様相を醸し出す訓練所外縁の景色。


 ― あれが今までの自分の姿だったのか ―


 2人の副団長からのアドバイスを受け、魔力錬磨の訓練を行っている直立不動の騎士達が対面の木陰でじゃれ合う者達を見て、過去の自分の姿を客観的に思い出す。

 そしてその身に襲い掛かる羞恥心に耐える為に拳が固く握り締められ、小刻みに震えていた。

 未熟な魔力錬磨が更にその雑念で乱れていく。


 日に日に訓練場で振る槍の出す音が鋭く、そして重くなっていく青髪のべリス・プレニー副団長。

 彼女は帰還後に汗を軽く流した後、疲れた身体を気合いで動かして武具管理倉庫に赴き、寝る間も惜しんで倉庫中の武器を片っ端から手に取っていた。

 そして手に持った武器の重量で若干ふらつきながらも、満足げな表情で彼女が持ち出してきたのは、魔鉄製の重突撃槍ヘヴィ・ランスだった。


 非常に耐久性が高く、重厚な造りであるのは勿論の事、刺突槍スピアとは違い突きの他にも、その形状と重量を生かした強烈な打撃も可能にする。

 ただしその重量自体が刺突槍とは比べ物にならない程に重く、扱いには相当な身体能力と熟練が必要な武器である。

 ベリスも当初は構えて型を確認し、素振りを行うだけでもかなりの体力と魔力を奪われていた。


 ポニーテールで纏められ、汗の蒸気を吸って重くなった青い髪を振り乱しながら、突撃槍を握り締め一心不乱に振るう。

 そして数回振った後に、槍を引き絞り魔力を練り上げる感覚を研ぎ澄ますと、気迫の籠る突きを1発放つ。

 ズンと地面に響く踏み込みと、槍の先端から放たれた魔力波動が空間を点で穿ち、その衝撃は大気を僅かに揺らしていた。


 今やそれを彼女は、数回の小休止を挟みながら数時間に渡って繰り返し行っている。

 小休止に関しても身体を休めるのではなく、疲れや肉体の負荷によって乱れた魔力の流れを瞑想で鎮め、錬磨する為の時間であった。


 訓練であるにも関わらず、ベリスの金色の瞳はその燃え上がる心に反応し自然と魔力を孕み、僅かに輝いている。

 その瞳に宿るのは気迫、殺気、畏怖、そして憧憬。

 その先にあるのは、彼女の槍と騎士道を歪めた黒騎士の後姿。




 そして訓練場の舞台の上で、ベリスが“動”であるとするならば、離れた所にいるもう一人の副団長はまさしく“静”だった。

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