第67話 冒険者の現実と監視網

 あの騒動の後、レオントに許可を受け一行はネブロシルヴァの街に入る。

 前に滞在したラプタニラとは比較にならない程の人々で溢れ、クロムが展開しているセンサーが夥しい数の光点を検知している。

 クロムはその中で、ランダムに移動する点を徐々に減らしていき、一定の法則に従って動く点を洗い出していく。


「なぁフィラ。何であんなに必死にクロムさんを止めたんだ?長年一緒にやってきたが、あんな姿のお前は初めて見たぞ」


 そんな中、クロムの先を歩き冒険者ギルドを目指すトリアヴェスパの面々が会話していた。


「んー...なんて言ったら良いかなぁ...」


 フィラは先程のクロムに対する行動を思い出したのか、僅かに恥じらいを表に出しながらも、言葉を選ぶように答える。


「クロさんに冒険者辞めて欲しくないのは本当だわ。だけどね、多分アタシやっと見つけた目標を失いたくなかったんだと思う。ランク2層サブ・メディウムのアタシ達の目の前に成り行きとは言え、一緒に戦ったランク4層スプラー・メディウムの冒険者が実際にいる訳じゃない?」


 ロコとペーパルは無言でその話に耳を傾けている。


「ランク4層なんてアタシには無理って分かってるんだけどさ、それでもやっぱ冒険者やってるなら、諦めずに夢を見ていたいじゃない?でもさ、あそこでクロさんがあっさりランク4層を捨てて冒険者を直ぐに辞めちゃったら、アタシ達が今まで死ぬ気でやってきた冒険者の価値って何なんだろうなって思ってさ。気が付くと身体が勝手に動いて、口が勝手に喋っちゃった」


 自分で言った台詞に恥ずかしさを覚えたのか、どことなく落ち着かない表情で頬を赤らめるフィラ。


「冒険者として歩いて行った先にクロさんの後ろ姿があるって考えると、トリアヴェスパもまだ先に行けそうな気がするんだよね。ランク3層メディウムに行った時にクロさんと一緒に戦った事あるんだよって周りに自慢もしたいしさ」


 フィラはそう言って小さく舌を出して、再び戻って来た感情の高ぶりを誤魔化した。


「なるほどな。確かに戦士の俺からしたら、クロムさんの戦いはマジで男の俺でも惚れちまいそうな位に憧れるな」


「僕は今のまま自分らしくで良いですよ。クロムさんしか出来ませんよあんな恐ろしい生き方って。多分クロムさんだからこそ許される生き方なんだと思う。でも憧れは確かにありますね」


 3人は会話を続けながら、振り返らずに街の中を歩き続ける。

 既に聞き慣れてしまったクロムの石畳を打つ規則正しい足音。

 常に寸分狂わず響くこのリズムが、今もトリアヴェスパの後ろから聞こえてくる。


「いやちょっと予想していた答えと違って驚いたな」


「そうですね」


「何の話よ」


 笑いながら話をするロコとペーパル、そして何の話か理解していないフィラ。


「いやな、お前のクロムさんへの懐き方を見てるとよ。もう完全に惚れ込んだと思ってたんだよな。ついにあの“股蹴りの赤栗鼠リス”にも遂に乙女の季節が来たかって二人で話してたんだわ」


「うん。まぁあれは惚れても仕方ないかもね。素顔知らないけど、何故か気にならない。もうあの姿自体が印象に残り過ぎなのか、あの黒い仮面が当たり前過ぎてもうそれが素顔に見えてくる」


「んなぁ!?な、な、な、何言ってんのよ!しかもその渾名は...」


 フィラは王都で冒険者活動をやっていた頃、毎晩の様に酒場で酔った男が言い寄ってくるので、片っ端から股座を蹴り上げて、幾人もの身の程知らずの男達を沈めて来た過去がある。

 その際に付いた渾名が“股蹴りの赤栗鼠”だった。


 フィラの顔が怒りと羞恥で真っ赤に染まる。

 しかしながら、フィラはまず怒りよりもこの恥ずかしい渾名がクロムに聞かれていないか、真っ先に彼の様子を伺う辺りに、何かを感じ取った男2人。


「ふっはっ...!」


「...笑っちゃ駄目です...ぷはっ」


「あんた達...まじでもう許さないからね...」


 羞恥で涙目のフィラ。

 同時に沸き上がって来た彼女の怒りのボルテージが上がっていく。




 彼らはフィラに対する恋愛感情は全く無い。

 そしてこれからもその感情を抱く事は無いと言えた。


 冒険者特有の現象であるが、冒険者同士で恋愛やそこから結婚に発展する事は殆ど無い。

 恋愛感情よりも生死を分ける戦いの中で育つ仲間意識、家族意識がそれを大きく上回るからだ。

 そして何より、そうなる前に片方が、もしくは両方が命を落とす確率が非常に高いのが冒険者として生きる彼ら前に立ちふさがる現実だった。


 そして国の方針により、冒険者は結婚する際には引退し、第一線から退くべきという半ば強制に近い通達がなされている。

 命を落としやすい冒険者が親となり、子を育てる事があまりにも非現実的という判断と、高確率で孤児を生み出してしまうという現実から来る物だった。

 国からの保障が充実している兵士とは違い、冒険者は自由であるが故にその代償も大きい。


 仮に冒険者が結婚して引退した場合、最終ランクが冒険者全体の40%を占めるランク1層スペイフでは働き口は兵士等の仕事しか無く、前述の軋轢もあり、そもそも兵士が足りている状況であれば、働き口自体が無い。

 一般兵士とは言え、若い頃から騎士の指導の下で訓練を重ねている為、そう簡単に兵士になれるかと言えばそうではない。

 良くて賃金が安い酒場の用心棒か戦時中の傭兵、最悪の場合は犯罪組織の捨て駒くらいしか無く、前述の孤児の問題と併せて治安悪化の要因に繋がってしまう。


 低ランク冒険者は、結婚して引退しても生活が厳しい現実が待っており生きる為には結婚を諦め、冒険者として生き続けなければならない。

 人並みに家庭を築き、子供を授かる事すら出来ないのだ。

 女性は次世代への命を担う存在である為、国からも優遇されている背景もあり、結婚で冒険者を引退したとしても夫の稼ぎがあれば生きていけるが、男性は裕福な家系の女性との結婚を実現する位しか道は残されていなかった。




 トリアヴェスパの内情では、ロコはまず結婚自体に興味が無く、酒場での一夜の情事で十分と考えており、そもそも恋愛という概念をどこかで置き忘れてきていた。

 ペーパルはその端麗な容姿と女性の母性本能をくすぐる雰囲気から、結婚相手に困る事はまず無い。

 フィラに関して言えば、奔放で勝気な性格であり、冒険者と言う職業をやっている時点で恋愛は何処か別の世界の空想上の産物と考えている節があった。


「ク、クロさん?今の話聞いてないよね?」


 フィラが赤面しながら額に青筋を立てて、それでいて恥ずかしそうな表情を浮かべつつ、頬を引き攣らせるという驚きの技術で造られた顔で、クロムに問い掛けた。


「何の話だ?俺が言うのも何だが、凄い顔をしているな」


「うん、ちょっとね...でもあんまり見ないで欲しい...かな」


「お前がこちらに向いてきたのだが」


 そのクロムとフィラのやり取りを聞いて、もはや我慢の限界を迎えた男2人が盛大に噴き出した。


「ぶわっはっはっ!」


「ふははは...!」


「アンタ達、マジでパーティ解散届けを出して、その直後にぶっ殺してやるからね!」


「よくわからんが街中でずいぶんと物騒な会話しているな」


 クロムがその光景を視界入れながら、警戒を続けていた。




 クロムの姿は注目を集めるものの、この街の喧騒はトリアヴェスパの騒々しいやり取りすら飲み込むほどに活気が溢れている。

 その中でクロムはセンサーの中に幾つか、自身の動きに合わせて一定の法則で動く光点を検知した。

 クロムの動きに合わせて、常に一定の距離で動き、それぞれが互いに位置取りを調整しながら展開している。


 ― 尾行か?しかも訓練された斥候の動きだな。伯爵の手勢と見るのが妥当か ―


「試してみるか」


「え?どうしたのクロさん」


 クロムの呟きに近い声も逃さず拾うフィラ。

 まずクロムは何か目立つ行動を起こし、その動きを観察する事にした。

 疑問符を浮かべてこちらを見ているフィラに、クロムはおもむろに外套をバサリと被せて彼女を飲み込む。


「え?えぇ?何なの!?」


 突然の黒い抱擁に慌てふためくフィラ、驚きで目を丸くするロコとペーパル。

 だが男2人は、そのクロムの様子の変化にいち早く気が付き、今までの雰囲気とは一転、気配を一気に落ち着かせた。


 ― 動きはない...いや位置的に射線を通している者がいるな。動きを警戒したか ―


 この大人数のいる街中で、突然攻撃を仕掛けて来るとは到底考えられないとクロムは思考を巡らす。


 ― 伯爵側の手勢と考えると、身辺調査といった所か。害が無いなら放置でも構わないが...いい気はしないな ―


「トリアヴェスパとの関係性は既に情報が言っていると考えるのが妥当だな」


 問題になるとすれば、クロムに対して何かしらの要求をしてくる際に、関係性が有ると思われているこの3人が使われる可能性がある事だった。

 今までの設定のクロムであれば、それを全て含めて殲滅すれば良いと判断するのだが、未だ調整されていないコアの制御下では、クロムの認識では彼らは“部隊構成員”、つまり仲間という扱いになっている。

 それ故にクロムは今までに無い選択を迫られていた。


 ― まずはこの場から退散して貰うか。追跡出来ればいいが、この街の規模だと厳しいな。捕縛と尋問は次の機会を待つとしよう ―


「クロムさんの足を引っ張る状況なら、俺達は離れるぜ」


 ロコが警戒の表情は表に出さずにクロムに提案する。

 ペーパルもそれに同意するように小さく頷いた。


「いや問題無い。少し待て」


 そう言ってクロムは、マーキングした光点の正確な位置を、周辺の地形スキャンと位置情報からある程度の精度で割り出した。

 そして合計5個の光点の位置に向かってゆっくりと視線を向けていく。

 どれも建物の中では無く、臨機応変に動く為か全てが外だった。


 クロムがその1つに目を向けると、それを避ける様に光点が移動を開始する。

 しかしクロムのスキャンがそれを逃がす筈は無く、視線がその動きを追いかける。

 するとクロムが尾行に気付いた事を確信したのか、その光点は一気にその場を離脱していった。

 その速度からして、かなりの訓練を施された者の動きである事がわかる。


 次いで遠い位置にいる光点に目を移す。

 それも同様に視線を回避するような動きを見せるも、やはり逃がす事はないクロム。

 そしてその光点もまた急速に離脱を開始した。


 そして最後に一番近い光点、これは距離にして20メートル程しか離れておらず、肉眼でも容易に捉える事が出来た。

 商人風の男が荷物を背負いながら何かの店先で品定めをしているが、視線は一向に動いていない。

 そして立ち姿のバランスが、商人では無く瞬時に体勢を変える事が出来る戦士のそれだった。


「間違いないな。ありゃ商人じゃない」


「恐らく諜報員じゃないかと。しかしよく気が付かれましたね。気配を完全に消してますよ。見つかってしまった時点で逆にそれが怪しいですけどね」


 視線も表情もそのままに2人が、クロムが目で追っている物の正体に気付く。


「さすがだな」


「いや、その様子だともっと前から気が付いていたんだろ?ペーパルでさえ気が付かない尾行に気付く時点ですげぇよクロムさん。追うのかい?」


「いや、既に他の奴らは離れていったようだ。残りはこの男だけだ。今は警告だけにする」


 そういって、クロムはその男に向かって左の人差し指を突き付けた。

 その瞬間、男の顔が固まったかと思うと、人の流れに飲まれて消える様にその場を離れていった。

 クロムの指はそれに合わせて動く。

 やがて全ての光点はクロムの監視網から姿を消した。


「ふう...しかしエライ警戒されているんだなクロムさん。まぁあの騒動の後だし、その身分なら監視が付くのは仕方ないのだろうがね」


 そう言って肩を竦めるロコ。


「ここで人と会う約束があるからな。迷惑をかけるつもりは無いが、嫌な予感がしたら直ぐにここを離れてくれ」


「トラブルの予感が...でももうクロムさんと関わってるから仕方がないと諦めましょうか。逆に縁が出来たと思えば...」


「そうだな。諦めが肝心って事だ」


 ペーパルが静かに諦めの境地に到達し、それにロコが同意する。

 そしてロコが何処か楽し気にクロムに声を掛け、外套を指差した。


「クロムさんよ、何か忘れて無いか?」


「なんだ?ああ、そうだったな」


 クロムが懐に飲み込んだままのフィラの存在に意識を戻し、外套を広げて捕らえられた獲物を解放する。


「...」


 中から顔を真っ赤にしたフィラが、クロムにしな垂れかかっていた。

 だが、反応がどうにもおかしい。

 クロムがどうしたと声を掛けてその身体を揺らすと、ふぅとため息の様な声を上げてフィラが力無く倒れてしまう。

 即座にクロムがそれを抱き留めて、前回のような尻を打ち付ける事態は避けられた。





「むっ。流石に外套の中は熱かったようだな。呼吸が出来なかったか」


「多分そうじゃないんだよなぁ...しかしこりゃ驚いたな」


 ロコは全く心配する様子を見せずに、むしろ驚きと興味を前面に持ち出している。


 女性とはいえ力の抜けた人間で、更には完全武装している冒険者を難無く抱え上げるクロム。

 ただし不意の戦闘を警戒しているクロムは両腕を使う事を避け、姫抱きでは無く、左腕での片腕抱きでフィラを抱き上げた。


 クロムは彼女を前腕部で抱き上げるわけでは無く、大きな掌の上にフィラを座らせ、持ち上げる様に抱いており、背の低いフィラと背の高いクロムの組み合わせが幸いし、肩担ぎの様な格好にはならなかった。


 そのクロムの腕の力だけで持ち上げるという豪快な女性の抱き方に、周囲の人間も思わず驚きの声を上げる。

 そして周囲のその反応を全く気にしない、堂々とした立ち振る舞いのクロムに周囲の関心が更に集まった。


「これ今フィラが起きたら、どうなるんだろうな」


「もしかしたら死んじゃうかも知れませんね」


 2人は流石に可哀そうに思ったのか、長い間、生死を共にしてきた大切な仲間に対して、今は起きない方がいいぞと心の中で忠告した。


「それではギルドに向かうぞ。フィラはどちらが運ぶんだ?」


 クロムは2人にフィラの預け先を訪ねる。


「いや、すまないがクロムさんが良ければそのまま運んでやってくれ。良い顔で寝てやがるからな。そのまま寝かせてやりたい」


「しかしこれまたノンビリした寝顔ですね」


 フィラはクロムの肩と首元の顔を埋めて、静かに寝息を立てていた。

 この周りの喧騒ですら、精神が限界を超えた彼女の眠りを覚ます事は出来ない。


「そうか」


 そう言ってクロムは2人の道案内でギルドへと向かう。


 その間もクロムは引き続き警戒網を敷いていたが、スキャンに反応が出る事は無く、幸せそうに眠るフィラを抱えながらクロムはこの状態で戦闘状態に入った時のシミュレーションを行っている。


 そのシミュレーションの中では、戦闘開始直後に真っ先にフィラが地面に放り出され、いつかの再現のように尻を地面で強打していた。

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